「丘のまち」に生まれた土産品 とうきび人形が伝えること ―観光とまちづくりの視点から―

竹内 百合

はじめに
北海道美瑛町では、2019年の観光入込客数が240万人を超えた。観光客が増え始めた1980年代後半、地元には土産品が少なく、酪農業を営む嵯城幸子[1]は「美瑛らしいお土産を作りたい」と考えて、トウモロコシの皮で作る「とうきび人形」[2][図1](以下括弧なしでとうきび人形)を創案した。本稿では、35年以上にわたって続くとうきび人形制作を、まちづくりと向き合ったデザイン活動として考察する。

1. とうきび人形の誕生から定着まで
美瑛町の基幹産業は農業である。町の観光は1980年代半ばまで、白金温泉と十勝岳といった山側に集中していたが、1970年代に発表された写真家・前田真三による丘の風景の写真作品などがきっかけで、「丘」を目的に訪れる観光客が増えていった。この現象について小長谷悠紀・安島博幸は「『丘へのまなざし』が台頭した」と述べ、1987年に開設した前田の個人ギャラリー「拓真館」[3]については、「『丘へのまなざし』を伝える装置として優れて機能的」[4]と指摘している。
嵯城が「美瑛らしいお土産」をとうきび人形に決めた背景には、子どもの頃に親戚のおばあさんがトウモロコシの皮で作ってくれた素朴な人形の記憶がある。手工芸が好きで、ものづくりを楽しんでいた嵯城は、あらためて人形の基本構成を習い、試行錯誤を重ねてとうきび人形「ろまんどーる」を完成させた。とうきび人形は、1987年に町内で開かれた嵯城の初個展で役場職員の目にとまり、町の特産品に認定されて、旭川空港やJR美瑛駅の観光案内所で販売されるようになった。
1991年、嵯城が自宅隣に「アトリエぽぷり」を開くと、アトリエは人形の制作風景を見学できて、搾りたての牛乳や菓子も楽しめる新しい観光スポットとして雑誌やテレビ番組で紹介された。観光客が多数アトリエを訪れる中、嵯城は牧場の仕事をしながら人形制作の時間を捻出し、1995年頃からはアトリエでの人形作り体験を受け入れ始めた。美瑛の近隣市町でも個展が開かれ、嵯城がとうきび人形の創作で受賞するなど、とうきび人形の知名度は上がっていった。

2. 事例の評価
観光客のまなざしの変化を受け、丘の風景の価値を改めて認識した行政は、「丘の街美瑛」をキャッチフレーズに使うようになり[5]、現在は「丘のまちびえい」となっている。ここでは、とうきび人形が「丘のまちびえい」に果たした役割を評価する。

2-1. 「丘のまちびえいへのまなざし」を伝える
これまでに多数のとうきび人形が、美瑛の土産品として地域の外に住む人の手に渡った。とうきび人形を手にした人が美瑛について知ったり、人形を見て美瑛の風景や旅の思い出を振り返ったりすることは容易に想像でき、それが自分で作ったものであれば、さらに印象深いであろう。嵯城は自身のアトリエを訪れる観光客のほか、修学旅行で美瑛町を訪れた生徒たちにも、とうきび人形作りを教えた。その他にも、北海道外の自治体に請われたり、美瑛町の観光キャンペーンの一環で東京など大都市に出向いたりして、美瑛の特産品であるとうきび人形作りの講習会を開いてきた。
このようにとうきび人形は、土産品として、また、人形作り体験を通して、「丘のまちびえいへのまなざし」を伝える役割を担ってきたのである。

2-2. 「丘のまちびえい」の人を繋ぐ
美瑛町内で「とうきび人形」といえば多くの人が嵯城の作品を思い浮かべるほど、とうきび人形の認知度は高い[6]。その理由のひとつが、町民向けにも人形作りの講習会が繰り返し開かれてきたことである。講習会に参加して楽しかったという感想が聞かれ、参加した際の様子や、家に帰ってから自力でとうきび人形を作り、その様子を動画に撮って公開している人もいる[7]。とうきび人形の認知度調査[6]で、とうきび人形のエピソードを尋ねたところ、「移住して初めての冬、人にも冬にも慣れていない中で参加したワークショップで、とうきび人形をみんなで作って心が和んだ。移住してよかったと思えた」という回答もあり、講習会が、地域に元々住んでいる人だけでなく、新たに移り住んできた人が地域と繋がる機会になったこともうかがえる。

3. 特筆すべき点、「場」と「場を編集する人」
「丘へのまなざし」をきっかけに誕生したとうきび人形は、「『丘のまちびえいへのまなざし』を伝える装置」となったことが分かった。それでは、「『丘へのまなざし』を伝える装置」と評された拓真館はどうであろうか。
拓真館の来場者は、ピークの1997年には46万人を超えたが、2018年には7万人を割った。その数は開設初年より減っているものの、拓真館は今なお「『丘へのまなざし』を伝える装置」であり続けている。昨年作成された冊子[8]には、前田の写真をきっかけに移住を決めた人や、地元の豊かさや風景の美しさに気付いた人の話が掲載されており、拓真館や前田の写真も「丘のまちびえいへのまなざし」を伝えてきたことが読み取れる。
一方、前田の孫にあたるアートディレクターで写真家でもある前田景は、自身が編集した前田真三の写真集の中で、拓真館は、来館者が減り、老朽化が進み、経営的にも厳しい状況にあるとし、「一時代が終わってしまったのは、流れた時間を考えれば仕方がないのかも知れない」[9]と述べている。確かに拓真館は、いつ訪れても前田の写真と向き合えるように整えられているが、多くの人を魅了してきた写真や拓真館の潜在能力を生かし切れていない面もあるかもしれない。
とうきび人形について言えば、地域の外に「丘のまちびえいへのまなざし」を伝えるだけでなく、地域の人と人、地域と人を繋ぐ役割を果たしてきた。その際に指摘しなければいけないのが、作家である嵯城のアトリエと作家自身の存在である。アトリエには観光客だけでなく、嵯城の友人知人ら客人が訪れてさまざまな交流が行われ、サロンのような役目を果たしてきた。このような地域に根ざした人的交流は、とうきび人形だけでもアトリエだけでも成り立たず、場をつくり、場を編集してきた嵯城の働きが大きいと考える[10]。

4. 今後の展望
とうきび人形が生まれてから今日までの活動は、地域の住民が観光とどのように向き合ってきたかの歴史である。「丘へのまなざし」が広く伝えられるようになってから約35年、現在はオーバーツーリズムという問題に直面している美瑛町に、観光文化が確立されているかどうかの判断は難しいが、とうきび人形が観光文化の形成やまちづくりに寄与したことは疑いがなく、後世に伝えていくために何らかの形で記録を残すべきと考える。過去、とうきび人形については、嵯城自身が出版した『丘の妖精たち あのね おかあさん』[11]、嵯城の父・貞蔵の手記『かたくりの花』[12]や郷土史料など、いくつかの媒体で書かれているが、いずれも出版されてから20年以上経過している。最近、筆者が刊行に携わっている冊子で嵯城を取材した記事を掲載したが[13]、嵯城は近々本を出すことを希望しているので、実現させることが重要である。また、人形制作を撮影した動画を作るのも一つの方法であろう。

5. まとめ
「丘のまち」になった1980年代後半に約1万4千人だった人口は、2020年には1万人を割っている。観光とまちづくりは繋がっており、行政は近年、観光地としての更なる価値向上による「関係人口」の創出・拡大を目指している[14]。「観光」となると、事業者と行政の間で語られがちであるが、それらと関係のない立場であっても、地域を構成する市民はみな当事者である。嵯城は今でこそ、人形作家としての道を歩み、公の役職に就いたり、町議会議員を務めたりしてきたが、とうきび人形を創案した時は、観光業従事者でも行政職でも町民の代表でもない一市民であった。「土産品を作る」から始まったとうきび人形を通して、地域とともに歩んできた嵯城の取り組みからは、「地域を良くしよう」という、地域の構成員としての当事者意識に基づく自負心が見て取れる。継承すべきスピリットではないだろうか。

  • 81191_011_32083118_1_1_%e5%9b%b31 図1とうきび人形と人形作家・嵯城幸子(すべて筆者が撮影した写真を筆者が加工)
    1. 販売品(撮影日:2022年6月17日)
    2. 人形作家・嵯城幸子氏(撮影日:2021年11月9日)
    3. 2021年11月に開かれた個展に出展された作品。新作(撮影日:2021年11月16日)
    4. 2021年11月に開かれた個展に出展された作品。作品は20年ほど前に作られたもの(撮影日:2021年11月26日)
    5. 2021年11月に開かれた個展に出展された作品。新作(撮影日:同上)
    6. 人形作り体験で筆者が作ったとうきび人形(撮影日:2022年12月11日)
    7. 6で筆者が体験する際、嵯城氏が手順を示しながら作ったとうきび人形(撮影日:同上)

参考文献

〈注釈〉
[1]人形作家・嵯城幸子は1942年、北海道美瑛町に生まれ、高校卒業後、家業の酪農業に従事した。これまでにJA美瑛女性部長や婦人団体連絡協議会などの団体代表のほか、町議会議員を2期務め、近年は、地場産野菜を扱う「ふるさと市場」の運営に携わり、とうきび人形の制作は冬期を中心に行っている。

[2]トウモロコシの皮を使った人形は国内外で伝承されている。例えば、国内では熊本県の阿蘇民芸塾で、トウモロコシの各部位を用いて、日本髪の和服人形をはじめ、多様な人形が創作されている。一方、信州、寧楽、新得の共働学舎では、デントコーンの皮を用いた洋風の人形が制作販売されている。海外ではスロバキア、セルビア、ハンガリー、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、エクアドル、アメリカ合衆国、ケニア、ネパール、中国などで、トウモロコシの皮や芯で作った人形が伝承されている。いずれも、トウモロコシの産地やトウモロコシを主食としているなど、身近な自然素材としてトウモロコシの皮が手に入りやすい場所である。

[3]拓真館は、1971年に廃校した旧千代田小学校の跡地に、1987年、校舎と体育館を全面改修して開設された。敷地内に、東京に家がある前田の北海道の拠点となる家も建てられた。館内には前田の作品が数多く展示され、写真集、ポスター、ポストカードなどが販売されている。拓真館の付近は千代田公園として整備されている。入場無料。

[4]小長谷悠紀・安島博幸は「美瑛の風景をめぐる『まなざし』の変化」(小長谷悠紀・安島博幸『観光研究』16巻2号、2005年)の中で、「まなざし」を「他の可能性をしりぞけて諸個人が表象とする対象の範囲と、それに対する定性的評価の尺度のセット(からなる情報)」と定義している。小長谷・安島は、前田が1971年の撮影旅行で美瑛町と隣の上富良野町を訪れた際に「丘へのまなざし」を個人レベルで成立し、美瑛町の風景について優勢なものとして根付いていた「山へのまなざし」は、1980年代半ば頃から1988年までの間に、新出してきた「丘へのまなざしに」置き換わったと指摘している。さらに、拓真館については、マスメディアで拓真館の存在が伝えられる際は、常に「丘へのまなざし」も一緒に伝えられるとし、拓真館は常設展示でツアー客も多く訪れ、ガイドブックにも見どころと掲載されていることから、「『丘へのまなざし』を伝える装置として優れて機能的」と述べている。

[5]美瑛町郷土史研究会編『美瑛町史第5巻』美瑛町、1991年、p408。

[6]美瑛町在住または居住経験のある人、および、美瑛町で仕事をしている(た)人を対象に、とうきび人形の認知度調査を実施した(有効回答者数41人)。「とうきび人形を知っているか」の質問には85%が「知っている」と回答。「とうきび人形の作家が嵯城幸子である」ことについては、71%が「知っている」と回答したが、とうきび人形を知っている人に限定すると83%が「知っている」と答えた。とうきび人形を知っている人の8割以上が、嵯城の作品であると認識していることになる。この結果は、15年間美瑛町で暮らす筆者の観察に基づいた認識と一致する。
(実施期間:2022年12月29日~2023年1月9日、実施方法:Google Formsでアンケートフォームを作成し、アンケートへの回答をFacebookで呼びかけた)

[7]スローライフ美瑛 YouTube
美瑛のとうきび人形 作り方。
https://www.youtube.com/watch?v=hLZTUhLfO9U(2023年1月27日閲覧)
美瑛の名物 とうきび人形の作り方。
https://www.youtube.com/watch?v=McdWPODmcaE(2023年1月27日閲覧)

[8]前田真三生誕100年記念事業の一環で作成された。
前田真三生誕100年記念事業実行委員会『SHINZO MAEDA 100 前田真三 丘から丘へ 美瑛町民が選んだ前田真三30枚の丘』、2022年。

[9]前田真三『HILL TO HILL』ブルーシープ、2021年、p126-127。

[10]最近、拓真館の状況が変わりつつある。2020年に前田景が家族で美瑛に移り住み、拓真館のリニューアルプロジェクトを開始した。2022年から2023年にかけて、美瑛町内では公設ギャラリーと拓真館で前田真三生誕100年を記念する写真展が開催され、期間内に開催されたトークショーには町民や写真愛好家らが集まった。また、拓真館では野外も使った音楽ライブが開催され、敷地内にある、景の妻、たかはしよしこの経営するレストランには各地から人が訪れている。コロナ禍に始まったプロジェクトが実を結ぶのはまだ先になるだろうが、拓真館を拠点に、これまでにはなかった人の流れや繋がりが生まれている。

[11]嵯城幸子『丘の妖精たち あのね おかあさん』アトリエぽぷり、1998年。

[12]嵯城貞蔵『かたくりの花』嵯城貞蔵、1993年、p182-183。

[13]びえいデザイン室「楽しいオトナたち #04アトリエポプリ主宰 人形作家 嵯城幸子さん」『びえいのコト。』第2号、2022年、p14-16。

[14]北海道美瑛町「第2期美瑛町まち・ひと・しごと創生総合戦略」、2020年、p16。
https://town.biei.hokkaido.jp/files/00001000/00001022/20230116095510.pdf (2023年1月27日閲覧)

〈参考文献〉
・井口貢編『観光文化と地元学』古今書院、2011年。
・岡本伸之編『観光学入門』有斐閣、2001年。
・久保田幸依・中井祐「美瑛の丘の風景の成立メカニズムに関する考察」、『景観・デザイン研究講演集』No.2、2006年。
http://keikan.t.u-tokyo.ac.jp/documents/research/kubota.pdf (2023年1月27日閲覧)
・小長谷悠紀・安島博幸「美瑛の風景をめぐる「まなざし」の変化」、『観光研究』16巻2号、2005年。
https://doi.org/10.18979/jitr.16.2_39 (2023年1月27日閲覧)
・嵯城幸子『丘の妖精たち あのね おかあさん』アトリエぽぷり、1998年。
・嵯城貞蔵『かたくりの花』嵯城貞蔵、1993年。
・紫牟田伸子、早川克美編『私たちのデザイン4 編集学―つなげる思考・発見の技法(芸術教養シリーズ20)』京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2014年。
・関戸明子「「文化的景観」の形成と保全・活用をめぐる課題 ―北海道美瑛町を事例に―」、『歴史地理学』第49巻第1号、2007年。
http://hist-geo.jp/img/archive/232_024.pdf (2023年1月27日閲覧)
・中西紹一・早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン―経験に埋め込まれた構造を読み解く(芸術教養シリーズ18)』京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2014年。
・西川克之「イメージの呪縛を解くために : 美瑛における「観光のまなざし」の向こう側」、『CATS 叢書』11巻、2017年。
http://hdl.handle.net/2115/66706 (2023年1月27日閲覧)
・早川克美『私たちのデザイン1 デザインへのまなざし―豊かに生きるための思考術(芸術教養シリーズ17)』京都芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2014年。
・美瑛町郷土史研究会編『美瑛町史第5巻』美瑛町、1991年。
・美瑛町郷土史研究会編『美瑛町史第6巻』美瑛町、2000年。
・美瑛町郷土史研究会編『美瑛町史第7巻』美瑛町、2011年。
・美瑛町郷土史研究会編『美瑛町史第8巻』美瑛町、2021年。
・美瑛町郷土史研究会編『美瑛町百年史』美瑛町、2000年。
・美瑛町郷土史料保存会『一〇〇年ふるさとびえい ひとびとのくらしとともに』、2000年。
・美瑛町農業協同組合総務部「夢この人 嵯城幸子さん」『JA広報「ウィズ・ユー」』61号、2021年。
・びえいデザイン室「楽しいオトナたち #04アトリエポプリ主宰 人形作家 嵯城幸子さん」『びえいのコト。』第2号、2022年。
・北海道美瑛町「第2期美瑛町まち・ひと・しごと創生総合戦略」、2020年。 https://town.biei.hokkaido.jp/files/00001000/00001022/20230116095510.pdf (2023年1月27日閲覧)
・北海道美瑛町「町勢要覧(資料編)」、2022年。
https://town.biei.hokkaido.jp/files/00000100/00000147/chouseiyouranr4.pdf (2023年1月27日閲覧)
・前田真三『HILL TO HILL』ブルーシープ、2021年。
・前田真三『昭和写真 全仕事SERIES 13』朝日新聞社、1983年。
・前田真三生誕100年記念事業実行委員会『SHINZO MAEDA 100 前田真三 丘から丘へ 美瑛町民が選んだ前田真三30枚の丘』、2022年。
・箕輪直子『ハスキークラフト』大月書店、1990年。

〈参考Webサイト〉
Issay's Essay
旅の記念品19 -阿蘇とうきび人形-。
https://ameblo.jp/kanmonya/entry-12667742039.html(2023年1月27日閲覧)

一般社団法人熊本県物産振興協会
令和4年度会員名簿。
https://kumamoto-bussan.net/wp-content/uploads/2022/11/b86a8fc4f8f805a209029294fde4f6a1.pdf(2023年1月27日閲覧)
※業種「民工芸・日用品」の欄に、とうきび人形を制作する阿蘇民芸塾が掲載されている。

木村拓子のとうもろこし人形。
https://www.facebook.com/morokoshihiroko/(2023年1月27日閲覧)

スローライフ美瑛 YouTube
美瑛のとうきび人形 作り方。
https://www.youtube.com/watch?v=hLZTUhLfO9U(2023年1月27日閲覧)
美瑛の名物 とうきび人形の作り方。
https://www.youtube.com/watch?v=McdWPODmcaE(2023年1月27日閲覧)

然-zen-
とうきび人形 松本以智子。
http://aso-zen.com/aso-hyakuzen/079/(2023年1月27日閲覧)

ナイスハートネット北海道
とうもろこし人形 - 寧楽共働学舎。
https://nice-heart-net.jp/member/goodsdetail?id=1597(2023年1月27日閲覧)

日本玩具博物館
「トウモロコシの皮の人形」。
https://japan-toy-museum.org/archives/monthly/%e4%b8%96%e7%95%8c%e3%81%ae%e6%b0%91%e6%97%8f%e7%8e%a9%e5%85%b7%e3%80%8c%e3%83%88%e3%82%a6%e3%83%a2%e3%83%ad%e3%82%b3%e3%82%b7%e3%81%ae%e7%9a%ae%e3%81%ae%e4%ba%ba%e5%bd%a2%e3%80%8d(2023年1月27日閲覧)

日本全国郷土玩具バーチャルミュージアム
民芸館:熊本県篇 第6回(2)。
http://www.asahi-net.or.jp/~SA9S-HND/agal-977-62.html(2023年1月27日閲覧)

北海道美瑛町公式ブランド ビエイティフル
とうきび人形。
https://bieitiful.jp/products/toukibiningyou/ (2023年1月27日閲覧)

〈嵯城幸子氏インタビュー〉
・2021年11月9日(場所:アトリエぽぷり)
・2022年7月25日(場所:ふるさと市場)
・2022年8月21日(場所:同上)
・2022年12月10日(場所:アトリエぽぷり)

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