『東別府神社(八坂神社)夏祭り』 〜記憶に刻む音と体験による継承の可能性〜

栗原 光世

はじめに
東別府神社の夏祭りは神輿巡行と、お囃子によって、賑やかに行われる祭礼である。神社氏子(以下氏子とする)の中から選出された神社総代4名、釜番17名、子供会103名(子供99名大人4名)、自治会8名、観光者無し、(令和4年7月実績)といった規模で行われている。氏子たちの気持ちが一つとなり、皆で祭りを盛り上げる東別府地域を代表するイベントである。『東別府神社(八坂神社)夏祭り』(以下『東別府神社夏祭り』とする)は、『天王さま』とも呼ばれ、地域の氏子によって伝承されてきた。また、祭りを盛り上げる『東別府まつり囃子』は、暑い夏を知らせ、風情を感じさせる、地域ならではの音の伝統文化といえるだろう。これからの『東別府神社夏祭り』継承の可能性について考察したい。
1、基本的データ及び歴史的背景
熊谷市東別府は、関東平野の中央、埼玉県の北部に位置し、南部に荒川、北部には利根川が流れる水と肥沃な土地に恵まれた地域である。【註1】東別府には、藤原鎌足の子孫といわれている東別府氏の館跡があり、中世の武士の館の面影をしのばせている。昭和16年に、『別府城址』として県の史跡指定を受けている。【註2】別府城址跡内に祀られている東別府神社は、城の鎮守であったといわれている。【図-3】東別府神社で行われる祭礼のうち、夏祭りは、年中行事の中でも最も大きな行事であり、7月の末の週の土・日に行われている。【註3】また、祭りを盛り上げ、神輿巡行の力づけを行う役目があるお囃子は、江戸時代から始まったといわれており、【註4】昭和26年に、熊谷市の指定無形民族文化財『東別府祭ばやし』【図4-1・2】に指定され、氏子、東別府祭りばやし保存会(以下保存会)により、今日まで受け継がれてきた。
2、同様の事例との比較と特筆される点 (熊谷市の『うちわの祭り』との比較)
『東別府神社夏祭り』の特徴は、神輿巡行と、『東別府祭ばやし』の奉納であろう。神輿を先導する『東別府祭ばやし』は、神輿の力づけを行う役目があり、お囃子は夏祭りにとって欠かせないものとなっている。 同市の八坂神社の祭礼に『熊谷うちわ祭り』【註5】があり、熊谷囃子と呼ばれるお囃子も演奏されている。『熊谷うちわ祭り』の山車・屋台は、12基あり、観光を目的とした側面をもつ大変大きな祭りであり、知名度も高い。熊谷市鎌倉町の愛宕神社の祭礼であり、愛宕神社の歴史は古い。【註6】しかしながら、現在行われている祭礼に山車が出るようになるのが、明治の中期頃であり、当時お囃子は、外部の囃子に依頼していたという。【註7】これに対し、『東別府神社夏祭り』は、お囃子を伴う神輿巡行のスタイルを確立したのが江戸時代であり、今日まで継承されてきた歴史ある祭りといえる。神社境内に仮舞台を組み、お囃子を奉納し、曲目によって【註8】、おかめ、ひょっとこの面を付け踊ることも、市内においては類がなく、東別府ならではの行事であり、『熊谷うちわ祭り』との相違点である。また、熊谷市の調べによると、市内各地で行われている天王祭り(八坂祭り)は、他に27神社あるが、お囃子を同行して神輿巡行を行なっている祭りは、『東別府神社夏祭り』のみということでる。熊谷市編さん室によると、「調査を行なったのは15年前のことで、現在は活動をしていない所もあるのではないだろうか。」という話であった。先人が築いた城址跡を守り、城址跡内にある東別府神社を尊び、『東別府神社夏祭り』、『東別府祭ばやし』を継承する東別府神社の氏子の活動は、誇りをもって行うべきであり、特筆される点である。
3、評価する点
かつて(明治から昭和40年代頃)別府の人々の大多数は農業を生業とし、近隣共同組織である廓によって地域コニュニティが形成されていた。【註9】(現在も廓単位で地域コニュニティは形成され、25あるうち17の廓が祭りに参加している) 東別府に住む人々は、全て東別府神社の氏子であったため、神社で行われる夏祭りは、村総出で行われていたのだろう。五穀豊穣、悪疫退散の願いは、氏子全員の共通する願いであったのではないだろうか。 現在は、小学校を卒業した子供の、神輿巡行等の祭りへの参加は無く、農家も数件となり、氏子でない家も存在している。地域コミュニケーションの希薄化的要素が多く、祭り離れが懸念される状況ではあるが、保存会や、氏子によって守られ継承されている点は評価に値するだろう。夏祭りの前になると、保存会は、積極的に小学生に太鼓の練習に来るよう呼びかけをする。2023年の7月は100人近くの小学生が参加をしている。また、毎年行われる熊谷市のイベント『地域伝統芸能今昔物語』【註10】【図5-1・2】では小学生5・6年生がメインとなり、保存会がサポートをし、お囃子の披露も行っている。地域外の方々にも積極的に披露を行い、『東別府祭りばやし』の演奏と踊りを紹介している点も評価したい。有志による保存会の活動は、無形民俗文化財の次世代への継承が期待される。地域の昔を知る高齢者の存在は貴重であり、小学生に目を向けた指導は、地域の歴史の継承も行われ、地域の発展に繋がる可能性が高いといえるだろう。また、生涯学習の観点からも世代の異なる繫がりは、地域コニュニティの発展と学びに繋がり、優れたデザインといえるだろう。
4、今後の展望
東別府の年配者の話によると、かつての釜番【註11】は、祭り最中は、神社に泊まり込み、早朝から深夜までお囃子を演奏していたという。遠くから聞こえるお囃子は、地域の人たちにとって気持ちの良いBGMのように鳴り響いていたのではないだろうか。筆者の家は、東別府神社から400m圏内にあり、演奏されるお囃子が、時折聞こえて来る。ふとした瞬間に聞こえてくるお囃子の音は、懐かしく、夏を感じ、心踊り、小学生の夏休みを思い出す。2023年11月に行われた今昔物語に『東別府祭りばやし』は出演している。来場者の50代女性は「懐かしい」と笑顔で話し、40代女性も「昔を思い出す。私の頃は、叩き方が違っていた」【註12】等と楽しそうに会話が弾んでいたのが印象的であった。瀧川氏、鴨野氏、仲氏の研究【註13】によると、「懐かしさを喚起する音楽が自伝的記憶の想起を促す」【注14】ことが分かっている。研究では、「懐かしさのある音楽を聞いた条件では、小学生高学年の記憶のみRT【註15】が促進」【註16】されるという結果が出ており、小学生高学年の夏休みに太鼓の練習をし、お囃子が奏でられる中、神輿を担いだ経験は、中学、高校生、大人になって祭りに参加しない時期があったとしても、お囃子を聞くことによって、懐かしさの喚起が促されるといえ、楽しかった思い出は、気持ちを高揚させ、再び祭りに参加するきっかけを作る可能性が高いといえる。保存会が行っている小学生への指導や、子供会の祭り参加を継続していくことで、継承は途切れることなく続く可能性は高いといえるだろう。
5、まとめ
『東別府神社夏祭り』が現在まで継承されてきた理由の一つに『東別府祭ばやし』の存在は大きい。祭りを盛り上げるお囃子は、楽譜が存在しない。にもかかわらず、江戸時代から続いてきた村の祭が、今現在まで続いてきた理由は、東別府の人々が、先人を尊敬し、地域の行事に積極的に参加してきた事、『東別府祭ばやし』の楽曲、メロディに誇りを持ち、楽しみ、地域の自慢とし、練習を積み重ねてきたからなのではないだろうか。馬鹿ばやしは軽快にリズミカルな楽曲。神楽はゆったりと神と楽しむふさわしい楽曲であり、地域の皆は心地よい音色を、地域の皆と楽しみながら伝承してきたのではないだろうか。ここ数年、東別府地区は、新しい住宅が急激に建ち始め、景色も、住民の繋がりも今までとは変わってきている。近隣のお寺では、除夜の鐘の音がうるさいとの苦情があり、伝統行事である除夜の鐘を辞めてしまったという。【註17】音の認識は、心理的影響によるものが大きいといわれている。【註18】今後、全ての地域の人たちとのコミュニケーションを取ることも課題となるであろう。円滑なコミュニケーションを取ることにより、お囃子の音は、心地よい環境をつくり、地域の活性と継承に繋がるのではないだろうか。

  • 81191_011_31783075_1_1_【図ー1・2】_page-0001 【図ー1】2022年7月24日、筆者撮影【図ー2】2022年7月24日、筆者撮影
    祭りの準備が整った、東別府神社境内
  • 81191_011_31783075_1_2_【図ー3】_page-0001 【図ー3】2024年1月28日、筆者撮影
    『別府城跡』東別府神社入口に立つ解説
  • 81191_011_31783075_1_3_【図ー4−1・2】_page-0001 【図ー4ー1・2】2024年1月28日、筆者撮影
    東別府神社入口に立つ
  • 81191_011_31783075_1_4_【図5−1・2】_page-0001 【図5-1】第16回『地域伝統芸能今昔物語』2023年11月23日に『東別府祭りばやし』出演 『くまがやねっと~みんなの熊谷コミュニティサイト~』より画像転写、ポスター出典:埼玉県芸術文化祭熊谷市実行委員会事務局(熊谷市立江南文化財センター内)
    【図5-2】『地域伝統芸能今昔物語』出演に向けて、東別府祭りばやし保存会と小学5・6年生による合同練習が東別府神社社務所にて行われた。2023年11月19日、筆者撮影
  • 81191_011_31783075_1_5_【図ー6】_page-0001 【図ー6】『東別府祭りばやし保存会』では、祭りに来た人に太鼓を叩いてもらうよう声をかける。大太鼓、小太鼓を叩いている若者は、小学生の時に、練習に参加をしていたということである。堂々と叩く姿が印象的であった。2022年7月24日、筆者撮影

参考文献

【註1】熊谷市『第3章 熊谷市の概況』1位置・地形・交通、23頁12~13行、 https://www.city.kumagaya.lg.jp/about/keikaku/kankyo/ondankataisakuchiikikeikaku.files/3.pdf 、2023.1.15、 閲覧
【註2】熊谷市立熊谷図書館美術、郷土係編「熊谷の歴史を彩る史跡・文化財・人物」熊谷市立熊谷図書館、33頁19~20行、参照
【註3】かつては、旧暦6月14日、15日に祭りを行っていたが、昭和10年代から20年代の時期に新暦7月24・25日に行うようになったが(埼玉県立民俗文化センター『埼玉県民俗芸能調査報告書第十三集 埼玉の祭囃子Ⅶ(北足立地方編二)』埼玉文化センター平成10年3月 59頁42・43行 参照)、令和4年7月より、7月の末の週の土・日曜日に変更している。(令和4年7月、神社総代長より回覧による周知)
【註4】埼玉県民俗芸能調査報告書によると、現在は使っていない古い太鼓2個のうち、1個に寛正元歳3月吉日新調 江戸浅草新町とある。地元の古老の言い伝えでも、かつて悪疫が流行したため、悪疫退散を祈願して神輿渡御したことが、始まりで、祭り囃子も同じ時期に始められたといわれていることから、この時期が古い太鼓の紀年にある200年前(平成10年当時)であろうと考えられている。埼玉県立民俗文化センター『埼玉県民俗芸能調査報告書第十三集 埼玉の祭囃子Ⅶ(北足立地方編二)』埼玉文化センター、10年3月、59頁31~37行、参照
『熊谷デジタルミュージアム』 https://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/bunkazai/234bunka.htm 2024、1、15、閲覧、参照
【註5】『うちわ祭り』は通称であり、名称は、『八坂神社祇園祭』である。埼玉県民俗芸能調査報告書には、(通称“うちわ祭り„)とある。
(埼玉県立民俗文化センター「埼玉県民俗芸能調査報告書第十三集 埼玉の祭囃子Ⅶ(北足立地方編二)」埼玉文化センター、10年3月、53頁4行、 参照
【註6】大永年間(16世紀初頭)に京都より勧請されたといわれている。
熊谷市教育委員会『熊谷市史 別編1民俗』 熊谷市、平成26年3月、 365頁4・5行、参照
【註7】地元で囃子が伝承されるようになるのは、昭和30年代に入ってからである。(埼玉県立民俗文化センター『埼玉県民俗芸能調査報告書第十三集 埼玉の祭囃子Ⅶ(北足立地方編二)』埼玉文化センター、10年3月、 53頁9~13行、参照
【註8】東別府祭りばやしの曲目は、馬鹿囃子と神楽囃子の2曲である。(埼玉県立民俗文化センター『埼玉県民俗芸能調査報告書第十三集 埼玉の祭囃子Ⅶ(北足立地方編二)』埼玉文化センター、10年3月、 60頁7~11行、参照)
使用する楽器は、大太鼓、小太鼓、摺鉦、笛である。神楽囃子は、ゆっくりとしたテンポの曲目で、仮舞台での演奏には、おかめ、ひょっとこの面をつけた踊りがつく。神楽囃子を「ひょっとこ」と呼ぶ年配者もいる。
【註9】高橋勇編『別府村史』別府村史研究会、平成28年3月、181項18~27行、186頁35・36行、参照
【註10】熊谷市内の市指定無形民俗文化財と地域芸能の15団体が参加し、多くの方に伝統芸能活動への理解を深めることを目的として開催される。熊谷市地域芸能振興事業である。
『くまがやねっと~みんなの熊谷コミュニティサイト~』、https://www.kumagayakan.net/info/now/kin231117.html 、 2024,1.26、閲覧
【註11】釜番とは、神社の各種祭礼を司る役割をする人をいい、釜番は、一年を通じて、神社の祭礼が行われる度に神社に出向き業務を行う。
高橋勇・編『別府村史』別府村史研究会、平成28年3月、138項18~25行、参照
【註12】東別府祭ばやし保存会では、子供への太鼓の叩き方について、簡略化し、誰でも叩けるように配慮することがある。
【註13】瀧川真也・鴨野元一・仲真紀子『「懐かしさ」が自伝的記憶の想起に及ぼす影響―懐かしい音楽を用いて―』日本心理学大会発表論文集、https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/71/0/71_3PM051/_article/-char/ja、2024.1.10、閲覧
【註14】同上より 【考察】7~8行
【註15】【註13】より【目的】14行。RTは、従属変数は予備調査で調べた自伝的記憶に対する反応時間をいう。
【註16】【註13】より 【考察】7~8行
【註17】東別府神社から400mほど東側に建立されている香林寺住職の話による。2024.1.10談
【註18】感覚公害とよばれている。(人の感覚を刺激して、不快やうるささとして受け止められる公害)
一般財団法人環境イノベーション情報機構、eic.or.jp 2024.1.27、閲覧
参考文献
高橋勇 編・推敲『別府村史』熊谷市別府公民館別府村史研究会、平成28年3月
熊谷市教育委員会編『熊谷市史 別編1 民俗編 』、熊谷市、平成26年3月
熊谷市文化連合『熊谷の文化財』熊谷市文化連合、昭和53年3月
熊谷市史編纂委員会編『熊谷市史 前篇』埼玉県熊谷市、昭和38年4月1日
埼玉県立文族文化センター『埼玉県民俗芸能調査報告書第13集 埼玉の祭り囃子Ⅶ(北足立地方編二)』埼玉県立民俗文化センター、平成10年3月
熊谷市立熊谷図書館、美術、郷土係『通史でたどる熊谷の歴史』熊谷市立熊谷図書館、令和4年3月
聞き取り、協力
熊谷市東別府在住 別府村史 推敲・編集担当 高橋勇氏
東別府祭りばやし保存会の皆さん
東別府の皆さん
曹洞宗福聚山香林寺 住職
熊谷市編さん室 蛭間氏

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