南部菱刺し ー厳しい冬を支えた美しい技ー

小田 春枝

はじめに
南部菱刺しは青森県の南部地方に伝わる刺子であり、庄内刺子、こぎん刺しとともに日本三大刺子のひとつである。農家の女性たちの手で生み出され、受け継がれるうちに400以上という膨大な数の模様を持つようになった菱刺しは、どのような背景から生まれ、現在はどのような状況にあり、今後どのような課題があるのかについて考察したい。

1.基本データ
青森県には、県西部の津軽地方に伝わるこぎん刺しと、県東南部の三八上北と呼ばれる三戸、五戸、七戸、八戸周辺の地域に伝わる南部菱刺しという、農家の生活のなかで生まれたふたつの刺し子がある。布の縦糸にそって刺すという点は共通しているが、こぎん刺し[図①‐1]は紺地に白糸で奇数で刺していくのに対して、南部菱刺し[図①‐2]は浅黄の布に縦糸を偶数ですくっていくために横長になり、菱模様を組み合わせて模様が構成されていくという違いがある。

2.歴史的背景
青森県の南部地方は、ヤマセ[1]という海からの冷たい風による冷涼な気候のため綿は育ちにくく、自給自足で生活をまかなっていた人々は、この地方でも育つ麻を使って日常着を作るしかなかった。しかし北国の冬の寒さは厳しく、風を通す麻の生地は冬の衣類には不向きであった。寒さを防ぐために麻の生地を二枚合わせにして 縫ったり、縫い目をつぶして風を防ぐためにおこなわれたのが刺し子である。また麻の布でさえも、麻を栽培してから布に織り上げるまでにはかなりの時間を要したため、貴重な布を補強して長持ちさせるためでもあった。このように防寒と補強が目的であった刺し子を、様々な模様で美しく刺すようになったのが南部菱刺しである。
南部菱刺しの歴史は200年以上と言われる。はじめは麻糸で刺し、鉄道の発達により木綿の糸や毛糸が手に入るようになると、色とりどりの糸で多彩な模様が刺されていくようになった。南部菱刺しは三巾前掛けの中央布[図①‐3]やタッツケと呼ばれる作業用ズボン[図②‐1、2]、着物の肩や袖部分[図②‐4、5]、足袋などのような日常着に施された。南部菱刺しで丈夫になった前掛けの中央部分は、両脇の布の部分を3度も取り替えるほど長持ちした。
農家の娘たちは野良仕事や子守の合間に刺していたため、前掛け一枚をつくるために一年を要したこともあったという。当時は図案がなく、実物を見て覚えたため難しい模様を刺せるのは頭がいいと認められたそうである。また、南部菱刺しは母から娘へと伝えられたため、模様もその家に代々伝わるようになっていった。

3.評価点
なんといっても南部菱刺しの評価すべき点は、その美しさである。横長の菱型の中に多彩な模様が刺され、古作からだけでも350種ほどの模様が採集されたという。代表的な模様としては《梅の花》や《きじの足》、《べこのくら》、《そろばん玉》など、身近なものを題材としたものが多い。梅の花という模様だけでも20余りの模様があるように、一つの模様名に対して複数の模様が存在する。
それらの模様の間を、地刺しと呼ばれる小さな単位模様を並べて広い面積のものを刺す場合もあった。また模様の配置や色の組み合わせに決まりがないため、刺す人によって多彩な模様が存在する。
南部菱刺しがなぜそこまで緻密に美しく刺されたか、それは防寒や補強のためだけではなかったのではないかと考えられる。実用的な目的であれば,、ただ縫い目で布の目をつぶしていけば、はるかに早く仕上げることができる。だが模様を工夫し、手に入る範囲で糸の色を変えながら刺すことで美しく仕上げた南部菱刺しは、厳しい生活の中にも希望や潤いを与えてくれるものになったのではないだろうか。そしてまた各地域によって模様が異なっていたことを考えると、菱刺しには地域のつながりを持つための役割があったと推測される。

4.アイヌ民族の刺繍衣との比較
刺繍が施された伝統的な衣類にアイヌの刺繍衣がある。アイヌ衣装の材料は、樺太では魚の皮や熊や鹿などの動物の毛皮の使用が多いが、北海道では身近な樹皮から作られた植物繊維を用いた布が主流になった。[図③-1]植物を使ったという点では南部菱刺しが麻を使用したことと類似する。
アイヌは交易により江戸時代末期に木綿が手に入るようになり、木綿衣が作られるようになった。[図③‐2、3]当時木綿は大変高価なものであったため、布をつなぎ合わせながら大切に使われた。手元にある貴重な布を大切に使った点も、菱刺しと共通する点である。また、アイヌ刺繍にも渦巻やハート、植物をモチーフとした多彩な紋様があるが、刺繍紋様が母から娘へと引き継がれ、地方によって違いがあることも菱刺しと共通する点である。
大自然の中で暮らすアイヌの人々にとって自然は脅威ともなり、アイヌ刺繍の紋様は魔物から人々を守るものとされ、魔よけのために衿や裾、袖口や背中などの部分に刺繍が施されている。美しく刺繍を施された衣装は、儀礼や舞踏の際に着用され、古い布で作られた模様のないものは普段着とされた。
アイヌの刺繍衣と南部菱刺しとの大きな違いは2点である。1点目は、アイヌは毛皮や海産物の交易により本州から木綿を入手できたため、高価ではあったが大きな木綿布を手に入れることができた点である。そのため着物本体も木綿で、その上に布を切り伏せてから刺繍を施しているものが多い。そして2点目は南部菱刺しが農作業に使う「たっつけ」や女性の前垂れに刺されていたのに対し、アイヌの刺繍衣は晴れ着として使われていたことである。そのため廃棄されることが多かった南部菱刺しに対して、アイヌの刺繍衣の多くが大切に保存されている。

5.菱刺しの現状と今後の課題
様々な種類の衣類が充分手に入るようになり、布の補強や防寒という南部菱刺しの役割は現代では必要はなくなった。しかも時間も手間もかかるため、南部菱刺しを衣類に使う人は少なくなっている。しかし、南部菱刺しの手仕事としての美しさ、そしてその技術を伝える動きは引き継がれている。
実物を見て習っていた模様は、田中忠三郎[2]著の『南部つづれ菱刺し模様集』[3]により、古作から採取した模様を目数をわかりやすく図解され、実物が無くても様々な模様を理解しやすくなった。[図④]
青森県伝統工芸士の山田友子氏は、ワークショップなどで南部菱刺しの技術を広めるとともに、衣類に限らず現代でも使える新しい作品を生み出している。珈琲豆袋[図⑤-1]や顕微鏡ケースバッグ[図⑤-2]などに南部菱刺しを施した作品や日常生活で使いやすいクッションやバッグなど[図⑤-3]、新しい視点で作られた様々な作品は、伝統を活かしながら洗練されたデザインになっている。作品はパリで開催される博覧会メゾン・エ・オブジェ・パリの青森県ブースに出展するなど積極的に海外にも広げられ、手仕事の美しさと貴重さを認められている。
八戸工業大学の感性デザイン学部の川守田礼子准教授は、研究室「菱刺しラボ」で、学生と共に南部菱刺しの普及や広報に取り組んでいる。学生は授業でも実際に南部菱刺し体験をしている。また『菱刺しAtoZ 菱刺しがわかるビジュアルブック』や、南部菱刺し古作写真集『ひしざし』の刊行などにより幅広い世代への菱刺しの普及を行っている。
このように、南部菱刺しの美しさを現代に繋げる様々な取り組みが行われている。ただし知名度については課題が残されている。地元の人でも実物を見たことがない、どういった歴史的背景から生まれたかを知らない人が多いからである。誰でも行きやすい場所を利用して古作から現代の作品まで多くの作品を展示するなど、まずは多くの人にこの地域に南部菱刺しという素晴らしい伝統技術があったこと、そして南部菱刺しの美しさを伝える機会が必要である。

6.まとめ
大量生産が可能になり、衣類や日用品が簡単に安価に手に入るようになった。それでも受け継がれてきた南部菱刺しを伝えようとする取り組みによって、現代でも南部菱刺しが身近な存在として残されることは貴重なことである。
自分たちが住む地域に伝わる伝統技術が身近な存在であるということは、この地に暮らした人たちの心情や暮らしの在り方が近くに感じられ、自分が育ってきたまちも大切なものに感じられるからである。南部菱刺しがひとからひとへ繋がれてきたこと、その一目一目に刺す人の想いが込められていることが、多くの人に伝わることを期待する。

  • 81191_011_31881075_1_1_図?こぎん刺しと南部菱刺し古作_page-0001 図①こぎん刺しと南部菱刺し古作
  • 図②南部菱刺し古作_page-0001 図②南部菱刺し古作
  • 81191_011_31881075_1_3_図?アイヌ衣装の刺繍_page-0001 図③アイヌ衣装の刺繡
  • 81191_011_31881075_1_4_図?南部菱刺し模様集のための図案_page-0001 図④南部菱刺し模様集のための図案
  • 81191_011_31881075_1_5_図?新たな菱刺しのデザイン_page-0001 図⑤新たな菱刺しのデザイン
  • 資料1 青森県伝統工芸士 山田友子氏取材記録
    (非公開)
  • 資料2 八戸工業大学准教授 川守田礼子氏取材記録
    (非公開)

参考文献

[註釈]

[1]ヤマセとはオホーツク高気圧の出現によって、冷たい海霧や下層雲をともなった北東気流が、北海道や東北地方の太平洋沿岸に吹き付ける現象である。ヤマセによって三八上北地方には数多くの飢饉が記録されている。(環境科学技術研究所 環境研ミニ百科第54号)

[2]田中忠三郎は1933年青森県下北郡川内町(現むつ市)に生まれる。独学で遺跡発掘や民具の収集・研究に取り組んだ民俗研究家である。長年にわたり集められた衣・食・住に関わる民具「田中コレクション」は2万点に及ぶ。

[3]『南部つづれ菱刺し模様集』(田中忠三郎著、北の街社、1977年)は、田中忠三郎氏が刺し継がれた模様を残すために、実物、写真、スライドなどから方眼紙に模様を起こし、模様集を作成したものである。
その作成に手を貸したのが、当時夫の仕事の都合で八戸在住であった、八田愛子、鈴木堯子、大塚明子であった。八田愛子・鈴木堯子編著により2019年に小さい模様を加えた『菱刺し模様集《決定版》』が発刊された。


参考文献

八田愛子・鈴木堯子『新技法シリーズ 改定新版菱刺しの技法』、美術出版社、1992年
八田愛子・鈴木堯子『菱刺し模様集《決定版》』、日本ヴォーグ社、2019年
今ひろ子『東北の刺し子』、日本ヴォーグ社、2016年
「民藝 2019年4月号」、日本民藝協会、2019年
日本民藝館学芸部『日本民藝館手帖』、2008年
杉山享司監修『もっと知りたい柳宗悦と民藝運動』、2021年
八戸市博物館編集・発行「ひしざし」、1990年
弘前こぎん研究所監修『津軽こぎん刺し 技法と図案集』、2013年
公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構編『イカラカラ -アイヌ刺繍の世界』、公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構編、2016年
北海道立近代美術館・財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構『アイヌ文様の美 線のいのち、息づくかたち』、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構、2006年
稽古館創立15周年記念特別企画「北の紋様展 図録」、財団法人稽古館、1992年
稽古館特別企画展「自然と共存したアイヌの人々 図録」、青森市歴史民俗展示館「稽古館」、2002年
湯原公浩『別冊太陽 先住民アイヌ民族』、平凡社、2004年
竹内清乃『別冊太陽 アイヌをもっと知る図鑑 歴史を知り、未来へつなぐ』、平凡社、2020年
菅野茂監修『アイヌ民族写真・絵画集成第3巻 アイヌ民族の文様 躍動する図柄』、日本図書センター、1995年
小川早苗・加藤町子『伝えたい アイヌ民族の紋様』、柏艪舎、2020年
小川早苗『アイヌ民族もんよう集 ー刺しゅうの刺し方・裁ち方の世界ー』、アイヌ文化伝承の会、2013年
津田命子『アイヌ衣装と刺繍入門』、クルーズ、2014年
池田忍『問いかけるアイヌ・アート』、岩波書店、2020年
田中忠三郎『図説 みちのくの古布の世界』、河出書房新社、2009年
『新編 八戸市史 民族編』、八戸市、2010年

「南部菱刺 女たちから女たちへ受け継がれる心」八戸ポータルミュージアムはっち、八戸88ストーリーズNo.8
https://hacchi.jp/programs2/dashijin/88stories/post-1.html (2023年8月22日閲覧)
「菱刺しとは ーその歴史ー」南部菱刺し研究会
https://hishizashi.com/about/ (2023年8月20日閲覧)
「ヤマセと暮らし」環境科学技術研究所 環境研ミニ百科第54号
https://www.ies.or.jp/publicity_j/mini_hyakka/54/mini54.html (2024年1月2日閲覧)
日本民藝館ホームページ
https://mingeikan.or.jp/ (2023年10月1日閲覧)

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