人と人と緩やかな温かさ感じるまんじゅう−あわまんじゅうの和−

芳賀 謙治

はじめに
会津柳津町には、伝統あるものが豊富にありその中で「あわまんじゅう」(1)という和菓子があり生地が「あわ」、中は餡子が入っている。この町のみ年中存在している地域特有の饅頭がある。
幼少の頃に祖父と日帰り観光で圓蔵寺へ初詣し、帰りに粟饅頭を購入することが年初めになっていたことが記憶にある。
なぜ「あわ」なのか、お寺との関係があるのだろうか、「あわ」と「会津柳津町」の関係はなんだろうか、そこからの価値があるならば、どのような価値なのか。福満虚空蔵菩薩圓蔵寺がある門前町に足を運んで現地調査をした。本稿では、調査から筆者の見解や、継承の意義・門前町文化と今後の可能性を報告する。

1.基本データと歴史
1−1.粟饅頭の情報
会津柳津町でつくられてきたこの粟饅頭は、粟の実の色をイメージし黄色に染めた生地をおちょこのような容器に入れ、そこに餡を入れ蒸して作られる(資料1)。

名称:道の駅会津柳津限定
あわまんじゅう詰め合わせセット
「柳津の老舗名店を食べくらべ!」(2)

道の駅:「会津柳津」柳津町観光物産館清柳苑(資料2)

所在地:福島県河沼郡柳津町柳津字下平乙181-1(資料2)

1−2.会津柳津町の情報
町は面積175.82平方キロメートル、地図でみると天狗の横顔のような形である(3)。人口が3,045人である(4)。東北地方南部に会津地方の中心地である会津若松市から西に位置し、およそ28キロメートルの地点(5)にある。
奥会津の玄関口と言われ、版画家も感心させた絶景も広がる「柳津町」であるが裏日本型で奥羽山脈と越後山脈に囲まれて西部山地に分かれている豪雪地域である(6)。
只見川の河岸は明治時代までは柳の大木が繁茂しており、約1200年前の南岩坂がところで今の柳津河岸に3本の大柳があった、川に添って水運の便に船やいかだの発着所である「梁場」の語源に関係して「やないづ」になった(7)。

1−3.歴史
柳津名物「あわまんじゅう」の由来は、その昔、町や圓藏寺が相次ぎ災害に遭い、町民らが困り果てていたところ、災いに「あわ」ないようにという願いを込めて、あわまんじゅうを作り虚空蔵尊へ奉納したことから始まりである。その後は、柳津は宿場街で旅中に山中で山賊に「あわ」ないように、怪我や病気に「あわ」ないように、車社会になると事故に「あわ」ないようにと時代と共に饅頭職人の願いも増えた(8)。

1−4.現状と課題
過去には7店舗あり、物価高騰、東日本大震災(9)や社会的背景の影響で現在は4店舗(資料3)ある。
今まで以上に情報を共有することで助け合いながら、残った4店舗は続けている。特に、3店舗の粟饅頭詰め合わせセット食べ比べ(10)を柳津町道の駅にて出している。
会津柳津町には、「会津やないづ歴史検定」(11)があり歴史や伝統、風景に関する問題が出題されている冊子が関連するところに置いてある。自分で柳津町誌を調べることで解けしまい現地に行って聞いたり、見たりがないと感じてしまう。
1店舗では柳津町ある道の駅隣と、会津若松市内に出店と冷凍物として、福島県内の道の駅、期間限定で東京の百貨店などのイベントで出店している(12)。4店舗と観光協会と連携し、歴史や伝統文化を散策しながら解けるような展開と、後継者不足の解消していく必要がある(13)。

2.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
ここでは、歴史災害と伝説の関係性があり事例を評価する。本調査と歴史、伝説を照合しながら見解の主な根拠とした。

2–1.信仰の里の歴史
虚空蔵菩薩圓蔵寺の本山は臨済宗妙心寺(14)である。802年に僧徳一大師(15)が築き、本尊の虚空蔵菩薩像は弘法大師が彫った(16)とされ、日本三虚空蔵菩薩として認知されている五尊の一つ(17)である。
昔、お寺は霊巌山の崖下にあり大火に遭い、菊光仏が祀ったことで菊光堂となった。その後も度々災害に遭い1611年の大地震で柳津も大被害を受け、1617年に現在の巖上へ建てられ(18)、伝説(19)も生まれた。
数多くの災害もあり、僧規の乱れもあり、同じ臨済宗興徳寺(資料3)の師から仰ぎ、老師と禅問答して禅道を学んだ。その後、臨済宗を確立し、今では観光、信仰に圓蔵寺が中心となり歴史を散策できる。

2–2.粟饅頭起源とその後衰退から回復
柳津で、1818年に大火が発生し、圓蔵寺や門前町集落が焼けた。当時の住職が喝厳和尚で、幕府や藩主へ掛け合い復興へと取り組んで1829年に圓蔵寺を再建(20)した。その際に住職の喝厳和尚は、今後は必ず災難に「アワ」ぬようにと、当時、多く生産した粟を用いて饅頭を作ることを考え、技術を持っていない住職は菓子店していた沼沢和一氏の先祖に相談した。試行錯誤して粟の黄色を表面にして「あわまんじゅう」が完成し、奉納した。引き継いだ沼沢留五郎氏も苦労しながらも研究を重ねた。岩井屋が粟饅頭元祖となり、門前町の菓子職人に作り方を伝えた(21)。
JR只見線の会津柳津駅は1928年に開業し、その頃の駅から街へ荷物の運搬手段が荷馬車である。岩坂町にあるお店は宿業、菓子店をしながら専用の道を使い、寺家町や奥の街へ配送業もした。1941年頃は車社会となり年々と駅利用者は減少し、1967年の年間乗降客のピーク時は約18万人となった(22)。
その頃は参拝後、粟饅頭を10箱20箱と両手に抱えながら汽車に乗る人が多かった。持ち帰り後は近所にお護符として配っていた風習があった。お店も2011年までは7店舗あったが東日本大震災により今は4店舗になった(資料4)。
歴史や伝説がなければ生まれなかった饅頭であり伝承しなければという思いで道の駅で観光協会から菓子組合長に相談があり3店舗詰め合わせセットの粟饅頭を食べくらべできるパックとなったことを評価したい(23)。

3.特筆点、事例と比較して何が特筆されるのか
会津柳津町の名物である。会津に住んでいる人なら誰もが知っている饅頭であるが、特別な饅頭でもある。会津柳津以外で食べられているか調査したら、全国でも珍しい饅頭で、本やネット検索しても関連地域名は「会津柳津町」しか出てこない。出てきても会津柳津町の1店舗が関東方面や冷凍品で限定され道の駅で販売していることは確認した。有名なものになると「日本三○○」(24)と数々はあるが、「三大あわまんじゅう」のワードが出てこなかった。
和菓子屋は一般的には一つの空間でブースやショーケースに個別で販売され、同店の味を変えた食べ比べセットして販売していることが多い。
昔からのコミュニケーションしている各店と歴史があわまんじゅうで繋がり、形成するおちょこも昔から店舗ごと形状違いで完成後の味や形に違い出る(資料5)。各店の店主とお互いの信頼があるからできるセットになっていることが特筆とされる。

4.今後の展望について
恵まれた風景と縄文文化(25)や圓蔵寺・奥之院弁天堂等の歴史(26)とともに栄えている門前町である。
「会津やないづ歴史検定」の冊子を持ち歩きながら街中で問題が解け、お店で粟饅頭を購入するとヒントがもらえることはお店側や地元民とお客との交流できることが魅力の一つで、視点を変えることで逆にヒントや新しいことにもつながることで活性化になると考え菓子組合長へ提案中である。
保存方法や粟饅頭の変わった食べ方(27)もあることをお店からの提案が名刺の裏に書いてあることもお客とのコミュニケーションがより深くなると考える。
お店ごとの季節限定品は観光協会からWeb配信することで季節ごとの楽しみがあると考える。

5.まとめ
門前町はコンパクトでレトロ感があり、歩きながら見て楽しめる。圓蔵寺や歴史、文化中心であるが、ゆっくりとした時が流れるような地元民や店主の横のつながりがあり、お互いにお勧めし合える関係も心温まるものがある。

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    (資料2)会津柳津町 基本データとMAP
    (資料3)柳津町と会津若松市のつながり
    (資料4)粟饅頭と柳津町の歴史災害
    (資料5)粟饅頭の由来と3店舗の比較
  • 81191_011_32083227_1_2_047bc517-0adb-4109-b4f0-cc0175eff423 (写真1)粟饅頭を作って蒸す前(はせ川屋にて:2022年8月6日筆者撮影)
  • 81191_011_32083227_1_3_607752aa-0fed-481f-a162-75ab2509689a (写真2)粟饅頭3店舗食べくらべパック開ける前(購入して自宅にて:2022年8月23日筆者撮影)
  • 81191_011_32083227_1_4_e70c56c4-cfb0-4c5b-87e7-cd1a069be7ba (写真3)粟饅頭3店舗食べくらべパック開けた後(購入して自宅にて:2022年8月23日筆者撮影)
  • 81191_011_32083227_1_5_6d83fbb7-f5e8-47d0-a5c1-1b8ccc7577f9 (写真4)「会津やないづ検定」初級・2級・準1級・1級(自宅にて:2023年1月29日筆者撮影)

参考文献

参考文献
〈註〉
(1)写真1(2022年8月6日 筆者撮影 撮影場所:はせ川屋):取材した際に2022年8月6日に、はせ川屋で作り方を見た時に撮影。

(2)写真2(2022年8月23日 筆者撮影 撮影場所:購入して自宅):道の駅「会津柳津」柳津町観光物産館清柳苑内の会計窓口の近くに陳列されている。午前中には無くなってしまう。

(3)福島県柳津町 赤べこ伝説発祥の地 柳津プロフィール(町役場)https://www.town.yanaizu.fukushima.jp/docs/2015022500078/(閲覧日2022.8.7)
取材と参考にして資料2作成。

(4)福島県柳津町 赤べこ伝説発祥の地 柳津プロフィール(町役場)https://www.town.yanaizu.fukushima.jp/docs/2015022500078/(閲覧日2022.8.7)

(5)会津若松市役所から会津柳津町役場までの走行した距離、ルートは色々あるので数値に「およそ」をつけることにした。

(6)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第一章風土、p .1–11

(7)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第一章風土、p .12

(8)柳津町教育委員会編『柳津町誌 下巻 集落編』柳津町(福島県)1977年、第七章観光、p .467
2022年8月6日〜2022年9月9日に、はせ川屋、岩井屋、いなばや菓子店に「災難にアワないように」の時代により願いも変わっていったことが取材してわかった。

(9)2011年3月11日地震発生してから家の倒壊点検や機器故障、材料高騰など1年〜2年間不評被害もあった。2022年8月6日〜2022年9月9日に、はせ川屋、岩井屋、いなばや菓子店に取材でわかった。

(10)写真3(2022年8月23日 筆者撮影 撮影場所:購入して自宅)

(11)写真4(2023年1月29日 筆者撮影 撮影場所:購入して自宅):検定は初級・2級・準1級・1級がある。1級は難しい問題がある。

(12)柳津名物「あわまんじゅう」の小池菓子舗 https://koike-manjyu.com(閲覧日2022.9.7)更新があったので(閲覧日2023.1.21)商品も道の駅あいづ湯川・会津坂下、道の駅ふくしまで冷凍商品として確認できた。

(13)取材した2022年8月6日〜2022年9月9日に、はせ川屋、岩井屋、いなばや菓子店と、柳津観光協会小山豊氏から電話取材したことからまとめた。

(14)日本最大の禅寺 京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 公式サイト https://www.myoshinji.or.jp(閲覧日2022.10.7)取材と参考にして資料3・5作成。

(15)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第二章歴史p .48

(16)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第二章歴史p .48 弘法大師は空海のことである。

(17)日本三虚空蔵菩薩として認知されている五尊
・霊巌山 圓蔵寺(福満虚空蔵菩薩)福島県柳津町 https://temple.aizu-yanaizu.com(閲覧日2022.10.7)
・村松山 日高寺(村松山虚空藏菩薩)茨城県東海村 https://www.taraku.or.jp(閲覧日2022.10.7)
・千光山 清澄寺(能満虚空藏菩薩)千葉県鴨川市清澄 http://www.seichoji.com(閲覧日2022.10.7)
・勝峰山 金剛証寺(福威智満虚空蔵菩薩)三重県伊勢市朝熊町 https://www.iseshimaskyline.com/kongoushouji/(閲覧日2022.10.7)
・智福山(嵐山) 虚空蔵 法輪寺(嵯峨虚空蔵菩薩)京都府京都市西京区 https://www.kokuzohourinji.com(閲覧日2022.10.7)

(18)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第九章宗教p .619–622

(19)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第七章観光p .412–413
有名な赤べこ伝説があり、発祥の地である。現在の巌上に再建する際に、材料となる木材は村々の寄進を受け只見川にイカダを組んで運ばれた。高台への木材運びに困り果てていたところ、赤牛の大群が現れ材木運びを手伝ったと言われている。その時の感謝の気持ちを表し、会津の郷土玩具「赤べこ」の発祥となり、境内にも撫牛像があり、健康になれるという信仰から撫牛に対して自分の身体の悪い部分を撫でる参拝客が多くなり、今でも赤べこを大切されている。この伝説伝承があり、昔の農作業で牛を使っていた為、思い出すと私の祖父も牛肉を食べるということは無く大事な家族同然だったことと思われる。

(20)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第七章観光p .413、第九章歴史p .622

(21)柳津町教育委員会編『柳津町誌 下巻 集落編』柳津町(福島県)1977年、第一章集落誌p .467–468 取材と参考にして資料4作成

(22)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第四章政治・社会p.276–277会津柳津駅の営業状況表参照

(23)写真3(2022年8月23日 筆者撮影 撮影場所:購入して自宅):3店舗の粟饅頭が2個ずつ入っている。

(24)Google検索と本にて調べたが「日本三大あわまんじゅう」は見つからなかった。
・加瀬清志著 畑田国男著『日本三大ブック』講談社、1993年3月3日
・ナヴィ インターナショナル著『あなたは3つ言えますか? 日本の三大雑学236』幻冬舎文庫、2003年7月
・世界の「ふしぎ雑学」研究会著『図解 日本の「三大」なんでも事典』三笠書房、2007年11月
・株式会社レッカ社著、編集『「日本三大」なるほど雑学事典』PHP研究所、2009年12月
・もぐら編『日本人が意外と知らない日本三大〇〇』竹書房店、2018年11月

(25)会津柳津町は長い歴史と文化があり、縄文時代の土器片や石器等、15ヶ所遺跡があり各地で発見されている。その内一つが、2023年1月16日のニュースになり、2002年に住民が町内の池ノ尻地区で縄文時代中期のもので鉢のような形状をした土器の欠片が発見されて専門家の調査結果とされている。そのことから昔から生活が今日のつながり発展があった。
・柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第二章歴史p .21–43
・NHK NEWS WEB 福島「柳津町保管 土偶つき土器は国内最大級 報道陣に公開」https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20230116/6050021441.html(閲覧日2023.01.16)
(26)柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年、第九章宗教p .433–439、p .450–452、p .650–651

(27)賞味期限は2日だが冷凍にすれば3〜4日ほど保存が効き、蒸しているので冷めると固くなるので、もう一度家庭用蒸し器で蒸すか電子レンジで軽くラップに包んで温め直しても美味しく食べられる。変った食べ方としては素揚げをすることで粟がサクッと香ばしくなり、餡の甘さも口に広がる。熱々の出汁に再度温めた粟饅頭を入れて食べる。出汁の塩味とモチっと食感と甘さが引き立つ。

〈参考文献〉
柳津町教育委員会編『柳津町誌 上巻 総説編』柳津町(福島県)1977年
柳津町教育委員会編『柳津町誌 下巻 集落編』柳津町(福島県)1977年
加藤長四郎著『蒲生若松城下明細図』 加藤長四郎画 明治44年(1911年)
加藤長四郎著『戊辰若松城下明細図』 加藤長四郎画 大正5年(1916年)明治28年刊訂正増補5版
会津歳時記編纂委員会編『会津歳時記』角川書店 1980年10月
『柳津の20世紀 明治以降130年の町のあゆみ』柳津町史談会 1999年12月
山内月峰著『霊境会津柳津虚空蔵写真帖』円蔵寺 1934年
市川慎子著『東北おやつ紀行』中央公論新社 2012年7月
奥会津書房編『奥会津見えないものと暮らす』奥会津五町村活性化協議会
森与三郎著『柳津(蚕養ノ宮)』加藤長四郎 1909年
『広報やないづ縮刷版第1号(昭和38年8月)〜第100号(昭和52年1月)』
大山柏著『戊辰役戦史 上巻』時事通信社 1988年11月
大山柏著『戊辰役戦史 下巻』時事通信社 1988年12月
もっと会津を制作委員会編『もっと会津を』会津の文化づくり 2006年12月
極上の会津プロジェクト協議会編『日本遺産会津の三十三観音めぐり』極上の会津プロジェクト協議会 2018年3月
会津若松市史研究会編『会津若松市史19会津の史的風景』会津若松市 2006年3月
会津若松市史研究会編『会津若松市史14会津のやきもの』会津若松市 2000年3月
加瀬清志著 畑田国男著『日本三大ブック』講談社、1993年3月3日
ナヴィ インターナショナル著『あなたは3つ言えますか? 日本の三大雑学236』幻冬舎文庫、2003年7月
世界の「ふしぎ雑学」研究会著『図解 日本の「三大」なんでも事典』三笠書房、2007年11月
株式会社レッカ社著、編集『「日本三大」なるほど雑学事典』PHP研究所、2009年12月
もぐら編『日本人が意外と知らない日本三大〇〇』竹書房店、2018年11月

〈参照Webページ〉
福島県柳津町 赤べこ伝説発祥の地 柳津プロフィール(町役場)https://www.town.yanaizu.fukushima.jp/docs/2015022500078/(閲覧日2022.8.7)

会津本郷焼 流紋焼 https://aizuhongouyaki.jp/ryuumonyaki/(閲覧日2022.8.7)

柳津名物「あわまんじゅう」の小池菓子舗 https://koike-manjyu.com(閲覧日2022.8.12)更新があったので(閲覧日2023.1.21)

公益財団法人全日本仏教会 WFB(世界仏教徒連盟)日本センター http://www.jbf.ne.jp/member?id=15628(閲覧日2022.10.7)

日本三虚空蔵菩薩として認知されている五尊
・霊巌山 圓蔵寺(福満虚空蔵菩薩)福島県柳津町 https://temple.aizu-yanaizu.com(閲覧日2022.10.7)
・村松山 日高寺(村松山虚空藏菩薩)茨城県東海村 https://www.taraku.or.jp(閲覧日2022.10.7)
・千光山 清澄寺(能満虚空藏菩薩)千葉県鴨川市清澄 http://www.seichoji.com(閲覧日2022.10.7)
・勝峰山 金剛証寺(福威智満虚空蔵菩薩)三重県伊勢市朝熊町 https://www.iseshimaskyline.com/kongoushouji/(閲覧日2022.10.7)
・智福山(嵐山) 虚空蔵 法輪寺(嵯峨虚空蔵菩薩)京都府京都市西京区 https://www.kokuzohourinji.com(閲覧日2022.10.7)
・龍興山神社(福一満虚空蔵菩薩堂)青森県八戸市 http://ryukozan.pecori.jp(閲覧日2022.10.7)
・柳津山 柳津山宝性院(柳津福智満虚空蔵菩薩)奥州柳津虚空蔵尊 宮城県津山町 https://kokuzouson.or.jp(閲覧日2022.10.7)
・黒沢山 萬福寺 岡山県津山市 https://kokuuzou.jp(閲覧日2022.10.7)

日本最大の禅寺 京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 公式サイト https://www.myoshinji.or.jp (閲覧日2022.10.7)

NHK NEWS WEB 福島「柳津町保管 土偶つき土器は国内最大級 報道陣に公開」https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20230116/6050021441.html(閲覧日2023.01.16)

〈地図(Googleマップ)〉
会津柳津町の現在 https://www.google.com/maps/@37.534537,139.7234438,1376m/data=!3m1!1e3!5m1!1e1(2022年8月5日閲覧)

会津柳津の粟饅頭店付近拡大
岩坂町周辺 https://www.google.com/maps/@37.5342308,139.7234638,332m/data=!3m1!1e3(2022年8月5日閲覧)

寺家町周辺 https://www.google.com/maps/@37.5315974,139.7247372,512m/data=!3m1!1e3(2022年8月5日閲覧)

〈資料提供者(順不同・敬称略)〉
はせ川屋・店主 長谷川トメ子氏
岩井屋・店主 沼澤和典氏
稲葉屋・店主 東郁子氏
柳津観光協会 小山豊氏
会津若松市立図書館
民宿ふじや・代表者 大山澄子氏
興徳寺・住職 大内賢英氏、真樹子氏

〈取材・撮影協力〉
はせ川屋・店主 長谷川トメ子氏 2022年8月6日(訪問取材・撮影)
岩井屋・店主 沼澤和典氏 2022年8月8日(訪問取材・撮影)
稲葉屋・店主 東郁子氏 2022年8月9日(訪問取材・撮影)
柳津観光協会 小山豊氏 2022年9月29日(電話取材)
柳津町の資料作成に使う風景 2022年8月9日〜10月13日(撮影許可:柳津観光協会・小山豊氏 2022年8月9日)
福満虚空蔵圓蔵寺敷地内 2022年8月9日〜10月13日(撮影代理許可:柳津観光協会・小山豊氏 2022年8月9日)
民宿ふじや・代表者 大山澄子氏 2022年8月17日(訪問取材・撮影)
興徳寺・住職 大内賢英氏、真樹子氏 2022年12月26日(訪問取材・撮影)

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