星になった大王世宗

玉田 久良

世宗との出会い

火星と木星の間にある小惑星である世宗(7365 Sejong, 1996 QV1)は、1996年北海道在住のアマチュア天文家渡辺和郎氏(1955-)によって発見された。渡辺氏は小惑星の発見者としてつとに有名で、彼によって発見された小惑星は数多ある。

彼は自分が発見した小惑星の名を「世宗」と命名した。彼の発言によると「今までで世宗より立派な王を見たことがない。国民のために文字を作った君王であり、世宗こそが世界で最も偉大な王であると思う」とし、名付けた理由を述べている。

卒業レポート作成のテーマを決める際、26文字で世界を筆記するローマ・アルファベットの成立過程、時空間を文字としてビジュアル化していく脳内処理の仕方と、象形を根とする「六書」の原理によって造られている中国漢字文化との文字デザインの相違に興味をもっていた私は、十数年間積ん読だけのジョン・マン(*1)著『人類最高の発明 アルファベット』(晶文社、2004年)を手に取り本腰を入れて再読を始めた。「4 完璧なアルファベットを探して」の章で、偶然にも世宗とハングルの記述に遭遇し、双方の歴史に足を踏み入れてもっと詳しく知りたいと思った。

1.歴史的背景

世宗の存在とハングルの成立過程

(1)朝鮮は常に中国を手本とし、文化、貿易、文学、言語は朝鮮人の生活に浸透していた。ただ朝鮮の言葉を漢字で表現するのは容易でなかった。二つの言語は異なる語族に属し、中国語は単語を組み立てて、より大きな文という単位を形成していくが、朝鮮語は接尾辞を添えて語根を調整していく。漢字を使用するため、朝鮮では吏読(りとう)という複雑なシステムを生み出した。漢字のうち、あるものは意味を表すのに使い、また朝鮮語に近い音を持つものは助詞などを表すのに使う方法である。
上流階級では漢字を使用し、一般の人々は吏読を使う習わしだった。

1418年、22歳で王位についた朝鮮李朝第4代王世宗は、スケールの大きな人物で、学者肌ながら改革志向、決断力と寛容を併せ持っていた。歴代の王のなかでも珍しく善政を敷こうとした彼は、国民から大きな期待を寄せられ、世宗の在位32年によって、その後500年にわたって続く王朝の基礎が築かれた。

(2)なぜ世宗はハングル創製を意図したのか
中国から取り入れ朝鮮の国家思想とした儒教に傾倒していた世宗だが、自分の仕事の成果がはたして一般の人々に届いているかという不安があった。一般の国民はほとんど漢字など知らないし、たとえ吏読で書かれても、庶民に読めるわけがないからだ。この苛立ちを解消するために短期間で習得でき、読み書きができる新しい表記システムを早急に国民に提示することを意図した。それが訓民正音(ハングルと同意語で人々を教え導く正しい音を表す文字という意味)創製の理由である。

世宗は訓民正音の創製を秘密裏に進めた。漢字を天のように崇める両班たちを刺激しないためであった。両班の生命線は漢字の習得と朱子学の教養である。もし国民がこの新しい表記システムを理解し利用し始めれば、両班の存在理由がなくなってしまい、当然のこととして両班たちの反対を買うことが明白だからだ(*2)。

(3)反対派の動向
正式な反対表明は、反対派の代表格である集賢殿(*3)で副提学を務めた学士崔萬理(チェマルリ)と数名の臣下が上疏した一件のみだが、訓民正音頒布反対の理由が書かれている。

理由として、明を崇める事大主義からはずれ、漢字を知らない非文化的な民族として見られることの恐れをあげている。当時の朝鮮のような小国が生き残るには、明のような大国に取り入る姿勢も重要であり、漢字で書かれた本を学ぶことだけが真の学問だと信じている両班には、訓民正音が学問の役にたつどころか、妨げにしかならないと訴えた。

一方反対派最大勢力である両班は、漢字が忘れられるという本質的危機感を内包しながらも、訓民正音は下層民や女性を教えるために作った文字で、むしろ漢字がわかる両班の権威を高めることに利用できると判断したことと、訓民正音は漢字音を正確に表せたので、漢字で書かれた本を読む両班にも役立つだろうという、自己本位な考え方から表立っては反対しなかった。

2 ハングルの積極的評価

「賢い者は朝の間に、愚かな者だとしても十日なら十分に学んで習うことができる」と『訓民正音解例本』序文で記載されている。なぜそう言い切れるのだろうか(*4)。
その理由として、まず基本字の数が少なく形が変化しない点、発音上関連している文字が規則的に変形・拡張されているので覚えやすい点、文字が点・線・円といった単純な形でできていてなじみやすい点、文字構造が対称になっていて覚えやすい点、子音字母と母音字母を組み合わせて一つの文字になっているので、素早く読んで理解できる点が列挙できる。

アメリカの生物学者で『銃・病原菌・鉄』の著者であるジャレド・ダイアモンド(1937-)は「ハングルは子音字母と母音字母が一目で区別でき、母音字母は点と垂直線、水平線の組合せから成立し、子音字母は調音方法をもとにした幾何学的記号から成り立っている。この二つの字母は四角い空間の中にうまく組み合わされ一つの音節として表記できる。だから24個の文字さえ覚えてしまえば、すぐに文章を読みこなすことができる」(*5)と、ハングルの特徴と価値に言及している。

3.国外の同様の事例と比較して何が特筆されるのか

英語と比較すると、英語は発音と文字が一対一で対応していない代表的言語である。一つの音がさまざまな文字で表記されたり、一つの文字がさまざまな音で発音されたりする。例えば、英語の「A」はいくつもの音で発音される。parentは[pérənt]、familyは[ fǽməli ]と発音され、gardenは[gáːrdn]、basemengtは[béismənt ]、waterは[wɔ́ːtər]といった具合だ。このように発音を基準にみると、いくつもの発音が同じ文字で表記されていることがわかる。これに比して、音と文字が個々に対応しているという特性がハングルの最大の長所といえる。

さらにハングルの核心的な理論の根拠として、母音を陰陽の原理に基づき、子音を五行から採用している点など、陰陽五行論を用いた哲学的な意味を持った文字であることだ。

漢字(中国語)の書体との関係はどうだろうか。漢字も訓民正音も、同じ象形原理を適用したものだと『訓民正音解例本』に記載されている。初期象形文字の段階では、事物をかたどり図形化させる意図や過程は似ているが、その後、音に従って文字化した訓民正音と中国語の方向性は異なっている。

西洋のアルファベットは、母音を表す文字が現在の形に定着するのに3000年かかったといわれているが、世宗はそれよりはるかに短い時間で、完璧な母音字母を作成した。

4.今後の展望について

2009年08月07日の中央日報に『インドネシアにハングルを使う島が誕生』という記事が掲載された。ハングルが初めて海外の民族の公式文字に採用されたという内容である。またこの記事の10年後に、『インドネシアの少数民族で「ハングル」が採用されて10年 現状に韓国ネット「誇らしい」』という記事を確認できる(*6)。
上記政治的・経済的イベント(*7)に対して、ハングルの文字としての本質的な部分に目を向けてみると、ハングルの規則性、体系性、簡潔性、合理性を考慮し、PCや携帯電話などの新らしい電子媒体に最も適した文字であると言われている。

5.まとめ

中年の域に達した世宗は、様々な病を抱えながらも仕事に没頭し、湯治場に行くときにさえ研究ノートを携えていたという。いい意味で世宗は朝鮮で最も優れた絶対支配者だったが、そんな姿はアップル創始者のスティーブ・ジョブズ(1955-2011)を彷彿とさせる。

私は、いまも宇宙のどこかを滑空する世宗が日本に立ち寄ってくれることを切望している。

参考文献

ジョン・マン著『人類最高の発明アルファベット』、晶文社、2004年
キム・スロン著/チョ・ギョンギュ絵『世宗、ハングルで世の中を変える ハングル創製の物語』、クオン、2022年
野間秀樹著『ハングルの誕生 音から文字を創る』、平凡社、2010年
チョ・ヒチョル著『1時間でハングルが読めるようになる本』、Gakken、2011年
発行人 廣松隆史『アップルのデザイン』、日系BP社、2012年
スティーブ・ウォズニアック『アップルを創った怪物』ダイヤモンド社、2008年
ウォルター・アイザックソン『Steve Jobs』Ⅰ・Ⅱ、講談社、2011年

*1 John Man
John Anthony Garnet Man is a British historian and travel writer. His special interests are China, Mongolia and the history of written communication. He takes particular pleasure in combining historical narrative with personal experience.

He studied German and French at Keble College, Oxford, before doing two postgraduate courses, a diploma in the History and Philosophy of Science at Oxford and Mongolian at the School of Oriental and African Studies, completing the latter in 1968. After working in journalism with Reuters and in publishing with Time-Life Books, he turned to writing, with occasional forays into film, TV and radio.

In the 1990s, he began a trilogy on the three major revolutions in writing: writing itself, the alphabet and printing with movable type. This has so far resulted in two books, Alpha Beta and The Gutenberg Revolution, both republished in 2009. The third, on the origin of writing, is on hold, because it depends on access to Iraq.

He returned to the subject of Mongolia with Gobi: Tracking the Desert, the first book on the region since the 1920s. Work in Mongolia led to Genghis Khan: Life, Death and Resurrection, which has so far appeared in 18 languages. Attila the Hun and Kublai Khan: The Mongol King Who Remade China completed a trilogy on Asian leaders. A revised edition of his book on Genghis Khan, with the results of an expedition up the mountain on which he is supposed to be buried, was upcoming in autumn 2010.

The Terracotta Army coincided with the British Museum exhibition (September 2007- April 2008). This was followed by The Great Wall. The Leadership Secrets of Genghis Khan combines history and leadership theory. Xanadu: Marco Polo and the Discovery of the East was published in autumn 2009, and Samurai: The Last Warrior, the story of Saigō Takamori's doomed 1877 rebellion against the Japanese emperor, was published in February 2011.

In 2007 John Man was awarded Mongolia's Friendship Medal for his contributions to UK-Mongolian relations.

*2 Kim Yeong-Hyeon脚本『根の深い木ー世宗大王の誓い』韓国SBS、2011年10月5日〜12月22日放映。当時の慌てふためく両班や貧民層の社会情勢は、特に16話以降で見事に表現されている。

*3 集賢殿は、経典の編纂や様々な分野の研究を行う王の諮問機関である。

*4 他に、アメリカ・ニューヨーク州立大学キム・ソギョン名誉教授の10年以上かけた実験結果によると、50分もあれば大学生たちが自分の名前をハングルで書き、簡単なハングルを読めるようになったという。またドイツ人韓国学者のヴェルナー・サッセも、自分の子供たちが小学生の頃、見よう見まねで覚えたハングルで秘密の手紙を書いたと話した。

*5 Diamond, J(1994), “Writing Right” DISCOVER, 1994年6月号、107〜108ページ)とハングルの特徴と価値に言及している。

*6 China掲載記事
https://www.recordchina.co.jp/b749294-s0-c30-d0144.html

*7 この一連の「ハングル」導入までの政治的・経済的過程は、アジア文化研究所研究年報 東洋大学学術情報リポジトリ(2014年発刊)『インドネシア・地方語教育へのハングル導入の多元 的背景 : 分権化,グローバル化,「危機言語」保存 』に詳しく記載されている。

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