荒ぶる川を大きな河へ 徳川家康から受け継いだ荒川沿岸の人々の生活 

武藤 由紀子

はじめに
荒川は、秩父の山からさいたま市などの県中央部を経て、東京湾に流れ込んでいる。埼玉県民にとっては利根川と並び県を代表する川で、中流から下流になると、ゆったりとした大河の様相を呈している。河川敷には運動場や公園などの施設が続き、さまざまな動植物が生息し、都市部に住んでいる人々にとって身近に自然に親しむことができる場所である。
現在、私たちが目にしている荒川は、もともとある自然の姿とは大きく変わっており、荒川の流れは人工的に変えられたものである。付属している土手や堤防、水門は人工の工作物であることはわかるが、河川を川ごとそっくり、それも荒川のような大きな川の流れを人の手によって変えることが本当にできたのか?驚くべきことであるが、その時期は遡ることなんと江戸時代なのである。その事業者は江戸幕府であり、徳川家康(1542〜1616)が行った大規模なインフラ整備の一環としてなされたものである。接ぎ木のように川を付け替えていくという、川の神様が怒ってしまいそうな工事がなぜ行われたのか、調べていくと現在の私たちの暮らしとの関係が大きくあることが分かったのである。

1.基本データと歴史的背景
荒川について
水系名:荒川水系
河川名:荒川 「荒ぶる川」がその名の由来と言われている。
水源:甲武信ヶ岳  埼玉県の奥秩父にある標高 2,475mの山で、長野県、山梨県との県境に接する
流域:東京都・埼玉県
主な経路:秩父の山岳地帯の渓谷を流れる支川を合わせながら東へ流れ、途中熊谷市周辺で南東に向きを変え入間川などの支川と合流する。埼玉県中央部の平野を流下し、東京都と埼玉県境を流れ、東京都北区の新岩淵水門で隅田川に分流、荒川放水路となり東京湾に注いでいる。
流域面積:2,940平方キロメートル
川幅の最大値:約2.5km(御成橋付近・吉見町)
幹川流路延長:173km(一級河川 荒川起点の碑~東京湾河口)

江戸時代の改修以前の荒川は、東京湾に流れ込んでいた利根川の支川で、元荒川筋を流れ越谷付近で当時の利根川に合流していた。これは現在の元荒川の流れといわれている。
荒川はその荒ぶる川の名のとおり、江戸時代より前から、氾濫を繰り返し、その都度流路を変えていた。江戸時代以前の改造は、小規模であったが治水工事として、堤防を築いていたと言われているが、川の流れ自体まで変えることはなかった。しかし、1590(天正18)年、江戸城に入った徳川家康は天下統一に向けて江戸を日本の中枢である立派な都市に作り上げるべく、本格的に関東平野の開発へ着手したのである。

2.文化資産としての評価
荒川は江戸時代の「荒川の西遷」および明治に着手し昭和初期に完成した「荒川放水路」という2度の大きな大きな改造を経て現在の形になっている。
・荒川の西遷 江戸幕府による大規模な治水事業
家康は江戸を洪水から守るため、および灌漑事業、そして木材を運ぶ舟運を開発し、五街道のひとつである中山道の交通を確保するため、利根川の流れを東京湾から太平洋沿岸の銚子へ大きく変える一方、荒川の流れも西側へと変える大事業に着手した。この事業は1594年(文禄3)年に着工し、60年の歳月をかけて、1654(承応3)年に完了した。これが後に利根川の東遷、荒川の西遷と呼ばれる河川付け替え事業である。
家康は江戸入府後すぐに関東平野の開発に取り掛かった。現在の東京からは想像もつかないが、家康が入府した当時の江戸は一大湿地帯であったと言われている。家康は関東郡代の伊奈備前守忠治(1550〜1610)に命じ、1629(寛永六)年に、荒川を利根川から分離する付け替え工事を開始した。利根川と荒川を切り離すこの大規模な河川改修事業により、荒川は隅田川を経て東京湾に注ぐ流路に変え、現在とほぼ同様の形となった。埼玉県東部においては、新田開発や荒川を利用した舟運が進んでいった。舟運によって集まる物資により湿地帯と原野が広がっていた江戸は、世界に誇る大都市へ変貌し現在の東京の礎がつくりあげられ、埼玉東部低湿地も豊かな穀倉地帯に生まれ変わったのである。この事業がなされていなければ下流部分である埼玉県の東部一帯は大湿原地帯のままであり、今の東京を中心とする首都圏の姿は存在しなかったかもしれない。
・荒川放水路 災害復興のため掘削工事
江戸および周辺地域の発展と引き換えに新たな川の水を受け入れることになった上流の村では、洪水がたびたび発生し、まだまだ荒ぶる川を抑え込むことはできなかった。江戸から東京に時代が進み、1910(明治43)年に起きた大洪水は埼玉県内の平野部全域が浸水し、東京でも壊滅的な被害をもたらした。この大洪水を機に、さらなる治水対策が必要となり、1918(大正7)年、荒川上流部の改修に着手したのである。上流から流れてくる荒川の水を、隅田川と放水路に分けることで、隅田川に集中していた洪水を分散させることにした。工事内容は蛇行した水路の直線化、広い川幅を活かした堤防の整備など、現在の荒川を形作る近代的な工事がなされたのである。それまでもともとあった荒川が隅田川、そして新しくできた放水路が荒川とよばれるようになった。隅田川の東を流れる荒川は、人があとから掘った川だったのである。

3.ほかの事例との比較
家康が同時に行ったもう1つの治水事業が利根川の東遷である。むしろこちらのほうが有名であるかもしれない。もともと利根川と荒川は江戸の手前で合流し、太平洋ではなく東京湾に注いでいた。利根川東遷の目的は、舟運を開いて東北地方との商いや輸送体系を確立することにあったが、江戸の防衛という意味もあったと言われている。仙台藩の武将、伊達政宗(1567〜1636)に対する防備である。伊奈家は関東郡代として三代にわたり関東地方の河川の整備にあたり、この大事業は忠治の孫の代まで長期に受け継がれたのである。現在のように重機など無い時代に想像を絶する工事だったと思われる。
荒川の西遷・利根川の東遷二つの事業に共通するのは、この2つの大きな川を切り離したことによる江戸の洪水の防御、また水田の開発の推進であり、幹線道路の交通確保と、舟運の活用を目的としたとされる。こうした二つの事業によって、江戸の人口は100万人と当時の世界で最大級の都市に発展し、埼玉県の湿地帯は肥沃な穀倉地帯として生まれ変わったのである。

4.今後の展望について
現在の荒川流域は街が整備され人や建物が密集しているため、江戸時代のような大改修は、今後は行われないであろう。荒川は1930(昭和5)年に荒川放水路が完成して以降、一度も決壊していない。大改修の必要もなくなったのである。ただし、台風や異常気象による大雨など洪水の可能性がなくなったわけではない。堤防の高さの約30倍幅を持たせた堤防である高機能堤防、いわゆるスーパー堤防の設置は、都市部への浸水対策とともに、大地震にも耐えられるような設計にしているのだそうだ。荒川沿岸には莫大な人口や資産が集積しており、堤防の決壊はあってはならず、荒川が再び荒ぶる川となって街に流れ込まないため、対策を取っている。また、荒川では震災時の利活用の計画も進められている。陸上交通網が遮断されても機械、資材、人員など、緊急時の運搬に舟運を活用することができる。緊急時物資の輸送路である河川敷通路は、平常時は散策する人々の憩いの場となっている。

5.まとめ
川の流れは土地をデザインし、人々の生活を形づくっている。人々は恵みを得るために川の流れに沿って暮らしていく。人類が自然とともに生きていく限り、改修事業が完了することはないであろう。今後起こりうる自然災害を念頭に置き、平常時の利用価値とともに川の役目は常に更新されている。家康から始まった改修事業は現在も完成することなく、その時代を生きる人々に引き継がれていくのである。

  • 1 荒川の氏神様である、武蔵一宮氷川神社 二の鳥居(2022年1月8日 筆者撮影)古代は川ごとに宗教圏が異なり、神社も地域ごとでまとまって分布したと考えられていた。氷川神社名の神社は荒川の流域に多く鎮座している。武蔵一宮氷川神社は全国の氷川神社の本社である。
  • 2 朝霞市浜崎の氷川神社 (2022年1月8日 筆者撮影)東京都、埼玉県の荒川流域にはこのような小さな氷川神社も多数あり、流域に暮らす人々にとって身近な存在である。人々は治水事業という現実的な対策とともに神様をお祀りし、日々の平穏無事を祈っていた。

参考文献

国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所ホームページ https://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/arajo00028.html(閲覧日:2021年12月19日)
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000670350.pdf(閲覧日:2022年1月20日)
国土交通省 関東地方整備局 ホームページ
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000704042.pdf(閲覧日:2022年1月20日)
国土交通省 関東地方整備局 利根川上流河川事務所 ホームページhttps://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00182.html(閲覧日:2022年1月20日)
(一社)東京建設業協会 シリーズ:インフラストック効果 首都 東京を守る、成長を支える
https://www.token.or.jp/magazine/g201605.html(閲覧日:2022年1月20日)
学研キッズネット https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary04500301/(閲覧日:2022年1月28日)
伊奈町ホームページ https://www.town.saitama-ina.lg.jp/0000004028.html(閲覧日:2022年1月28日)
武蔵一宮氷川神社 ホームページ https://www.musashiichinomiya-hikawa.or.jp/sp/ (閲覧日:2022年1月28日)

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