北海道の食文化ジンギスカン――サッポロビール園の影響と役割

上原 壽美子

はじめに
北海道の郷土料理であるジンギスカンは、北海道民の生活には欠かすことのできない最も身近な料理である。家庭や飲食店はもちろん、桜の開花を機に屋外でも、あらゆる場所で食されるアウトドア料理の代表でもある〔1〕。
ジンギスカン文化は、歴史の中で羊毛用の羊が食されて以来、徐々に形成された。戦後、家庭料理としてジンギスカンは広がるが、その中で開園したサッポロビール園〔写真1〕が、ジンギスカン文化に与えた影響を考察し、評価報告をする。

1. サッポロビール園の基本データ
所在地:札幌市東区北7条東9丁目
業務内容:ビールとジンギスカンのビヤレストラン
園内施設〔資料1〕:ビヤレストラン 5ホール〔写真2〕
          サッポロビール博物館
          売店

1890(明治23)年に製糖工場として建設された建物を、札幌ビール(現サッポロビール)が1903(明治36)年に買い取り、製麦工場として稼働していた。1966(昭和41)年に「開拓使麦酒記念館」(現サッポロビール博物館)に改装し、ビヤレストラン「サッポロビール園」を併設した。
北海道遺産〔2〕に指定されている歴史的建造物〔3〕の見学、および北海道の食を代表するビールとジンギスカンを味わう観光名所である。

2.歴史的背景
明治政府は、1869(明治2)年に、北海道の開発事業として開拓使を設置した。自然環境が似ており開拓の経験のあるアメリカから顧問を招き、多角的な開発を行った〔4〕。
ビール醸造は計画に基づき行われ、ジンギスカンは牧羊の歴史の中から誕生した〔資料2〕。

2-1.ジンギスカンの歴史
1873(明治6)年、羊毛製品需要のため羊がアメリカから移送され、1876(明治9)年に牧羊場が作られた。老廃羊の利用の一つとして食用を始めたのは大正時代である。モンゴル民族の羊の調理法を参考に考案されたものが「ジンギスカン」と命名されたと言われている。
採毛種の老廃羊の肉は固く独特の臭いがあるため、種羊場で美味しく食べるためにタレの研究が行われ、1956(昭和31)年に、滝川市の松尾ジンギスカンがタレに漬け込んだ羊肉を商品化した。同年、札幌市のベル食品が焼いてから付ける「成吉思汗のたれ」を発売し、簡単に美味しく食べることのできるようになったジンギスカンは、野菜と一緒におかずとして家庭に普及した。
戦後、羊毛が輸入されるようになったため〔5〕羊の飼育は減少する〔6〕が、ジンギスカンは需要が増え、輸入肉中心へと変化する。現在は、輸入食用肉で、生後1歳未満のラム肉が主流である。

2-2.サッポロビールの歴史
1876(明治9)年に、ドイツでビール造りの修行をした中川清兵衛(1848-1916)を主任技師に迎え、開拓使麦酒醸造所が開業する。
1881(明治14)年に原料の大麦とホップを全量北海道産にすることに成功する。翌年開拓使は廃止され農商務省の所轄となり、1884(明治17)年に「札幌麦酒醸造所」と改称する。1886(明治19)年、官営ビール事業は民営化され、1887(明治20)年に「札幌麦酒会社」が設立されるが、その翌年にビール業界は東京に集結され「日本麦酒醸造会社」が設立される。
その後、サッポロビールはエビスビールと合同し「日本麦酒」となるが、1956(昭和31)年に発祥の地北海道で「サッポロビール」を復活する〔7〕。北海道はサッポロビール一色となり、翌年全国的に復活販売した。

3.サッポロビール園の評価点
3-1.ビールとジンギスカンの組み合わせ
開園前から北海道のイメージといえば「ビール」と「ジンギスカン」であったが、それらを一度に楽しめる空間を作ったのは、サッポロビール園が日本初であり、これをビアレストランと名付けた。
サッポロビール園は当初から、輸入肉を使用したジンギスカン〔8〕食べ放題と生ビール飲み放題が基本である。ビアホールで焼き肉をしながらビールを飲むという新しい形式は、インパクトがあり評価できる。

3-2.集客力
サッポロビール園が開園すると観光コースに組み込まれ、客は記念館と工場を見学し食事をする。当時の売店担当者〔9〕は、天皇陛下をはじめ海外の王や王族、政治家やスポーツ選手など有名人も訪れたと語る。
また、5つの異なる雰囲気のレストランで客を惹きつけ、自由に参加できるイベント企画を行っている。園内は市民の散策コースでもある〔10〕。
このように、多くの人が来園することでジンギスカンが広まり、継続して親しまれていることを評価する。

3-3.他社進出による‟ビール園競争”
他のビール会社もサッポロビール園と同じ形式のビール園を次々と建設した。
1979(昭和54)年に「アサヒビール園」が開園し、‟ビール園競争”勃発と言われた。その後二番館・三番館と増設。続いて「サントリービール庭園」「キリンビール園」もオープンし、ビール園競争は激化を増した。いずれも大盛況であり、サッポロビール園の入場者数はその間も順調であった〔資料3〕。
他のビール会社に影響を与え、その結果、ジンギスカン文化が拡大したことは、評価すべき点である。

4.他の事例との比較
農林水産省による「農山漁村の郷土料理百選」の"北海道の郷土料理”で、2007年に、「ジンギスカン」と「鮭のちゃんちゃん焼き」が選ばれた。共に、鍋で手軽に作れ、一品で豪華な食卓となる〔写真3〕。
ちゃんちゃん焼きは、石狩地方の漁師たちが浜辺で鉄板を囲んで食べたことが始まりである〔11〕。鮭が獲れる秋から冬にかけての季節感のある家庭料理で、鮭と地元野菜を一緒に蒸し焼きし、味噌ダレを絡める。
一方、ジンギスカンは、家庭料理としても人気が高いが、より手間をかけずに作ることができるため、食す範囲が広がった。
サッポロビール園は広い空間で、団体客など大人数にも対応し、パーティーにも利用される。この新しいスタイルは屋外へと発展し、材料と道具を持参し、人数に拘わらずあらゆる場所で行われるようになった。
ちゃんちゃん焼きが自然発生的な家庭料理であることに対し、ジンギスカンは羊の利用から誕生した作られた食文化である。さらに、羊が飼育されなくなってもなお拡大しているという特異性がある。

5.今後の展望
ジンギスカンは身近なもの〔写真4〕として定着した。しかし、飲食業界は社会の動向から直接影響を受けるため、サッポロビール園は新たな価値をつける必要がある。
ビール園はビールが主役であるが、ジンギスカン文化を積極的に取り込むことでそれが可能となる。そこで筆者は、ジンギスカンに欠かせない玉ねぎに着目した。
開園当時に使用していた「札幌黄」という玉ねぎもまた、開拓使によるアメリカからの種で生まれ、札幌の特産品となった。この玉ねぎは非常に甘味が強く、羊肉の脂と絡むことでジンギスカンの旨味を増した。しかし昭和50年代初めに、丈夫で育てやすいF1種が開発されてから札幌黄は使用されなくなり、数件の農家が種の保存のをするのみで「幻の玉ねぎ」となった。平成19年に「食の世界遺産」〔12〕に認定され、生産者と地域が伝統を復活させる努力を始め、希少価値のある玉ねぎとして市場に出るようになった〔13〕。
この特別感のある札幌黄で新たな価値を付けることを提案する。
厳選素材を使用するコース(〔写真2〕④参照)の玉ねぎを札幌黄にすること、また特別メニューを作り活用することである。札幌黄を知っている年代の客には懐かしい味であり、知らない世代には新しい味覚となる。
ジンギスカンと玉ねぎは、ビールと同じ土壌で生まれた。北海道民でも、ジンギスカン文化の形成を深く知る者は少ない。ジンギスカンに歴史的な意味を加えることで、サッポロビール園は外食産業の枠を超え、開拓使から発祥した北海道の食文化の象徴空間となりえる。

おわりに
ジンギスカン文化は、官民の努力により北海道に根付いた。サッポロビール園は、そのジンギスカン文化の拡大に影響を与えたことは評価に値する。
今後の可能性を考えると、今まさに「利用者の視点でデザインを規定の領域を超えて捉え直す時」〔14〕ではないだろうか。編集的思考により、現在の枠組みを外し、既存のものと新たなもの、また組みかえにより、新しい価値を生み出すことができる。
開拓使の象徴〔15〕がある空間で、ビールのみならず北海道のジンギスカン文化・食文化を伝える場としての可能性に期待したい。

  • 1 〔写真1〕
    「サッポロビール園」
    赤煉瓦の建物は北海道遺産に指定されている歴史的建造物である
    基本設計はドイツのサンガーハウゼン社
    建物手前左部分が日本で唯一のビールに関する博物館「サッポロビール博物館」
                            (2020年7月22日 筆者撮影)
  • 2 〔写真2〕
    ビヤレストラン 「5ホール」
    ①サッポロビール開拓使館
     1階「トロンメルホール」クラシカルで重厚感漂うホールで寿司・蟹も提供する
     2・3階「ケッセルホール」歴史と伝統を感じ開放感あふれるホール
    ②「ポプラ館」レトロモダンなホールで北海道ならではの一品料理も充実
    ③「ライラック」ロッジ風建物で数種の味付けジンギスカンが楽しめる
    ④「ガーデングリル」上質な空間で厳選素材を使用
                             (2020年8月11日 筆者撮影)
  • 3 〔写真3〕
    ①「ジンギスカン」焼いてからタレを付けるタイプのジンギスカン (アサヒビール園にて 2020年7月2日 筆者撮影)
    ②「鮭のちゃんちゃん焼き」北海道の秋冬らしい伝統料理 (2020年10月12日 筆者撮影)
  • 4 〔写真4〕
    ①親戚が集まり味付きジンギスカンでジンギスカンパーティー (2019年8月10日 筆者撮影)
    ②スーパーマーケットのジンギスカン売場 (スーパーラッキー菊水元町店 2020年7月30日 筆者撮影)
  • 5 〔資料1〕
    「ビヤレストラン」1.2.3.4.
    「歴史的建造物」1.5.6.
                  (サッポロビール園ホームページよりMAP抜粋  筆者追記)
  • 6 〔資料2〕
    「ジンギスカンとサッポロビールの歴史表」 (筆者作成)
  • 7 〔資料3〕
    「サッポロビール園歴史年表」 (サッポロビール園ホームページと参考文献より筆者作成)

参考文献

〔註〕

〔1〕北海道では屋外でジンギスカンをする人が多いため、公園など屋外施設で、バーベキューコンロの貸し出しやジンギスカンセットの販売をしているところが多数ある。
桜で有名な札幌円山公園は、花見の時期のジンギスカン風景が風物詩である。平成14年から、バーベキューコンロを公園が用意し貸し出しを始めた。(2020年7月22日、円山公園パークセンターの中島様にメールインタビュー)
〔2〕次の世代に引き継ぎたい有形・無形の財産の中から、北海道民全体の宝物として、道民参加によって選ばれたもの。
NPO 法人北海道遺産協議会事務局ホームページ
 www.hokkaidoisan.org/about.html (2021年1月19日閲覧)
〔3〕建物はイギリス積み、イギリス製煉瓦(渡島半島あたりという説もある)、5階建て、延べ床面積約3264㎡、煉瓦の煙突の高さ48.5m。
 歴史的建物研究会著『日本の最も美しい赤レンガの名建築』、エクスナレッジ、2018年。(63頁、<「サッポロビール博物館・ビール園」(旧サッポロ製糖工場)>)
〔4〕サッポロビール株式会社ホームページ <「歴史・沿革」1869年 開拓使の設置>
 https://www.sapporobeer.jp/company/history/ (2020年10月28日閲覧)
〔5〕第1次世界大戦で羊毛が輸入できなくなったため羊の飼育が盛んになり、第二次世界大戦後に輸入が再開されたことにくわえ、化学繊維の発展もあり、飼育は減少した。
〔6〕国内では昭和32年には約百万頭飼育されていたが、50年には一万頭にまで減少した。
公益社団法人畜産技術協会 <めん羊統計(都道府県別めん羊飼養の推移)>「飼育頭数・戸数の推移」表(資料:農林水産省「畜産統計」)
 jlta.lin.gr.jp/sheepandgoat/sheep/toukei01.html(2020年10月15日閲覧)
〔7〕「札幌麦酒醸造所」は、「大倉組」「札幌麦酒」「大日本麦酒」「日本麦酒」「サッポロビール」と、社名は変わったが、星のマークと「サッポロビール」という製品名は変わらず継承されてきた。
 田中和夫著『物語 サッポロビール』、北海道新聞社、1993年。(225頁)
〔8〕サッポロビール園は輸入肉を使用している。肉は、現地の牧場と契約して独自の仕様法で製品にしたラム肉。
 田中和夫著『物語 サッポロビール』、北海道新聞社、1993年。(194頁)
〔9〕森田久子さん(昭和6年9月17日生まれ、札幌市白石区平和通3丁目南1-7在住)。創立準備に携わり、開園から4年間売店で勤務した。創立メンバーには、ビアガーデン経営の株式会社ニュートキョーの担当者も加わり、このような形式のビアレストランにしたことなど、当事者でなければ知りえない情報を得る。 (2020年7月11日直接インタビュー)
〔10〕札幌の散歩コースとして北海道新聞に掲載される。
北海道新聞【さっぽろ10区トーク】 <東区「北海道遺産と歴史探訪コース」札幌開拓の歩みをたどる見どころ満載の長距離散歩>(2020年8月4日発行)
〔11〕農林水産省ホームページ 「うちの郷土料理」<北海道>
 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/area/hokkaido.html(2020年10月12日閲覧) 
〔12〕スローフード協会国際本部(イタリア)の「味の箱舟」に認定される。地方の伝統的かつ固有な在来品種のうち、消えてしまう可能性のある希少な食材を世界的な基準で決定し、地域における食の多様性を守ろうというプロジェクト。
〔13〕札幌市東区民ホームページ「ようこそひがしく」<東区特産のたまねぎ札幌黄>
 www.city.sapporo.jp/higashi/about/sapporoki (2020年10月28日閲覧)
〔14〕早川克美著『デザインへのまなざし――豊かに生きるための思考術』、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2014年。(10-11頁)
〔15〕「サッポロビール博物館」、「サッポロビール開拓使館」、サッポロビール園のシンボル「煙突」など、いたるところに開拓使の象徴である赤い星の「五稜星」のマークがある。

〔参考文献・参考資料〕

・魚柄仁之介著『刺し身とジンギスカン』、青弓社、2019年。
・北野麦酒著『北海道ジンギスカン四方山話』、彩流社、2017年。
・札幌市東区役所地域振興課編『札幌黄物語――幻の玉ねぎの今を伝える』、札幌市東区役所地域振興課、2013年。
・札幌村歴史研究会編『北のたまねぎ――札幌黄を育てた人たち』、北海道出版企画センター、1998年。
・サッポロビール編『サッポロビール130周年記念誌』、サッポロビール株式会社、2006年。
・紫牟田伸子著・早川克美編『編集学――つなげる思考・発見の技法』、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2014年。
・田中和夫著『物語 サッポロビール』、北海道新聞社、1993年。
・真江村晃人・真江村まき著『日本の中のドイツを訪ねて』、三恵社、2017年。
・歴史的建物研究会著『日本の最も美しい赤レンガの名建築』、エクスナレッジ、2018年。

・サッポロビール園ホームページ 
https://www.sapporo-bier-garten.jp(2021年1月9日最終閲覧)
・サッポロビール株式会社ホームページ
 https://www.sapporobeer.jp/company/ (2020年12月17日最終閲覧)
・ベル食品ホームページ
 https://bellfoods.co.jp/learn/genghishan/ (2020年7月1日閲覧)
・歴史の浪漫街道「文明開化の歴史的遺産」<明治浪漫 赤煉瓦建築>――開拓使麦酒のサッポロビール園
 rekishi-roman.jp (2020年7月13日閲覧)

〔取材協力〕

・サッポロビール園 総合お客様センター 沼田修 様 

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