「これからの祭礼〜深川神輿を担ぐ人々と統一デザイン〜」  

直江 恵利加

はじめに 江戸三大祭りのひとつ、富岡八幡宮例大祭「深川八幡祭り」の神輿を担ぐ声は「わっしょい」に統一されている。江戸時代から江戸っ子たちのあいだで「神輿深川、山車神田、だだっ広い山王様」と謳われた諸説から[1]、「深川といえば、神輿」の周知性を活かし、その担ぎ方でよりインパクトをもたせた。令和5年(2023)6年ぶりに行われた祭礼は、台風接近という不安定な天候にもかかわらず携わる人々と担ぐ人たちの顔は「この日を待っていた」といわんばかりの晴れやかな表情であった。
統一ルールは、このような祭礼に欠かせない担ぎ手たちにどのように承認されていったのだろうか。その過程と効果、祭礼のこれからに着目し、以下考察する。

1、基本データと歴史的背景

1−1「富岡八幡宮」

寛永4年(1627)菅原道真公末裔とされる長盛法印により「永代嶋八幡宮」として創建、貞享2年(1685)に聖徳太子のお告げにより「富岡八幡宮」に社名を改め、江戸随一の門前町として栄えた[2]。前年の貞享元年(1684)には、大相撲の前身である「江戸観進相撲」が行われた経緯から、横綱力士像(明治33年建立)など大相撲ゆかりの石碑が多数あるほか、寛政12年(1900年)にはじめた全国測量旅行で顕著な伊能忠敬(1745−1818)は、ここで参拝して出発したことから銅像を建立、御本社神輿は一の宮神輿[2]と二の宮神輿である。

1−2「深川八幡祭り例大祭」

寛永19年(1642)に誕生した徳川家綱(家光の長男)の成長祈願(幕府による命)施行し、現在は本祭り(連合渡御)、二ノ宮神輿渡御、子供神輿渡御の順(3年サイクル)で行われており、 氏子町70ケ町(江東区南部、中央区一部、港区台場など)におよぶ。 通称「水かけ祭り」といわれるこの祭礼は、お清め水や消防団による放水[3]により、担ぎ手の顔は汗がわからないほどに終始全身ずぶ濡れである。
大神輿53基、連合渡御距離8km、渡御所要時間約5時間半を要すため、途中に休憩を挟みながら進行される[3]。来場者約30万人。

1−3「深川担ぎ」

平担ぎ[4]、舞い上げ、差し切り[4]、差し上げ、揉み上げの5種の担ぎ方から構成され、担ぎ方コンクール(昭和52、55、58年)開催で、神輿担ぎに順位をつけ統一性をはかる。同時に各町内お揃いの半纏、白シャツ、白い半股引き、白足袋の祭り装束と定め[5]、 客観性でなお、そのイメージに一貫性をはかる。担ぎ手人数約2万7,000人[5]。

2、評価する点

昭和52、55、58年の例大祭の際に「担ぎ方コンクール」を設け、「深川担ぎ」の掛け声とテンポを合わせるよう求め、その順位を競う取り組みを実施[6]。3回目の昭和58年のコンクールで統一に至ったとして順位の発表はされず、現在もこの担ぎ方を継いでいる。
果たして「統一性」をもたせようとした背景には何があったのだろうか。現・神輿総代連合会長である山崎修氏にお話をうかがうと[6]、

「伝統的な深川八幡祭りの担ぎ方が、他所からの担ぎ手によって掛け声が混ざり合い、交通規制のかかる中で長い距離の渡御を時間内に収めることが難しくなった。統一のテンポに揃え、その問題を解決したが、そもそも伝統的な担ぎ方を重んじたことが私は大きいと認識している。」

という。 この昭和50年代に深川八幡祭り以外の渡御で担ぐ人たちが混入しはじめ、その担ぎ方に乱れが生じ、その問題を解決するために講じた「統一性」であったことがわかる。さらに初心に戻るべく、伝統的な担ぎ方を本来の姿とし、敬服を強く抱いたことが当時の連合会一致の意見であったと推測できるものだ。

また、この頃に祭り装束の統一性を同時に求めるようになる。 深川八幡祭りの担ぎ手は、各町内の半纏および、シャツと半股引、足袋は白で統一することで、一体感をもたせたのだ。伝統的な担ぎ方により、足並みが揃えられ時間通りに進められる点で高く評価できる[5]。

3、他事例との比較

江戸三大祭りに数えられる「神田祭」を取り上げ、相違点と共通点について整理する。

3−1「基本データ」

「神田祭」神田明神 隔年5月中旬(日本三大祭りのひとつ)
全108町会が有する大小200基もの神輿に、明神様の御神霊を遷す神事[7]。
氏子町は、千代田区・中央区・文京区(湯島一部)、台東区(秋葉原)、皇居の北東に点在。

3−2「相違点」

神田祭の神輿宮入り渡御は、練り歩きの担ぎ方で掛け声は「ソイヤ」「ソレ」「サー」など各町会でその足並みが揃うものの、「ソイヤ」で一歩、「ソレ」で一歩と、それぞれ異なる人が声を掛けている。
深川は「わっしょい」で二歩となり、「ソレ」のような合いの手がない。担ぐすべての人がこのワードに限定されるため、揃えやすいテンポといえるだろう。

3−3「共通点」

それぞれ掛け声が異なるものの、二歩で進む原理は同様である。各町内の担ぎ方によって一概にはいえないが、どちらも掛け声が揃っている神輿は、足並みが揃っている。
当然のことのようだが、神輿の重量を一基で数人の息を合わせる作業は簡単ではない。神輿が左右に揺れている時は一部に差が出ており、上下に揺れている時にはある程度一定に保たれている。

神輿担ぎでは、町内により差が出てしまうことが共通点であるといっていいだろう。その差を埋めるべく、深川は長距離と交通規制に配慮し、統一性を重視したということがわかる。

4、今後の展望

周知性がここに参加者として関わることを目的とすれば、さらに一歩踏み入れる必要があるだろう。
担ぎ手に目を向けると、先に述べた山崎氏のお話のとおり、現在も氏子であると限らないのだ。多くの神輿経験者が5月は神田祭・三社祭というように、例大祭の年の8月には深川で担ぐといった具合である。
「担ぎ手募集」案内は、各町内掲示板に張り出され、町のいたるところに手に取りやすい場所に置いてあり、住んでいる人たちの目にとまりやすいよう、祭りの年であることを周知している。
では、実際にさまざまな場所で神輿を担ぐ人物が深川の神輿を担ぐことになった経緯に迫ってみたい。そのひとり、時枝典子氏[8]によれば、

「祭り好きな人たちにとって、どこで担ぐかの問題はさほどない。さらにいえば、どこで担げるかが問題であって、一定の関係性でその地域の神輿を担ぐ縁を感じている。」

といい、地域内だけではない「縁」を通じて、この祭りが支えられていることが分かる。
この点において、人とのつながりが肝となり得ることから、合同会社カツギテ[9]の取り組みにみえる活動にリンクすることに気がつく。
なぜなら、「深川応援団」の名でPRイベント企画をされている会社であり、その一環に「担ぎ手募集」を実施している点で、一例にアートイベントを通じ、関わる人々に「深川八幡祭り」を伝え、神輿担ぎ不足問題に積極的に取り組んでいるからだ。

今後も人とのつながりを深められるコミュニティー活動を増やすこと、積極的な行動を一人でも多く増やすことは、これからの祭礼を考えたときに重要なポイントになるだろう。イベントが入り口であるカツギテは、はじめて祭りに触れる人には神輿担ぎに参加しやすい環境作りが行われている点で、期待ができる。

5、まとめ

コロナ禍の影響で3年前に延期となってから6年ぶりの例大祭であった今回の連合渡御は、不安定な天候の中、運営側と担ぎ手たちや支える氏子町会の人々の強い思いで乗り切った。
統一性のある深川担ぎが、多方面からやってくる担ぎ手に理解されて、ここではこの担ぎ方であることを臨機応変に対応している姿は、単純に「祭り好き」という一括りな話ではなく、人とのつながりを大切にしている江戸っ子の気質に関連を示すものだ。

「わっしょい」の掛け声の統一が広報として前面に出さず、交通規制時間を守ること、つまり遵守することで例大祭の正しい在り方を示し、ルール、マナーを守って楽しむといった教育にも通じ、道徳心を養う場として祭礼を位置づけることができる点で、この深川の担ぎ方の前例が他の祭礼にとり、重要なポイントとしてヒントになりうる「統一デザイン」ということがいえるだろう。

  • hukagawa1 [1]江戸城であった皇居を取り囲むような位置を示す江戸三大祭りを行う3社。
    Googleマップを元に筆者作成。
  • [2]ポスター開示により祭りの周知がはじまる。
    一の宮神輿の鎮座は、30数年ぶりに庫より出された連合渡御当日のサプライズ披露であった。
    右画像 2023年8月12日時枝典子氏撮影。
    中央画像2023年7月23日筆者撮影。
    左画像 2023年8月13日筆者撮影。
    筆者作成。
    (非公開)
  • [3]消防団放水の歴史は昭和40年、神輿の上から雨が降るように放水される。
    神道へお清め水をまくことから派生した行いである[2E講座より]。
    他に、トラックの荷台に大量の水を溜めてバケツや洗面器などで放水する。
    画像 2023年8月13日時枝典子氏撮影。
    筆者作成。
    (非公開)
  • 81191_011_32183128_1_4_hukagawa4 [4]右(宮元町神輿)差し切り担ぎ。2023年8月13日筆者撮影。
    左(冬木町神輿)平担ぎは「わっしょい」の基本的な担ぎ方である。2023年8月13日時枝典子氏撮影。
    一番長く距離を走る担ぎ方で掛け声を合わせ統一性をもたせた(昭和58年)。
    筆者作成。
  • [5]深川八幡祭り担ぎ手予定人数。
    各町会で規定の半纏と中に着るシャツを販売の案内は、統一ある祭礼であることを参加者に示す。
    筆者作成。
    (非公開)
  • 81191_011_32183128_1_6_hukagawa6 役割分担組織図、令和5年連合渡御当日の巡行計画[2E]。
    富岡八幡宮神輿総代連合会会長の山崎修氏[6]を総責任者とし、各指揮のもと安全かつスムーズに祭礼が行われている。
    筆者作成。
  • 駒番[2D]配布物。2023年11月2日筆者撮影。
    大相撲ゆかりの地らしく神輿連合渡御の駒番表は、江戸文字筆で表している。
    (非公開)
  • 81191_011_32183128_1_8_thumbnail_IMG_6262 当日の天候は晴れ、曇り、雨といった台風の影響は観客側にとって少なからずあった。
    担ぎ手の身体はすでに放水で全身お風呂上がりのようで突然の雨にも影響を感じられない。
    2023年8月13日 時枝典子氏撮影。

参考文献

[1]江戸三大祭り概要、各ホームページより調査(所在地、別称、起源)
富岡八幡宮 http://www.tomiokahachimangu.or.jp/(最終閲覧2024年1月12日)
深川八幡祭りhttp://www.tomiokahachimangu.or.jp/htmls/maturih1.html(最終閲覧2024年1月12日)
神田明神 https://www.kandamyoujin.or.jp/(最終閲覧2024年1月12日)
神田祭の歴史 https://www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/about/(最終閲覧2024年1月12日) 
日枝神社 https://www.hiejinja.net/(最終閲覧2024年1月12日)
山王祭 https://www.tenkamatsuri.jp/(最終閲覧2024年1月12日)
Googleマップを元に位置を表示(2024年1月12日 筆者作成)
[2]『富岡八幡宮(深川八幡)御由緒リーフレット』富岡八幡宮社務所発行
御本社神輿
『令和5年秋号 富ヶ岡』富岡八幡宮社報(深川八幡宮)富岡八幡宮社務所 2023年10月発行
http://www.tomiokahachimangu.or.jp/htmls/maturih2.html(最終閲覧2024年1月12日)
伊能忠敬像 酒井道久(1950ー)制作、平成13年建立
http://www.tomiokahachimangu.or.jp/htmls/inoTadatak.html(最終閲覧2024年1月12日)
公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団
「江東区のお祭り〜深川八幡祭り編〜」講座2023年5月23日〜8月1日(全7回)
A 5月23日 齊藤照徳(江東区芭蕉記念館)江東区のお祭り〜江戸の祭礼文化〜
B 6月6日 松木伸也(富岡八幡宮権祢宜)富岡八幡宮と深川八幡祭りの歴史
C 6月13日 瀧澤潤(深川東京モダン館 副館長)富岡八幡宮と「門前仲町」
D 6月20日 片山祐子(タウン誌深川編集部)深川八幡祭りについて
E 7月4日 高橋富雄(富岡八幡宮神輿総代連合会顧問)山崎修(同会長)深川八幡祭りと神輿総代連合会
F 7月11日 山口新次郎(富岡八幡宮鳶頭)お祭りと鳶頭(かしら)
G 8月1日 丸山総一(富岡八幡宮宮司)お祭りについて
[3]神輿連合渡御順路図[2E]配布物
鈴木きっこ編集発行人『令和5年深川八幡祭り わっしょい深川』タウン誌深川別冊号
           株式会社クリオ・プロジェクト2023年7月10日発行(P.12−15、20)
[4]深川担ぎ
鈴木きっこ編集発行人『令和5年深川八幡祭り わっしょい深川』タウン誌深川別冊号
           株式会社クリオ・プロジェクト2023年7月10日発行(P.16−17)
[5]各町会担ぎ手人数と祭り装束の規定
鈴木きっこ編集発行人『令和5年深川八幡祭り わっしょい深川』タウン誌深川別冊号
           株式会社クリオ・プロジェクト2023年7月10日発行(P.26−85)
門前仲町一丁目掲示板(回覧)町会半纏、Tシャツ販売案内 2023年6月筆者撮影
[6]鈴木きっこ編集発行人『令和5年深川八幡祭り わっしょい深川』タウン誌深川別冊号
             株式会社クリオ・プロジェクト2023年7月10日発行(P.87)
富岡八幡宮神輿総代連合会会長 山崎修 電話ヒアリング実施(2023年11月15日)
役割分担組織図[2E]講座配布物を元に筆者作成
[7]神田祭サイト
https://www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/(2024年1月12日最終閲覧)
[8]時枝典子(山形県里之宮湯殿山神社例大祭奉納舞、フラメンコ舞踏家)
                  対面ヒアリング実施(2023年10月13日)
[9]合同会社カツギテHP https://www.katsugite.tokyo/(2024年1月12日最終閲覧)

参考文献
松木伸也(富岡八幡宮権祢宜)著『富岡八幡宮の御祭神と深川八幡祭り』2012年4月1日発行
松木伸也(富岡八幡宮権祢宜)著『富岡八幡宮と江戸勘進相撲』2013年11月1日発行
松木伸也(富岡八幡宮権祢宜)著『富岡八幡宮の御社殿と境内』2017年3月1日発行
松木伸也(富岡八幡宮権祢宜)著『富岡八幡宮の御創建と深川八幡祭り』2022年3月1日発行
鈴木菊子編集発行人『深川の祭り』深川別冊号 深川編集部 1980年11月15日発行(表紙裏面)
鈴木きっこ編集発行人『深川八幡祭りがいどぶっく』タウン誌深川別冊号
           株式会社クリオ・プロジェクト1990年7月1日発行(P.74−75)
鈴木きっこ編集発行人『グラフ深川』富岡八幡宮御本社神輿納受式記念号
           株式会社クリオ・プロジェクト1991年6月20日発行(P.6−7)
鈴木きっこ編集発行人『深川の祭り』タウン誌深川別冊号
           株式会社クリオ・プロジェクト1993年7月10日発行(P.68−69)
鈴木きっこ編集発行人『富岡八幡宮例大祭がいどぶっく 深川八幡祭り』タウン誌深川別冊
           株式会社クリオ・プロジェクト1999年7月10日発行(P.56−63)
鈴木きっこ編集発行人『2005年深川八幡祭りのすべて わっしょい深川』下町情報誌深川2005年別冊号
           株式会社クリオ・プロジェクト2005年7月15日発行(P.74、81、98−99)
鈴木きっこ編集発行人『2014年深川八幡祭り わっしょい深川』タウン誌深川別冊号
           株式会社クリオ・プロジェクト2014年7月15日発行(P.20−21、32、88−89)
鈴木きっこ編集発行人『平成29年深川八幡祭り わっしょい深川』タウン誌深川別冊号
           株式会社クリオ・プロジェクト2017年7月10日発行(P.107)
『令和5年春号 富ヶ岡』富岡八幡宮社報(深川八幡宮)富岡八幡宮社務所 2023年4月発行
『令和5年夏号 富ヶ岡』富岡八幡宮社報(深川八幡宮)富岡八幡宮社務所 2023年7月発行
『平成29年夏号 富ヶ岡』富岡八幡宮社報(深川八幡宮)富岡八幡宮社務所 2017年7月発行
鈴木きっこ編集発行人『タウン誌深川 第80号』
               株式会社クリオ・プロジェクト1991年4月25日発行(P.23−25)
鈴木きっこ編集、片山祐子発行人『タウン誌深川 第238号』
               株式会社クリオ・プロジェクト2017年8月31日発行(P.17−25)
鈴木きっこ編集、片山祐子発行人『タウン誌深川 第273号』
               株式会社クリオ・プロジェクト2023年8月31日発行(P.17−27)

閲覧Web
東京ベイネットワーク https://www.baynet.ne.jp/fukagawamatsuri/ (2024年1月12日最終閲覧)

写真協力 時枝典子[8]

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