「生活と供にあった占い本」と、「求められる占い行為に機能する今日の占い師」

辻野 美香

はじめに、占いが広く流通し続ける状況には何らかの社会的な機能が存在すると考えるのが一般的である。しかし、占いの理論には科学的根拠が乏しいという見解とされることである。
現在書店には占い本が多数存在している。その中には運勢を占う内容と暦を知ることができる伝統ある暦本の存在がある。一方、街に出れば占い師が占ってくれる場所が存在している。日本社会において占いと人との関りはどのようなものであったのかを知るため、時代をさかのぼる必要があり、当時の人々にとって占いはどのようなものであり、何を求め、どのように解釈していたのかを考察し、現代の暦本の根源と今日の占い師を調査する。

1.近世の暦と占い
(1)歴史的背景
現代では曜日や日付の確認程度の意味しか持たなくなった暦を見る行為であるが、明治改暦以前、元来の暦は多くの吉凶禁忌の暦注が記されており、それらを確認し、日々の行動を定めるところまでが、暦を見るという行為であったが、「明治五年十一月九日、改暦の詔書と太政官の布告をもって政府は突如太陽暦への改暦を発表した」(註1)という暦詔書の発布があり、暦注は禁止され、それまでの中世の政府である朝廷や幕府に存在していた官人の陰陽師たちも姿を消す。当時は現代のような占い師そのものではなく、祈祷や占いが行われ、その特徴は西洋占星術とは異なった中国の占術が採用されていた。
暦の流通については平安後期以降、暦家の賀茂氏の書写した漢文の具注暦が、公家・武家の知識階層へと共有されるのが基本であった。
中世までの暦の知識は、決して社会全体に等しく開かれたものではなかった。それに対し、近世社会における暦の知識は庶民階層が特徴であり、日本古来でも行われてきた自然現象や手相・人相・など様々な易占などを網羅し、庶民に供する日用書の「大雑書」の存在があった。
19世紀の『天保新選永代大雑書萬暦大成』にみられる陰陽五行説と漢籍の信頼の背景には、陰陽五行説への回帰ともいえる現象によって、暦の日時や方向に基づく吉凶禁忌に加え、日々の行動判断のわかる暦占を根拠づけたとされることであり、陰陽五行説の知識の普及と、暦が利益を得るための情報として用いられた背景には大雑書や暦占書などを介して暦の知識の普及があったからこそ民俗社会で育まれてきた経験的知識が暦と結びてけて語る機会が増え、「正月に虹あれば八月にいたりて米の価高し」(註2)など、暦本に基づく天候予知の言説が登場し、占いのてだてには、星、虹、雲、風、雪、霧、露、霜、霞、さらには地震、雷・電まで含まれる。それらがいつ出現するかが判断基準とされており、こうした雑占の解説の表現は多くもの吉凶判断法に独自の分別を加えようとしていることであり、その知識が再び書物に取り込まれていった結果である。

(2)先行研究
陰陽書から続く雑書の歴史は古く日本独自の書物へとつながる資料として残されていることが示されているのが中村璋八著『日本陰陽道書の研究』の中に書かれた「その中にあって、安倍晴明の『占事略決一卷』と賀茂家榮の『雑書一卷』(陰陽雑書)の二書は、その鈔本が今に傅わっている」(註3)である。
大雑書の展開にはすでにいくつかの研究が行われている。その中でも多数の大雑書の比較研究を行ったのは橋本萬平であり、『寛永九年版大ざつしよ』の解説『大ざつしよ』の系統と特色の中で「その『大ざつしよ』で最初に刊行されたのが、今わかっている所では寛永九年(一六三二)版であるから、この本は江戸庶民の生活を理解する原典として、極めて重要な存在である」(註4)と言い、また、同書の大雑書の成立と評価の中では、「雑書とは一般に暦占の書をいい、『本朝書籍目録』の陰陽の項に賀茂家栄撰『雑書』として掲げられているのが早い例である」(註5)とあり、100種類以上からなる雑書は当初「暦占」の分類が含まれていたが18世紀後半には「雑書」という独立した分類になっていったとされる経緯には、先人たちによって繰り返し出版が行なわれていったという性格を顕著に示されている。

(3)基本データ
「株式会社 神宮館」
1908年に暦の出版と印刷業を始め、今年で116年を迎える。
現在書店に流通している暦本以外にも、ノベルティとして神社や企業向けの商品を扱っている。
所在地、〒110-0015 東京都台東区東上野1丁目1番4号

「占い館 フォーチュンミラー」
2023年1月2日、大阪あべのキューズモール4階で開業し、同年3月1日に地下1階へ移る。現在、占い師は20名。
所在地、〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋1-6-1地下1階

2.事例の取材内容と報告
(1)(写真1)暦本出版社「株式会社 神宮館」製作部へのメール取材内容
「神宮館」は『天保新選永代大雑書萬暦大成』の出版社でもある。現在「神宮館」の出版している暦本と大雑書との関りついて。
取材報告、「現在、当時のことを知る人がいないため、確認できません」という状況であった。今回の取材においては、『天保新選永代大雑書萬暦大成』と「株式会社 神宮館」の暦本との出版経緯については不明である。(取材日2024年1月19日)

(2)(写真2)フォーチュンミラーの占い師2名への取材内容
①依頼者や客に対して運勢などを示す際の占い行為(~占い)において、その判断は何を根拠としているのか。
②その判断に必要となる根拠をどのような契機によって習得しようとしたのか。
(写真3)満月絵子(まんげつえこ)さんの取材報告、①直観と経験を通して形作られた体系的知識、②占い師になったのは40代、それまで営業職、イラスト・デザイン職を経て、結婚後はパートをしていたが、持病で倒れ何もできなくなり、そこから好きだった占いを学ぶ。(取材日2023年12月27日)
(写真5)水鳥耀聖(みなどりかぐと)さんの取材報告、①直観と経験を通して形作られた体系的知識、②小学生の頃から占いに興味があり、占い本を読んでいた。占い師になったのは20歳の頃、タロットや、宝石占いなど占い師から学ぶ。(取材日2023年12月28日)

3.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
現在我々が使うカレンダーは太陽暦によるものだが、その中には古来の太陰太陽暦で使われる季節を伝える言葉が残っており民間によって文化が受け継がれていることである(写真1)。
占い師は、それぞれの依頼人や客に応じた多種多様な占術によって日々人を占うことで機能し、占いを提供していることである(写真4)(写真6)。

4.今後の展望
占い本は占いの優れた標本であり、各占いにおける特色の違いが指標の一つになり、伝統ある暦本においては、今後時代とともに、どのようなアップデートが図られていくのか期待できる。
占い師は、技術によって接し方や楽しみ方の多様化が考えられる。

5.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるか
占いは世界各国に存在する。中世のキリスト教世界では、異端とされる人たちは、「魔女」と言われたこともあったとされるが、日本には西洋的な「魔女」はほとんど存在しない。日本では、日本独自の神のおみくじ(御籤)として意識的に創出され、現代のおみくじにつながる自然崇拝に根差した風習が残っている。

まとめ
読者層の大部分が庶民であった近世社会では、当然ながら生活の実用性のある書が求められたのであり、暦占がどのような解釈であったのかについては、それを解説した書物と民俗社会での実践が伴っていたことから理解でき、占いの中の禁忌など何の根拠もないようだが、実は人の経緯に基づいて何回も繰り返し作られた風潮は文化の一部も反映しており、時代が変わり忘れられて説明できなくなったことによるものが根拠が乏しいとされるのである。
一方、占い師からは、「大雑書」にはない西洋占星術・カード占い・更に霊視など人の行為によって生み出された結果として何らかの表象を判断の材料にするものも含み、余人の確認不可能な表象を材料とする一面も占い行為としてとらえられることができ、占いに正当性を与える「根拠」と占い師を占い師へと向かわせた契機を明確にし、特徴を示すことができた。
つまり、現代暦本の存在は、当時の人々と供にあった占い書物の繰り返された出版に経験的知識が込められた結果であり、一方、今日の占い師は人を占うことで実践が伴い、占い師の内面的な部分に経験的知識の積み重が行われている。
したがって、近世の占いの考察と現代の占いの調査によって、社会的事実に迫ることができたのである。

  • 81191_011_32081042_1_1_IMG_9903 (1) 写真1、暦本、神宮館編著『令和六年神宮館運勢大暦』と「令和六年開運神宮館カレンダー」。
    カレンダーには、六曜星の吉凶・廿八宿の吉凶などの他にも方位吉凶図で吉方位が示され、1年間の運勢と九星別の毎月の運勢も掲載されている。
    (2024年1月19日 筆者撮影)
  • 81191_011_32081042_1_2_IMG_9599 写真2、フォーチュンミラーさんの外観
    空間を利用して「占いスペース」」が作り出されている。
    (2023年12月28日 筆者撮影)
  • 81191_011_32081042_1_3_0A51DA8E-4B9C-4368-B165-0E323ADEE966 写真3、フォーチュンミラー占い師の満月絵子(マンゲツエコ)さん
    占い行為の占術は、霊感タロットカード・ルノルマンカード・オラクルカード・東洋手相・九星気学・方位学・家相学・数秘術・魔術など。
    (2023年12月27日 筆者撮影)
  • 81191_011_32081042_1_4_8CDD83A1-AAFA-49E5-87BA-865F6F9B5B75 写真4、写真右上の際立つ絵は、占い師の満月絵子さん自作の絵画作品。
    その他、占い教室などで占いを教えている。
    (2023年12月27日 筆者撮影)
  • 81191_011_32081042_1_5_83EFB114-EF27-4EA4-B151-13F978EC9CAD 写真5、フォーチュンミラー占い師の水鳥耀聖(みなどりかぐと)さんはフォーチュンミラーの社長でもある。
    占い行為の占術は、西洋占星術(タロット)・宇宙のシステム、法則・守護霊様ペンデュラムなど。
    取材最終日に独自で作られた丸いカードを使って占ってくださいました。
    (2023年12月28日 筆者撮影)
  • 81191_011_32081042_1_8_7C9D6FED-378F-4C24-8A4F-002FCD2F1516 写真6、社長兼占い師の水鳥耀聖(みなどりかぐと)さんの占い日の外観。
    写真左側の「占いイベント」と書かれたイラストなどの広告などは、依頼して作ってもらたオリジナルのもので飾られている。
    (2023年12月28日筆者撮影)

参考文献

 註
(1)岡田芳朗『暦ものがたり』角川書店、昭和57年12月25日、232頁。
(2)神宮館編集部『天保新選永代大雑書萬暦大成』神宮館、昭和27年5月10日初版 昭和46年8月1日 7刷、45頁。
(3)中村璋八『日本陰陽道書の研究』汲古書院、昭和60年2月初版発行 平成5年11月第2刷発行、17頁。
(4)橋本萬平・小池淳一編『寛永九年版大ざつしよ』岩田書院、第1刷発行、1996年、153頁。
(5)橋本萬平・小池淳一編『寛永九年版大ざつしよ』岩田書院、第1刷発行、1996年、216頁。

参考文献 
中村幸彦校注『日本思想大系 59 近世町人思想』岩波書店、1975年。
中村璋八『日本陰陽道書の研究』汲古書院、昭和60年2月初版 平成5年11月第二刷発行。 
柳田国男『禁忌習俗語彙』国書刊行会、1979年。
村山修一『日本陰陽道史総説』塙書房、1981年。
林淳・小池淳一編著『陰陽道の講義』嵯峨野書院、2002年。
小池淳一『陰陽道の歴史民俗学的研究』角川学芸出版、2011年。
陰陽道史研究の会編『呪術と学術の東アジア』勉誠出版、2022年。
神宮館編集部『天保新選永代大雑書萬暦大成』神宮館、昭和27年5月10日初版 昭和46年8月1日 7刷。
橋本萬平・小池淳一編『寛永九年版大ざつしよ』岩田書院、第1刷発行、1996年。
鈴木敬信『暦と迷信』恒星社厚生閣、昭和44年5月25日発行 昭和46年8月10日改訂発行。
渡邊敏夫『日本の暦』雄山閣、昭和51年11月15日初版第一刷発行 昭和52年5月15日 初版第二刷発行 昭和59年4月20日第二版第一刷発行。
川口謙二・池田孝・池田政弘著『こよみ事典』東京美術、昭和52年12月21日初版第一刷発行 平成6年5月20日初版第十刷発行 平成11年12月25日改訂新版第一刷発行。
岡田芳朗『暦ものがたり』角川書店、昭和57年12月25日初版発行。
岡田芳朗『明治改暦』大修館書店、1994年。
岡田芳朗『日本の暦』新人物往来社、1996年。
岡田芳朗・神田泰・佐藤次高・高橋正男・古川麒一郎・松井吉昭編『暦の大辞典』朝倉書店、2014年。
宮田登『宮田登 日本を語る10 王権と日和見』吉川弘文館、2006年。
大野出『元三大師御籤本の研究 おみくじを読み解く』思文閣出版、2009年。
大後美保編『天気予知ことわざ辞典』東京堂出版、昭和59年6月15日初版発行 昭和63年5月10日六版発行。
水口幹記『日本古代漢籍受容の史的研究』汲古書院、2005年。   
永田久『暦と占いの科学』新潮社、1982年。
神宮館編集部編著『令和六年神宮館運勢大暦』神宮館、令和5年8月1日。
川村邦光・市川裕・大塚和夫・奥山直司・山中弘編/山折哲雄監修『宗教の事典』朝倉書店、2012年。
大津透・桜井英治・藤井讓治・吉田裕・李成市編集委員『日本歴史 第12巻・近世3』岩波書店、第1刷発行 2014年11月21日。
宮家準『修験道の地域的展開』春秋社、2012年。
小南一郎・大形徹・山下克明・上野勝之・平林章仁・豊田裕章・奈良場勝・山里純一・塩月亮子・中町泰子・吉村美香著/吉村美香編『巫・占の異相:東アジアにおける巫・占術の多角的研究』志学社、2023年。
桜井徳太郎編『シャーマニズムの世界』春秋社、1978年。
堀一郎『日本のシャーマニズム』講談社、1978年。
今田洋三『江戸の本屋さん』日本放送出版協会、第1刷発行 昭和52年10月20日。
上山安敏『魔女とキリスト教 ヨーロッパ学再考』講談社、1998年。

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