浅川の花火―供養花火として継承される伝統と持続可能性―

川崎 洋介

はじめに
福島県南部にある人口6千人強の浅川町では、毎年8月16日に花火大会が開催され、町内はもとより近隣市町村からも多くの見物客が訪れる。全国各地で行われる花火大会は、それぞれが歴史的背景や目的を有しながらも夏の風物詩として親しまれており、浅川の花火も人々を魅了する観光資源としての性格を持つ一方、300有余年の歴史を持つ伝統行事として永く地元の人々に親しまれ、供養花火として継承されてきた。伝統と称される浅川の花火であるが、野村朋弘は「伝統とは新たに創出されたものが、普遍的な価値をもち、永く後世に伝わること」[1]と述べている。
本稿では、浅川の花火の伝統継承に着目し、供養花火として継承される浅川の花火の伝統及び持続可能性について考察する。

1 基本データと歴史的背景
(1)基本データ
名 称:浅川の花火
開催地:福島県浅川町
開催日:毎年8月16日
主催者:浅川町両町青年会(以下、両町青年会)[2]
後 援:浅川町、浅川町商工会、浅川の花火後援会
備 考:町の無形文化財に指定
(2)歴史的背景
浅川の花火の起源は江戸後期の農民一揆「浅川騒動」の犠牲者供養説が有力とされており、古くは僧侶による供養が行われ寺花火とも言われていた[3]。そのため、現在も供養、慰霊を目的に毎年送り盆の8月16日に一揆騒動の犠牲者や戦没者を供養するための慰霊祭と併せて開催されている。浅川の花火を主催するのは、町の市街地を二分する荒町、本町の青年会から成る両町青年会であり、起源は江戸時代の若者組まで遡る[4]。かつては「浅川両町に居住する本家の長男あるいは浅川両町に三代居住する家の長男でなければ[青年会への]加入が認められず、(中略)青年達はその名誉と誇りを背負い浅川の花火を守り続けていた」[5]とあるが、現在は、若者の町外流出などから加入条件は緩和されたものの荒町と本町地区以外の居住者は加入できず、両町青年会による継承が続いている[6]。なお、戦時下の厳しい世相においても地元の人々の存続への想いから供養、慰霊を目的とする花火であることを強調し、特別に許可され今日まで途絶えることなく存続してきた[7]。

2 事例の特徴と評価
(1)浅川の花火の特徴
浅川の花火は、かつては手づくり花火として各家々に伝承され、独自の火薬調合法を記した「秘伝帳」と共に受け継がれてきた[8]。現在は、火薬類取締法などの理由から住民による手づくり花火の継承は途絶えてしまったが、花火の打ち上げについては両町青年会の会員が煙火消費保安手帳[9]を所持し、「手打ち」という従来の手法による打上花火を継承している[10]。
現在、浅川の花火を象徴するものに大からくりと大地雷火が挙げられる。大からくりは、かつては本町と荒町の青年会が技を競い合ってそれぞれ制作する仕掛け花火であったが、現在は両町青年会で一基の大からくりを制作し、青年会の団結と誇りの証として継承している[11]。また、大地雷火は先人たちのアイディアを実現する形で1961年(昭和36年)より始まった歴史が浅い花火であるが、町のシンボルである城山の地面に設置した花火を噴火したかのように炸裂させる独特の名物花火として継承している[12]。
浅川の花火では個人の供養花火が打ち上げられており(資料1)、多い時には全体の約6割を占める[13]。これは浅川の花火が供養花火にルーツを持つだけでなく供養花火としての性格を色濃く残していることの表れであり、手づくり花火が途絶えたように継承される花火の内容は変容しながらも供養花火の趣旨は変わらず継承しているのが特徴といえる。
(2)積極的な評価
浅川町では町内の中学生を対象に浅川の花火の歴史や文化を解説する花火の里教室が行われている[14]。また、かつては花火の殻を魔除けや縁起物として軒下に吊るす風習もあったが、現在はこれを受け継ぎ町の名物として魔除花火が販売されている[15]。浅川の花火を主催する両町青年会の渡邉会長に話を伺ったところ、伝統継承に際しては技術的な面や行事次第だけでなく、浅川の花火の歴史を正しく継承し先人たちの想いを繋ぐことに努めているという[16]。なお、郷土の歴史を伝える浅川町歴史民俗資料館では主たる展示を浅川の花火に関する資料としており、浅川の花火の歴史を伝えるとともに歴史的資料の次世代への継承を担っている。
浅川町では四季を通して花火が打ち上げられているが(資料2)、浅川の花火のみが両町青年会主催として行われていることからも地元の人々の捉え方が窺えるように、浅川の花火の継承においては歴史性の把握によって供養花火としての性格を色濃く残し、途絶えることなく両町青年会が継承することに普遍的な価値及び意義を見出しているのだろう。これを花火の内容が変容しながらも伝統の浅川の花火として継承される所以と結論付け、歴史の継承によって供養花火の趣旨を今に伝える浅川の花火の伝統及び文化の形成を評価したい。

3 他事例との比較による伝統継承についての考察
長野県阿智村の清内路地区(上清内路及び下清内路)に継承される清内路の手づくり花火(以下、清内路の花火)を取り上げ、伝統継承の観点から比較、考察する。
清内路の花火は、上清内路諏訪神社及び下清内路諏訪神社・建神社の秋季祭典でそれぞれ奉納される300年余り続く伝統の花火であり、今日まで途絶えることなく継承されてきた[17]。清内路の花火は秘伝の花火として受け継がれるなど浅川の花火との類似点はあるが、火薬から製造する全国唯一の仕掛け花火として存続しており[18]、手づくり花火の継承が途絶えた浅川の花火とは異なる。清内路の花火の継承に際しては、火薬類取締法の施行や若者の流出などによる存続の危機を契機に上清内路、下清内路にそれぞれ保存会を結成し、花火の製造に関連する資格を取得することで手づくり花火の継承に努め、また、担い手が取り組みやすいよう奉納日を改めるなどの対応を行ってきた[19]。このように手づくり花火の継承のための環境を整えたことが存続を可能にしたと考えられる。一方、浅川の花火は、供養花火の趣旨を踏まえ開催日を変えることなく両町青年会による継承を前提に浅川の花火を形作り継承に努めたと考えられる。
両者の違いは共に伝統の花火としながらも伝統継承において本質的な違いを示しており、伝統や歴史を踏まえた上でそれぞれが存続のために思考しながら創出した伝統継承の形である。早川克美は「意図されたモノあるいはコトを創り出す行為がデザインである」[20]と述べており、これを踏まえれば伝統のあり方の創出行為がデザインであり、歴史性を把握した上で継承すべき伝統と時代に合わせた変化の関係性をデザインすることは持続可能な伝統継承の可能性を示唆するものである。

4 今後の展望について
両町青年会の渡邉会長によると青年会では若者の町外流出などによる加入者減少の問題を抱えているほか、ライフスタイルの変化などにより青年会の活動に対する理解も得られにくくなっている由[21]。平成2年に町内の全家庭を対象に行われたアンケートによれば、浅川の花火が途絶えても仕方がないとする回答は僅か5%であり[22]花火への関心の高さが窺える一方、継承する上での問題等に対する当事者意識は希薄であるという[23]。また、伝統或いは名物として継承される手打ちや大地雷火の実施については、危険が伴うことを理由に行政機関から懸念が示されているようである[24]。
これらの問題等に対して伝統の浅川の花火としてどのように対応していくのか、今後の浅川の花火のあり方が問われているといえよう。

まとめ
浅川の花火は、2020年、2021年ともに新型コロナウイルスの影響により通常開催が中止となった。しかし、供養花火として途絶えることなく存続してきた歴史を踏まえ、2020年は慰霊祭に併せて音だけの雷花火を打ち上げ、2021年は無観客での花火打ち上げを実施した[25]。地元の人々からは「無観客でも実施して良かった」、「花火が打ち上がったときの身体に響く振動が良かった」などの肯定的な意見が多く寄せられたとのことである[26]。このような主催者の判断や地元の人々の想いは、歴史の継承や地域に根差した文化の上に成り立っているのは言うまでもない。
浅川の花火は大切に受け継がれてきた文化資産であり、今後も歴史と時代の変化及び地元の人々の想いをデザインによって繋ぎながら永く後世に伝わる伝統の浅川の花火として継承されることを期待する。

  • 1 供養花火として継承される浅川の花火(浅川町ホームページ(「浅川の花火」ライブラリ)より引用)
    (http://www.town.asakawa.fukushima.jp/asakawa_hanabi/library.html)
  • 2 【資料1】
    2019年に開催された浅川の花火のプログラム(2021年12月筆者加工)
  • 3 【資料2】
    浅川町の四季を通しての花火概要一覧(2021年12月筆者作成) 
  • 4 【資料3】 
    浅川の花火を象徴する「大からくり」と「大地雷火」(2021年12月筆者作成)
    写真:浅川町ホームページ(「浅川の花火」ライブラリ)より引用
  • 5 【資料4】
    浅川町両町青年会組織図及び年間活動概要(2021年12月筆者作成)
  • 6 【写真資料1】
    手づくり花火の伝統を継承した「秘伝帳」(2021年11月5日筆者撮影)
    筆者註:浅川町歴史民俗資料館展示資料を撮影
  • 7 【写真資料2】
    浅川の花火を象徴する「大からくり」(2021年11月5日筆者撮影)
    筆者註:浅川町歴史民俗資料館展示資料(写真資料等)を撮影
  • 8 【写真資料3】
    左:花火打ち上げに使われていた木製の花火筒
    中央上:両町青年会主催による神仏混交の慰霊祭の様子
    中央下:町の名物として販売されている魔除花火
    右:青年会による花火打ち上げの様子
    (2021年11月5日筆者撮影)
    筆者註:浅川町歴史民俗資料館展示資料(写真資料等)を撮影

参考文献

(註釈)
[1]野村朋弘編『日本文化の源流を探る』(藝術学舎、2014年、p.51)
[2]浅川町両町青年会は本町青年会、荒町青年会から構成(添付資料4参照)
[3]浅川町ホームページ/浅川町の花火(浅川町花火大会について)(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.town.asakawa.fukushima.jp/asakawa_hanabi/outline.html
[4]浅川町史編纂委員会『浅川町史第3巻民俗編』(福島県浅川町、1995年、p.819-822)
[5]浅川町歴史民俗資料館パンフレット(発行年月日不明、2021年11月5日資料館訪問時に入手)
[6]浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施)
[7]浅川町史編纂委員会『浅川町史第3巻民俗編』(福島県浅川町、1995年、p.838-839)
[8]浅川町史編纂委員会『浅川町史第3巻民俗編』(福島県浅川町、1995年、p.799-800)
[9]煙火消費保安手帳は、公益社団法人日本煙火協会が煙火消費従事者の技能を証明するために交付している手帳。自主保安制度であるが、手帳を所持することにより花火の打揚に従事することが可能。
(公益社団法人日本煙火協会ホームページ/安全への取り組み(手帳制度について)(2022年1月23日最終閲覧))
 http://www.hanabi-jpa.jp/safety/licence.html
[10]「手打ち」は花火を打ち上げるための人手による着火方法(直接点火)。
(浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施))
[11]浅川町ホームページ/浅川町の花火(伝統の歴史)(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.town.asakawa.fukushima.jp/asakawa_hanabi/history.html
[12]浅川町史編纂委員会『浅川町史第3巻民俗編』(福島県浅川町、1995年、p. 788-789)
[13]浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施)
[14]浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施)
[15]福島県阿武隈地域振興協議会ホームページ/特産品(魔除花火)(2022年1月23日最終閲覧)
 https://www.abukuma-shinkou.org/?p=707
[16]浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施)
[17]阿智村役場清内路振興室ホームページ/手づくり花火(2022年1月23日最終閲覧)
 http://seinaiji.angry.jp/hanabi/
[18]阿智村役場清内路振興室ホームページ/手づくり花火(2022年1月23日最終閲覧)
 http://seinaiji.angry.jp/hanabi/
[19]中部圏研究:調査季報、坂口香代子『花火師たちの里・清内路の手づくり花火(長野県):夏の終わり、山深い峠の里で「花火師」となる住民たち』(中部産業・地域活性化センター、2010年、p.89-90)
[20]早川克美『デザインへのまなざしー豊かに生きるための思考術』(藝術学舎、2014年、p185)
[21]浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施)
[22]浅川町史編纂委員会『浅川町史第3巻民俗編』(福島県浅川町、1995年、p.842)
[23]浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施)
[24]浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施)
[25](1)浅川町ホームページ/令和2年「浅川の花火」大会開催中止のお知らせ(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.town.asakawa.fukushima.jp/information/uploads/2020/08/20200522_01.pdf
(2)浅川町ホームページ/令和3年「浅川の花火」について(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.town.asakawa.fukushima.jp/information/uploads/2021/07/c68955d2f11ef1281f2f77a3c34ed734.pdf
(3)浅川町ホームページ/令和3年「浅川の花火」のお知らせ(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.town.asakawa.fukushima.jp/information/news/001333.html
[26](1)浅川町教育委員会社会教育課主事(角田寛典氏、浅川町歴史民俗資料館担当)インタビューより(2021年9月17日インタビュー実施)
(2)浅川町両町青年会長(渡邉大氏)インタビューより(2021年11月27日インタビュー実施)

(参考文献)
1 浅川町史編纂委員会『浅川町史第3巻民俗編』(福島県浅川町、1995年)
2 佐々木俊介他『全国の伝承江戸時代 人づくり風土記7 福島』(農山漁村文化協会、1990年)
3 浅川町ホームページ
(1)浅川町について(浅川町の概要)(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.town.asakawa.fukushima.jp/outline/
(2)浅川町について(特産品・名産品)(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.town.asakawa.fukushima.jp/outline/product/
(3)浅川町の花火(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.town.asakawa.fukushima.jp/asakawa_hanabi/
4 浅川町歴史民俗資料館パンフレット(発行年月日不明、2021年11月5日資料館訪問時に入手)
5 福島県阿武隈地域振興協議会ホームページ/特産品(魔除花火)(2022年1月23日最終閲覧)
 https://www.abukuma-shinkou.org/?p=707
6 よみがえる新日本紀行「盆・花火の里~福島県・浅川町~」(NHK、2021年8月29日放送)
7 新井充監修『花火の事典』(東京堂出版、2016年)
8 公益社団法人日本煙火協会ホームページ
(1)花火資料館(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.hanabi-jpa.jp/data/index.html
(2)打揚花火(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.hanabi-jpa.jp/uchiage/index.html
(3)安全への取り組み(手帳制度について)(2022年1月23日最終閲覧)
 http://www.hanabi-jpa.jp/safety/licence.html
9 阿智村役場清内路振興室ホームページ(手づくり花火)(2022年1月23日最終閲覧)
 http://seinaiji.angry.jp/hanabi/
10 中部圏研究:調査季報、坂口香代子『花火師たちの里・清内路の手づくり花火(長野県):夏の終わり、山深い峠の里で「花火師」となる住民たち』(中部産業・地域活性化センター、2010年)
11 野村朋弘編『日本文化の源流を探る』(藝術学舎、2014年)
12 早川克美『デザインへのまなざしー豊かに生きるための思考術』(藝術学舎、2014年)
13 西山松之助『藝道と伝統』(吉川弘文館、1984年)
14 エリック・ホブズボウム、テレンス・レンジャー編『創られた伝統』前川啓治、梶原景昭他訳(紀伊國屋書店、1992年)
15 マイケル・クローガー編『[新版]ポール・ランド、デザインの授業』和田美樹訳(ビー・エヌ・エヌ新社、2020年)

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