100年以上続くめがねづくりの現状とこれから

生田 太郎

1,はじめに
メガネフレームの生産量で国内No.1を誇る福井県鯖江市は、日本の眼鏡生産の90%以上のシェアを誇り、イタリアのベッルーノや中国の深圳と共に世界の三大眼鏡産地と言われる眼鏡の町である。しかしその三大眼鏡産地の中でも、1992年以降、鯖江市はイタリアや中国に比べて出荷高が低迷してしまっている。なぜ鯖江市の眼鏡生産は低迷してしまったのか。その理由を明らかにするために、鯖江市の眼鏡づくりの現状と問題点にフォーカスし、改善への取り組みを評価する。

2,歴史的背景
1905年に鯖江市議員の増永五左衛門が、雪深く地場産業がない農業だけの暮らしを向上させるため、外出できない冬場でも雪の中で作業ができて収入が得られる方法として、大阪から眼鏡職人を招き、農家の副業として広めたことから鯖江市の眼鏡製造が始まった。新聞や書籍を読む活字文化が広まりつつあった当時の日本を時代背景として、必需品とされつつあった眼鏡をつくるという試みは、手作業や農家ならではの知恵を生かしながら生産を始め、次第に専門の製造業者がパーツごとに分業することで、鯖江の町全体が一つの大きな工場として眼鏡づくりを行うようになった。そして、第二次世界大戦が終戦を迎えると、眼鏡の需要はさらに高まり、セルロイドフレームやサングラス、そしてそれを作り出すブランドが数多く生まれた。それまでは視力の弱い人だけが使う医療器具だった眼鏡に、デザイン性の高いフレームがつくられはじめ、ファッションのアイテムとしても購入されるようになったのである。また1983年には世界で初めて軽くて丈夫なうえに金属アレルギーを起こしにくいチタン製眼鏡を開発・生産することで、国際的な眼鏡の産地としての地位を築き上げた。

3,現状と問題点
1992年時点では鯖江市の出荷高はイタリアを上回っていたが、その時点をピークに出荷高は伸びることなく減少に転じている。これに対してイタリアは、2005年時点において1992年時点の出荷高の約2倍と大きく伸びており、中国においても製造技術の進歩もあって、近年は中国からの輸入品が増加している。特に2001年に新規参入したスリープライスと呼ばれるJINSやZoffは、中国などの海外製の眼鏡を低価格で販売することで、既存の眼鏡小売企業との差別化を図っている。その後、JINSやZoffのビジネスモデルを模倣する眼鏡小売企業が増加した。
なぜ鯖江市の出荷高は他の産地に比べて低迷してしまっているのだろうか。職人気質ゆえに品質にこだわり過ぎる傾向はあるものの、鯖江の眼鏡の品質は総じて高く、コロナ禍前においては世界のメーカーの中で鯖江製の品質を見直す先も増加していた。しかしその一方で、企画力や販売力が極端に弱く、そのブランド価値が明確にされていないことから評価が低く、小売業者や卸売業者に対する価格交渉力や消費者に対する鯖江眼鏡ブランドの遡及力はいま一つとなってしまっている。消費者は鯖江眼鏡ブランドの品質の高さについて漠然としたイメージはあるものの、確立されたブランドイメージを実感できていないのである。
また眼鏡のセルフレームの素材はアセテートが主流であるが、鯖江では、あえて扱いが難しいセルロイドを選択する職人が多い。セルロイドは加工が難しい素材であるが、アセテートとは違って磨くことで材質の白化がなくなり、光沢が出るので風合いを保て、素材本来の美しい透明感を楽しむことができる。扱いやすいアセテートではなく、加工が難しく手間がかかっても、長持ちで見た目の美しさが続くセルロイドを選ぶ姿に品質にこだわる職人の想いが表れているのである。このような一般消費者には知られていない素材へのこだわりなども広く周知するべきである。
加えて2003年以降、鯖江市の眼鏡関連事業所数や従業員数は減少傾向にあり、この背景には眼鏡製造業者の後継者不足や中国の競争力の強化がある。但しこれは一方的に悪いことではなく、競争力が劣る眼鏡製造業者が淘汰され、現在も経営を続けてられている眼鏡製造業者には一定の強味が存在していることになる。

4,特筆すべき取り組み
鯖江のブランド力をいかに消費者に訴求していくのか。そのためにどのような取り組みを行っているのか。鯖江市の行政各団体は鯖江ブランドの価値発信のため、ファッション分野との連携やデザイン思考の取組みなど様々な取り組みを行っている。
なかでも特筆すべき取り組みは、鯖江商工会議所による鯖江ブランドの発信拠点であるSabae Creative Communityのオープンである。福井県鯖江市にある商工会議所ビル1階に設けられた、このスペースは鯖江市の産業である眼鏡をはじめとした伝統工芸のマーケティング支援拠点となっている。室内にはまるでアートのように各種伝統工芸品が展示され、商談スペースやプレゼンスペース、試作開発スペースが設けられており、一般客も利用しやすいようにカフェも併設されている。現在バラバラに活動している小規模の各眼鏡製造業者が、このようなマーケティング発信の場、ハブを共有することによって、これまで意識していなかった消費者の声をより眼鏡デザインに反映させることができれば、ブランド価値のさらなる高まりや品質に見合った価格設定が可能となり、鯖江眼鏡の訴求力も強くなる。さらにこれをきっかけとして製造設備を共有するようになれば、小売業者や卸売業者への価格交渉力の強化だけでなく、最新製造機器の共同導入や後継者不足のリスク緩和にもつながるのである。
また市内めがね会館に開設されている、めがねミュージアムには約100年前の生産現場風景を再現した博物館だけでなく、眼鏡づくりを学べる体験工房や福井県内眼鏡店約50社の最新モデルを展示販売しているアンテナショップがある。この最高品質にこだわった手仕事の歴史を学べる博物館の見学と熟練の職人さんが指導する体験工房だけでも、鯖江眼鏡のブランド価値は十分伝わるのである。
今後は消費者が鯖江の眼鏡の価値を実感できるような産地からのさらなる価値発信とともに、デザイン面でも消費者のニーズを取り入れ、カタチにする取り組みが重要なのである。

5,今後の展望
眼鏡同様に、私たちが日々使用する日用品にタオルがある。日本でタオルのブランドといえば「今治タオル」が真っ先に頭に思い浮かぶであろう。今治タオルは、瀬戸内海沿岸の人口約16万人の町、愛媛県今治市でつくられる高品質かつ高機能なタオルとして世界中で注目を集めている。今や地方ブランディングの成功事例として脚光を浴びる今治タオルだが、1990年代には安価な海外製品の輸入増加により製造業者は撤退や倒産を余儀なくされ、産業消滅の危機に陥っていた。その今治タオルの復活の要因は、ブランド周知の成功である。今治タオルの価値は品質そのものにあるとして、独自の品質基準を定め、その基準を厳守し続けて、イタリアの展示会で認められたことから、そのブランド価値を知らしめることができたのである。
鯖江市の眼鏡の復活の鍵も、ブランド価値の周知にある。長年、品質にこだわり続けて築き上げてきた、そのブランド価値はまだまだ正当な評価を受けていない。「作るだけの産地」から「売れるものを創って売る産地」への転換を着実に進めるためにも、その価値を広く周知しなければならない。

6,おわりに
鯖江製の眼鏡が持つ高い品質に対するブランドイメージは、まだまだ消費者に周知されていない。今治タオルプロジェクトのように、品質を追求し続けるだけでなく、その本来の価値を消費者に認識してもらう取り組みが必要である。
筆者も鯖江製の眼鏡の愛用者の一人であり、その高い品質に非常に満足している一人である。眼鏡小売企業のブランド、JINSやZoffなどではなく、鯖江ブランド価値の更なる周知を期待する。

参考文献

福井工業大学『めがね産業の現状と経営戦略』、日本生産管理学会論文誌、2001年
西田安慶著『わが国眼鏡産業の現状と今後の展望―福井産地を中心として―』、東海学園大学学術研究紀要、2003年
加藤明著『眼鏡産地の盛衰 福井県・鯖江市とイタリア・ベッルーノ産地比較のケース』、JAIST Press、2009年
中村圭介著『眼鏡と希望:縮小する鯖江のダイナミックス』、東京大学社会科学研究所、2012年
日本貿易振興機構『イタリア産地の新興市場開拓 ベッルーノの眼鏡産業』、2013年
佐藤可士和著『今治タオル 奇跡の復活 起死回生のブランド戦略』、朝日新聞出版、2014年
柴田弘捷著『日本の眼鏡産業と産地福井・鯖江の盛衰―鯖江のフレームメーカーの動向』、専修大学社会科学研究所、2021年
鯖江商工会議所 Sabae Creative Communityホームページ https://sabae.cc/(2022年10月22日閲覧)
めがねミュージアムホームページ https://www.megane.gr.jp/museum/(2022年10月22日閲覧)

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