迎賓館赤坂離宮にみる和と洋の文化・芸術的調和への評価

小嶺 浩明

迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)は、1909年(明治42年)に建てられた、日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築である。内部は部屋ごとにフランス十八世紀末様式、アンピール様式、アンリ二世様式、ムーリッシュ様式といった西洋の建築様式が採用されている。一方で外・内装の彫刻や調度品、絵画などに日本古来の芸術様式や日本の伝統的なモチーフが巧みに組み込まれており、和と洋の芸術要素が見事に調和しているのが特徴的である。

1.基本データと歴史的背景

1-1 基本データ

名称:迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)
所在:東京都港区元赤坂二丁目1番1号
設立:1909年(明治42年)
敷地面積:約12万平方メートル
延床面積:約1万5355平方メートル
本館構造:鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階)
建築総指揮:片山東熊(1854〜1917年)
大改修監修:村野藤吾(1891〜1984年)
国宝・重要文化財指定:2009年(平成21年)12月8日
所有者:内閣府

1-2 歴史的背景

迎賓館赤坂離宮は、当初、後の大正天皇となる皇太子・嘉仁親王の住まい(東宮御所)として建設された。建設には、当時の日本における洋風建築をリードしたイギリス人ジョサイア・コンドル博士(工部大学校・造家学科教授(現・東京大学))の弟子にあたる片山東熊の総指揮の下、著名な学者や芸術家、技術者などが総動員されるなど一大国家プロジェクトであった。
第2次世界大戦後には、皇室財産であった敷地と建物が国に移管され、国立国会図書館(1948-1961年)や内閣憲法調査会(1956-1960年)、東京オリンピック組織委員会(1961-1965年)などに活用された。その後、国際社会へ復帰したことに伴って外国との交流が盛んになり、外国の賓客を国として接遇するための施設の必要性が高まったため、大規模改修を経て1974年に迎賓館として新たに出発した。
この大改修にあたり、迎賓館の文化財的価値を保存しつつも、賓客が快適に過ごし、公式行事も執り行うことができるような基本方針が定められた。本館の改修を監修したのは、日本芸術院会員の建築家・村野藤吾であった。5年の歳月と108億円の経費をかけて行われた改修には、建物自体の改修だけでなく、天井絵画の修復も行われた。
創建当時の建築で本格的なネオ・バロック様式の宮殿建築は世界的にも少なく貴重な存在であることから、創建100年後の2009年には近代建築として初めて国宝に指定された。

2.積極的に評価している点

迎賓館赤坂離宮について積極的に評価している点は、建設当時の「西洋に追いつけ、追い越せ」といった西洋化が進んでいた時代背景の中で、西洋の要素の中に日本の文化・芸術を組み込むという挑戦的な取り組みである。
独自の文化を守りつつも西洋化と富国強兵に進む日本を象徴するような作りとなっている迎賓館赤坂離宮は、西洋の建築様式であるネオ・バロック様式の宮殿の中に、次代の天皇である皇太子の力や威厳を表現する和の意匠が「朝日の間」などの公的空間に組み込まれている。
具体的な例を挙げると、建物外観は一見、西洋の宮殿を思わせるが細部をよくみると屋根部分には鎧兜を着た日本武士のブロンズ像が2体設置されていたり、海外からの賓客を迎える玄関ホールの床には市松模様があしらわれている。
各部屋の装飾を確認すると、迎賓館の中で最も格式が高いとされる「朝日の間」の床には、日本の国花である桜をモチーフにした緞通が敷かれている。さらにこの敷物は47種類の色の糸を使用し、日本風の繊細なぼかしを表現している。
「彩鸞の間」にあるマントルピースの装飾には、日本刀とサーベルがあしらわれ和洋の対比が表現されている。また、アンピール様式を採用しているこの部屋のレリーフには、武士像が彫られている。東海大学の小沢朝江教授によると「武士像は、天皇の武人としてのイメージ創出のために、近代に新たに創られたモチーフ」(註1)であり迎賓館赤坂離宮(東宮御所)の武士像は「東宮」という「次代の天皇」の「力」を示す証」(註2)だったと結論している。
「花鳥の間」の壁面に装飾された七宝焼は、その下絵を日本画の巨匠・渡辺省亭が担当し、当時七宝焼の天才と称されていた濤川惣助が焼いている。
「羽衣の間」の天井画は、謡曲「羽衣」の「虚空に花ふり音楽聞え、霊香四方に薫ず」という一節が見事に表現されている。
このように迎賓館には、隅々にいたるまで和と洋の造形芸術が組み込まれているのが特徴的である。当時の技術の粋と古今の日本芸術を集合させ、さらに西洋風の宮殿に組み込むという壮大なデザインプロジェクトに対して積極的に評価したい。

3.その他の同様の事例と比較・特筆される点

3-1 開智学校校舎との比較

旧開智学校の校舎は1879年(明治9年)に竣工し、文明開化の次代を象徴する「擬洋風建築」である。
擬洋風建築とは、幕末から明治時代初期の日本において、近世以来の技術を身に付けた大工棟梁によって設計施工された建築のことで、旧開智学校は地元の大工棟梁であった立石清重によって設計施工された。
迎賓館赤坂離宮と旧開智学校の大きな違いは、建築構造である。文明開花以降の建築物である迎賓館は、鉄骨補強煉瓦石造という構造になっている一方で、旧開智学校をはじめとした擬洋風建築のほとんどが木造で、屋根には日本瓦が用いられている。
擬洋風建築からは、明治初期の西洋の文化や技術を学び、取り込んでいこうとする姿勢がみられ、その試みは、技術力・文化力の向上とともに、迎賓館赤坂離宮をはじめとする明治後期の洋風建築へと昇華されている。

3-2 特筆される点

擬洋風建築は、日本伝統技術を身に付けた大工や宮大工が日本伝統の側から洋式の建築を解釈し、見よう見まねで建設されている。したがって、車寄せなどの大まかな形は共通しているものの、建物によって彫刻などの装飾に自由さがあり、洋の要素だけでなく中国の伝統的な彫刻も見られる。旧開智学校も例外ではない。
一方で、迎賓館赤坂離宮は西洋の建築様式に則って厳密に建設されており、上記に記載した通り「天皇の武勲」や「国運隆昌」といったイメージを日本の伝統工芸をもって本格的な西洋建築の中に巧み組み込んでいる。
加えて、これらを実現させるために、当時の日本の建築、美術、工芸分野の総力を結集させている。こうしたことから、迎賓館赤坂離宮は、明治における近代洋風建築の到達点ともいわれ、日本初の建築分野での国宝に指定された。

4.今後の展望について

迎賓館はその名の通り、基本的には国賓などの諸外国要人の接遇や国際行事などを行うための国家施設であるが、現在では一般公開も行われるなど、広く開放されている。さらには、ー昨年行われた東京パラリンピックでは集火式ではプロジェクションマッピングを活用した空間演出が行われたりと、国の「迎賓館」としての役割の他にも今日的な活用が期待される。
さらに、コロナ禍を経て現在では訪日する外国人観光客がコロナ以前に戻りつつある。迎賓館赤坂離宮は、一見、西欧の雰囲気を持つが一歩踏み入れたら、随所に日本伝統を感じる不思議な建物である。これは他の国には見られない魅力の一つと考えられる。したがってインバウンドにも期待が持てるのではないか。
また、迎賓館赤坂離宮は、教育分野でも活用できると考える。日本近代史をはじめ近代建築・美術を学ぶ上でも非常に重要な資料であることは間違いない。その上で、創建当時の日本人の熱量や学びへの貪欲さなど、言葉にできない部分でさえも、この建築物から汲み取ることができるのではないかと考える。

5.まとめ

和洋の文化的な融合が端緒に表れているのが迎賓館赤坂離宮である。創建当時の日本における文化・芸術の最高峰を結集させ、西洋の文化・芸術の中に組み込むという取り組みは、挑戦的であるものの、それぞれの文化・芸術が見事に調和され、現在でも来館者に洋式の重厚かつ荘厳的な空間を提供しつつ、和の意匠は日本人にとっては親しみを、外国人には日本の伝統を伝えている。

  • 81191_011_32086115_1_1_%e8%bf%8e%e8%b3%93%e9%a4%a8%e5%a4%96%e8%a6%b3 日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋風建築である迎賓館赤坂離宮。重厚な造りで外壁の細かな彫刻にも日本文化を象徴するモチーフが彫られている(2022年5月15日、筆者撮影)
  • 81191_011_32086115_1_2_%e6%ad%a3%e9%9d%a2%e3%81%ae%e5%b1%8b%e6%a0%b9%e9%83%a8%e5%88%86 正面の屋根に設置されている一対の武士像(ブロンズ)は、多くの神社仏閣の入り口に設置されいてる狛犬や仁王像にみられる阿吽の形をとっている(2022年5月15日、筆者撮影)
  • (非掲載)
    正面玄関の床には、イタリア産の白い大理石と国産の黒い玄昌石がはめ込まれており、市松模様やチェス盤を想起させる(迎賓館赤坂離宮公式ホームページより)
  • (非掲載)
    迎賓館赤坂離宮の中で、最も格式が高いとされる。壁には京都の金華山織が張られ、周りに描かれた絵画には鎧兜や五七桐紋があり、国花がモチーフとなっている緞通が敷かれている(迎賓館赤坂離宮公式ホームページより)
  • (非掲載)
    武勲の象徴ともいえる鎧兜が獅子とともに描かれている(迎賓館赤坂離宮公式ホームページより)
  • (非掲載)
    壁には七宝焼の最高傑作ともいわれる作品が30枚飾られている(迎賓館赤坂離宮公式ホームページより)
  • (非掲載)
    代表的な擬洋風建築である旧開智学校校舎。文明開化を象徴する擬洋風建築の代表作として2019年に国宝指定された(松本市公式ホームページより)

参考文献

註1:小沢朝江著『歴史文化ライブラリー263 明治の皇室建築 国家が求めた<和風>像』、吉川弘文館、2008年、141頁4行目
註2:小沢朝江著『歴史文化ライブラリー263 明治の皇室建築 国家が求めた<和風>像』、吉川弘文館、2008年、141頁6行目

内閣府迎賓館赤坂離宮ホームページ(https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/)、2023年7月15日閲覧
内閣府迎賓館『迎賓館天井画修復(16)業務報告書 概要版』、2019年5月(https://www.geihinkan.go.jp/wp-content/themes/geihinkan/assets/pdf/36goshitsu_tenjoegashufuku_1.pdf)2023年6月14日閲覧
小沢朝江著『歴史文化ライブラリー263 明治の皇室建築 国家が求めた<和風>像』、吉川弘文館、2008年
小玉正任著『国宝 迎賓館赤坂離宮 沿革と解説』、茜出版、2012年
小泉 和子、前潟 由美子、菅﨑 千秋、平賀 あまな著『旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)の室内意匠及び家具調度品の研究』、住総研研究論文集、2014年(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jusokenronbun/40/0/40_1209/_pdf/-char/ja)2023年6月15日閲覧
『国宝 迎賓館赤坂離宮』公式冊子
『迎賓館赤坂離宮』公式パンプレット
東海大学公式ページ(https://www.u-tokai.ac.jp/facultyguide/faculty/2734/)2023年7月20日閲覧
松本市公式ホームページ「旧開智学校校舎」(https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/3770.html)2023年7月21日閲覧

年月と地域
タグ: