名古屋っ子はみんな大好き!大須商店街の魅力のヒミツ

堀田 修二

はじめに:大須商店街は名古屋市中心部に位置する中区のアーケード商店街であり、若宮大通、伏見通、大須通、南大津通の四つの大通りに囲まれた東西約700m、南北約600mの区域である。このエリアの中には縦横に延びる8つの商店街通り(万松寺通、新天地通、東仁王門通、仁王門通、大須観音通、門前町通、大須本通、赤門通)とそれらをつなぐ路地が迷路のように張りめぐらされ商店街が線ではなく面としてのエリアをつくり出している。
大須地区の北に位置する栄地区とともに名古屋の中心商業地区を形成するがその形態は対照的で栄地区にはデパートや日本全国もしくはグローバル展開するファッションやライススタイルのブランド店が集積しているのに対して大須には寺社仏閣が点在し約1200もの小規模商店が集まり「ごった煮」と表現される多種多様な店舗が所せましと軒をつらねさらに路地裏には生活が残る下町情緒あふれる地区となっている。8つの商店街通りにはアーケードが備えられ歩行者天国となっており車社会の名古屋ではめずらしくまち歩きが楽しめ、いつ行っても新しい発見のある場所となっている。ただ訪れる客の半数以上は地元名古屋、9割以上が東海地方(愛知、三重、岐阜、静岡)であり県外からの観光客は少ない。(註1)

歴史的背景:1610年の名古屋城築城に伴い清州越しとよばれる当時の尾張地域の中心であった清州から名古屋への都市機能移転が行われた。その一環として1612年に岐阜羽島にあった大須観音が現在の場所に移されたのが大須の始まりであり400年以上の歴史がある。また同じころに織田信長ゆかりの万松寺もこの界隈に移転してきた。大須地区はこの二つの主要なお寺を含めて16の寺社仏閣が点在する寺町である。
こうして大須は江戸時代より大須観音の門前町として発展し明治時代には遊郭が設置され大正から昭和にかけては劇場、演芸場、映画館が立ち並ぶ文化の香りがする歓楽街として大いに賑わった。
しかし第二次世界大戦で名古屋は焼け野原となり戦災復興計画による100m道路と呼ばれる若宮大通の開通により栄地区との人の流れは分断される。また東、西、南側も幅員の広い大通りに囲まれ「陸の孤島」となり活力がそがれていき栄地区が近代的商業地域として百貨店や巨大な地下街の建設、テレビ塔を中心とする久屋大通公園の整備によって華やかな賑わいがもたらされたのとは対照的に戦後の復興からは取り残され昭和40年代にはシャッター街と化した。

大須の復興:最初の転機となったのが昭和50年に行われたイベント「人間まつり―アクション大須」である。商店街の現状に危機感をおぼえた若手商業者と外部の大学生グループが協力して企画・実行したこのイベントは事前の予想を裏切って30万人という人出を集めて成功をおさめる。昭和52年にはラジオセンター・アメ横がオープンし、翌年にはふれあい広場の完成、「大須大道町人祭り」開催など様々な試みが奏功し商店街の賑わいが取り戻されることとなった。
アメ横ビルには多くの電機・パソコンショップが入居しパソコンブームに乗って若者が集まるエリアとなりそうした若者の集客力を目当てに古着を中心としたファッション街としての発展もみられる。また東京の秋葉原同様、パソコン街からオタクの街としての方向へも進化しメイドカフェやコスプレイベントを楽しむ街としても知られるようになった。

大須の特色:
1.名古屋中心部に存在しつつも戦後復興から取り残されたがゆえに保持できた古い伝統都市コミュニティ
名古屋市統計局のデータによると昭和35年には14,142人であった大須の人口は昭和50年には9,029人と36%も減少した。しかしそのご減少幅は緩やかになり平成12年には7,201人と底をうったあと平成27年には7,579人とやや持ち直している。今でも大須商店街にあるスーパーは地元の住人たちでにぎわい路地裏には昔ながらの住宅が軒を連ねそのなかに銭湯があったり子供が遊ぶ小さな公園があったりして職住一致のコミュニティが残されていることが分かる。戦後の復興計画の中で「陸の孤島」と化したからこそこの人間臭い商店街コミュニティが保持された。
2.「ごった煮」と表現される多種多様で個性的なお店が楽しめる店舗群
先述したように昭和50年代初頭の大須再生のさきがけとなったアメ横ビルオープン後、このエリアにはパソコンショップ、家電店が集まりそれからオタク街としてメイドカフェ、コミック・ホビーショップが増え現在では若者向けの古着・ファッションショップが数多く軒をつらねる。
また名古屋名物ういろう、みそかつ、味噌煮込み、どて煮、ひつまぶし、台湾ラーメン(名前とは裏腹に名古屋発祥のラーメンである)、あんトーストなど名古屋グルメを楽しめるお店が一通りそろっている。最近ではベトナム料理、ブラジル料理やトルコ風ケバブ店など国際色ゆたかになり週末となると日本に出稼ぎに来ているであろうそれぞれの国の人たちで賑わっている。ちなみに今は東京進出もしている味噌カツの「矢場とん」やリサイクルショップの「コメ兵」の本店は大須にある。

他の同様な事例との比較:大阪市北区にある天満橋筋商店街は大阪天満宮の参道として発展してきた南北2.6キロにわたり一直線にのびる商店街で、「日本一長い商店街」と言われている。その成り立ちは大須どうよう江戸時代にさかのぼり、大阪天満宮の寺町として400年以上にわたって栄えてきた。しかし昭和55年頃は大型スーパーなどにおされ日本各地の商店街と同じように活気が失われていた。そうした状況を打破しようと「地域の文化を生かした街づくり」をするためにカルチャーセンターを開設、そして地域住民と一体となった街づくりを目指す組織も結成し様々なイベントを企画して商店街に人を呼び戻すことに成功した。さらに2006年には市民や企業から2億円以上の寄付を集めて寄席を建設し、かつての芝居小屋や寄席が集まる「芸能の街」天満橋筋を復活させるにいたる。こうして建設された天満天神繁昌亭は大阪の新たな人気スポットとなり商店街を訪れる人の数も増えたのである。(註2)
いっぽうの大須であるが江戸時代には文化芸能でさかえたのが一時途絶えるも1965年に「大須演芸場」が開館し紆余曲折がありながらも今もなお東海地方唯一の寄席として営業を続けている。また大須に映画館を復活させたいという強い思いから大須シネマという映画館が生まれた。しかしながらこうした文化的施設が集客の目玉になっているとは現状いいがたい。
大須の特筆すべき点は東京の流行を名古屋ではまず大須がブームの火付け役となり(註3)集客にいかしてきたということにあろう。これは名古屋人が地元志向でありながら東京での流行には敏感に反応するという気質があり(註4)、それがゆえに名古屋にいながら東京の最先端の流行が楽しめるというビジネスモデルが生まれ、それがあたったということである。
この最初の成功例が先述したアメ横ビルである。東京のアメ横を名前もそのままに使用し(訴訟沙汰にもなったが大須側の勝訴、註5)、アメ横ビル内には東京の電機店を入居させて営業したところ多くのひとで賑わい大成功を収めた。それ以来、横浜にヒントを得たであろう大須中華街、渋谷109を連想させる大須301ビル、秋葉原のオタク街のようなメイドカフェやコミックショップ、AKB48のようなコンセプトの大須発アイドルグループなどを次々と持ち込み時代の流行に合わせた商品やサービスを提供している。こうした仕掛けは歴史的に官製の都市計画により痛い目にあった経験から官にたよらずに民の「雑草的」パワーにより進められてきた。このような独自のビジネスモデルと民のパワーが大須商店街の強みと特徴である。

まとめ:大須は門前町として下町情緒あふれ、地元住民の生活が垣間見え、無数の商店が軒先にまで商品を並べ賑わいを演出し、名古屋グルメが堪能できるまち歩きが楽しい巨大商店街である。ただここまでならありがちな商店街であるが、さらに名古屋っ子のハートをがっちりつかむのは名古屋人の気質をうまく利用した東京の流行をいち早くとりいれる独自のビジネスモデルである。大須に行けば最新の流行からグルメまで名古屋っ子の嗜好にあわせて提供してくれる。だから名古屋っ子は大須が大好きだ。こうして観光客がいないコロナ禍の2021年でも大須は地元客で賑わい、これからも最新の流行を取り入れる形で柔軟に変化を続けていけば賑わいは続いていくであろう。

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  • %e5%a4%a7%e9%a0%88%e5%b9%b4%e8%a1%a8v2_page-0001 大須年表

参考文献

(註1)名古屋市観光文化交流局による名古屋市観光客・宿泊客動向調査 (平成30年)より
(註2)鶴野礼子著『繁盛商店街の仕掛け人 街に人を呼び込んだ全国成功事例20』ダイヤモンド社、2008年、第3章より
(註3)長坂康代「名古屋伝統商店街の国際化 : 聞き取り調査とフィールドワークによる大須商店街の地域づくりをめぐる一考察」『一般教育論集』54号、2018年3月、54頁
(註4)岩中祥史著『名古屋人の商法』サンマーク出版、2005年、63頁
(註5)1992年1月29日の名古屋高裁判決では「上野側の主張する「アメ横」は氏名権とは言えず、財産的価値がないから差し止めの対象とならない」として上野側の訴えを退けた一審・名古屋地裁判決を支持した。上野側は最高裁への上告を取り下げ大須側の勝訴判決が確定した。(大須「アメ横」 晴れて名乗り 商号訴訟 上野側、上告取り下げ 名称 法のお墨付き、中日新聞、1992年5月26日、夕刊、社会面13頁、中日新聞・東京新聞記事データベース、https://ace.cnc.ne.jp/cgi-bin/clip/G216、2021年7月17日閲覧)

参考文献:
『大須・「まちづくり」 基本構想及び計画』、大須商店街改造計画書作成委員会、1979年
濱満久「商店街におけるまちづくり活動について : 名古屋市大須商店街の復興過程を事例として」『経営研究54号』、2003年5月、133-154頁
長坂康代「名古屋伝統商店街の国際化 : 聞き取り調査とフィールドワークによる大須商店街の地域づくりをめぐる一考察」『一般教育論集』54号、2018年3月、51-57頁
鶴野礼子著『繁盛商店街の仕掛け人 街に人を呼び込んだ全国成功事例20』ダイヤモンド社、2008年
三橋重昭著『よみがえる商店街 5つの賑わい再生力』学芸出版社、2009年
新雅史『商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済紙から探る再生の道』光文社、2012年
正木久仁・杉山伸一編著『47都道府県・商店街百科』丸善出版株式会社、2019年
大野一英著『大須物語』中日新聞本社、1979年
岩中祥史著『名古屋人の商法』サンマーク出版、2005年
岩中祥史著『名古屋人と日本人』草思社、2005年
なごや大須商店街公式ホームページ:http://osu.co.jp/ (2021年7月20日閲覧)
中心商店街を蘇らせた下町の魅力とソフト事業力~名古屋市大須商店街~ (国土交通省中部地方整備局のホームページより):https://www.cbr.mlit.go.jp/kensei/build_town/program/pdf/oosu.pdf (2021年7月20日閲覧)
大須演芸場ホームページ:http://osuengei.nagoya/ (2021年7月20日閲覧)
名古屋・大須の超絶元気発信アイドル「OS☆U」公式サイト:https://osu-idol.com/(2021年7月20日閲覧)
大須301ビル・新たな挑戦 -2周年記念事業「大須中華街まつり」-:https://www.spacia.co.jp/Nagoya/arekore/2005/osu301.htm (2021年7月20日閲覧)

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