特殊撮影(特撮)文化を遺すための須賀川市の取り組み

湯沢 秀一

はじめに
2024年1月20日、日本の探査機SLIM(スリム)が、月面着陸に成功(世界5カ国目)と宇宙航空研究開発機構(JAXA)がこの日に発表した(1)。月へ行くこと(調査研究など)は、人類の長年の夢である。この夢を空想映画で実現させたのが、フランスのジョルジュ・メルエスである(1902年『月世界旅行』が公開された)。手品師であったメリエスは、映像の可能性を信じ、斬新な撮影技術を駆使し、数百ものマジックのような映画を制作した(メリエスが、特撮映画の始祖と言われる所以である)(2)。

1.基本データと歴史的背景
名称:須賀川特撮アーカイブセンター(写真1)
所在地:福島県須賀川市柱田字中地前22番地
福島県須賀川市は、福島県の県中、いわゆる中通りに位置し、郡山市と隣接する人口72,922人(令和5年12月1日現在)の街(写真2)であり、故円谷英二氏の出身地である。

1-1.開館までの歩み
2015年4月から特撮関係資料の保存に関して、特撮関係者との連携を開始。
同年7月、遊休公共施設を活用して、特撮関係資料の保存を開始。そこから5年を経て、
2020年11月3日に特撮映画の文化を残すことを目的に開館した(3)。
2023年3月、須賀川市橋本克也市長によって、文化振興を目的とした「須賀川市特撮文化振興基本方針■■空想を現実に■■」が策定・公表された(写真3)。この基本方針には、特撮を残すための取り組みや人材育成・継承などの方針が示されており、その活動拠点として、アーカイブセンターが位置づけられている(4)。

1-2歴史的な背景
須賀川市出身の故円谷英二氏(当時特技監督、のちに”特撮の神様”といわれる)によって、1954(昭和29)年秋(11月3日)に劇場版として、『ゴジラ』が誕生した。『ゴジラ』は、日本が世界に誇る特撮映画である。当初、アメリカ(『キングコング』など)で採用されていた”ストップモーションアニメ”という技法で、制作する予定であったが、様々な制約により、俳優(中島春雄氏)がゴジラの着ぐるみに入り演技(操演という)を行う技法が取り入れられた(5)。
この着ぐるみの中に人が入り演技をする俳優を”スーツアクター”と呼ぶが、これは、日本が発祥とされる。このスーツアクターの演技によって、着ぐるみに躍動感や生命が与えられた。
ゴジラ誕生当時、劇場映画は、娯楽の中心にあり、全盛期であったが、テレビの登場により、変化が起こる。劇場の巨大なスクリーンで、観る巨大生物ゴジラは、迫力があり、劇場に適していた。一方、テレビは、小さな箱である。そのうえ、高価で、放送番組も少なく、魅力が少なかった。そのようなテレビに対して、劇場の世界では、一歩下に見ていたようである。ただ、技術は日進月歩である。テレビのカラー放送が可能となり、普及が進むなか劇場のスクリーン数は、減少に転じることになる。[資料1]

1-3テレビ放送の黎明期に誕生した特撮ヒーロー
1966年7月、ウルトラマンが誕生する。ウルトラマンは、テレビ映画向けに制作された特撮作品で、宇宙からの使者として、地球(日本)に飛来。全長は、40メートルもある銀色の巨人である。そして、地球上では、3分間しか闘えないという設定であった。この3分間を分かりやすく表現するためのアイデアとして、胸の中心に”カラータイマー”という丸みのある青から赤色に変化する電飾のようなものが、つけられた。このカラータイマーは、特撮美術を担当していた成田亨氏の原案にはなかったが(6)、カラーテレビを普及させるというスポンサーとの関係から生まれたものだともいわれている。

1-4.特撮を支えた人たち
テレビ映画に登場したヒーローや怪獣は、デパートなどのイベントにも登場した。テレビで活躍するヒーローや怪獣を生で見ることが出来るイベントは、大いに盛り上がったという(7)。
また、特撮映像を支えている多くは、成田了氏のような特撮美術(怪獣のデザインやミニチュアをつくる技術者)などの裏方として表に出ることが少ないスタッフたちである。
特撮の舞台となる街などは、スーツアクターが演じる着ぐるみに合わせるため、ミニチュア化する必要がある。ゴジラが銀座や国会議事堂を破壊したり、モスラが東京タワーによじ登るシーンを本物のように見せるために正確な模型をつくり、遠近感やカメラアングルを工夫するなど様々なアイデアによって、特撮文化は、支えられてきたのである。

2.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
これまで述べたような背景のなか、円谷氏の出身地でもある須賀川市では、失われつつある特撮文化を、残すために様々な取り組みを実施してきた。2015年からは、文化庁メディア芸術アーカイブ推進支援事業の助成による活動を進めている(写真4)。
これらの取り組みは、朝日新聞などのメディアでも詳細に紹介されている。

3.同様事例との比較(特筆されると思うこと)
国内外の映画フィルムや映画関連資料を網羅的に収集、保存、復元し、これらについての専門的な調査、研究を行う機関として、国立映画アーカイブ(所在地:東京都中央区)がある。(8)
筆者が特筆されると思うことは、これまでも述べてきたが、特撮映画に関する資料(ミニチュアなど)収集・保存だけではなく、資料の一般公開も積極的に行い[資料2]、特撮技術の人材育成や継承のための取り組みとして、「すかがわ特撮塾」開講し、継続的に行うということ。また、須賀川市として、策定した基本方針をWeb上に公表している点をあげたい。これらは、市の取り組みを多くの市民や関係者に示すだけではなく、広く一般の方にも向けられたメッセージではないだろうかと筆者は、感じたためである。

4.今後の展望について
アーカイブセンター長の須田氏に思いや夢などを伺った
(須田氏からのメール全文は[資料3]資料として転記した)。
須田氏は、収集・保存という目的だけでは不十分であり、本市の、特に子どもたちに特撮の魅力を伝えて、特撮に関わる人を育てたいという、目標を持っていること。
それを具現化し、2022年6月に開校された「すかがわ特撮塾」を紹介。
この塾を今後数年間は継続することで、第二の円谷英二監督をこの地から出したいと思っています。ということを述べていただいた(2024年1月20日のe-mailを筆者が抜粋した)。

5.まとめ
筆者の幼少年期(1960-70年代)は、特撮テレビ番組が大盛況であり[資料4]、多くの少年たちは、特撮ヒーローに夢中であった。なかでも1971年から放送が始まった仮面ライダーは、別格であった。当時、変身ポーズを真似る遊びが流行したが、筆者もライダーの変身ポーズを真似して遊んだ一人である。
人が変身する特撮ヒーローには、変身ポーズとともに必ず決めポーズがある。ウルトラマンの着ぐるみでスーツアクターとして、演じた古谷敏氏は、著書のなかで、俳優として顔を見せる(見せたくない)ことについてのジレンマや、着ぐるみで演じる大変さ(水の中や火が怖いなど)による悩みを抱えて演じていたが、円谷氏の特撮ヒーローに掛ける夢や、共にヒーローを創る熱いスタッフ、そして、子どもたちのウルトラマンへの想いを知る中で、最後まで、一人でウルトラマンを演じきったそうである。ウルトラマンの決めポーズと言えば、必殺技のスペシウム光線(手を十字にクロスさせる技)を繰り出す時のポーズであるが、古谷氏は、このポーズを何度も何度も繰り返し練習をしていたという(9)。子どもたちは、これらの苦労や想いは知らなかったが、古谷氏が演じるかっこいい決め技ポーズを真似して、遊んでいた(リスペクトしていたのかもしれない)。筆者もその一人として、特撮に関することを卒業研究のテーマと選び、様々な関係図書や現地訪問などで、多くを知ることが出来た。
日本には、歌舞伎・文楽・落語・能など様々な伝統芸といわれる古典芸能がある。特撮も古典芸能のように日本の文化として、守り伝えるべきと考える。その取り組みをしている須賀川市の今後の取り組みに期待するとともにご協力いただいた須賀川特撮アーカイブセンター長はじめ職員の皆様にこの場を借りて、感謝を述べたい。

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    ①一般社団法人日本映画製作者連盟 過去データ一覧 http://www.eiren.org/toukei/data.html (2023年12月31日閲覧)
    ②一般社団法人家庭電器文化会 http://www.kdb.or.jp/ (2023年12月31日閲覧)
    ③内閣府・経済社会総合研究所 https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/shouhi/shouhi.html#taikyuu 主要耐久消費財等の普及率(平成16(2004)年3月で調査終了した品目・白黒テレビとカラーテレビの普及率 Excelファイル(2023年12月31日閲覧)
    [資料3]須賀川アーカイブセンター長(須田氏)へのインタビュー(2024年1月7日およびe-mailでのやり取りによる)から筆者が作成した。
    [資料4]特撮ヒーロー番組の放送された時期(筆者が再放送含め観たもの)をまとめたものを部分的に抜粋し作成した。
    ①鈴木美潮『昭和特撮文化概論ヒーローたちの戦いは報われたか』集英社、2015年
    ②白石雅彦『ウルトラQの誕生』双葉社、2016年
  • 334712_2 [写真1]筆者が、須賀川特撮アーカイブセンター訪問時に撮影(左端筆者(2024年1月7日)(車を消すために合成した))。
  • [写真3]須賀川市特撮文化振興基本方針■■空想を現実に■■(PDF)の表紙をスクリーンショットhttps://www.city.sukagawa.fukushima.jp/bunka_sports/bunka_geijyutsu/1013434/1013925.html(2024年1月7日 閲覧・ダウンロード)
    (非公開)
  • 334712_4 [写真4]筆者が須賀川特撮アーカイブセンター訪問時に撮影(2024年1月7日)
    (アーカイブセンターの活動を紹介する資料として添付)
  • 81191_011_31781230_1_5_E8B387E69699EFBC92E58F8EE894B5E59381E59BB3E8A7A3_page-0001 [資料2]須賀川特撮アーカイブセンター、収蔵庫内(前方と後方)の図解
    (写真は著作権の関係で使用ができないため)アーカイブセンター訪問時に入手(2024 年 1 月 7 日
  • [写真2]円谷ミュージアム屋上から見た須賀川市の風景(2024年1月7日)筆者撮影
    (非公開)

参考文献

[註1]毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240118/k00/00m/040/149000c(2023年12月20日閲覧)
[註2]岩本憲児他『日本映画の誕生』森話社 2011年(メリエスはいつからしられていたのか-日本におけるメリエス事始)
[註3]ホームページ https://s-tokusatsu.jp/(2024年1月7日 閲覧)
[註4]須賀川市特撮文化振興基本方針■■空想を現実に■■ https://www.city.sukagawa.fukushima.jp/bunka_sports/bunka_geijyutsu/1013434/1013925.html(2024年1月7日 閲覧)
[註5]特撮映画研究会◎編『怪獣とヒーローを創った男たち』タツミムック、2002年
[註6]成田了『特撮と怪獣 わが造形美術 増補改訂版』リットーミュージック、2021年
[註7]日本テレビ放送網他『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』別冊 2012年
[註8]ホームページ https://www.nfaj.go.jp/ (2024年1月14日 閲覧)
[註9]古谷敏『ウルトラマンになった男』小学館、2009年

その他、参考文献
[参考1]朝日新聞(2023年12月9日be on Saturday 6-7面)・雑誌東京人 2023年No.464号など(複数のメディアが紹介)
[参考2]日高優編『映像と文化-知覚の問に向かって』藝術学舎、2016年
[参考3]飯塚定雄、松本肇著『光線を描き続けてきた男飯塚定雄』洋泉社、2016年
[参考4]映画『ヒューゴの不思議な発明』2012年公開「メリエスの映画についての理解を深めるためDVD(2023年12月)を視聴
[参考5]『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』日本テレビ放送、2012年
[参考6]特撮短編映画(10分)『巨神兵東京に現る』2012年公開 須賀川アーカイブセンターにて(2024年1月7日)視聴
[参考7]同時上映:メイキング映像(15分)『巨神兵東京に現われるまで』 須賀川アーカイブセンターにて(2024年1月7日)視聴
[参考8]竹本織太夫監修『文楽のスゝメ An Encourgement of BUNRAKU』実業之日本社、2018年

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