愛知県北設楽郡に伝わる田峯田楽と歌舞伎奉納 ― 400年前の思いを伝える民俗芸能

藤川 美樹

1.愛知県北設楽郡の田峯田楽と歌舞伎奉納:概要と歴史的背景
愛知県の北東部、長野県と静岡県との県境にある北設楽郡。その南端に位置する設楽町は標高1000m級の山々に囲まれ、土地全体の91%が山林、宅地面積は1%未満という山深い土地である。夏には鮎釣り客で賑わう清流・寒狭川と並行する道路から急カーブの続く山道に入り車で15分ほど登ると、山あいに茶畑が広がるのどかな集落にたどり着く。それが世帯数約90戸の田峯地区である。
地区内の谷高山高勝寺田峯観音は、古くより近隣住民の信仰を集めてきた。毎年2月の例大祭には田楽と子ども歌舞伎奉納が行われるが、田楽は1559年から460 年以上、歌舞伎奉納は1655年から370 年以上続いている。どちらも時代の変遷や太平洋戦争などの戦下でも途切れることなく続けられてきた民俗芸能であり、それぞれ国と県の重要無形民俗文化財に指定されている。

田峯田楽は、田峯城主菅沼氏が1559年に隣村より引き取ったのが始まりとされている。昼・夜・朝の三部構成で、世襲の田楽衆と当番制の組持ちによって実施される。世襲制の主要な役は 7 日前、その他の奉仕者は 3 日前から毎日水垢離を行い、動物食は一切口にしない。さらに家族とは別に調理された食事を摂る別火生活など、厳格な精進潔斎の手順が定められている(註1)。
田楽の翌日に行われる歌舞伎奉納は、田峯観音の霊験伝説を起源に持つ。1644 年、誤って天領の木を伐採してしまった村人が代官の検分を前に田峯観音に集まり、村が3 軒になるまで歌舞伎を奉納し続けることを約束し助けを願った。すると旧暦6月の真夏にもかかわらず大雪が降り、伐採の痕跡が覆い隠されため村は咎めを受けずに済んだという。翌 1665 年から歌舞伎奉納が始まり現在に至っている。

2.田峯田楽および歌舞伎奉納の特徴
まず特筆すべきはその継続年数である。現在日本全国に残る多数の民俗芸能のうちでも、田峯田楽と歌舞伎奉納のように460年・370年の長きに渡り中断されることなく継続されている例は全国でも少数である(註2および3)。
さらに由来が明確であり発生時の意図が継承されている点、田峯地区の小集落内でほぼ住民のみによって今日まで継続されてきた点は非常に特徴的であり、そのことからも貴重な民俗芸能だと言える。

① 明確な由来と現在まで継承されている意図
1470年、この地に田峯城を構えた菅沼氏が城の鎮護のために建立したのが田峯観音である。菅沼氏は代々田峯観音に深く帰依し住民の信仰も篤かった。
戦国時代の不安定な世の中で地域の結束が重要であったこと、また山あいの、半ば周囲から孤立した小集落において豊作を祈る神事は住民にとって非常に重要な意味を持っていたであろう。そのため田峯田楽は殊更に厳格な手順を要求する神聖行事となったと考えられる。
また霊験伝説は語り継がれることで共同体全体の“共通の記憶”となり、それと共に歌舞伎奉納が継承されているのは自然の成り行きであるように思える。歌舞伎奉納には何度か存続の危機があったものの「村が3軒になるまでは継続する」という強い意志により、事項で述べるような様々な工夫と努力が重ねられ現在に至っている。

② 集落内住民による継続の努力
田峯観音の例大祭には近隣市町村より多くの観覧客が訪れるが、田楽も歌舞伎奉納も神事として行われている。
そのため地区内の限られた住民によって両行事を継続するための工夫がなされてきた。例えば田楽衆の役割は田楽帳に記載され現存する記録としては1710年まで遡ることができるが、1970年頃までは約30役あったものが2020年には21役となっている(註1)。斎戒沐浴などの手順は遵守しつつも、少子化・過疎化および田峯地区外就労者の増加など時代の変化に合わせて統廃合したためである。さらに近年では開催日程の短縮や開催日の変更も行っている。

歌舞伎奉納は、1800年代終盤頃までは住民による地芝居と、時には江戸など地区外からの興行一座を招致する買芝居等を繰り返しており、役者不足や芝居の質の低下を解消しながら継続してきたことが伺える。
田峯地区の冬は一面が雪に覆われ近隣地区との往来も容易ではなく、近代以前には娯楽が殆どなかったことは想像に難くない。その中で2月に行われる奉納歌舞伎は、住民自身の大きな娯楽でもあったことから継続の努力を惜しまなかったと考えることもできる。
しかし360年間もの間、あらゆる手段を尽くして歌舞伎奉納を途絶えさせなかった最大の理由は、やはり田峯観音の霊験伝説ではないだろうか。現在でも行事について話を伺う際、実際に「村が3軒になるまで」という言葉が頻繁に聞かれるが、伝説の存在は信仰という形で改めて意識するものではなく、この土地での生活に深く溶け込んでいるものだと言えよう。

3.他地域で継承されている田楽および歌舞伎奉納との比較
稲の豊作を願う行事は、歌舞を伴った春の田植え行事が平安時代に芸能化された田楽や田踊り、年初に稲作の作業を再現し予祝行事として行われる田遊びなどがあり、国指定重要無形民俗文化財として登録されている25件を始め日本各地で民俗芸能として継承されている(註2および表1)。
それぞれに長い歴史と特徴を持つが、田峯田楽がユニークなのは3部構成となっている点である。田楽衆が順に様々な舞を披露する“順の舞”が中心の昼田楽、田遊びを行う夜田楽、そして最後の朝田楽では田楽踊りが行われる。このように豊作を祈る複数の行事が連続して行われる例は他に類を見ない。

一方、全国の歌舞伎奉納・地芝居は平成27年度の時点で200件以上の活動が確認されている(註4)。文化財保護を目的に近年になり復活した例や、地方文化として定期上演を行っている例など、神事としての奉納歌舞伎以外の形で実施されている例も多い。そのうち山形県酒田市黒森村、長野県下伊那郡大鹿村、香川県小豆島の肥土山および中山地区、高知県吾川郡いの町などでは、いずれも300年前後の長い歴史を持ち、他では見られない独自演目の継承や、豊かな地方色が反映された奉納歌舞伎が続けられている。それらと比して特筆される田峯地区の特徴は、記録に残る開始年が非常に古い点、また霊験伝説による当時の開始意図が現在にまで継承されている点だと言えよう(表2)。

4. 今後の展望
日本全体で人口減少が加速している現在、田峯地区のような過疎地域での行事の継続には人材の確保が急務である。田峯地区の人口は284人/99世帯(2012年)から217人/87世帯(2023年)へと減少し続けている。田峯地区を含む設楽町全体で見た場合の20歳未満人口割合は12.1%(2010年)から10.0%(2020年)となっており、田峯地区でも同様の傾向があると推測できる(表3-1,3-2)。
特に1979年以降の歌舞伎奉納の主な担い手であった田峯小学校の児童数は現在8名である(表3-3)。これは他の歌舞伎保存会も同様で、今後を担う若年人口の減少が課題となっている。
しかし長野県大鹿村のように、中学校の歌舞伎クラブが隣の中学校との統合後も引き継がれ、後継者育成が行われている例もある。田峯小学校は2024年度に近隣地区の小学校と統合することが決定されているが、これを好機と捉え小中学生および若者の後継者が育つことを強く願う。

5.まとめ
田峯田楽と歌舞伎奉納は小規模集落の住民によって約400 年以上に渡って継続されてきた。それだけではなく、発生当時からの意図を継承している点でも貴重な民俗芸能である。
過疎化が進み後継者確保が困難な現在、参加者の拡大も含めた大胆な検討も視野に入れ、後世に残していけることを強く願うものである。

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  • 81191_011_32183008_1_3_%e7%94%b0%e6%a5%bd1r 田楽の様子 (谷高山高勝寺総代長 熊谷利雄氏よりお借りしたもの)
  • 81191_011_32183008_1_4_%e7%94%b0%e6%a5%bd%e3%81%ae%e6%a7%98%e5%ad%90%ef%bc%92 田楽の様子 (谷高山高勝寺総代長 熊谷利雄氏よりお借りしたもの)
  • 81191_011_32183008_1_5_%e7%94%b0%e6%a5%bd%e3%81%ae%e6%a7%98%e5%ad%903 田楽の様子 (谷高山高勝寺総代長 熊谷利雄氏よりお借りしたもの)
  • 81191_011_32183008_1_6_%e5%ad%90%e3%81%a9%e3%82%82%e6%ad%8c%e8%88%9e%e4%bc%8e1 田楽に続いて行われる子ども歌舞伎の様子 (谷高山高勝寺総代長 熊谷利雄氏よりお借りしたもの)
  • 81191_011_32183008_1_7_%e5%ad%90%e3%81%a9%e3%82%82%e6%ad%8c%e8%88%9e%e4%bc%8e2 田楽に続いて行われる子ども歌舞伎の様子 (谷高山高勝寺総代長 熊谷利雄氏よりお借りしたもの)

参考文献

【註】 ※URLは全て2023年1月29日閲覧

註1
七原明郎編『だみねのまつり 田楽と地狂言』、田峯家庭教育推進委員会・田峯小学校父母教師会発行、1991年
註2
文化庁 重要無形民俗文化財 田楽 https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/searchlist 
註3
星野紘、宮田繁幸、久保田裕道、城井智子、全日本郷土芸能協会編『民俗芸能探訪ガイドブック』、国書刊行会、2013年
註4
文化庁「全国の地芝居(地歌舞伎)」調査報告書 平成27年度 https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/jishibai_jikabuki/pdf/h27_chosahokokusho.pdf

【参考文献等】 ※URLは全て2023年1月29日閲覧

資料および情報提供 
谷高山高勝寺(田峰観音)総代長 熊谷利雄氏

七原明郎編『だみねのまつり 田楽と地狂言』、田峯家庭教育推進委員会・田峯小学校父母教師会発行、1991年
今泉宗男著『五風十雨を願う田楽 田峯田楽原本を繙き』、田峰観音事務所・田峯田楽保存会、2020年
名古屋市博物館『奥三河のくらしと花祭り・田楽』、名古屋市博物館 特別展展示図録、2013年
星野紘、宮田繁幸、久保田裕道、城井智子、全日本郷土芸能協会編『民俗芸能探訪ガイドブック』、国書刊行会、2013年

設楽町役場 人口・世帯数統計情報 
 https://www.town.shitara.lg.jp/uploaded/attachment/2395.pdf 
設楽町役場 地区ごとの人口世帯数一覧 
 https://www.town.shitara.lg.jp/soshiki/5/1177.html
田峯小学校 
 http://www.kitashitara.jp/damine-el/cat118/
設楽町観光協会 設楽町観光ナビ 
 https://www.kankoshitara.jp/event/detail/4/
設楽町公共施設管理協会 したらん♪トレイル 田峯田楽・奉納歌舞伎
 http://www.shitara-trail.jp/festival/dengaku/
全国町村会 愛知県設楽町/田峯観音奉納歌舞伎の保存と田峯小学校~引き継がれる伝統芸能~
 https://www.zck.or.jp/site/forum/1264.html
ウィキペディア 設楽町立田峯小学校 愛知県小中学校校長会2018
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%AD%E6%A5%BD%E7%94%BA%E7%AB%8B%E7%94%B0%E5%B3%AF%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1
株式会社ガッコム 設楽町立田峯小学校 
 https://www.gaccom.jp/schools-25070/students.html

文化庁 国指定文化財等データベース
 https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/searchlist
農林水産省 農村の伝統祭事
 https://www.maff.go.jp/j/nousin/noukan/nougyo_kinou/pdf/maturi_zentai.pdf
日本芸術文化振興会 日本の民俗芸能
 https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc27/genre/dengaku/dengaku/index.html
全日本郷土芸能協会
 http://www.jfpaa.jp/members.html
全国地芝居連絡協議会
 http://www.jfpaa.jp/jishibai.html
酒田市役所 山形県指定民俗文化財 黒森歌舞伎 
 https://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/minzokugeino/kuromorikabuki.html
大鹿村役場 大鹿歌舞伎  
 http://www.vill.ooshika.nagano.jp/2017/12/01/%E5%A4%A7%E9%B9%BF%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E/
南信州民俗芸能継承推進協議会 南信州民俗芸能 大鹿歌舞伎
 https://mg.minami.nagano.jp/group/oshikakabuki
文化庁 地域の伝統行事等のための伝承事業(公開支援)いくぞ!まつりへ!!2022 八代農村奉納歌舞伎
 https://www.go-matsuri2022.jp/pref39/2471/
香川県 農村歌舞伎(肥土山)
 https://www.pref.kagawa.lg.jp/tochikai/midori_info/festival/nouson_kabuki.html
瀬戸内国際芸術祭2022 小豆島で受け継がれる、ふたつの農村歌舞伎
 https://setouchi-artfest.jp/blog/detail144.html

(自身のレポート)
芸術教養講義7、芸術教養演習1

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