人形浄瑠璃「伊予源之丞」~後世への伝承と発展について~

渡部 志織

はじめに
人形浄瑠璃とは、太夫・三味線・人形遣いが三位一体となり演じられる日本の伝統芸能の一つである。この人形浄瑠璃は、明治時代より愛媛県松山市三津地区でも演じられてきた。この伝統芸能を今もなお後世へと伝承していこうと活動しているのが「伊予源之丞(いよげんのじょう)」である。昨今、伝統芸能の伝承に関しては、人口減少、少子高齢化、芸能の多様化、映像コンテンツやSNS等の娯楽の増加などの様々な要因によって、伝統文化への興味関心が減少し、担い手の高齢化や不足といった状況がみられる。また、地方ではそれがより顕著に表れ後継者の育成は困難を極め最大の課題となっている。この報告では、この様な状況を打開し、後世に人形浄瑠璃を伝承するべく積極的に活動している「伊予源之丞」から今後の伝承の手段、今後期待される展開について述べる。

1、基本データと歴史的背景
1-1基本データ
名称:伊予源之丞
所在地及び所有者:愛媛県松山市古三津1丁目 伊予源之丞保存会
保存会座員数:12名(内、中心座員6~7名)
稽古場所:愛媛県松山市宮前公民館
稽古内容:月2回
上演演目:『傾城阿波鳴門』巡礼歌の段、『祝い大漁戎舞』など(写真1)

1-2 歴史的背景
江戸時代、愛媛県三津地区には、旅芸を中心とする淡路や阿波から毎年、人形座が興行に訪れていた。この2つの人形座から明治初頭に宝来屋新蔵が人形道具や衣裳などを購入し一座を組織、「宝来座」と命名し地域の神社で芝居を行ったことが伊予源之丞の始まりとなる。以降、明治20年には、大型頭(かしら)と呼ばれる文楽に比べ頭の大きい淡路人形を導入、大正時代にはいると近隣の吉村座、上村六之丞座と合併、60名を超えた大規模な一座となった。そして、大正末期まで全盛期を迎え、県内各地はもちろん、中四国や九州地方、上海や満州といった場所までも足を運び巡業した。しかし、大正12年に朝鮮での巡業に失敗、一座は解散状況となるが、有志の力により再建がなされ昭和10年に上村治太夫を吸収し、一座の名称を「伊予源之丞」と改称。戦時中は活動の制限を余儀なくされたが、昭和34年には政治家の久松鶴一の尽力や有志によって保存会が組織された。同年、人形道具一式が愛媛県指定民俗資料に指定、昭和35年に宮前公民館に「文楽保存会」が設置され、昭和39年に愛媛県指定無形文化財に指定、昭和52年、伊予源之丞は愛媛県指定無形民俗文化財に、人形頭と衣装道具一式は愛媛県指定有形民俗文化財に指定替えされた。
人形頭は、阿波の人形師で名人である天狗屋久吉(天狗久)が制作したものが42点(写真2)、天狗屋弁吉が制作したものが5点、松山の名工と呼ばれた面光制作のものが5点あり(写真3)どれも大変評価が高いものばかりである。また、四国でも珍しく伊予源之丞しか保存してないといわれている人形の一つに九尾狐がある(写真4)。これらの道具を伊予源之丞保存会が保存、継承し現在も上演活動を行っている。

2、同様の事例との比較、特筆される点
愛媛県内での同様の事例では、北宇和郡鬼北町の「鬼北文楽」、西予市明浜町の「俵津文楽」などがあり、これらは今も活動し伝承を積極的に行っている。しかし、伊予源之丞はこれらの座とは異なり、愛媛の文化的要素を取り入れた新作の演目を創作して上演しようと試み、現在その稽古を行っているのである。地方の伝統芸能は、後世へと伝承することが課題であるとされることが多く、既存の演目の稽古に多くを費やしていて新作の上演にまで取り組めないという座が大半であろう。そんな状況の中、新作に取り組むということは、愛媛の古典芸能の中でも話題となり得るし、座員の技術向上、マンネリズムや意欲低下の改善にもなり、一座の更なる発展にも大きく作用する。上演活動を行う芸能にとって欠かせない重要な取り組みといえ特筆される点といえよう。

3、事例の積極的評価
伊予源之丞の積極的な評価としては、新作演目の演目への取り組み、また、地域の文化政策を担う組織である「松山ブンカ・ラボ」に参加するなどし、今後の発展に焦点を当て行動を始めているという点である。
まず、新作は「割れた殺生石」と題し、保存会の会長である岡田正志氏が脚本を書き、太夫の山崎秀甲氏らの座員で試行錯誤しながら稽古を行っている。この演目では松山の人形浄瑠璃であるという特色を出そうと、松山の郷土芸能「野球拳」の場面も含まれ、牛若丸や九尾狐といった人形を活用しつつ、郷土の雰囲気を存分に生かした作品に仕上げている(写真4)。この様に愛媛の文化を取り入れた新作演目へ挑戦しているところが積極的に評価する点の一つである。しかし、座付きの脚本家・演出家が不在の為、構成には未熟さが見られる。いずれ淡路人形座の『戎舞プラス』や清和文楽の人気漫画ONEPICEとのコラボ作品『超馴鹿船出冬桜(ちょっぱあふなでのふゆざくら)』といった脚本家やアーティストが手掛けるものの様な発展を期待するには今後の人材確保と育成が強く望まれる。
次に評価する点は、愛媛大学社会共創学部と松山アートまちづくりの活動であり松山市文化芸術振興計画を具体化するという「松山ブンカラボ」の文化サポートプログラム「らぼこらぼ」の採択を受けワークショップを行った点である。このワークショップは2022年8月に開催し、演出家の有門正太郎氏をファシリテーターとして迎え、小学生に実際に人形に触れてもらい、さらに「戎舞」を基にした短編の作品を創作し上演するというものであり好評であった。伊予源之丞を体験できるきっかけとなったこのワークショップは、伝承への大きな一歩である。しかし、このワークショップが1回のみしか開催されてないことは再考の余地があり、伝承の為の活動であれば、ワークショップの開催は数回の開催あるいは定着は必要であろう。
この様に伊予源之丞は、進んで新作にも取り組み自らの技術向上に努め、次世代への興味関心を得ようと行動しつつ、地元の文化プログラムにも参加し伝承活動も行っている。いずれも課題はあるがこれらの行動は積極的に評価される点であろう。

4、今後の展望
では、今後の伝承へはどのように取り組めば良いのだろうか。以下の2点を初歩的な手段として述べる。
まずは、周知徹底を図り、存在を認識してもらうことから始めるのである。現状では、市民ですら伊予源之丞の存在を知っているものは少ない。それを解消するためには、SNSのアカウント開設、情報の公開共有が有効である。現代において情報の周知、共有にはSNSには欠かせない。また、これによって遠方の座との新たな交流も生まれ、情報交換も出来るであろう。座員の高齢化によりSNS運営は容易ではないが、広報座員を確保するなどで機能する。これは現代社会において必須な項目であると考える。
次に、多くの人が観劇の機会を得ることが出来る公演の開催である。劇場を利用する大規模公演を開催するのは急には難しいが、活動場所の公民館を使用した小規模公演は可能だと考える。新作を創作しても披露の場がないと意味はなさない。公演費の資金調達等、考慮する点もあるが、芸能は観客の前で演じ評価を経てこそ発展していくという要素も大きい。座員にとっても公演の開催は注力すべき点であろう。
これらの自主的な活動を経て人々が周知し、公共団体そして地域の人々の伝統芸能への理解もより促して一体となり更なる活動を積極的に継続することにより、若い人材が興味関心をもち活動への参加者が増加し、継承者の確保、演出家などの育成が可能となることで伊予源之丞は今後、発展をみせるのではないだろうか。

5、まとめ
伝統芸能の伝承は、今や日本において厳しい状況であり、各所様々な工夫や努力がなされている。地域ではより一層の努力が必要であろう。この状況を打開していくには、伝承者も芸能についての歴史的な振り返りや技法や型の習得、そして、それをさらに昇華していくことも重要である。伝統芸能が後世へ伝承され、発展を遂げるためには、古来からの技法を用いつつ、時代に合わせた変化を取り入れた再創造をも行う必要がある。それにより伝統芸能は、古典の良さを残しつつ新鮮さを失わずにいられて人々の興味関心も継続すると考える。
今後、この一座が新作の上演や公演活動、文化プログラム等の参加、SNS活用などによってみせる活動を持続させて、次世代でも更なる発展を遂げた時、愛媛の人形浄瑠璃「伊予源之丞」が伝統芸能として伝承されたということであろう。

  • 81191_011_32183371_1_1_picsart_23-01-23_15-31-12-587 写真1 伊予源之丞の衣裳倉庫と稽古風景。
    「祝い大漁戎舞」や新作の稽古に励んでいる。
    (2022年1月21日 筆者撮影)
  • 81191_011_32183371_1_2_20230122_155449 写真2 阿波の名人 人形師 天狗屋久吉(天狗久)制作作品のうち数点。
    裏に「天狗久」との刻印がある。
    (2022年1月21日 筆者撮影)
  • 81191_011_32183371_1_3_20230122_154936 写真3 面光制作の作品。
    面光は名前を彫らないため手書きで記している。
    (2022年1月21日 筆者撮影)
  • 81191_011_32183371_1_4_20221211_162017 写真4 四国では伊予源之丞にしか保存されていない九尾狐の人形。
    新作「割れた殺生石」に登場する。
    (2022年12月11日 筆者撮影)

参考文献

廣瀬久也著『人形浄瑠璃の歴史』、戎光祥出版、2001年
藤田洋編『文楽ハンドブック』、三省堂、2011年
小林真理編『指定管理制度 文化的公共性を支えるのは誰か』、時事通信社、2006年
松山百点会『松山百点』「今も生きているデコ芝居 人形浄瑠璃 伊予源之丞」1993年、170号、P4
松山市公式HP https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/ken/mukei_iyogennojou.html (2023年1月21日閲覧)
西予市公式HP https://www.city.seiyo.ehime.jp/miryoku/seiyoshibunkazai/bunkazai/ken/kminzoku/4255.html (2023年1月21日閲覧)
大洲市公式HP https://www.city.ozu.ehime.jp/site/discovery/0051.html (2023年1月21日閲覧)
公益社団法人 日本観光振興協会HP https://www.nihon-kankou.or.jp/ehime/384887/detail/38483be2220094667 (2023年1月21日閲覧)
熊本復興プロジェクトサイト https://op-kumamoto.com/seiwa/ (2023年1月21日閲覧)
淡路人形座 https://awajiningyoza.com/ja/ (2023年1月21日閲覧)

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