河内音頭の歩みと今後の発展

奥野 信哉

1.はじめに
 私は、就職、そして結婚を機に大阪府の柏原市に生活の基盤をおいた。柏原市では、毎年10月から11月の季候の良いときに大和川の河川敷で『柏原市民総合フェスティバル』が開催されている。その中のイベントの一つに『河内音頭おどり全国大会』が行なわれている。全国大会が開催される河内音頭とは、どのようなものなのか調べてみた。

2.基本データと歴史的背景
 河内音頭という名称にもある「河内」とは、757年以降にできた五畿の中の1国で律令制の基本行政単位である国のことである。
 五畿とは、山城(京都府)、大和 (奈良県)、摂津 (大阪府・兵庫県)、河内(大阪府)、和泉(大阪府)の5か国で現在の、守口 、枚方 、八尾、富田林 、寝屋川 、河内長野、松原、大東 、柏原、羽曳野 、門真 、藤井寺、東大阪、四條畷 、交野 の各市、大阪・堺両市の一部、南河内郡にあたる。
 河内音頭と言えば「"エーエンさぁあては〜あぁ〜、一ぃ座ぁあの皆さまぁへ〜」のフレーズを思い起こすだろう。しかし、このような河内音頭が始まったのは、終戦直後からでまだ70年ほどしか経っていないそんなに古いものではないのだ。
 現代の河内音頭には、元になった河内音頭というものが、大正時代の後期からあり、そのまた元になった河内音頭というものが明治時代にすでに存在していた。そして、さらにその元となった江戸時代から伝わっていた元節というものがある。
 河内音頭の移り変わりについて江戸時代後期、明治時代、大正時代、そして現代の河内音頭をたどることにする。
 それぞれの時代にできた4種類の音頭には、1節が上の句と下の句に分かれているという共通点がある。また、上の句が終わったところで音頭取りが「ヨホホイホイ」と掛け声をかけると踊り子が「アーヤレコラセェドッコイセ」や「ソラヨイトコサッサノヨイヤサッサ」とかえすという共通点もある。このことから江戸時代後期にできた音頭が現代に受け継がれていると考えることができる。

①江戸時代後期にできた河内音頭の元節(交野節)
 交野節とよばれているように、河内ノ国の北端にある交野郡で江戸時代中期から後期にかけてできたと考えられている。交野節は、幕末・明治から大正・昭和にかけて北河内から中河内、大阪市内と淀川を北に渡って旧三島地区へと広まった。また、山を東に越えて奈良県の生駒谷へも広まった。
 交野節の特徴は、上の句が7・7、下の句が7・5・7・5の定型詩をメロディが反復される音頭である。当時、この音頭を用い各地で盆踊りが開催されていたようだが、起源については記録が見つかっていないためよくわかっていない。

② 明治時代の河内音頭(歌亀節、亀一流)
 幕末ころに流行した浄瑠璃や説経節、祭文やチョンガレなどの語り物芸能の影響を受けて、浪曲を聞かせるように交野節の音頭に物語をのせて読み聞かせる、語りものの芸能が行なわれるようになった。語りものの芸能であるため1席の物語が長いものでは40分もかかるものがあり、文句は変わっていくが節が同じパターンの繰り返しになるため飽きが起こっていた。
 明治時代の初期に北河内の茨田郡の野口村にいた中脇久七(通称:歌亀)という音頭取りにより、交野節のメロディを基本としながら詩の定型にこだわらず、どんな字余りや句余りがあってもうまく交野節を基本とした節調に合せて歌える飽きられることのない音頭が生み出された。
  この音頭は、考案者の名前から歌亀節と呼ばれ、北河内での盆踊りや座敷音頭だけでなく、大阪市内の演芸の席にも広まった。また、中河内や淀川右岸の旧三島郡、奈良県の生駒谷などにも広まり、元節である交野節と混ざり合い広がっていった。
 同じ頃、滋賀県から八日市祭文音頭が流れてきており、演芸の席で歌亀節と共演するようになると、これらの音頭を区別するために歌亀節を『河内音頭』、滋賀県からやってきた方を『江州音頭』とそれぞれ呼ばれるようになった。このときそれまではなかった『河内音頭』という名称が初めてできたのである。

③大正時代の河内音頭(平野節)
 大正3年に生駒トンネルの完成祝いとトンネル工事の事故による犠牲者の霊を供養するために、その年のお盆に東西にあるトンネルの両入口で壮大な盆踊りが行われた。その西側の盆踊りに北河内の2代目歌亀(本名:田中乙五郎)が歌亀節とも呼ばれる河内音頭を取りに来ていた。
 この会場に来ていた大阪市平野の音頭取り倉山太三郎は、初めて聞いた歌亀節の河内音頭の素晴らしさに感動し、音頭仲間である川口栄太郎や出野丑松と協力し、歌亀節の河内音頭を元に新しい河内音頭を開発した。
 このとき開発した「返し節」と呼ばれている一節の長さを自由に調節することができる画期的な節は、現代の河内音頭においてもよく使われており、この節がないと河内音頭が成立しないと言われるほど重要なものであった。
 倉山太三郎たちは、大正10年頃から平野を中心にその周辺地区へこの新しい河内音頭を広めていった。後に倉山太三郎たちは、初音家と芸名を名乗り活躍していった。
この音頭に特別な名称を使わず『河内音頭』と言っていたが、交野節や歌亀節の音頭取りたちは、河内音頭と区別して『平野節』、あるいは『平野音頭』と呼んでいた。

④現在の河内音頭(浪曲音頭)
 太平洋戦争が終わった翌年には、身近な娯楽として盆踊りが復活した。そのころ中河内郡、今の平野区加美正覚寺にいた田中源太郎は、大好きな『アンガラ節』と呼ばれた浪曲と大正時代の河内音頭(平野節)を混ぜ合わせた新しい音頭を始めた。この音頭が評判となり、まねするものが増え、平野節河内音頭の音頭取りや江州音頭、その他の音頭からもこの音頭に転向するものが現れ広がっていった。この音頭は浪曲のリズムがベースとなっているため『浪曲音頭』という名称で呼ばれた。
 昭和35年頃には、鉄砲光三郎がテンポを早めた浪曲音頭にフォークギターを取入れた新しい河内音頭を開発し、『民謡鉄砲節 河内音頭』と称して活躍した。
 昭和40年ごろにはエレキギターのブームにのり、新たな音頭取りが登場し、関西の浪曲師による河内音頭への進出もあり、これらに刺激を受けた河内の音頭取りたちによりさらに研究が進み河内音頭の芸能としてのレベルがアップされていった。
 昭和40年代後半から50年代にかけては洋楽器の導入や、中南米のリズム音楽の影響もあって一段と音楽性の広がった芸能へと成長していった。

3.河内音頭と他の歌い継がれてきた歌について
 北海道を代表する民謡でニシン漁の沖揚げ作業の仕事唄として歌われてきた『ソーラン節』や、童歌の『かごめかごめ』などは、仕事の効率をよくするためや子供達の遊びのなかで歌われてきたもので芸能性は無く、普段の生活の中で自然に発生し唄い継がれてきたものである。これらの民謡や童歌はメロディや歌詞が変わることなく現代に歌い継がれている。
 河内音頭については、記録が残っていないため起源はよくわかっていないが先に述べた民謡や童歌とはちがい、元節である交野節から時代の流れと共に流行を取入れ、進化を続けながら全国へと広がっていった。 
 歴史は浅いが1992年から毎年、北海道 札幌で開催されている「YOSAKOIソーラン祭り」は、高知県の「よさこい祭り」に感動した北海道の学生達が始めた祭りで北海道の民謡、ソーラン節のメロディに合わせて踊る祭りである。
 YOSAKOIソーラン祭りには、①よさこい祭りで使用する鳴子を持って踊ること②曲にソーラン節のフレーズを入れることの2つの基本ルールがあり、どちらも昔から受け継がれてきたものを現代にあった形に進化させ全国へと広がっていった。YOSAKOIソーラン祭りでは、ルールにもあるようにソーラン節の歌詞を変えることはない。
 一方、河内音頭には決まった歌詞もなく、どのような歌詞でも河内音頭の節に乗せて自由に唄うことができる。これは昔から歌い継がれている多くの民謡や童歌とは大きく違い、また、YOSAKOIソーラン祭りとも違うところである。

4.今後の展望について
 河内音頭の色々な会派、流派の音頭取りたちは、フォークギターやエレキギター、そのときの流行音楽など新しいものを取入れ進化させ、全国各地の盆踊りへと河内音頭を広めている。河内音頭は先祖の供養のための盆踊りで多く唄い踊られているが、今後の各分野での新技術やその時代の流行を取入れ、音楽性の高い、楽しく踊れる芸能に進化していくことを期待したい。また、YOSAKOIソーラン祭りのように若い人たちが中心となり、昔からの伝統を受け継ぎながら老若男女、誰もが楽しめる河内音頭に発展していってほしい。

5.おわりに
 2020年は、新型コロナの影響で今まで普通にできていたことができなくなった年であった。毎年、開催されていた『柏原市民総合フェスティバル』も感染防止のために中止になった。生まれ育った土地を離れ、核家族化が進んだ現代では近所付き合いも少なくなった。少子高齢化の現代社会において河内音頭を受け継ぐことで若者と高齢者との交流のきっかけになり、イベントを開催することで地域の活性につながれば良いと願っている。

  • (非掲載)
    河内音頭おどり全国大会の様子
    柏原市ホームページ 河内音頭おどり全国大会 
    http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2013111800108/(参照 2021-01-13)
  • (非掲載)
    五畿図
    日本大百科全書(ニッポニカ)五畿七道(1)[百科マルチメディア]
    https://japanknowledge.com/psnl/auth_item.html?title=%E4%BA%94%E7%95%BF%E4%B8%83%E9%81%93(1)%EF%BC%BB%E7%99%BE%E7%A7%91%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%EF%BC%BD&cname=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E7%99%BE%E7%A7%91%E5%85%A8%E6%9B%B8%EF%BC%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%82%AB%EF%BC%89&file=/psnl/jsp/auth_item.jsp?filename=10010_nipponica%2Fimages/81306024001894.jpg (参照 2021-01-13)
  • (非掲載)
    河内国(黄色の部分)
    書籍版『日本歴史地名大系』の特別付録
    大阪府(旧区郡域・現郡市町村域対象図)
    https://japanknowledge.com/psnl/jsp/auth_item.jsp?filename=30020_rekishi%2Fpdf%2F28%2Fkyugunkai.pdf(参照 2021-01-13)
  • (非掲載)
    第28回YOSAKOIソーラン祭りの様子①
    YOSAKOIソーラン祭り公式サイト https://www.yosakoi-soran.jp/newsflash/2019_0608.html (参照 2021-01-19)
  • (非掲載)
    第28回YOSAKOIソーラン祭りの様子②
    YOSAKOIソーラン祭り公式サイト https://www.yosakoi-soran.jp/newsflash/2019_0608.html (参照 2021-01-19)
  • (非掲載)
    柏原市民総合フェスティバル 中止のお知らせ
    広報かしわら NO.810 令和2年9月 16ページ

参考文献

村井 市郎『河内の音頭いまむかし』、八尾市役所市長公室広報課、1994年
五畿七道, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-13)
河内国, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-13)
柏原市ホームページ 河内音頭の誕生 http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2013120200012/(参照 2021-01-11)
【民謡】, デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-19)
ソーラン節, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-19)
ソーラン節, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-19)
北海道ホームページ http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/digest/9_syou2.htm (参照 2021-01-19)
YOSAKOIソーラン祭り公式サイト https://app.yosakoi-soran.jp/about.html (参照 2021-01-19)

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