多良間島の年中行事「ウプリ」の現状と継承

桃原 薫

1.はじめに
琉球王国として栄え発展してきた沖縄は独特な文化や歴史背景があり、さらに先島諸島は島々で独自の文化を持ち、中でも多良間島には現代まで伝承してきた地域行事=年中行事〔註1〕がある。年中行事など各地に伝わる伝統的な民俗行事は、 人びとの伝統的な精神文化を示すと共に住民に当該集団への帰属意識を喚起し、 円滑な日常生活を実現するなどの現実的な効果をもたらす機能を持っている。現代まで伝承されているその要因は、時代の変化に応じた行事の役割に期待する着目点の読替であると考えられる。しかしながら、多様性が重要視される現代において、年中行事の郷土愛やアイデンティティといった精神的文化の継承は容易ではないだろう。本稿では、多良間島の民族意識が具現化された年中行事の中から「ウプリ」について検証し、その意義を貴重な遺産として評価、今後の可能性を考察する。

2.ウプリ行事の概要
この行事は、沖縄県宮古郡多良間村で行われる年中行事の1つで、5カ所の御嶽と1社の祭祀組織〔註2〕があり神役〔註3〕を中心に、農作物を食い荒らす悪い虫(害虫)を決められた場所〔註4〕から採集し手作りの小舟〔註5〕に括り付け海に流し島から追い払うことで、今年の豊作・五穀豊穣を願う。いわゆる「虫払い」を目的とした行事である。行事は仲筋字と塩川字が共に準備〔註6〕がなされ 「イビの拝所」を中心に行われる。期日は、ニサイガッサ定例会〔註7〕で開催日を決定する。虫舟を流す役〔註8〕が、海に入り決められた場所〔註9〕まで泳ぎ虫舟を流し鎮める様は、 この行事の一番の見せ場となっている。行事は、無事に終えたことを報告するためにイビの拝所戻り、運営者に携わった者が丸座になり皆で労をねぎらう集いで完結となる。

3.歴史的背景と経緯
ウプリは、古文書では「大下り」と表記されている(「多良間島往復文書控」三、『多良間村史』第2巻、1986 年)。同書によると、1883年(明治16)2月6日(丁巳ひのと・み)、同年3月16日(丙申ひのえ・さる)、同年3月26日(丙午ひのえ・うま)の3 回、実施されていた。村史によれば、役所からの通達で村人全員が集められ〔註10〕アラタミ(人数改め)という字常備の全戸の名簿に基づいた人員点呼〔註11〕が行われていた。さらに牛馬で農耕を行っていた頃は、謹慎の意味で、行事の日に各家庭の家畜を海辺に集めて清めたり、競馬やすもうなどの余興〔註12〕をしたり、村人が楽しみにする内容もあった。ウプリはその年の最初の年中行事である為、この場で行う人数確認や家畜ともども集められた様は税の取り立ての基礎資料ともなったと考えられる。
現在の行事内容〔註13〕は、両字役員が中心である。村民全員参加であるが段々と生活習慣の変化や神事のみとなった為か、参加する必要性が薄まり関係者のみとなっている。当行事が過去の儀礼やしきたり通り正確に引き継がれているかどうかを確認し、現段階でのウプリの内容を明確に資料化することで保存継承につなげ、新たに参加する若年層の参考資料の一助とする。また、村史など過去の文献資料の調査、聞き取り調査〔註14〕を行うことで、過去の儀礼やしきたりの掘り起こしを可能とする。

4.特筆
沖縄本島でも同様の行事「アブシバレー」〔註15〕〔参考資料12〕があるが、単一の地域で執り行われ時期や虫船の材料、流し方も異なる。さらに、日本全国農村地域では、「虫送り」と言われ同様の目的で行われているが、夜にたいまつをたき、太鼓などをたたきながら行列で練り歩くスタイルが多い、珍しいところでは、埼玉県の無形民俗文化財に指定されている秩父郡皆野町の立沢の虫送り〔参考資料14〕は、終わりに悪霊・悪疫のついた紙を亜熊川に流したり、愛知県常滑市矢田においては、藁人形を川へ流したりする〔参考資料15〕。当行事は村民が自ら行事日を決定し、神役と協働し運営している様は、主体性を持った地域社会・共同体を育成し、文化伝統の運営ノウハウも実体験として継承されていくという利点がある。さらに祭祀組織の入れ替えで、仲筋字では、実行員の任期を1年にすることで負担と再び各年代で必ず携わる事で、世代間格差の下、自己の世代の利益のみを優先しようとする潜在的な「世代間対立」を関わる世代が、多世代対応へ合意・協議しながら文化の継承を読替することで、相乗効果が高まり、助け合いの仕組みが整い、各々の体験記録が知恵として蓄積し、さらに通過儀礼としての役割を果たし、若年層の参加動機にもつながると考える。一方、塩川字では、役員の総入れ替えをせず、中堅の青年を残し新人を入れることで、運営が速やかに行われ繋がりが強化され継承が図られる。総じて伝統を守りつつ時代の変化と祭事を執り行う役員の柔軟な対応に任せ実践されているところが当行事の特質すべき点である。

5.評価
年中行事の中で、仲筋字と塩川字が共に行うのは、「ウプリ」だけである。共同体として動く当行事は、神役と字役員の祭祀組織がしっかり機能していることと、その組織の中で、経験者の口述で伝わってきた準備が関係者人口の新旧が各字の慣習により良好に図られることで、参加者が伝統の理解と守る意義をみいだし、「自ら伝統を受け継ぐもの」として受け止め、その構築されたプロセス自体が、次世代への歴史と知識の継承と地域や村民としてのアイデンティティを形成し、個々の人々の誇りとつながりを育むものと推測する。伝統は一つの共同体や文化のルーツであり、そのルーツを大切にし、誇りを持つことは、地域の連帯感を高めることに繋がりこれを評価する。

6.今後の展望~伝統を守りつつ~
伝統的な行事や祭りを大切にしながらも、新しいアイディア取り入れ次世代との融合を図り、地域住民が積極的に参加できるよう、行事の内容を明確に資料化し文化の保存継承につなげ活用することで、自らの伝統や文化を守り、伝えることに誇りを持ち、参加意欲を高める一助となる。また、地域住民が自ら文化継承を大切にしながら読替しつつ、協働する機会を増やし地域の結束を強めることも重要と考える。

6-1.学術研究対象としての可能性
年中行事「ウプリ」は、沖縄本島では、「アブシバレー」〔註15〕九州では「実盛送り」や「実盛祭り」、その他の県では「虫送り」または、「虫追い」と行事名は様々だが、農村地域で農作物に害を及ぼす害虫を駆除し豊作を祈願する呪術的行事として行われている。名前の差異や行事の実際について「虫を流す」「人形」を使う「松明や提灯」を持ち水田を回る等様々である。農業に関わる伝統行事は、教育現場の教材や研究対象として各地の虫送りを比較することで地域の文化や人々の生き様や考え方を知る材料としてとても優れていることを示唆する。

7.まとめ
当行事は、次世代につなげる組織の形態を保持しながら、古い価値観を新しい視点から読替現代のニーズや価値と繋げることで、伝統行事は次世代に受け継がれることが期待される。また、行事内容の資料化は、新たな視点から再評価し、次世代にも魅力的なものとして伝えることができるデザインの可能性を持つ。さらに、デジタル技術を活用し、伝統行事の魅力や情報を発信することも今後有効と考える。行事の持つ意味や価値を共有し、文化の読替を通じて新たな魅力を引き出すことで、当行事は今後も継続し、豊かな文化遺産として未来に伝承されていくことが期待される。

  • 81191_011_32283370_1_1_令和5年年中行事_page-0001 別添資料1 令和5年 年中行事 表 
  • 81191_011_32283370_1_2_文字説明 - (2)祭祀組織_page-0001 別添資料2 祭祀組織図
  • 81191_011_32283370_1_3_別添資料3-1,3-2,3-3,3-4_page-0001
  • 81191_011_32283370_1_3_別添資料3-1,3-2,3-3,3-4_page-0002
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  • 81191_011_32283370_1_3_別添資料3-1,3-2,3-3,3-4_page-0004 別添資料3-1,3-2,3-3,3-4 害虫採集 虫船つくり 準備 小舟を流す役 小舟を流し鎮める場所
  • 81191_011_32283370_1_5_〔註13〕現在の行事内容(別添資料3-5参照)_page-0001 別添資料3-5 現在の行事内容  ウプリ行事当日の大まかな流れ
  • 81191_011_32283370_1_5_別添資料3-6 聞き取り取材  神役と字会長_page-0001
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  • 81191_011_32283370_1_5_別添資料3-6 聞き取り取材  神役と字会長_page-0012 別添資料3-6 聞き取り資料 (神役と字会長) 
  • 81191_011_32283370_1_6_ウプリの様子_page-0001
  • 81191_011_32283370_1_6_ウプリの様子_page-0002
  • 81191_011_32283370_1_6_ウプリの様子_page-0003 ウプリの様子 写真
  • 81191_011_32283370_1_7_ウプリ行事祭場マツプ_page-0001 ウプリ祭場マップ
  • 81191_011_32283370_1_8_多良間村の地理的位置とシンボル_page-0001
  • 81191_011_32283370_1_8_多良間村の地理的位置とシンボル_page-0002 多良間村の地理的位置とシンボル

参考文献

【引用文献】
桃原薫筆、「ウプリ行事についての調査報告」多良間村教育委員会、令和5年3月 
高江洲靖筆(合資会社沖縄時事出版)、「ウプリ行事についての調査報告」多良間村教育委員会、令和5年3月
〔註1〕年中行事は、旧暦1月 16 日(ジュールクニツ)の翌日、多良間神社のニサイガ
ッサ宅に、仲筋字の泊御嶽・運城御嶽・多良間神社のニサイガッサ、仲筋字会長、塩川字の塩川御嶽・普天間御嶽・嶺間御嶽のニサイガッサ、塩川字会長、他両字の副会長や庶務会計らが集まり(ニサイガッサ定例会) その年に行われる各行事の日取りを決める。 参考資料 令和5年 年中行事表 村民全戸配布資料(2023.2.15)作成:多良間村教育委員会(別添資料1参照)
〔註2〕祭祀組織(別添資料2参照)
〔註3〕神役は、ツカサ・トゥムヅカサ・ニサイガッサである。次に説明
①ツカサ(ツカシャンマ) (ウプツカシャ(大司)) ツカサは、その御嶽の最高の神で
主要な祭祀行事において中心的な役割を果たし、女性がつとめる。
②トゥムヅカサ(トゥムヅカシャ)(供司)トゥムヅカサは女性がつとめ、ツカサの下 
で雑用を行う。
③ニサイガッサ(二才頭)その拝所の参拝者の代表者で、御嶽に関する事務、参拝者への連絡のまとめ役をする男性の神役である。また、各御嶽のニサイガッサが一同に集まって御嶽行事について協議し、あるいはいろいろな年中行事などの日程(ニサイガッサ定例会)を決めるのも重要な任務である。(参考文献、多良間村史第4巻資料編 3「民俗」163p-164p)-
〔註4〕害虫採集場は、特定の場所である。仲筋字がカミディマス、塩川字がユウヌフツト
ゥンバラ。(採集の詳細は、(別添資料3-1参照)
〔註5〕小舟=虫船をづくり(別添資料3-2参照)
〔註6〕準備=ウプリ行事役員会を開催(別添資料3-3参照)
〔註7〕ニサイガッサ定例会にて、ウプリ行事の開催日を決定する。(別添資料3-3参照)
〔註8〕小舟を流す役(別添資料3-4参照)
〔註9〕小舟を流し鎮める場所(別添資料3-4参照)
〔註10〕行事参加の村民全員を促す行為 仲筋字会長の大城隆夫氏が、年長者の宮平行夫氏
   から聞いた話だと、明け方の4~5時ごろから、各部落のムラシャズ(村主)と呼ば
れる人は、村の四辻に火を灯し、畑仕事をさせないように部落内から出させないよう
にした(ミツバン)との事である。その火は、麦がらを、燃やして多くの煙が出るよ
うにした。また、ムラシャズは火の神の案内として「シャレース」と唱えながら、各
家庭を回っていたようである。
〔註11〕人員点呼
天間御嶽のニサイガッサ垣花光夫氏への聞き取りでは、17~18歳の頃(昭和40年
代)にイビの拝所前で点呼をしていたとの事である。父親の代理で出席したのだが、
名前を呼ばれた際には、若い事もあり皆の前に出されてあたふたした思い出があると
語っていた。
〔註12〕余興
塩川字長の友利哲市氏が小学生の頃(昭和 30 年頃)は、浜にて、すもう大会やヌーマパラス(競馬)などもあり、子どもにとって楽しみな行事の一つであった。短期間のうちに年3回ほど行われていたようである。
〔註13〕は現在の行事内容(別添資料3-5参照)
〔註14〕聞き取り調査(別添資料3-6参照)
〔註15〕アブシバレー 沖縄大百科
旧暦4月の吉日に行われる行事で、14、15日ごろに行われることが多い。害虫駆逐の儀礼で、ノロを中心に行われていた。昔、害虫もしくはネズミなどの害は脅威であり、呪術をもって村落の外へ追いだすことが最上の手段と思われたのであろう。害虫をとらえ供物とともに舟型のものにのせ、ノロなど神役の手によって沖に流す。
〔添付資料〕多良間の様子 多良間島と水納島 多良間村文化財調査報告書第13集高田海岸遺跡、序、多良間村教育委員会発行、H29
【参考文献】
1.多良間村史編集委員会、『多良間村史 第 4 巻資料編 3 民俗』多良間村、1993 年
2.多良間村文化財保護委員会『多良間村の文化財』多良間村教育委員会、2021 年
3.『多良間村しぜんずかん』多良間村教育委員会 2021 年
4.『たらまふつ辞典ー多良間方言基礎語彙ー』多良間村教育委員会 2017 年
5. 高橋恵子『御願本の決定版! 年中行事と御願』合資会社 沖縄時事出版 2020 年
6. 国立国語研究所編『沖縄語辞典』国立国語研究所 1983 年
7.早川克美著『私たちのデザイン1 デザインへのまなざし ―豊かに生きるための思考術』(芸術教養シリーズ17)、藝術学舎、2014年。
8.中西紹一・早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン ―経験に埋め込まれた構造を読み解く』(芸術教養シリーズ18)、藝術学舎、2014年。
11.琉球新報、「「害虫もコロナも入ってこないで」「虫舟」沈める伝統行事 多良間村で豊作祈願「ウプリ」公開日時 2023年04月15日 16:04」、琉球新報、2023年。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1695146.html(2023年5月15日最終閲覧)
12.一般社団法人 沖縄美ら島財団報、「美ら島から季節のお便り【文化編~アブシバレー~】」、一般社団法人 沖縄美ら島財団 美ら島自然学校、2023年https://churashima.okinawa/sp/churashizen/blog/1588638931/(2023年11月27日最終閲覧)
13.多良間村役場ホームページ→多良間村について→年中行事 作成:多良間村教育委員会
https://www.vill.tarama.okinawa.jp/common/uploads/3d8ec5806d51cca0fca7699cfb4e7524.pdf (2023年5月25日最終閲覧)
14. 埼玉県の無形民俗文化財に指定されている秩父郡皆野町の立沢虫送り「梵天手に悪霊送り出し皆野で民俗行事「立沢の虫送り」」東京新聞ニュース2022年8月17日 07時26分https://www.tokyo-np.co.jp/article/196411(2023年12月25日最終閲覧)
15. 愛知県常滑市ホームページ トップページ > 暮らし > 学校教育 > 教育委員会 > 文化・芸術振興 > 文化財 > 尾張の虫送り行事 ページ番号1001315  更新日 平成28年8月25https://www.city.tokoname.aichi.jp/kurashi/gakko/1002943/1003040/1004356/1001315.html#:~:text=  (2023年12月25日最終閲覧)
16.多良間村役場「2022多良間村村勢要覧」多良間村役場、2022年

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