空間デザインから考える将門塚の過去と現在と未来

齋藤 啓

1 はじめに

将門ハ、素ヨリ侘人ヲ済ケテ気ヲ述ブ。便無キ者ヲ顧ミテ力ヲ託ク。

これは『将門記』に記された平将門(生年不詳~940)についての記述である。平将門は、元来、困り悩んでいる人を助け意気を示し、頼りとする人がいない者に力を貸して勇気づけるという性格であったと伝えられている。
将門は平安時代中期に下総を拠点としていた武士で、桓武天皇の曾孫にあたる。歴史の上では『将門記』の記載とは正反対の「朝廷に対抗する反逆者」として扱われてきた。 将門ゆかりの地はたくさんあるが、大きな寺社を除き、時間の経過と共に衰退し、劣化や開発などの理由から碑だけが残され、あるいは痕跡すら残されないケースも多い。例えば、下総(坂東市)にある北山稲荷神社は社はあるが、灯籠は倒れたまま放置され、荒廃した様相を呈している。[写真①②]武蔵(さいたま市)にある駒形神社は社がなく供養塔だけがある。[写真③]将門塚(将門の首塚)は、討伐され京に送られた将門の首級が下総を目指して飛び去って落ちた場所で、人々が恐怖し塚を築いて埋葬したものと語り伝えられている。
将門塚に対する特異な態度を導き出す人間のものの見方・考え方の変化に着目しつつ、空間デザインの観点から取り上げることとした。

2 基本データと歴史的背景
2-1 基本データ
名 称:将門塚(将門の首塚)
所在地:東京都千代田区大手町1丁目2-1
文化財:東京都指定旧跡
2-2 歴史的背景
徳治2年(1307)時宗二祖真教上人が荒れ果てていた将門塚を修復、板石塔婆を建てて日輪寺において供養し、その後、延慶2年(1309)に神田神社(神田明神)に祀られた。江戸幕府が開かれると、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に神田神社を移転した後も塚はこの地に残った。大正12年(1923)の関東大震災、大蔵省再建に際して崩された。昭和36年(1961)に第1次整備工事が始まり、令和3年(2021)に第6次整備工事として将門塚保存会などにより現況のように整備されたものである。[1][写真④]

3 事例の何について積極的に評価しようとしているのか
整備したことによる変化について述べる。整備前の将門塚は大きくなりすぎた樹木の落枝や鳥の営巣などに加え、水はけの悪さや供物の腐敗、ゴミの放置などの問題が生じていた。整備工事は、将門の歴史と様々な逸話に端を発する近世における恐ろしいイメージを払拭し、江戸時代のように庶民に愛される将門のイメージを復興するとともに、敷地内の安全性・管理性の向上を目指したものであった。[2]確かに、整備前の塚は、樹木が鬱蒼として茂り、供養塔周辺は狭く雑然としていた。[写真⑤⑥]新しい塚は、広々としていて明るく、お参りしやすい雰囲気となっていた。周囲に校倉造り風の木塀を巡らせ、中央階段を上がると、その先は現世とは異なる特別な場所と位置付け、その境目として太鼓橋が設置されている。太鼓橋を渡ると参拝空間となり、供養塔が安置してある。バリアフリーの観点からスロープも新たに設置されていた。木塀の上の笠木は、雨を凌ぐという実用性とともに、背後にある高層ビルとの視覚的遮断性をもたせている。[写真⑦⑧⑨⑩]
新たな将門塚について積極的に評価したいのは「量から質への転換」という点である。その理由は2つある。まず、塚の存在意義として在ることが大事というのではなく、参拝する行為に対する機能性や実用性をもたせているという点にある。次に、塚の敷地全体を1つの空間として捉えるのではなく、空間の中に見えない仕切りをつくり、将門と現代人の精神的距離感を意識させるものとなっている点である。

4 国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
将門は、菅原道真、崇徳院とともに「三大怨霊」と呼ばれている。道真、崇徳院に 対する人々の態度を比較してみたい。
道真ゆかりの北野天満宮[写真⑪⑫]や崇徳院ゆかりの白峯神宮[写真⑬⑭]は、御霊信仰をもとに建立されたものである。いずれも広い敷地と立派な建築物、境内の静寂さを呈している。鎮魂のため、その霊を神格化し崇め奉ることで、「怨霊」から「国家の守護神」として扱われるようになったのである。人々は、疫病の流行や天変地異による死傷者の発生は政争に敗れて非業の死を遂げた者の祟りによるものだと考えた。「これは、民衆による一種の支配者批判といってもいい。(中略)民衆にとっては理不尽ともいえる怨霊を、神として祀り上げたものが「御霊」だったのである。(中略)こうした御霊信仰は、もとをたどれば支配者間における権力闘争から生み出されたもの」[3]である。
将門塚と神田神社[写真⑮]についてみると、将門塚は神田神社には統合されず、当時の場所のまま現在に至り、塚の整備工事は継続して行われてきている。なぜ将門塚はそのまま残されたのか。歴史は勝者が作るものである。現代に残る将門像は、時代や社会の産物であり、反映の結果に過ぎない。時代や社会が作る大きな波に飲み込まれそうになる、正義感という価値を人々が守ってきた証だからだと考える。
都会の喧騒とただひたすらその場所で上へ上へと伸びるコンクリート製の高層ビル群の中で、ゆとり空間であり、中庭的役割を果たしているのではないかと考える。参拝者にとっては周囲からの視線を気にしなくてもいいように木塀や樹木などの視覚的遮断性はあるものの、街路樹や皇居の緑をいわゆる借景としながら横へ横へとつながる将門塚は視覚的連続性も備えている。[写真⑯]
このように道真や崇徳院に対する態度と将門に対する態度との大きく異なる点であり、特筆すべきものである。さらに、空間デザインの観点からは、北野天満宮や白峯神宮は周囲との境界を明らかにし、隔絶された空間として存在しているが、整備後の将門塚は樹木や塀で覆い隠すのではなく、周囲とのつながりを意識した空間となっている。このことも特筆すべき点である。

5 今後の展望について
幸田露伴は、「大日本史には叛臣伝に出されて、日本はじまつて以来の不埒者に扱はれゐるが、ほんとに悪むべき窺窬の心をいだいたものであらうか。(中略)先づそこから出立して考へて見ること」が大事であり、さらに、「古より今に至るまで、関東諸国の民、あすこにも此処にも将門の霊を祀つて、隠然として其の所謂天位の覬覦者たる不届者に同情し、之を敬愛してゐることを事実に示してゐる。」[4]と述べている。
平日の昼休みとなると、次々と参拝に訪れる会社員の姿が見られる。将門の有り様が人々の心の拠り所となっているのは現在も変わらない。NHK大河ドラマで将門を演じた俳優の加藤剛(故人)は、「将門は坂東のために立ちあがり、坂東のために生きた男で、そこに惹かれ」ると言い、「自分の生き方に忠実であろうとすると、それが革命というふうな形にならざるを得ない。命をかける値打ちのある夢なら、あえて夢を見よう。そういう生き方が大変に魅力的だ」と述べている。[5]
グローバル経済、ボーダレス社会であるからこそ、日本の歴史や文化への興味・関心が高まり、そこに着目した商品開発や新たな価値の創造もある。にもかかわらず、日本人が自国の歴史を「勝てば官軍、負ければ賊軍」という形でしか理解していなかったとすれば、過去の教訓を未来に生かすことはできない。権力者にとって都合のいい解釈を民衆は鵜呑みにせず、疑ってかかる必要がある。将門を朝敵、反逆者に仕立て上げることで、権力者への批判をかわそうとする思惑を民衆は見逃してはならないのである。将門塚の価値を将門のイメージアップや祈りの場、憩いの場という側面にのみ求めるのは矮小化した見方である。世界情勢を俯瞰して見れば、広島の平和記念公園や長崎の平和公園と同様に、現代社会への警鐘を鳴らし続ける役割を果たすべきものと考える必要がある。

6 結び
将門塚を題材に人間のものの見方・考え方の変化に着目しつつ、空間デザインの観点から取り上げて考察した。変えるべきものは変え、守るべきところは守る。デザインのもつ力について、これからも研究を続けたい。

  • 81191_011_31681042_1_1_%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%891 写真データ1 写真①北山稲荷神社、写真②北山稲荷神社
  • 81191_011_31681042_1_2_%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%892 写真データ2 写真③駒形神社碑、写真④東京都指定旧跡 将門塚
  • 81191_011_31681042_1_3_%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%893 写真データ3 写真⑤整備前の将門塚、写真⑥整備前の将門塚
  • 81191_011_31681042_1_4_%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%894 写真データ4 写真⑦整備後の新しい将門塚、写真⑧整備後の新しい将門塚
  • 81191_011_31681042_1_5_%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%895 写真データ5 写真⑨整備後の新しい将門塚 スロープその1
           写真⑩整備後の新しい将門塚 スロープその2
  • 81191_011_31681042_1_6_%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%896 写真データ6 写真⑪北野天満宮、写真⑫北野天満宮
  • 81191_011_31681042_1_7_%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%897 写真データ7 写真⑬白峯神宮、写真⑭白峯神宮
  • 81191_011_31681042_1_8_%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%898 写真データ8 写真⑮神田神社、写真⑯将門塚から街路樹や皇居を望む

参考文献

【註】
[1]東京都教育委員会(令和3年5月)
[2]将門塚保存会「第六次将門塚改修工事設計思想と細部説明」(https://masakado-zuka.jp/)
[3]小松和彦『呪いと日本人』(2014.KADOKAWA.pp.90-91)
[4]幸田露伴「平将門」(『筑摩現代文学大系3 幸田露伴・樋口一葉集』pp.185-219.1981.筑摩書房)
[5]「風と雲と虹と」に主演した加藤剛が語る“極悪人”平将門の魅力とは?大河ドラマ誕生55周年の秘話 2017/10/29 16:00 筆者:植草信和
https://dot.asahi.com/dot/2017102700064.html?page=2

【参考文献】
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剣持武彦『「間」の日本文化』(1978.講談社)
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幸田露伴「平将門」(『筑摩現代文学大系3 幸田露伴・樋口一葉集』pp.185-219.1981.筑摩書房)
小松和彦『鬼がつくった国・日本』(1985.光文社)
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鈴木哲雄『平将門と東国武士団』(2012.吉川弘文館)
高野澄『太宰府天満宮の謎』(2002.祥伝社)
辻井喬『伝統の創造力』(2001.岩波書店)
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野村朋弘『伝統文化』(2018.淡交社)
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福田豊彦『平将門の乱』(1981.岩波書店)
本郷和人『日本史を疑え』(2022.文藝春秋)
松原弘宣『藤原純友』(1999.吉川弘文館)
丸谷才一『丸谷才一全集 第八巻』(2014.文藝春秋)
三浦正幸『平清盛と宮島』(2011.南々社)
村上春樹『平将門伝説』(2001.汲古書院)
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森蘊『「作庭記」の世界』(1986.日本放送出版協会)
山崎亮『コミュニティデザインの時代』(2012.中央公論新社)
山田雄司『怨霊とは何か』(2014.中央公論新社)
吉里謙一『にぎわいのデザイン』(2020.コンセント)
吉田素文『ファシリテーションの教科書』(2014.東洋経済新報社)

【参考webサイト】
AERA dot. (アエラドット)
 「風と雲と虹と」に主演した加藤剛が語る“極悪人”平将門の魅力とは?大河ドラマ 誕生55周年の秘話 2017/10/29 16:00 筆者:植草信和
 https://dot.asahi.com/dot/2017102700064.html?page=2

神田明神ホームページ https://www.kandamyoujin.or.jp/

北野天満宮ホームページ https://kitanotenmangu.or.jp/

国立国会図書館デジタルコレクション
 織田完之『平将門故蹟考』(1907.碑文協會)(最終閲覧日2022.6.16)
 https://dl.ndl.go.jp/pid/781600/1/1

白峯神宮ホームページ http://shiraminejingu.or.jp/

将門塚保存会「第六次将門塚改修工事 設計思想と細部説明」(最終閲覧日2022.8.4) https://masakado-zuka.jp/

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