揚輝荘〜文化財としての価値と時代に流されないために大切なこと〜

服部 真由子

揚輝荘は、名古屋の近代数奇者が建てた別邸である。ベンガラ色の山荘風迎賓館や池に浮かぶ優雅な橋、池泉回遊式の庭などを持つ。街の喧騒をよそに、静かな庭園や建物を楽しめる、名古屋市の指定有形文化財である。揚輝荘の建物や立地の魅力、運営などを評価し、次世代に繋いでいくための展望を考える。

1.基本データ
1-1概要
名称:揚輝荘(youkisou)(1)
所在:愛知県名古屋市千種区法王町2−5−17(資1、A〜D)
設立:大正7年(1918)より
敷地: 約3千坪
施工:竹中工務店、棟梁・竹中藤右衛門
管理運営:名古屋市、NPO法人揚輝荘の会
1−2歴史的背景
揚輝荘は、松坂屋百貨店初代社長である伊藤家第15代伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)(1878~1940)(2)の別邸として作られた。祐民は名古屋を代表する財界人で、名古屋の発展に貢献した人物である。江戸時代には月見の名所と言われた、町を見渡せる丘陵地にあった(3)(資1、D)。大正7年(1918)より建物の移築が開始され、約1万坪の敷地に池泉回遊式の庭園をはじめ、最盛期には30数棟の建物を有した(資2)。名古屋の近代における郊外別荘の代表作である。
揚輝荘は、私邸であるが、迎賓館として皇族や財界人を迎えていた。江戸時代、東海道は熱田宿の次は桑名宿(三重県)であったため、名古屋には宿泊する習慣がなかった。それは明治になっても変わらず、名古屋には宿泊施設が乏しく、特に皇族や財界人が宿泊できる施設は限られていた(4)。祐民は、皇室や財界人との交流が深かったため、名古屋を訪れた彼らを、もてなす目的で揚輝荘を建てた。そのため揚輝荘には、日本を牽引する人々が集まっていた(5)。また、ビルマ独立運動の父、ウ・オッタマの依頼によりビルマの青年らを受け入れたことをきっかけとして、後に留学生制度を作り留学生を迎え入れた(6)。ここから名古屋における国際交流が始まった。第二次世界大戦中は空襲の被害を受け、終戦直後は米軍に接収された(7)。
戦後、老朽化や周辺の開発などの影響で、敷地面積は約3割まで縮小し(資1、E)、松坂屋の寮などに利用された。もはや戦後ではないと言われる今、訪れた人々に栄枯盛衰の歴史を感じさせ、この場で起きた過去の出来事を考えさせる場所となった(資3)。平成19年(2007)に伊藤家より名古屋市に寄贈され、翌年には現存する5棟が名古屋市指定有形文化財として指定を受けた。

2.評価:継承すべき価値と活用の仕方
2-1 価値
聴松閣(8)は揚輝荘を代表する建物で、名古屋市内では最大規模の洋館である(表紙)。ベンガラ色の壁が象徴的ではあるが、米軍接収時はクリーム色に塗り替えられていた。建物全体に施された木材装飾が美しい(資4)。外見はハーフティンバー様式で、屋内は英国風、中国風など様々な意匠を凝らしており、国際的な文化を学ぶことができる(資5、6)。中でも地階は、祐民のアジア・インド仏跡巡拝旅行(9)(資7)の影響が色濃く見受けられる。ホールの壁にはアジャンタ石窟(10)をモデルに釈迦の誕生物語が描かれ(資8、A~D)、舞踏場の窓ガラスはカンチェンジェンガ(11)がエッチングで描かれている(資8、E)。柱、壁など細部にまで装飾が施されている(資8、F~L)。伊藤家は製陶業も営んでおり、タイルの装飾も美しい(12)。また、名古屋市内にはインドを学ぶ場が殆どないため、地階の資料は貴重である。聴松閣だけでも豊富な資料を有し、美術的な価値だけでなく、教育的価値も高い。
2−2活用
揚輝荘は、個人所有物であったため、多くの市民には縁が無かった。平成15年(2003)、地元のボランティア団体である「千種郷土史学習会」を中心に「揚輝荘の会」(13)が発足した。周辺地域を含めた揚輝荘の活用に、積極的な動きが始まった。揚輝荘の管理が名古屋市に移り、修復整備が完了すると、名古屋市指定登録文化財として広く市民に開放された。公開され、利用されることで、多くの市民が価値に気づき始めた。「揚輝荘の会」は、建物と庭園の調査・研究・保全、イベントの開催、国際交流、市民の生涯学習、広報活動などを担う。音楽コンサートや手芸教室、絵画展、お茶会など市民と交流する催し物も多い(14)。市民に利用されることで、将来の文化の向上及び発展の基礎をなしている(15)。
つまり、揚輝荘は地域性を持った施設であるといえる。祐民が選んだこの場所で、多くの市民が、祐民の提案したおもてなしの一端を享受し、ここで起きた歴史を学び、新たな活用の場と変化していったのである。

3.比較
愛知県内にあり、揚輝荘同様に近代建築の文化財を持つ施設である「博物館 明治村」(16)(以下、明治村)と、活用の点から比較する。
明治村は約30万坪の山の敷地に、明治に縁のある建造物を移築し展示しているテーマパークである。個々の建物はそれぞれの歴史を持ち、教育的価値も高く、「遊びと学びの融合」を掲げ教育に力を入れている(17)。明治の歴史や文化を楽しみながら学ぶことができるよう工夫されている。愛知県内の小学生の遠足などに多く利用されるなど、団体での利用も多い。しかし、明治村は建物の個の集合であり、地域性や場所性を持たない。
揚輝荘は、周辺地域も巻き込んだ、町づくりの一環としての役割も果たしている。周辺には、団子屋や雑貨屋、レストランなど老舗から新しい店まで多く並ぶ(18)。地域との繋がりを作ることができ、町を活気づけ、揚輝荘の良さも活かしている。
地域と繋がる意味とは何かを、野村朋弘は、文化資産は再生・継承を目指す必要があり、その基となっているのは、コミュニティであると述べている(19)。揚輝荘のもつ地域性は、文化資産を継承する基であるという価値がある。また、川添善行は、建築には空間という普遍的な価値と場所という個別的な価値がある(20)と述べている。祐民が作り上げた空間は、この場所と融合し、場所性という特有の価値を持った。祐民が込めた時代の精神を、この地で感じ取ることができる。

4.今後の展望
揚輝荘の今後の活用を考えると、更に広く周知され愛されることが不可欠である(21)。名古屋は観光資源に乏しいと言われており、市外、県外に向けて積極的にアピールするチャンスである。広報活動の拡大やバリアフリー化、また、新しい試みとしてバーチャル技術を利用し、元の姿を再現する仕組みなどを作ることが考えられる(22)。特にVRやARは子どもから大人まで分かり易いツールであり、興味をひきやすい。解体した建物の復元ではないため、根本的な解決にはならないが、教育的に有効であり、未来に繋ぐ手段の一つになり得る。
広報活動や、バリアフリー対策が必要であるが、費用がかかる。これらは文化財の修繕には該当しないため、補助の対象外である(23)。指定管理人として活動費用の中で、対策を講じなければならない。活動費用を補うために、現在は無料である結婚記念写真撮影を、貸切撮影プランを作り、有料で実施することが考えられる。近年、名古屋で定着しつつある、コスプレイヤーにも需要が見込める(24)。貸切りであれば、利用者も落ち着いて撮影に臨める。地元の貸衣装店や写真館と提携し、割引制度を設けることで地域と融合できる。

5.文化財の現状
令和4年(2022)、国宝や重要文化財を数多く有している法隆寺が、クラウドファウンディングを利用し注目を集めた。世界遺産である法隆寺でさえ、コロナ禍で経済的に大きく打撃を受けるという現状が露呈した(25)。揚輝荘周辺でも、登録文化財であった料亭が取り壊され(26)、マンション建設が進んでいる。文化庁によると、有形文化財の解体等による登録抹消件数は累計で270件にのぼる(27)。
街の開発が進む中で、管理が難しくなった建物は取り壊されていく。明治村はそれらを救済する。移築された建物は展示物として生まれ変わり、丁重に管理されるが、地域性や場所性は失われる。

6.まとめ
揚輝荘は、時代を越えて、地域と共に支え、この場所で、未来へ継承していくべき文化資産である。
川添は、文化財の継承には二つの選択肢があり、それは、物質的な普遍性を大切にするモノとしての価値と、生業や営みを見つめようとするコトとしての価値であると述べている(28)。つまり建物自体のもつ価値と、生きている町の一部としての価値である。両方の価値を維持するために、町が一体となって協力しながら支え合っていく形が基本にある。
街は生きている。現状では、国や市が保護する文化財であっても、時代の流れに逆らえないこともある。目まぐるしく変わる価値観に、抵抗する術があるとすれば、多くの人の心に根づくものであり続けることだ。

  • 1 表紙。揚輝荘聴松閣。
    筆者撮影2022年10月12日。
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  • 81191_011_32083052_1_2_%e8%b3%87%e6%96%991%ef%bc%8c2_page-0002 【資料1】
    A〜C 国土地理院vectorを元に筆者作成。
    D国土地理院を元に筆者作成。
    E揚輝荘パネルを元に作成。筆者撮影、2022年12月15日。
    【資料2】
    中央ジオラマ:揚輝荘にて筆者が撮影し作成。撮影日2022年12月15日。
    写真A〜W :揚輝荘パネルを撮影し、筆者が作成。撮影日2022年12月15日。
    写真1〜6:筆者撮影 2022年12月15日。
  • 3 【資料3】下記参考文献をもとに筆者作成。
    【註】
    (1)まだ揚輝荘ができてなかったため、「ビルマ園」と名付けた建物を建て住まわせた。
    (2)衆善会:現在も乳児院、保育園、夜間保育園を運営している。  http://www.syuuzenkai.or.jp/about.html (2023年1月28日閲覧)
    (3)留学生はまずシャムから、と特命全権公使矢田部保吉から説かれ、名古屋日暹協会を設立し、外務省を通じて留学生を揚輝荘に受け入れた。
    (4)平成17年(2005)12月29日中日新聞朝刊に「汪兆銘 幻の隠れ家―松坂屋創業家別荘・地下トンネル」としても扱われた。真偽のほどは不明。
    【参考文献】
    ・一般財団法人京都伝統建築技術協会編『名古屋市指定文化財 揚輝荘聴松閣修復整備工事報告書』名古屋市、平成26年。
    ・「汪兆銘 幻の隠れ家―松坂屋創業家別荘・地下トンネル」中日新聞、2005年12月29日、朝刊、p1。
    ・上坂冬子著『揚輝荘、アジアに開いた窓―選ばれた留学生の館』講談社、1998年。
    ・佐藤允孝「揚輝荘郷土史まちづくり第3回 揚輝荘の魅力と再生のビジョン」 http://www.jia-tokai.org/archive/sibu/architect/2003/0305/youkisou.htm (2023年1月28日閲覧)
    ・衆善会 http://www.syuuzenkai.or.jp/about.html (2023年1月28日閲覧)
    ・瀬口哲夫「揚輝荘の空間構成と建築」名古屋市立大学学術機関リポジトリ https://ncu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=2674&item_no=1&attribute_id=25&file_no=2&page_id=13&block_id=17  (2023年1月28日閲覧)
    ・NPO法人揚輝荘の会編著『揚輝荘と祐民 よみがえる松坂屋創業者の理想郷』風媒社、2008年。
    ・揚輝荘ガイド資料。
    ・揚輝荘パネル資料。
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  • 81191_011_32083052_1_4_%e8%b3%87%e6%96%9945_page-0002 【資料4】写真は全て筆者撮影 2022年9月28日。
    【資料5】写真は全て筆者撮影 2022年9月28日。見取り図、筆者作成。
  • 6 【資料6】写真は全て筆者撮影。2022年10月12日。
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  • 81191_011_32083052_1_6_%e8%b3%87%e6%96%9978_page-0002 【資料7】揚輝荘パネルを筆者撮影。2022年12月15日。
    【資料8】写真は全て筆者撮影。2022年10月12日。
  • 9 【資料9】GoogleFormsにてアンケートを実施し、編集して筆者作成。

参考文献

【註】
(1) NPO法人揚輝荘の会編著『揚輝荘と祐民 よみがえる松坂屋創業者の理想郷』風媒社、2008年、p15。
揚輝荘の名の由来は、陶淵明(顧愷之[コガイシ]との説もある)「四時」“春水満四澤 夏雲多奇峰 秋月揚明輝 冬嶺秀孤松“ より採ったとされる。
(2)松坂屋史料室企画展Vol.11 https://www.matsuzakaya.co.jp/nagoya/museum/img/pdf/vol-11.pdf 8  (2023年1月28日閲覧)
(3)前田栄作・水野鉱造著『尾張名所図会 絵解き散歩』風媒社、2013年、p64~67。
(4)吉田達矢「外国人から見た明治時代の名古屋」2019年、p17 http://doi.org/10.15012/00001184  (2023年1月28日閲覧)
(5)a.瀬口哲夫「揚輝荘の空間構成と建築」名古屋市立大学学術機関リポジトリ、p173 http://id.nii.ac.jp/1124/00002445/ (2023年1月28日閲覧)。b.(1)に同じ、P113。
朝香宮夫妻をはじめとする皇族や、広田弘毅前首相ら政界人、渋沢栄一ら財界人、フランスなど諸外国の大使らが訪ねてきた。
(6) 上坂冬子著『揚輝荘、アジアに開いた窓―選ばれた留学生の館』199講談社、1998年、p24〜26。
大谷光瑞に招かれ来日していたビルマ独立運動の志士であるオッタマ僧正との出会いがきっかけとなりビルマの青少年らを受け入れる。その後、正式に留学生を招くのはアジア旅行の後である。
(7) 1945〜1952年 米軍が司令官用宿舎として接収。
(8) 朝山一玄著『茶席の禅語句集』淡交社、2003年、p114。
「閑座聴松風」は「閑座して松風を聴く」と読む。「静かな場所を選んで腰を下ろし、松の枝を吹き抜ける風の音を一人穏やかに聴いて心を静めている。」という意味の茶席の禅語である。
(9)a.(資料7参照) 。b.(1)に同じ、p159〜164。c. 新宿中村屋HP ラス・ビハリ・ボース氏について https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/founder/people/p_014.html (2023年1月28日閲覧)
昭和9年に4か月に渡り、タイ、ビルマ、インドの仏跡をめぐった。全工程1万2千マイルの当時としては大きな旅行である。仏跡巡拝旅行の全行程は16ミリフィルムで撮影され、帰国後は全国各地で映写講演会が行われた。インドの詩聖タゴールや、揚輝荘で過ごした後に帰国した青少年らも訪ねた。
祐民は新宿中村屋のラス・ビハリ・ボースとも親交があり、祐民はインドに強く興味があったと思われる。ボースはインド独立運動の指導者で、タゴールと共に来日しており、ハリハラン(註10参照)の友人でもあった。
(10)a. UNESCO「Ajanta Caves」 https://whc.unesco.org/en/list/242/  (2023年1月28日閲覧)。b.(1)に同じ、p121〜126。c.揚輝荘パネル「パルク・ハリハランとは」。
アジャンター第二窟の「兜率天上の菩薩」や第十七窟の「化粧をする女性」などに類似する。揚輝荘の壁画を描いたのはインドのハリハランである。タゴール大学の美術教授であったが、揚輝荘に留学し陶磁器の絵付けの研究をした。
(11) UNESCO「 Khangchendzonga National Park」 https://whc.unesco.org/en/list/1513 (2023年1月28日閲覧)
カンチェンジェンガは標高8586mのヒマラヤ第三の主峰である。 
(12) ガイド資料「名古屋製陶所の歴史」。
衛生陶器、建築タイルの製造などを手掛けた。
明治44年(1911)(合)名古屋製陶所設立 伊藤守松出資 (*守松とは祐民のこと)
大正6年(1917)(株)名古屋製陶所設立 取締役社長伊藤守松
(13)揚輝荘の会ホームページ(以下HP) http://blog.yokiso.org/  (2023年1月28日閲覧)
(14)揚輝荘HP イベント情報 https://www.yokiso.jp/event/  (2023年1月28日閲覧)
(15) 名古屋市文化財の保存及び活用に関する条例 (市の責務) 第 1 条の 2 https://www.city.nagoya.jp/kyoiku/cmsfiles/contents/0000008/8409/bunkazainohozonoyobikatuyouzyourei.pdf (2023年1月28日閲覧)
「文化財が市の歴史、文化又は自然の正しい理解のため欠くことのでき ないものであり、かつ、将来の文化の向上及び発展の基礎をなすものである」と定義している。
(16)博物館明治村HP https://www.meijimura.com/ (2023年1月28日閲覧)
(17)名鉄インプレイスHP https://www.service-js.jp/modules/spring/?ACTION=hs_data&high_service_id=52 (2023年1月28日閲覧)
(18)覚王山商店街HP https://kakuozan.com/ (2023年1月28日閲覧)
(19)野村朋弘、芸術教養講義10、道標、コメント1。
文化資産・資源などと言われますが、単に食いつぶすのではなく、再生・継承をめざす必要があります。文化資産・資源の基となっているのが、コミュニティです。
(20)川添善行著・早川克美編『空間のこめられた意思をたどる』藝術学舎、2014年、p198~p199。
(21)a.(資料9)GoogleFormsにてアンケートを実施。b.名古屋市歴史まちづくり推進室保存支援係より「揚輝荘来場者アンケート」をEメールにて取得(2022年12月20日)。
揚輝荘の認知度は20%ほどである。名古屋は名古屋城のイメージが強く、そもそも「観光」という認識は薄い。
「揚輝荘来場者アンケート」は以下の通り。
(対象は来場者全員ではなく、ガイドツアーを体験した方へのアンケートである。)
1:令和 3 年 1 月~12 月(コロナの影響下)
・期間中入館者数 13,199人、アンケート総数 1,037 件
・居住地(市内:609 人、県内:232 人、県外:178 人、海外:1 人、未回答 17 人)
2:平成31年1月~令和元年12月(コロナの影響を受ける以前)
・期間中入館者数 22,344 人、アンケート総数 1,974 件
・居住地(市内:921 人、県内:602 人、県外:394 人、海外:9 人、未回答48 人)
(22)参考例として奈良県明日香村の取り組みをあげる。
国土交通省「明日香村における歴史的風土の創造的活用による成果について」 https://www.mlit.go.jp/common/001047841.pdf (2023年1月28日閲覧)
(23) 名古屋市観光文化交流局歴史まちづくり推進室より電話とEメールにて回答を得た(2022年12月7日)。
指定された文化財自体の修繕費用に関しては補助の対象になるが、付随する設備は対象外であり、施設内であっても補助の対象にはならない。揚輝荘に対しては、指定管理料以外の経常的な修繕や管理運営に関する助成はない。
(24)名古屋市HP コスプレホストタウン名古屋 https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000133566.html (2023年1月28日閲覧)
(25) READYFOR 「文化財保護と今後の寄付文化のあり方」 https://cfevent.readyfor.jp/culture/220907 (2023年1月28日閲覧)
READYFORが主催するシンポジウム「文化財保護と今後の寄付文化のあり方」内で以下の発言があった。このシンポジウムの配信動画は申込者限定で公開しているため、掲載不可。
「国指定の文化財はそれ以外の地方指定のものに比べればまだ国からの金が法律に基づいて出ているので、手厚くはあるが、十分かというとおそらく十分ではない」「所有者の財政状況が厳しいために、自己負担分が目処が立たず修理に着手できないケースもある」
文化庁 文化資源活用課 課長補佐 山川喜葉氏
(26) 文化財オンライン 「松楓閣」 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/141608 (2023年1月28日閲覧)
(27) 文化庁HP 「登録有形文化財(建造物)の抹消件数」(令和4年12月12日現在)https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/massho/index.html (2023年1月28日閲覧)
(28) (20)に同じ、p145~p147。

【参考文献】
(書籍)
・朝山一玄著『茶席の禅語句集』淡交社、2003年。
・上坂冬子著『揚輝荘、アジアに開いた窓―選ばれた留学生の館』199講談社、1998年。
・川添善行著・早川克美編『空間のこめられた意思をたどる』藝術学舎、2014年。
・杉野尚夫著『名古屋地名ものがたり』風媒社、2017年。
・前田栄作・水野鉱造著『尾張名所図会 絵解き散歩』風媒社、2013年。
・NPO法人揚輝荘の会編著『揚輝荘と祐民 よみがえる松坂屋創業者の理想郷』風媒社、2008年。
(論文)
・鈴木賢一「揚輝荘の保存活用を核とした市民活動―名古屋市千種区城山・覚王山地区のまちづくり」、『芸術工学会誌』No.46、2008年。
・瀬口哲夫「揚輝荘の空間構成と建築」名古屋市立大学学術機関リポジトリ http://id.nii.ac.jp/1124/00002445/ (2023年1月28日閲覧)
・鳴海拓志「ディジタルミュージアムにおけるVR/ARの利用」、『人工知能』31巻6号、2016年、p797 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsai/31/6/31_794/_pdf (2023年1月28日閲覧)
・吉田達矢「外国人から見た明治時代の名古屋」2019年 http://doi.org/10.15012/00001184  (2023年1月28日閲覧)
(図録・パンフレット等)
・一般財団法人 京都伝統建築技術協会編『名古屋市指定有形文化財 揚輝荘聴松閣修復整備工事報告書』名古屋市(住宅都市局歴史まちづくり推進室)、平成26年。
・名古屋市博物館編 『名古屋市博物館企画展 名古屋の商人 伊藤次郎左衛門 呉服屋からデパートへ』、2003年。
・NPO法人揚輝荘の会編「伊藤祐民タイ留学生育成80年記念〜名古屋日暹協会設立〜1936〜2016」、平成28年。
(新聞)
・「汪兆銘 幻の隠れ家―松坂屋創業家別荘・地下トンネル」中日新聞、2005年12月29日、朝刊、p1。
・「日・タイ交流 花咲き80年」中日新聞、2016年10月19日、朝刊、p31。 
(Web閲覧)
・覚王山商店街HP https://kakuozan.com/ (2023年1月28日閲覧)
・国土交通省「明日香村における歴史的風土の創造的活用による成果について」 https://www.mlit.go.jp/common/001047841.pdf (2023年1月28日閲覧)
・国立科学博物館「おうちで体験!かはくVR」 https://www.kahaku.go.jp/VR/ (2023年1月28日閲覧)
・佐藤允孝「揚輝荘郷土史まちづくり第6回」 http://www.jia-tokai.org/archive/sibu/architect/2003/0311/youkisou.htm (2023年1月28日閲覧)
・特別史跡三内丸山遺跡HP ITガイド https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/information/it-guide/ (2023年1月28日閲覧)
・内閣府NPO HP「令和3年度 特定非営利活動法人揚輝荘の会 活動報告書」 https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/document/111000843/hokoku/ 202130/2021%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf (2023年1月28日閲覧)
・名古屋市観光文化交流局 「名古屋市揚輝荘(北園)活用・管理者業務仕様書」 https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000152/152717/yokiso_gyoumushiyousyo_kita.pdf (2023年1月28日閲覧)
・名古屋市観光文化交流局 「名古屋市揚輝荘(南園)指定管理者業務仕様書」 https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000152/152717/yokiso_gyoumushiyousyo_minami.pdf (2023年1月28日閲覧)
・名古屋市観光文化交流局 「5章 文化財の保存及び活用に関する事項」 https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000054/54494/5_p228-239.pdf (2023年1月28日閲覧)
・名古屋市指定文化財 https://www.city.nagoya.jp/kyoiku/page/0000008502.html (2023年1月28日閲覧)
・名古屋市文化財の保存及び活用に関する条例 (市の責務) 第 1 条の 2 https://www.city.nagoya.jp/kyoiku/cmsfiles/contents/0000008/8409/bunkazainohozonoyobikatuyouzyourei.pdf (2023年1月28日閲覧)
・名古屋市HP コスプレホストタウン名古屋 https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000133566.html (2023年1月28日閲覧)
・博物館明治村HP https://www.meijimura.com/ (2023年1月28日閲覧)
・美術手帖HP 2021.5.23 「なぜ近代建築は解体の危機にさらされるのか? 近代建築史家にその背景を聞く」 https://bijutsutecho.com/magazine/interview/24082 (2023年1月28日閲覧)
・文化財オンライン 「松楓閣」 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/141608 (2023年1月28日閲覧)
・文化庁HP 「登録有形文化財(建造物)の抹消件数」(令和4年12月12日現在)https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/massho/index.html (2023年1月28日閲覧)
・文化庁HP「文化資源の高付加価値化」 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/93694501.html (2023年1月28日)
・松坂屋史料室企画展Vol.11 https://www.matsuzakaya.co.jp/nagoya/museum/img/pdf/vol-11.pdf 8  (2023年1月28日閲覧)
・名鉄インプレイスHP https://www.service-js.jp/modules/spring/?ACTION=hs_data&high_service_id=52 (2023年1月28日閲覧)
・揚輝荘HP https://www.yokiso.jp/ (2023年1月28日閲覧)
・揚輝荘HP 「イベント情報」 https://www.yokiso.jp/event/  (2023年1月28日閲覧)
・LIFULLHOME’S PRESS https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00464/ (2023年1月28日閲覧)
・UNESCO「Ajanta Caves」 https://whc.unesco.org/en/list/242/  (2023年1月28日閲覧)
・UNESCO「 Khangchendzonga National Park」 https://whc.unesco.org/en/list/1513 (2023年1月28日閲覧)
・READYFOR 「文化財保護と今後の寄付文化のあり方」 https://cfevent.readyfor.jp/culture/220907 (2023年1月28日閲覧)
(その他)
・野村朋弘、芸術教養講義10、道標。
・揚輝荘ガイド資料
・揚輝荘パネル資料
【取材協力】
・名古屋市歴史まちづくり推進室保存支援係
・NPO法人揚輝荘の会 江添洋一氏

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