農村舞台・寶榮座を活かした、新たな地域づくりへの挑戦 -農村舞台寶榮座協議会の取り組みから考える-

石黒 秀和

はじめに
愛知県豊田市の紅葉の名勝・香嵐渓から東へ5キロほど入った山間の小さな集落に農村舞台(註1)・寶榮座はある(資料1)。人口減少・高齢化の進む現在の日本社会。限界集落ともいわれるこの地で、寶榮座を核とした新たな地域づくりへの挑戦が始まっている。その活動の現状と課題、可能性について考察する。

1.寶榮座の基本データ(註2)
所在地:愛知県豊田市怒田沢(ぬたざわ)町平岩5
呼称:寶榮座(ほうえいざ)
大きさ・構造(資料2):間口15.815m、奥行7.350m。萱葺(現在はトタンで覆っている)の入母屋造り。舞台下に奈落と20畳の楽屋を併設。舞台中央に直径約5メートルの車輪回転式廻り舞台。両袖に太夫座。下手にセリと架設の花道。

2.寶榮座誕生の背景とその後の経緯
寶榮座を有する怒田沢町は、戸数13戸の小集落である(資料3)。もともと地芝居(註3)が盛んだったこの地域で、村の氏神様であった諏訪神社境内の小さな舞台を1897年(明治30年)に農村舞台に再建したのが現在の寶榮座である。1921年(大正10年)には舞台機構を大改修し廻り舞台などを設置した(註4)。
寶榮座再建の際には、「太くていい木を出した人は、いい役をもらえる」との理由で、家の山で一番太い木を競って寄付したと伝わるほど怒田沢町の人々の芝居好きは筋金入りであった(註5)。そんな芝居の村も、昭和初期になると主要産業であった林業や養蚕業が衰退し、少子高齢化と都市部への人口流出で住民数が減少(註6)。1990年(平成2年)の歌舞伎公演を最後に(註7)寶榮座の活用も途絶え、集落での維持管理が難しくなった。

3.農村舞台寶榮座協議会の設立と活動
そんな寶榮座をなんとか存続させたいと、2016年に怒田沢自治会から萩野自治区(註8)へ寶榮座の管理移管願いが提出される。当時、萩野自治区長だった青木信行氏は、寶榮座の文化的価値と周辺の豊かな農村風景、自然環境に着目し、自然と芸術が融合した「芸術文化村」構想を発案。有志による協議会設立を呼びかけ、2017年4月1日に農村舞台寶榮座協議会が設立された。協議会の目的について会長となった青木氏は次のように述べている。
「私たちの活動の目的は、築120年の歴史を刻む農村舞台寶榮座を今に生きる地域の文化資源として最大限に利活用することにより、少子高齢化で活気を失いつつある小集落・怒田沢を芸術文化村として甦らせ再生するものであります」(註9)。
6年目となった現在。途中、新型コロナの流行により中止となる事業もあったが、名古屋の人気劇団・ハラプロジェクトによる七夕歌舞伎公演(資料4)をはじめ、映画上映会、仏教講座、寄席など、年間を通して協議会主催の事業が定期的に寶榮座で開催されるようになった。また、2021年度からは貸館によるダンス公演や歌謡ショーなども開催されるようになり、2022年度は3つの貸館事業が実施された(資料5)。

4.農村舞台寶榮座協議会の活動の評価点
農村舞台寶榮座協議会の評価すべき点の一つは、こうした地元の人以外にも寶榮座を貸し出している点である。一見すると当たり前のことのように思えるが、そもそも寶榮座は地元の氏神様・諏訪神社の境内にある。通常、こうした場所は氏子によって守られるべき場所であり、地元の人以外が活用するのは難しいケースが多い。しかし寶榮座の場合は、むしろ積極的に外部の人に貸し出している。現在、寶榮座の使用料は原則無料である。さらに寶榮座は、農村舞台としては珍しい20畳の楽屋を舞台下に備えている。この楽屋は宿泊もできるよう整備されており、アーティスト・イン・レジデンスも可能となっているのである。

5.越後妻有地域における「大地の芸術祭」との比較を通して
こうしたアートを地方の山村過疎地の活性化に活用した取り組みとしては、新潟県十日町市と津南町、NPO法人越後妻有里山協働機構が主催する「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」がある。2000年の発足時、越後妻有地域の28の集落が参加し、162,800名が訪れたこのイベントは、約20年で102の集落が参加し、548,380名が訪れる世界的な芸術祭へと成長した(資料6)。
しかしこのイベントの最大の評価点は、その観光客増による経済効果ではなく、過疎の進んだ越後妻有地域の集落に多くの関係人口(註10)を呼び込んだことにある。その象徴が「こへび隊」と呼ばれるボランティアの存在である。こへび隊は、大地の芸術祭の支援を目的に、世代・地域を超えた自主的な組織として結成された。人員の多くは首都圏など地元住民以外で構成されており、芸術祭期間中のツアーガイド、作品制作サポートなどに加え、芸術祭期間外も、農作業や除雪、祭礼参加など、年間を通し越後妻有地域の暮らしに寄り添った活動を続けている(註11)。こうしたボランティアは関係人口となって今では越後妻有地域の各集落を支える貴重な人材となっている。これは、過疎化の進む地域における、新たなコミュニティづくりのモデルにもなっているのである(註12)。

6.農村舞台寶榮座協議会の活動の特筆すべき点
農村舞台寶榮座協議会の活動における最大の評価点もまた、この関係人口を増やす取り組みにある。先に述べたように、寶榮座は外部の人にも積極的に舞台の貸し出しを行っている。さらに特筆すべき点は、友の会制度を設けていることである。友の会とは、協議会の活動に賛同し支援していただける草の根のサポーターを募る制度である。
友の会には年会費個人一口500円、団体1000円で誰でも入会できる。そもそも、当初寶榮座は、萩野自治区で保全・運用することが想定されていた。しかし青木氏は有志による協議会を発足させ、友の会による支援を選択した。そこには自治区では廃屋同然の寶榮座に区費を使うことに難色を示す住民が必ず出ることと、自治区を超えたより多くの人に寶榮座の存在と魅力を知ってもらうことこそが、持続可能な寶榮座の存続と将来の萩野自治区の活性化につながると考えたからである。
友の会の会員には年1回程度の通信が発行されるが、正直その他に大きな特典があるわけではない。それでも現在、150名を超す個人と12の団体が会員となり、寶榮座の維持管理や公演の手伝いなど直接的・間接的に協議会の活動を支えている。会員の多くは豊田市の住民である。豊田市の人口は現在約42万人(註13)。隣市には同規模の岡崎市もある。こうした、いわゆる都市部の住民が山間部の集落を関係人口として支える仕組みとして、友の会制度は機能し始めているのである。

7.課題と展望
一方、課題はずばり後継者問題である。協議会を立ち上げ、会長として6年間先頭を走ってきた青木氏は現在73歳。しかしその青木氏の跡を継ぐ人材はまだ見つかっていない。青木氏を支えてきた芝居好きな他の役員も最年長は80歳を超えた。さらに萩野小学校で継承されてきた子供歌舞伎(註14)も、児童数の減少と指導者の高齢化で2022年秋の公演を最後にその活動に幕を降ろした。
それでも2022年、協議会には嬉しい出来事があった。40代の男女3名が役員に名を連ねてくれたのである。いずれもアートに興味があり、寶榮座での活動に魅力を感じた豊田市内と萩野自治区の住民である。
青木氏は取材において、怒田沢町をいずれは「一戸一芸の村」にしたいと語ってくれた。わずか13戸の集落。その13戸に、いずれはアートを発信する人たちだけが住み、市内外はもちろん世界中から人々が訪れる村にしたいと言うのである。それは日本の原風景と文化を残した怒田沢だからこそ可能なことだと言う。過疎化の進む13戸の山村は今、本気で、世界に目を向けた芸術文化の村を目指しているのである(資料7)。

8.まとめ
農村舞台寶榮座協議会の取り組みは、地域に受け継がれてきた農村舞台を活用することで関係人口を増やし、過疎化の進む小集落にアートを通じた新たなコミュニティを創出する試みであった。
2022年12月1日現在の日本の総人口は1億2,484万人。それが2065年には8,808万人になると推計されている(註15)。人口が減り高齢者すらいなくなった山村はやがて戸数も減り消滅する。その時、地域に受け継がれてきた文化もまたなくなるのである。
「わしらが寶榮座を守っとるんじゃなくて、寶榮座が、この村を守ってくれとるんよ」。
取材の最後にポツリともらした青木氏のこの言葉こそ、これからの地域づくりにおける、大切なまなざしだと考えるのである。

  • 81191_011_31981041_1_1_%e8%b3%87%e6%96%991_page-0001 資料1 寶榮座の場所
    豊田市郷土資料館編『歌舞伎の衣装と文化~地域に息づく農村歌舞伎~』豊田市教育委員会、2011年、p12関係地図より部分抜粋したイラストと、農村舞台寶榮協議会ホームページhttps://houeiza.jimdofree.com/(2022年12月6日閲覧)より部分抜粋したイラスト(吉田稔画)を使い筆者作成
  • 81191_011_31981041_1_2_%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%92_page-0001 資料2 寶榮座の構造
    農村舞台寶榮座協議会ホームページhttps://houeiza.jimdofree.com/(2022年12月6日閲覧)より抜粋したイラスト(吉田稔画)と、筆者撮影(2022年8月6日)の写真を使い筆者作成
  • 81191_011_31981041_1_3_%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%93_page-0001 資料3 怒田沢集落の地図
    筆者、2022年8月3日に現地を歩き作成
  • 81191_011_31981041_1_4_%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%94_page-0001 資料4 七夕歌舞伎の様子
    筆者撮影(2022年7月3日)
  • 81191_011_31981041_1_5_%e8%b3%87%e6%96%995_page-0001 資料5 農村舞台寶榮座協議会のあゆみと活動実績
    農村舞台寶榮座協議会総会資料より筆者作成。写真は農村舞台寶榮座協議会提供。
  • 81191_011_31981041_1_6_%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%96_page-0001 資料6 大地の芸術祭の実績
    大地の芸術祭実行委員会「大地の芸術祭 総括報告書」をもとに筆者作成
  • 81191_011_31981041_1_7_%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%97_page-0001 資料7 怒田沢の今とこれから
    筆者撮影(2022年7月3日と11月29日)の写真と、農村舞台寶榮座協議会ホームページhttps://houeiza.jimdofree.com/(2022年12月6日閲覧) より抜粋したイラスト(吉田稔画)をもとに、筆者作成

参考文献

註・参考文献

註1 
かとうさとる編『農村舞台アートプロジェクト10周年記念誌』(公財)豊田市文化振興財団、2022年、p14より
農村舞台とは、農山村や漁村にある近世芸能舞台のことで、主に祭礼での娯楽を目的とした村芝居や人形芝居が上演されてきた。角田一郎編『農村舞台探訪』(和泉書院、1994年)によると、北は秋田から南は鹿児島まで日本各地に分布し、その多くは江戸期から明治、大正時代に村落の神社境内に建てられた。中でも豊田市の中山間地から奥三河、岐阜の飛騨・東濃地域、長野の南信地域にかけては全国の農村舞台の三分の一が集中し、豊田市には2009年の目視調査により84棟の現存が確認されている。

註2
農村舞台寶榮座協議会ホームページ https://houeiza.jimdofree.com/(2022年12月6日最終閲覧)より

註3
豊田市郷土資料館編『歌舞伎の衣装と文化~地域に息づく農村歌舞伎~』豊田市教育委員会、2011年、p13および豊田市歌舞伎伝承館発行「豊田市歌舞伎伝承館パンフレット」より
地芝居とは、プロの役者が演じるのではなく、集落で村民自らが演じる芝居のことであり、江戸時代には歌舞伎が民衆の間で大ブームとなり、地方の農村や漁村でも演じられるようになった。その舞台が農村舞台である。豊田市には現在、市の無形民俗文化財にも指定されている小原歌舞伎保存会をはじめ、旭歌舞伎保存会、石野歌舞伎保存会、藤岡歌舞伎の4つの保存会があり、定期公演などの活動を行っている。

註4
農村舞台寶榮座協議会発行「農村舞台寶榮座協議会パンフレット」より 

註5
木村妙子著『怒田沢村物語』中日出版社、2003、p173より

註6
萩野小学校開校150年記念「萩野ふれあいYEAR2022」実行委員会編・発行『ふるさと萩野~萩野小学校開校150年記念萩野ふれあいYEAR2022記念誌』2022年、p25の自治会別人口推移一覧より
怒田沢の人口は1980年に60名だったのが2022年には35名となっている。一方、世帯数は1980年が14に対し2022年は13とほとんど変わっていない。

註7
農村舞台寶榮座協議会会長・青木信行氏への取材(2022年11月28日実施)により、豊田市との合併前の1990年に、足助町の事業として寶榮座を活用した「足助人学校」というプロジェクトを立ち上げ、名古屋大須で人気があったスーパーロック歌舞伎を招いた公演を行い、600名の来場者で賑わった。しかし「足助人学校」は続かず、その後、豊田市の農村舞台アートプロジェクト(2010年~)で活用されることもあったが、村民による積極的な活用はなかったと言う。

註8 
農村舞台寶榮座協議会会長・青木信行氏への取材(2022年11月28日実施)により、萩野自治区とは、旧足助町の7つの自治会(桑田和町、菅生町、竜岡町、玉野町、二夕宮町、怒田沢町、川面町)により構成されている萩野小学校を校区とした自治区のことである。

註9
2018年6月1日発行「寶榮座通信創刊号」p1、青木信行氏寄稿「創刊に寄せて」19行-24行

註10
総務省・関係人口ポータルサイト https://www.soumu.go.jp/kankeijinkou(2022年12月23日閲覧)より
「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉である。

註11
大地の芸術祭サポーターこへび隊ホームページ https://kohebi.jp(2022年12月23日最終閲覧)より

註12
総務省・関係人口ポータルサイト https://www.soumu.go.jp/kankeijinkou(2022年12月23日閲覧)の地域の取り組み事例より
新潟県十日町と津南町におけるこへび隊の活動実績が紹介されている。

註13
豊田市経営戦略部市長公室市政発信課編・発行『豊田市政70周年記念誌』2021年より
豊田市は2005年4月に、矢作川流域の7市町村(豊田市、足助町、藤岡町、小原村、旭町、稲武町、下山村)が合併し、人口は約42万人、面積は県下最大の約918平方キロメートルでその7割が森林という都市と山村が共生する街になった。

註14
萩野小学校開校150年記念「萩野ふれあいYEAR2022」実行委員会編・発行『ふるさと萩野~萩野小学校開校150年記念萩野ふれあいYEAR2022記念誌』2022年、p102-103より
萩野子供歌舞伎は、怒田沢歌舞伎を継承する形で1987年から萩野小学校の5・6年生により学芸会で上演されてきた。現在の農村舞台寶榮座協議会のメンバーが指導者となり、30年以上の歴史を重ね地域の誇りとなっていたが、萩野小学校の生徒数減少により2022年秋の上演が最後となった。

註15
2022年12月1日時点での日本の総人口は総務省統計局ホームページhttps://www.stat.go.jp人口推計(2022年12月20日公表)より。
2065年の人口予測は国立社会保障・人口問題研究所発行「日本の将来推計人口(平成29年推計)」より。

参考文献・URL
古川一郎編『地域活性化のマーケティング』有斐閣、2011年
藤野一夫ほか編『基礎自治体の文化政策-まちにアートが必要なわけ』水曜社、2020年
増田寛也編『地方消滅』中央公論新社、2014年
内田樹編『人口減少社会の未来学』文藝春秋、2018年
谷口文保著『アートプロジェクトの可能性-芸術創造と公共政策の共創-』九州大学出版会、2019年
北川フラム著『美術は地域をひらく 大地の芸術祭10の思想』現代企画室、2014年
北川フラム著『ひらく美術-地域と人間のつながりを取り戻す-』筑摩書房、2015年
大地の芸術祭・花の道実行委員会東京事務局編『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003』現代企画室、2004年
藻谷浩介・NHK広島取材班著『里山資本主義-日本経済は安心の原理で動く』㈱KADOKAWA、2013年
木村妙子著『怒田沢村物語』中日出版社、2003年
かとうさとる編『農村舞台アートプロジェクト10周年記念誌』(公財)豊田市文化振興財団、2022年
萩野小学校開校150年記念「萩野ふれあいYEAR2022」実行委員会編・発行『ふるさと萩野~萩野小学校開校150年記念萩野ふれあいYEAR2022記念誌』2022年
豊田市郷土資料館編『歌舞伎の衣装と文化~地域に息づく農村歌舞伎~』豊田市教育委員会、2011年
阿波農村舞台の会編・発行『阿波人形浄瑠璃と農村舞台』2014年
豊田市歌舞伎伝承館発行「豊田市歌舞伎伝承館パンフレット」
農村舞台寶榮座協議会発行「寶榮座通信」創刊号(2018年6月1日)
農村舞台寶榮座協議会発行「寶榮座通信」第5号(2022年4月24日)
豊田市役所足助支所発行「あすけ支所だより」No.198
農村舞台寶榮座協議会ホームページ https://houeiza.jimdofree.com/
大地の芸術祭ホームページ https://www.echigo-tsumari.jp

取材協力
青木信行氏(農村舞台寶榮座協議会会長)

調査見学
豊田市歌舞伎伝承館
徳島県立阿波十郎兵衛屋敷
農村舞台寶榮座
六所神社農村舞台

年月と地域
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