会津本郷焼 物に見るアイデンティティ

山田 礼子

会津本郷焼 物に見るアイデンティティ

1.はじめに
祖母から譲り受けた“会津本郷焼にしん鉢”。郷土料理“にしんの山椒漬け”を作る為の陶器だ[資料1]。どこか見慣れた素朴な器は、幼少期の思い出を蘇らせ、故郷を想起させるものであった。「物に宿る故郷とは何か?」本稿は、会津本郷焼の歴史的背景と取材を元に考察し、今後の展望を述べる。

2.基本データ
所在地:福島県大沼郡会津美里町本郷(旧会津本郷町、2005年隣接する会津高田町・新鶴町と合併)
気候:内陸会津盆地南端部に位置し、夏は蒸し暑く冬は豪雪地帯
規模:人口 約5,600人(H29年1月1日会津美里町本郷地区)、窯元数13軒
構造:日用食器の生産を主とした家族・少数従業員からなる小規模経営の窯元と、碍子工場で構成。販売店舗を持たない窯元もあり、会津本郷焼事業協同組合が直売所を運営[資料2]。
特徴:平成5年伝統的工芸品産地指定。陶器・磁器双方の伝統を持ち、成立背景の違いから窯元により生産技術・風合いが大きく異なる。本郷焼としての統一性は薄く、窯元ごとの独自性を特徴とする。

3.歴史的背景
3−1.粗焼から陶器へ
1593年、蒲生氏郷が鶴ヶ城改修の際に屋根瓦(黒瓦)を焼いたのを発祥とする。1645年、茶道に精通する藩主 保科正之が、瀬戸出身の陶工 水野源左衛門を招き入れ、本郷村原土から製陶を命じる。源左衛門の死後、その弟が業を継承し、現代の鶴ヶ城シンボルとなる凍み割れしない「赤瓦」が完成。藩の奨励を受け日用品の製造も始まるが、まだ瓦製造の兼職であり需要を満たすには至らない。

3−2.窯業としての成立
水野が本郷焼を創始してから約150年後、佐藤伊兵衛が有田や京都から技術を修得し、1800年に磁器焼成に成功。藩営製陶所が本格的に成立し、以降、半官半民窯も増加。幕末、戊辰戦争による破壊的打撃で衰退するも、明治以降、有力展覧会での活躍が後押しし、急須・土瓶を始めとした飲食器の販路を国内外へ広げ、農家の兼業形態として急増する[註1]。

3−3.近代化への基軸
明治後期から大正、飲食器に変わりに主力商品となる電信線用碍子[資料3]。国からの大型受注に成功し、国内需要を独占する勢いとなる。規格化が条件となる電気用磁器の生産は、維新後の機械化に追従できなかった産地の先導的役割を担う。

3−4.粗物の再評価
町の半分が消失した大正5年の本郷大火、戦後の技術近代化への遅れも影響し、昭和期は衰退が続く。転機をもたらしたのは、会津の生活雑器“にしん鉢”だ。柳宗悦ら民芸運動に評価され、昭和33年ブリュッセルの万国博覧会でグランプリを獲得。昭和40年代の観光客増加に伴い、民芸陶器が土産品として人気を博す。

以上の歴史から本郷焼は、瓦焼きの流れを組む「陶器」、焼物産地を成立させた「磁器」、近代化への基軸として展開された「電気用磁器」が混在する。さらに、民芸・観光の影響から民芸調焼物のイメージが定着する。

4.取材からの考察
4−1.内の力、守るべきもの
①取材:酔月窯 西田春華さん[資料4]
明治3年創業の酔月窯五代目の長女として、京都の学校で陶芸を学び、一昨年帰郷。本郷焼が日常にあり、幼少期から伝統に密接に触れあってきた春華さんは、産地こその環境や伝統工芸という町のシンボルを評価し、郷土愛を強く持つ。本郷町を大きな家族と捉える視点から、特筆した作家や歴史ある窯元が産地を確立するわけではなく、土地の緩やかなコミュティの中で産地が形成されていくことがわかる。
「和食が世界遺産に登録されたが、幼い頃から当たり前にある日常的な食卓こそ、日本の食卓、日本の文化を後世に繋ぐ上で大事なもの。」と語り、和食器の伝統性を重んじるその姿勢は、会津人らしい凛々しさを感じた。

②考察:特筆すべき会津の精神
松平容保の言葉「義に死すとも不義に生きず」で表されるように、会津は、自らの誇りと他者への思いやりを重んじる気風が受け継がれてきた。前項で記した会津碍子の成立には、戊辰戦争から生き残った会津藩士の尽力が大きい。本郷磁器で碍子を生産させ、通信省にその真価を知らせたのは元会津藩家老で貴族院議員の山川浩。通信省通信技師として会津碍子の開発を指導した飯沼貞雄は、白虎隊士自刃者唯一人の蘇生者である。会津の精神、そして郷土愛が、産地を継続させる力となったことは明らかだ。

4−2.外の力、観る目
①取材:樹ノ音工房 佐藤アカネさん[資料5]
東京出身のアカネさんは、本郷焼窯元の長男との結婚を機に本郷に移住。個人作家願望が強かった二人は、平成13年に18番目の窯屋として独立する。当初、産地を意識することなく作品作りに没頭するも、販売店舗を構えたことで産地としての気付きを得たと言う。町に休憩場所が少ないことから、明治期の古い蔵を改修しカフェを開設。インターネットやクラフトフェアなども活用し、若い人達に本郷焼を身近に使ってもらう機会を創出する。夫婦で本郷焼伝統工芸士の資格を取得し、地域での交流が深まる中、今度は自分達が伝統を引き継ぎ伝えていきたいという気持ちを強く持つ。

②考察:先導する革新者
地域の当たり前に気付くアカネさんの俯瞰する視線は、部分を注視する産地の<見る目>に対し、外部からの<観る目>が重要であることを示す。先導する機敏な革新者は、日常を観察しアイデアや気付きを得ている。
「伝統に拘るよりも、どう器を表現するかに重きを置いている。」と話し、自ら産地原料で釉薬を作りながら、日常使いの器を模索する。土地の自然に純粋に向き合い現代の形を創造する姿勢は、最も伝統的であり、挑戦こそ伝統を守る証であると言ってよい。

5.課題と比較
5−1.課題:周知すべき本郷焼の存在
本郷焼は観光地としての景観整備や、窯元間・産地間の交流の促進など、過去多くの課題が提案され、遂行過程の段階とも言える[註2]。しかし、現状でのPR不足や発信力の弱さには早急な対策が必要だ。窯元ごとの情報発信にはバラツキがあり、産地に誘致する情報の少なさも今回の調査から実感するところだ。窯元ごとの独自性や保守的な気質も、本郷焼全体としての知名度の低さ、存在の弱さに影響していると思われる。そこで、挑戦的姿勢で伝統を守る有田焼と比較する。

5−2.比較:有田焼に見る挑戦的姿勢と周知活動
有田焼は、佐賀藩の一貫した完全分業体制から、品質保持・量産を可能とし、技術革新を続けながら、伊万里・柿右衛門・鍋島といった伝統様式を確立した。その伝統は、国内外の政治・経済情勢に大きく影響され、産地は業種間の利害を超え、革新的リーダーの下、構造・意識改革を繰り返すことで進化を続けた[註3]。その歴史から、時代に対応した物作りへの意識が生産者の主観的視点に注意を促し、新たな価値の創造は人と人との繋がりから生まれることがわかる。その挑戦的姿勢こそが有田焼の伝統なのだ。
さらに、誕生400年事業となる有田の周知活動は大いに参考となるものだ。物だけでなく、そこに付随する行為や関係性を書籍やウェブサイトで視覚化させ、セラミックス産業としての技術的性格だけでなく、日本の伝統文化を今に伝える観光資源としても強く印象付けた。

6.今後の展望:文化と情報を共有させる場の形成
劇的な環境変化に耐え、生き残ってきた会津には、技術を継承するだけなく、受け継いできた人々の生き残りの精神が受け継がれている。会津の誇るべき文化と精神は、異なる窯元の統一性であり、本郷焼の魅力となる価値である。そして、そのストーリーは人々の共感に訴えるものを持つ。また、約400年続く焼物の町としての景観も貴重な観光資源だ[資料6]。
<モノ>の先にある<コト>へと価値が移り、<コトの共感>が重視される現代は、物に付随する情報を広く、正しく、わかりやすく伝えることが重要だ。
本郷焼は、技術に裏付けされた機能的価値に情緒的価値を付加し、他産地との差別化を図りながら、産地自らが強く発信する積極性を持つことを期待する。そして、産地に人々を集め、交流機会を増やすことが、革新的取り組みに繋がるのではないだろうか。

7.おわりに
“会津本郷焼にしん鉢”。それは、無骨な見た目と堅実な中身から、会津人気質を表すと言われる。しかし、筆者に故郷を思い起こさせたものは、その背景にあるアイデンティティ<会津魂>だったのではないだろうか。それは、受け継がれてきた歴史的資産であり、本郷焼の挑戦と継続への力ともなる文化的資産と考える。

  • img01 資料1:「会津本郷焼にしん鉢」と「にしんの山椒漬け」
  • img02 資料2:本郷町の観光拠点
  • 資料3:電信線用碍子の展示説明(非公開)
  • img04 資料4:酔月窯
  • img05 資料5:樹ノ音工房
  • img06 資料6:焼物の町としての景観

参考文献

[註1]
1885年、五品共進会に出品。1890年、第3回内国勧業博覧会に出品、6名が進歩賞を受賞。これを契機に国内外に販路を拡張し、本郷産地に瀬戸焼の一大ブームが起きる。
『会津若松史 第11巻 美術・工芸・民家・文学』会津若松市、1967年、p178-179

[註2]
財団法人伝統的工芸品産業復興協会「平成13年度 伝統工芸品産地調査・診断事業報告 会津本郷焼」、2002年、p45-48では、本郷焼の産地構造や経営的課題を詳細に記し、具体策を提言している。

[註3]
近年の有田焼革新者は蒐集家の柴田明彦、デザイナーの柳原照弘などが挙げられる。
柴田は経営者視点から多面的かつ詳細な調査を実施し、有田焼の構造的問題や経営上の課題を明らかとした。また、古伊万里の世界有数のコレクションを寄付し、製造技術やデザインの革新に貢献する。
柳原は、グローバルスタンダードを掲げ、新ブランド「1616 / Arita Japan」を立ち上げる。伝統を尊重しながら過去とは異なるデザインアプローチを試み、現代のライフスタイルに必要とされる有田焼を提案した。
有田焼継承プロジェクト(編)『有田焼創業400年保存版 有田焼百景 談話「永遠のいま」と生きる有田』ラピュータ、2016年
山田雄久、筒井孝司、吉田忠彦、東郷寛「成熟化時代における有田焼産地の商品開発 21世紀型システムの構築と大有田焼振興協同組合」商経学叢第61巻第1号、2014年、P268-279
村松美賀子『アネモメトリ 特集第32、33号 状況をデザインし、好循環を生みだす』京都造形芸術大学、2015年(2017年1月最終アクセス)
http://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/feature/85/
http://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/feature/86/


『福島県史 第20巻 文化1』福島県、1965年
笹川寿夫『会津やきもの紀行―会津全域の33窯元めぐり』歴史春秋、1996年
渡辺到源『ふくしま文庫15 会津の焼物』FCT企業、1075年
平出美穂子『古文書にみる会津藩の食文化』歴史春秋出版、2014年
冊子:『会津本郷焼』会津本郷焼事業協同組合、発効日不明
冊子:『月刊せと町Vol.1』月刊せと町実行委員会、2014年