「蔵の街」川越の歴史的空間とまつり ー景観を活かしたまちづくりの現状

相澤 稔

1.はじめに
川越は東京から程近く、入間川が西部から北部、東部へと流れ、自然環境に恵まれたところである。「小江戸川越-蔵の街」一番街[写真1]と呼ばれる歴史を感じる空間がまとまり多くのひとが訪れるまちである。江戸末期の川越城下町の風景を残した重要伝統的建造物保存地区(以下 重建地区)であり、史跡として江戸時代の城跡や多くの神社や寺がある。(1)

2.基本情報
川越市は、埼玉県の中央部よりやや南部、武蔵野台地の東北端に位置し、109.13平方キロメートルの面積と35万人を超える人口を有する都市である。都心から30キロメートルの首都圏に位置する近郊都市でありながら、商品作物などを生産する近郊農業、交通の利便性を生かした流通業、伝統に培われた織物などの商工業、豊かな歴史と文化を資源とする観光など、充実した都市機能を有し、埼玉県南西部地域の中心都市として発展を続けている。(2)

3.地形
入間川沿いの低地が旧城下町の西北東の三方にあるため、市街地は川越城跡を越えて南方向にだけ拡大した。その方向に蔵の街並みが配置されてる。(3)[資料1右図]
この周辺は一部であるが碁盤の目の道路網となっている。(4)川越藩は、武蔵野台地の北西の端にあたり、南東の端にある江戸城に対して北の守りの要となる戦略上重要な場所であった。江戸の近郊となる立地条件から穀倉地帯の物資集散地として栄えた。その流通は、新河岸川の舟運により浅草へと運ばれた。その影響から江戸文化が流れ込み「小江戸」と称されるようになった。

4.調査対象
歴史と時代背景の調査により、「川越らしさ」を象徴する町並み・景観、保存や伝統的な文化風習など世代を超えて受け継がれた歴史から、次世代へ伝えるための現状の課題は何であるか、文化財に指定された建物の現在及び今後に見る新たな空間の価値を見出す取り組みを調査検証する。

5.歴史的空間
市内の目抜き通である蔵造り(5)の町並みは、明治26年の大火後[資料1左図]に再建された土蔵を中心構造とした建物で形成された地域である。間口が狭く、奥行きの長い敷地割りのため表はぎっしり軒を連ねている。(6)蔵造りの建物は、住居兼商店となっており壁の表面は黒漆喰で鏡のように磨き上げたもので重厚感がある。その空間にひときわ目を引く洋風建築が所々に点在している。黒い土壁のなかに白亜の石の輝きを持った多層階の建物である。それは商いの町として形成された地域に必要な銀行、郵便局、商工会会議所[写真2-1]である。初期のころの鉄骨鉄筋コンクリート造の第八十五銀行本店[写真2-2]の外観は、当時流行のネオルネッサンス様式を取り入れるなど、古典様式による意匠を折衷し、まとめあげられた洋風建築である。日本古来の建築様式を踏襲しつつ新しいものを受け入れた。
大火の経験を踏まえたまちづくりの原点がそこにある。「地元の伝統的な建築技術を持った棟梁が情熱をもって仕上げた。」(7)ものや、地元の職人と最新の技術を取得した建築家がお互いに異なる建築仕様を取り入れこの町をつくり上げた。大火により消滅した過去から土蔵造りとRC造建築の耐火建築物群のまち風景は、歴史の時代精神が反映されたデザイン空間となっている。
重厚で堅牢な景観と西洋建築の古典的なデザインの構えから、歴史への思いを感じる特別な空間を体験できる場所であることを評価する。川越の一番街は、明治時代に建てられた新しい街並みであり、日常品を商うごく普通の商店街であった。なぜこの地が現在、小江戸と呼ばれ受容されているのか。この空間を効果的に演出する祭礼が未来へつなぐ重要な役割を果たしているのである。

6.歴史的空間を舞台とした川越まつり
この地が小江戸と称された背景として川越まつりがある。(8)市内の総鎮守氷川神社の秋の大祭に合わせ、起源は慶安元年に川越城主松平信忠が神前の祭具を寄進、新幸行列を奨励したことに始まり、次第に宗教的な神事祭式の影が薄れ町方衆の年中行事として、レクリエーション的要素を含めた多様な文化として開催されるように変化してきた。
まつりの主役は、市内の各町内が所有する全29台[資料2]の山車による曳回しである。蔵の家並みが残る旧市街地を背景に、豪華絢爛な山車が繰り出し江戸の祭礼絵巻を再現し町中が埋め尽くされる。観衆は、その時代へ没入し酔いしれる瞬間でもある。祭礼の舞台である蔵の街が江戸風景を醸し出し、山車を率いる人々の装いからも時代を感じ取ることが出来る。
しかし歴史的経緯から順調に継承はされなかった。山車を保有する町内の経済基盤の低下と人々の価値観の変化により数年間、川越まつりは中断した。その後、県の文化財の指定を受け、川越まつり協賛会の発足により明治百年祭を兼ねた催事として祭礼が復活した。
世代交代、過疎化と少子高齢化への対応など各町内の自主的な運営による現状の課題は、山積したまま継承されている。(9)聞取り調査を通して時代の変化と共に課題に取組み対応しながら、まつりに象徴される市民の心意気、町全体がひとつになり祭礼にかける誇りと情熱は現在も受け継がれていることを確認した。

7.佐原の町並みとの比較
関東地区に小江戸と呼ばれる重建地区の町並みが千葉県香取市にある。[写真3]江戸時代末期から昭和時代前期の町屋を主体とした空間が存在し、訪れる人も増えている。江戸への舟運による繁栄と、明治の大火(10)の後に町並みが作られた経緯から、歴史的背景に類似性があることで比較する事例とした。
地域の繁栄には、地理的条件から利根川を利用した水運により隆盛したことで、独自の町並み空間が小野川の両側沿いにある。一番街の店蔵と比較すると町並み景観に重厚感の違いを感じる。蔵の用途性の違いで敷地の奥に穀物類の貯蔵用の倉としている。それは、地域形成のもとである産業の発展と密接に関係している。江戸の台所的な存在であったことから商人が中心となり町並み形成がされたことに特徴がある。それを裏付けるのは、統治する城主はなく、武家屋敷や城下町も存在しない商い中心のまちとして繁栄した事実からも知るところである。
この地で繰り広げられる伝統的大祭の佐原まつり(資料3)(11)は川越同様に江戸文化を継承していて山車や人形の形、囃子など祭りの形式・形態に類似性がある。穀物取引で栄えたことから、夏は五穀豊穣、秋は収穫祭と年2回開催する農耕祭事であることに独自性がある。歴史の変化点として、明治13年(1880年)鉄道の開通と共に河港商業が衰退し、まちづくりの歴史に大きな影響を与えた。 現在、歴史的景観とまつりを積極的にまちづくりに活かす取組みを町組織(12)が主体となって展開している。現地取材を通し現存景観の今後の修理・修景には、ある時代の町並みを復元するのは現実的ではなく「佐原らしさ」がこの町の価値を決める基準であると考える。

8.川越の町並み保存への動き
都市化の圧力が高く景観の保存が容易でない課題に対し伝統的建造物が、現在の状況に至る道のりは、制度化された「残す手段」として伝統的な町並みを活かした町づくりのルールを1978年に作成した。(13) しかし住民との協議の場を持たなかったためお蔵入りする。(14)その後若手商店主、建築学会、行政が主体となり町づくりに取り掛かったが、アンケート調査程度で実施に至らなかった。
1987年 住民、専門家、行政が対等の立場で町づくりの議論をする「町並み委員会」を発足(15)、伝統的景観を活かした商店街づくりのルールである「一番街町づくり規範」制定により現在に至る。(16)
最近の動向として「ワーキングスペースの実証実験」(17)がある。蔵造りの街並みの残る一帯は観光がメインとなり多くの人が集まる場所であるが、文化財に指定されていない建物や中心部から外れた建物は、利用されず空き家となっている。その空間の有効利用を目的とした活用方法を検証しているところである。さらに利用価値の向上として、社会動向からシェアオフィスやコミュニティースペースとしての活用を提案する。文化財の保存と伝承活動は、住民組織を中心とした保存会組織(18)が必要であり現時点では有効な方法と判断する。

9.まとめ
人の暮らしは町並みをつくり、町並みの魅力は人を動かす。相互に関わり合い時代毎に独自の文化を築いてきた。訪れる人にはほっとする空間が広がり、若者や子供には新しい感覚の景観として楽しめるそんな町づくりが、今後も多くの人により継承されることを期待したい。

  • %e4%b8%80%e7%95%aa%e8%a1%97%e9%80%9a%e3%82%8a_page-0001 [写真1]川越蔵の街一番街      2021年4月24日 筆者撮影
  • %ef%bc%bb%e5%86%99%e7%9c%9f2-1%ef%bc%bd%e5%95%86%e5%b7%a5%e4%bc%9a%e8%ad%b0%e6%89%80_page-0001 [写真2-1]商工会会議所(1900年築、旧武州銀行) 2021年4月24日 筆者撮影
    [写真2-2]第八十五銀行本店(1919年改築 現りそな銀行) 2021年4月24日 筆者撮影
  • 3 [写真3]佐原の町並み (上)小野川を挟んだ町並み、(下) 西洋建築の旧千葉商船
                                 2021年11月30日 筆者撮影
  • 4 [資料1右図]川越城跡周辺地図、[資料1左図]市内焼失の範囲 明治14年制作- 大火の記録  川越市立博物館編集、発行『蔵・倉・くら-蔵造りと川越の町並みを知ろう』2017年、p28,p29から引用
  • %ef%bc%bb%e8%b3%87%e6%96%992%ef%bc%bd%e5%b7%9d%e8%b6%8a%e3%81%be%e3%81%a4%e3%82%8a_page-0001 [資料2]川越まつり 
    写真谷澤勇著『川越まつりのすべて』小江戸出版会、2012年 p45~p60、山車と人形一覧表  2021年11月12日、筆者作成
  • %ef%bc%bb%e8%b3%87%e6%96%993%ef%bc%bd%e4%bd%90%e5%8e%9f%e3%81%be%e3%81%a4%e3%82%8a_page-0001 [資料3]佐原まつり
    香取市商工観光課、さはらの大祭実行委員会発行カタログ 2022年12月1日 転載許諾取得、山車と人形一覧表 2021年12月20日、筆者作成

参考文献

<参考文献>

《註釈》
(1) 川越市教育委員会発行『川越市川越伝統的建造物群保存地区のあらまし』p2
川越旧城下町は「小江戸」とよばれ、東京近郊の観光地として注目を浴び、毎年700万人もの人が訪れる。 川越本丸御殿と喜多院、そして「時の鐘」と蔵造りの町が川越の観光資源となっている。
(2) 川越市プロフィールより https://www.city.kawagoe.saitama.jp/ 2021年5月15日閲覧
(3) 川越市立博物館編集発行『蔵・倉・くら-蔵造りと川越の町並みを知ろう』,2017年p28,p29
城の南北を武家地とし、商人・職人の町そしてその周囲を村を含めた中間領域とし形成した。寺社地は城下全体に配置されている。
(4) 岡村一郎著『川越の城下町』川越地方史研究会、1974年9月第3版、p36,p37
 城を守るための戦略的都市計画として城下周辺は、T字路、かぎの手や袋小路が随所に設けられている。現在「七曲り」「袋町」と称する地名が残っている。
(5) 「蔵造り」は商家にとっては「店」が最も大切な建物であったので、蔵造りの建物を店として使用する「店蔵」が生まれた。
(6) 岡村一郎著『川越の城下町』川越地方史研究会、1984年1月第6版、p15
町屋の敷地形式は間口3~5間、裏行16~20間の堅牢なる建築物が軒を連ねている。
(7) 川越市立博物館 編集・発行『建築家保岡勝也の軌跡と川越』朝日印刷工業(株)、2012年 p9
(8)川越市氷川神社の祭礼で、370年の歴史を超えて江戸の天下まつりの姿を正しく伝承した祭礼であり国指定無形民族文化財(2005年)として、また近年ユネスコ無形文化遺産(2016年)に指定された日本における大祭の一つである。
(9)フィールド・インタビュー①
川越市六軒町、三番叟の山車、今福囃子連 山下和宏様 市内某所にて
 2022年1月13日 am10:00~11:00
今後の継続について、囃子及び踊りについては自治会の子供会に伝承している。但し中学生になると離れて行く傾向にある。町内会によっては子供、女性を山車に乗せない古いしきたりが残っている。維持経費については、年間5~6回ある各地でのイベント参加費が主な収入源となっている。他地域との交流は、「江戸サミット」と称し佐原、栃木と情報交換し親睦を深めている。現在、合同でイベントに参加することが増えてきた。
(10)佐原:明治の大火 香取市ホームページ
https://www.city.katori.lg.jp/living/sumai/machinamihozon.html 2021月11月6日閲覧
 明治25年(1892)の火災は1,200棟の家屋を消失した。このころから防火を意識した土蔵造りや厚塗り壁の耐火建築物が多く見られるようになった。
(11)フィールド・インタビュー②
 「佐原町並み交流館」館長 久保木純生(すみお)様 同館内にて
2021年11月30日 ㏘1:00~2:00
佐原の一大イベントである祭りは年に二回夏(7月)秋(10月)に行われ諏訪大社の祭りの総称をいい、関東3大山車祭りの一つで300年の伝統を有す。日本三大囃子「佐原囃子」に特徴ある。山車は24台あり、夏祭りに10台、秋祭りには14台が小野川を挟み夫々曳き廻される。2004年「佐原の山車行事」は国の重要無形民族文化財に指定された。現在、町並み保存への大事なイベントとなっている。
(12)フィールド・インタビュー③
NPO小野川と佐原の町並みを考える会 理事長 佐藤健太良様 同会事務所にて
2021年11月30日 ㏘3:00~4:00
町組織とは24の町内各自治会のことである。1991年 国土庁地域振興アドバイサーが派遣されてから動きが大きく変化した。1996年 関東初の伝建地区の指定から、町並みや文化の保存を基盤としたまちづくりへの活動にシフトし続けている。150件の修理・修景による保存地区の建物の半数に手を加えたことで、洗練された町並みに変貌し、町に活気を取り戻した。観光の入り込み50万人となり、起業や業種替え等43店舗を数える。平成16年NPO法人化を取得し行政とタイアップし、営利事業も取り入れて自立的な活動母体を造り事業展開をすすめている。
*(11)・(12)項は、小野川と佐原の町並みを考える会、2001年5月発行『佐原の町並み』資料に基づき聞取り調査をした。
(13)『川越市の歴史的環境保全・再生に関する調査研究』(財)環境文化研究所、1978年
(14)『川越の蔵造り-川越市指定文化財調査報告書』川越市教育委員会、1983年
(15)『川越一番街ー町づくり規範』川越一番街商業協同組合 町並み委員会、1988年
(16)『埼玉県の近代化遺産ー近代化遺産総合調査報告書』埼玉県教育委員会、1996年
(17)実証実験 https://www.atpress.ne.jp/news/249874 2021年5月10日閲覧
市内には指定文化財含め約300軒の歴史的建造物がある。 現在の社会状況からテレワークへの活用を推進し、ある程度の方向性が見えてきた状況であることが川越市議会広報-政務活動報告 (2021年春号)や読売新聞埼玉版(2021年1月7日)に発表された。川越市は、今後所有者に積極的な利活用を求めていく方向である。
(18)行政、自治会、町内会、住民を含めた地域全体が一つになり協働で推し進める組織体。

《参考著書》
谷澤勇著『川越まつり現場からの報告』ぷらんず社、1990年 
小泉功監修『川越の祭り-小江戸川越写真集』埼玉新聞社、2002年
川添善行著、早川克美編『空間に込められた意思をたどる』藝術学舎、2014年
野村朋弘編『日本文化の源流を探る』藝術学舎、2014年
小川直之、服部比呂美、野村朋弘編『暮らしに息づく伝承文化』藝術学舎、2014年
辻井喬著『伝統の創造力』岩波新書、2001年
樋口忠彦著『ふるさとの原型』春秋社、1981年
樋口忠彦著『郊外の風景-江戸から東京へ』教育出版、2000年
池田直樹著『歴史の散歩道-小江戸紀行108巡り』東洋書院、2001年
久保木寛敬著『佐原に生きる』日本図書刊行会、1989年
(株)産業編集センター企画・発行『美しい日本のふるさとー関東・甲信越・東海編』、2009年
川越市立博物館編集・発行『川越氷川祭礼の展開』、1997年
川越市教育委員会編集・発行『川越氷川祭りの山車行事』、2003年
木下雅博著『川越まつりと山車』川越市文化財保護協会発行、1985年

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