無鄰菴・自然主義風庭園の魅力について

太田 惠子

無鄰菴・自然主義風庭園の魅力について

はじめに

京都に疏水の恩恵を与えた水力発電は、東山南禅寺界隈を活性化し、新興有産階級の希求した別荘庭園群に写実的な空間を創出した。
そのひとつが、近代庭園の先駆とされる『無鄰菴』である。素直さに満ちた庭、水に親しめる癒しの空間構成が魅力である。
自然背景を生かしながら、東山を主景とした水による斬新なデザインを用い、庭園と一体化させた名勝『無鄰菴』の景観構造の魅力について『円通寺庭園』を比較対象として考察する。

歴史的背景

山県有朋(竣工時、総理大臣)の認可により明治23年から5年を経て琵琶湖疏水の工事が完成した。
明治政府は上地された旧南禅寺境内計画(水車動力採用)を水力発電へと変更。その結果、疏水の起こした電力は舟運・発電・灌漑・飲料・防火・工業など京都の歴史に、新たな産業を興すこととなった。
京都府は更に名勝地を対象とした「第三期京都策」を実施〔註1〕。地域の発展を推進する有力者の助力を受け、歴史的風土の保存へと導く「風致保存計画」を執行し、南禅寺界隈の自然環境の保全を可能にした。

施設概要

明治29年完成
昭和26年名勝指定
京都市観光協会(運営委託)  
維持管理 ・植彌
所在地 京都府京都市 左京区南禅寺草川町31  
面積約3135㎡
廻遊式庭園
木造2階建家屋・茶室
煉瓦造2階建洋館

魅力と特徴

「此庭園の主山といふは、此前に青く聳へている東山である」「瀑布の水も此主山から出てきたものとする」とあるように山縣の基本理念は東山と庭園の連続性である〔註2〕。

小川治兵衛によって構造化された『無鄰菴』の空間には、山縣の感性と強い意志が今も伝わる。

この庭園は疎水が重要な位置を占め、特定の名勝地を模写縮小した象徴性からの脱皮、自然造形をそのままに表現した明治期の自然主義風庭園の個性が点在している。
庭は施主の嗜好と目的に従い、人が心血を注ぎ作った創作物であるが、この庭園に一歩足を踏み入れても人工的な手段を感じない。むしろ、明るく懐かしい風景が心を癒す。
前面の小高い緑の芝、伏石や低く刈り込まれた躑躅が護岸を連ね、左右の喬木が雄大な山並みを押し拡げる。これらの清しい要素が開放感だと気づく。

東山に焦点を絞り庭と一体化させる表現には、細やかな工夫の積み重ねがあり、自然を自然以上に見せる演出がされている。 
変形した土地の頂点に三段の滝を設え視線に幅をもたせて、豪快な流れを創り、 緩やかな傾斜に曲折を加えることで、沢渡石や小石にあたり跳ねる動きを作る。透明な流れは水音と共に小気味よく蛇行し変化する。写真1)
全体の水深の浅さと段差が拡張と奥行きを生むように立体的な意匠を凝らし、自然との共存感を深めている。写真2) 
のびやかで自然の美しさが表現された庭。主屋空間を流麗に飾る縁先の細流は、植栽と石に「音のデザイン」を添える。写真3)

この庭の魅力は水に親しむ素直さに満ちた、癒しの空間である。
自然を大らかに捉えた斬新な創案と技能の結晶が、拡がりと動きの魅力を増大させていると感じる。

景の比較と特筆点

遠近感を強調する『無鄰菴』の構成は、庭に組み込まれた滝からの水があたかも東山から流れているような「連続性」を齎している。
敷地に高低差を付け、全体空間の流れを利用し、開放性と自然感を表現した作庭手法がこの庭の特徴である。
『無鄰菴』は外部景観と庭園空間を有機的に結びつけ、「三角地を踏まえた遠近法、東山の雄 
大さを増幅させる演出」と造園学者の尼崎氏は評価する〔註3〕。

山縣の自然主義を映し出す「美意識の投影作品」には安堵感が伴い、心を潤す。
それは、象徴主義庭園と一線を画した近代庭園であり「眺める庭園から体感する庭の始まり」として、近代が求めた「自然主義」と捉えることができる。
東西に傾斜した細長い地形を活かしながら、西に建築物を配置して東山の景を取り入れて割り振る空間の創出は、小川治兵衛の才能を開花させたといえる。
なかでも風致保存計画により保全された(岡崎、南禅寺界隈)高級別荘群は、東山山麗の立地を活かした自然景重視の姿勢がみてとれる〔註4〕。

17世紀に後水尾上皇が優れた眺望を求めて、幡枝離宮を創設したとされる『円通寺』は比叡山の東に位置し、南禅寺別荘群とは逆の東向きに建築を構える〔註5〕。
比叡山を遠景とする借景庭園は400坪の面積を誇り、地面の高さは区々で、垣根が一定に見えるよう設え、庭の奥側を高く、手前側を低くして山を強調する手法がとられている。
床・柱・小壁・縁側・平庭・生垣・木立や竹林、質感の異なる要素が水平と垂直に重ねて構成され、借景として据えられた比叡山が見事に浮かび上がる。写真4) 

この寺院庭園は、比叡山を眺める座観借景であるが『無鄰菴』は東山と庭の連続性を景観とし、園路移動による池畔や植栽、流れの変化と多面的な表情が敷地内に凝縮されている。

『無鄰菴』・『円通寺』の共通点は施主の景観美への追求と意欲である。
特に、前者が自然と空間の連続と水による動きのある「流れの庭」に対して、自然と反自然を対立させて結合した借景式、額縁のある遠景を正面から眺める絵画的な手法である。
それゆえ両庭園共に「景観」・「借景」を際立てる様式を樹立したといえる。

現代に抱える問題点

『無鄰菴』は疎水沿いの仁王門通りと南禅寺参道に挟まれ、作庭当時と現状では環境が大きく異なっている。
小川治兵衛は自然景観との連続性を意識して赤松を植栽したとされるが、現在は周辺環境が変化し、滝裏側の塀越しに歩行者・標識・住宅が姿をみせて一体感を弱めている。
大型バス等の車輌は信号待ちと発車を繰り返し、排気ガスを噴出する。その騒音と振動が繊細な水音を消し当時の風情を減退させている。
写真5) 図1
外的な音や視覚の影響は『円通寺』の庭にも認められる。
尼崎氏によると、開発による影響を危惧した住職は景観破壊阻止に長期奮闘し、1996年に第一種低層住専に用途指定され、ほぼ死守できたが現状は家々が迫り騒音問題は解決できていない〔註6〕。写真6) 図2

『無鄰菴』の維持に取り組む管理者は、東山が主山となるように外周の構造物を遮断しながら、庭園と東山の一体感を演出するよう修復剪定を心がけている。更に山縣の構想を尊重し、芝刈りには手仕事を加え当時の自然観を残すなど「庭園の文化財的価値を管理に生かし、相応しい環境を探求し続けることが大切」と語る〔7註〕。
『円通寺』の施策は塀で囲み、植栽を用いて音の緩衝要素を加えたが、音は塀を乗り越え伝わる。特に休日は子供の声が響き静寂の庭を台無しにする。
「昨今は鹿やアライグマ等による被害を受け、蕾を喰い荒らされている。庭園環境の防御にネットやライオンの糞を撒くなどの策を講じているが、顕著な結果は得ていない。」ようだ。
(取材にて住職談)

なぜこの様な問題が発生するのか。生態学的視点の乏しさ、景観を支える森や自然への配慮不足、歴史を考慮しない都市計画と実施の乖離。生活様式の変化に則さない法令が問題の原因と思われる。
これらの案件は、所有権の強さが法令新設を阻害し、文化財を守ることの困難さを表している。そのうえ、環境の変化は自然から多くを学ぶ機会を失った子供を増やしている。

解決のためには、都市計画及び眺望景観創生条例で定める特定の建築物や付随する景観・森林保全・道路・騒音・文化財等の実態把握が重要であり「時代が抱える難題」に相応しい「法の網」を被せて自然環境や文化遺産を守る必要がある。

今後に向けて

『無鄰菴』・『円通寺』を考察した結果、庭園が現在に抱える視覚、聴覚的な影響は、工夫により改善の余地を残す。
頻繁に繰り返す音が庭の趣や自然観、価値の喪失に繋げている実態からも、行政判断と環境保持の重要性は明らかである。
だが、真の問題点は子供達の感性への影響ではないだろうか。
庭園の異物や騒音を当然と考える彼等の判断が文化財を引き継ぎ、街を計画、形成する。

この様な問題に『無鄰菴』では子供達に庭の素晴らしさを伝える為に、庭仕事・生息する50種の野花・植物を通じて自然を伝える「岡崎を知る親子講座」「庭園を知る日」等の行事を開催している〔註8〕。庭園訪問の体験を通して水・生き物・文化等、学びの機会を重ねて気付きを促し、問題を回避させようとする活動は継続を要するが評価に値する。

庭園訪問は自然の中で子供たちの感性を育てるだけでなく、庭が抱える問題に挑む姿勢と心を学ぶことができる。
彼等が難題に環境デザインの創造性を加えることで未来を開くであろう。
人と自然が調和する環境の構築及び「先人の優れた美意識と感性」を次世代へ繋ぐ教育の役割は大きいと考える。

  • 1jsessionida350216cdeb917b08a6d442e2fd961c4 写真1.【三段の滝】 敷地の東側から引き込まれた疎水は、力強く組み込まれた滝から勢いよく流れ落ちる。その水は形や動きに水の音色を加えて、リズミカルに変化しながら庭園の中を駆け抜ける。 青い空と東山、そして芝の緑と草花が水の透明感を際立たせる。 自然の香りが漂う涼やかな風に接したときに、懐かしさや心の癒しを不思議な感覚で捉えることができる。 写真2. 【流れ】 滝からの水量(毎秒3リットル)を考慮し、計算された 緩やかな勾配により二筋の流れになり、合流し蛇行しながら隣地、瓢亭へと向かう。 写真3.【主屋一階からの眺め】 水による空間芸術とは、地形や広さではなく、感性による思考と工夫であることを教える。
  • 2jsessionida350216cdeb917b08a6d442e2fd961c4 写真4.【円通寺 借景】 この庭を「断絶を媒介とした虚と実の対比という芸術の弁証法」と岡本太郎は語っている。 修学院離宮より移築された貴重な建物(再解体は不可能) 。暗い室内に座して比叡山を眺める。 上部のハリ部と縁側、平庭の凹凸と石、生垣、縦線の柱と杉の木が奥行きを与え、水平と垂直の配置で見事に構成されていることに気づく。3分の2が地中に埋め込まれた庭石。時間を忘れさせる空間美である。この座観借景は「毎日訪問しても同一の景を見せることはない」という。 換地による環境の変化についての質問に「高台の借景は安全とは言えないが、移植樹木が育っていることが幸いである。」と静かに語っていた。(インタビューにて住職談。)
  • 3jsessionida350216cdeb917b08a6d442e2fd961c4 写真5.【無鄰菴を取り巻く環境】 滝の背後には異質の交通標識が頭を覗かせる。絶え間なく車が往来し、大型バスやトラック等は、振動を与え排気ガスを噴出させて、土壁が剥がれ落ちるなど園内に大きな影響を及ぼす。 隣接の住宅が建て替えられて、以前より高層化している。文化的景観は人と同じように生きていることから、変化は必然とされるが、人を育み心を癒す庭の存在価値を喪失させてはならない。
  • 4jsessionida350216cdeb917b08a6d442e2fd961c4 写真6.【円通寺の現況】 円通寺を取り巻く環境は変化を続けている。開発の結果、周囲には住宅が密集し、塀のすぐそばに押し寄せ、生活音が響く。400年の歴史をもつ建物と枯山水平庭、比叡山を築山とした「借景」に及ぼす影響は計り知れない。
  • 写真7.【洛北第3地区土地区画整理事業】資料(非公開)
  • 写真8. 8-1【眺望景観保全地域 】 8-2【眺望景観保全地域別図】 条例では、眺めた際に視界に入る区域では、眺望を遮らないよう建物の高さを標高で規制するほか、建物のデザインや色などの基準を定める。 8-3【無鄰菴開催の親子イベント】 自然環境が子供の感性に与える影響は大きいと考えられる。 「おやこオカシカル」・質問会「庭園を知る日」・「型絵染教室」・「お茶」・「香り」などのイベントの開催により、庭を通じて日本文化を幅広く学ぶことができる。 このような『無鄰菴』での活動に京都造形大学のOBが多く携わり、維持、管理に加え時代とともに変化する庭を守り、新しい時代へ繋ぎながら自然の中で子供たちの感性を育てようと挑む姿勢がみられる。現代が抱える問題に将来を見据えた改善策「環境をデザインする」コンセプトが映し出されていると思われる。 図1 【無鄰菴平面図】 図2 【円通寺平面図】(非公開)

参考文献

註釈
〔註 1〕
明治28年から「第3期京都策」の事業の一環 として位置付けられた。下水事業・教育 施設・道路・鉄道等の都市施設の充実、風致の保存を含む京都の景観の根本を、かたちづくったものとされる。 京都再発見www.kyodoyukai.or.jp/2016/5/20

〔註 2〕
尼崎博正(1990)『植治の庭・小川治兵衛の世界』(淡交社) p.215 「京都に於ける庭園は幽邃を重して豪壮とか雄大趣致が少しもない。多くは規模の小さい、茶人風の庭で面白くないから、己流儀の庭園を作ることに決した。」山縣有朋。
発想の原点、それは立地条件を東山の山麗と決め、自然景観と庭園との連続性を意図したことを示している。

〔註 3〕
尼崎博正(1990)『植治の庭・小川治兵衛の世界』(淡交社) p.217 無鄰菴にはじまる「演技法」により、敷地が三角形であることを踏まえ、東山の雄大さを増幅する演出がなされている。

〔註 4〕
尼崎博正(1990)『植治の庭・小川治兵衛の世界』(淡交社) p.217 自分の世界へ 没頭できる空間の提供。「敷地の西端に建てられた東向きの建物から東山をのぞむというのが、南禅寺界隈における植治の典型的なスタイル。」 織宝苑、碧雲荘、怡園(未訪問)等々も同様とされる。

〔註 5〕
中村一・尼崎博正(2001)『風景をつくる』p.188(昭和堂)
特定の外部景観を意図的に取り込もうとする明確な動きが現れた借景庭園の出現は17世紀。庭園の構成要素及び、デザインに対して岡本太郎は本質を鋭い視点で、「芸術の弁証法」 と明言している。

〔註 6〕
【洛北第3地区土地整備事業 】
都市計画決定告示(当初)昭和42年4月15日 全体面積 55.5ha・未着手面積22.9ha

〈都市計画決定理由等〉
・宅地の利用増進を図るため,本案のように決定しようとするものである。
・この地区は、京福電鉄が通過し、駅付近を中心に徐々に市街化が進んでおり、この
まま放置すると無秩序な不良市街地と化すことが予測されるため、健全 なる市街地
の造成を図り、環境の良好な高級住宅地とするよう、土地区画整 理事業を実施する
ものである。

〈都市計画変更の内容〉
第1回変更 昭和46年12月28日:区域の追加(区域面積54.0ha) 第2回変更 昭和51年7
月1日:区域の追加(区域面積55.5ha) 第3回変更 昭和53年10月17日:区域界の一部変
更(区域面積変更なし)
土地区画整理事業の評価調書洛北第3地区 (平成25年1月21日)
www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/comtenets/000145/145445/kukaku-4pd.f/
2016/1218閲覧
平成8年5月24日に第1種住居専用地域から第1種低層住居専用へと、用途変更された。
京都市役所都市計画課(浦郷氏)電話インタビュー。(2017/1/10)

〔註7〕
昨今は「松に変化がみられ無鄰菴では、モミジへの移行を実施している」。「その変化は無鄰菴に限らない。特に、南禅寺に於いては、境内の松枯れにより、先代か らモミジへと植え換えを続けている」。「文化財庭園は費用と時間を十分に確保することが難しい。そのため小さな変化を見逃さないように恒常的な維持管理が大切である」と、語っている。
(株式会社 植彌代表 ・加藤氏へのインタビュー)

〔註8〕
京都岡崎魅力づくり推進協議会による企画
「親子おかしる」www.kyoto-okazaki.jp/news/402/2016/12/24閲覧


参考文献

『庭づくりの心と実践』京都造形大学 (1999)ランドスケープデザインV13 p.37(角川書店)
『風景をつくる』中村一・尼崎博正(2001)p.178(昭和堂)p148~ 150.178.188~201.295
『日本の庭園』進士五十八(2005)p46~50.109. 214
『風景学入門』中村良夫(1982)p50 (中央公論社)
『造園雑誌』借景に関する研究(1986 )進士五十八
『日本の庭園・造景の技と心』(2005)進士五十八(中央公論新社) p.243
『風景をつくる』(2001)中村一・尼崎博正 (昭和堂) p.24. 148~150.188
『庭師 小川治兵衛とその時代』鈴木博之2012(東京大学出版社)p66
『七代目小川治兵衛』(2012)尼崎博正(ミネルバ書房)
『すぐわかる 日本庭園の見かた』(2009)尼崎博正・町田香(東京美術)
『日本の伝統』(2005)岡本太郎(光文社)p191
『日本庭園のみかた』(1998)宮本健次(学芸出版社)
京都市上下水道局www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000006469.html/2016/5/1 閲覧
※「景観」 http://ja.wikipedia.org/2016/12/1閲覧
※「景観法」https://ja.wikipedia.org/wiki/201/12/1閲覧
※『洛北第三地区』保留地売却(一般競争入札)のご案内
京都市洛北第三土地区画整理組合 www.kyotopublic.or.jp/tochi/pdf/nyusatsu_book.pdf/
2016/12/4

(写真1~6 )筆者撮影 ※(写真7. 8-1. 8-2)京都市ホームページ
(写真8-3)京都岡崎魅力づくり推進協議会murin-an.jp/news/20170218/ 2017/1/10閲覧
図1. 『無鄰菴』ホームページmurin-an.jp/2017/1/10閲覧
図2. 『円通寺』まちもり通信http://qoo.qlTPE230/2016/11/20閲覧