「墨会館」 丹下健三 ~人が集まる場~

梶浦 博昭

0.はじめに
「世界のTANGE」と呼ばれた丹下健三は、国家的な建築家である。墨会館の建設は、1952年墨敏夫社長が、当時東京大学工学部建築学科の助教授であった丹下健三に依頼した。同時期、丹下健三研究室は、旧東京都庁庁舎や香川庁舎といった仕事が進行中であり「大規模な公共事務所建築」と「地方の民間企業事務所建築」、規模・機能が異なる建築を、どう捉えて構成したのか、その手法を掘り下げ、丹下建築の思想を考察する。

1.基本データーと歴史的背景
1-a 「墨会館」
所在地:愛知県一宮市小信中島字南九反11-1
設計:丹下健三研究室
施工:大林組
構造:鉄筋コンクリート造
敷地面積:4,172.00 m²
延床面積:2,789.00 m²

1-b 丹下健三(1913年9月4日~2005年3月22日)
建築家/都市計画家
1963年東京大学工学部都市工学科教授に就任
1987年プリッカー賞受賞
1994年勲一等瑞宝章受章
1996年レジオンドヌール勲章受章

1-c 「墨会館」建物年表
1957年竣工
2008年国登録有形文化財に登録
2010年一宮市に譲渡
2014年尾西生涯学習センター墨会館・小信中島公民館

1-d 一宮市の歴史的背景
愛知県一宮市は濃尾平野の中央部分にあり、木曽川の水が山から注ぎ込まれ、温和な気候に恵まれた地域である。このような風土環境から農業が栄えるとともに、平安時代から織物産業、江戸時代からは絹織物の生産地である織物のまちとしても栄えてきた。
一宮市の中央に鎮座する真清田神社の神は、天火明命である。その母神の萬幡豊秋津師比売命は織物の神様として知られることから、織物産業が栄えたともいわれている。現在では、織物工場はほとんど機能しなくなり町中に鳴り響いていた機織り機の機械音は、ほぼ聞こえない。

1-e 会社の歴史的背景【註2】
艶金興業株式会社は、1889年墨宇吉により、綿織物・絹綿交織物を石の上で砧打ちをして、反物に艶を出す艶屋として創業した。
1924年には艶屋が艶金興業株式会社(法人化)、1946年に昭和天皇の行幸を賜り、1955年には皇太子(後の明仁上皇)の行啓を賜っている。現在は、高感度・高品質を実現する染色整理加工として、幅広く社会の市場に応えている会社である。

2.空間構成の特質性・評価
墨会館(事務所)は、台形敷地の中で三つのエリアに分けられ構成されている。「事務所棟」、「集会棟」、「その間をつなぐピロティと広場」である。【資料1】

2-a「事務所棟1階」
事務所は2階建で、北側敷地に寄せられている。1階に吹き抜け空間の玄関ホールが設けられており、上部から光が降り注ぐ中央に彫刻的な美しい階段が配置され、壁面周囲に応接室・会議室・更衣室・WCが設けられた合理的な平面となっている。事務室の南は広場につながる大きなガラス窓に、日本伝統的な雪見障子を樹脂板でつくり耐久性を高めたしつらえがしてある。また、構造の梁をツイン梁として、視覚的にも美しくありながら将来的な間仕切り壁のしやすさを考えられたものとしてある。

2-b「事務所棟2階」
社長室・会長室・会議室等が東西方向の長手に配置。南と北にはテラス空間を残し快適な空間である。テラスの手摺には勾欄(神社にみられる日本伝統の欄干)がコンクリートでつくられて落ち着きのあるデザインとしている。屋根はツイン梁を意匠的に持ち出し大きく軒を張り出して、日本の伝統の屋根の美しさと風格をあたえている。

2-c「集会棟」
南に寄せられた集会室は、多目的な用途に対応できるように考えられている。設計図をみると300人用、200人用、150人用、100人用の会議、会食用のレイアウトといった様々な机の配置が検討されている。集会室の空間は上部から光がスリット上に差し込み、高揚感を感じるような空間装置となっている。ロビーとの間の壁は可動式となっており、用途に応じて一体として、待合として、会食時の準備室として変動するようにしてある。ロビーは広場と硝子でつながり一体感を生んでいる。大きなスチールサッシで硝子戸が移動し、広場と一体になる意図がディテールに宿る。

2-d「広場とピロティ」【資料2】
北に2階建事務所棟、南に平屋の集会室、その間に広場とピロティが配置されている。広場は事務所棟の光や風を十分に取り入れ、視覚的にも大きな空に開放する。また、集会場のロビーと一体化されており、様々なイベントにおいても対応できる場として考えられている。展示資料の実施設計図書【資料3】を注意深く閲覧すると、広場の仕上げがロビーと同じ石張りで、彫刻的なベンチや噴水で人と人がより積極的に出会える場として考えられていたことが読み取れる。現在の芝の庭ではなく、交流のある広場を設計していたのだ。
エントランスとしてのピロティは、車寄せとしても十分な広さを持ち、開放的でたくさんの来訪者を気持ちよく迎え入れる場となっていて、三つのエリアに分けられた軸の構成がより協調されている。

3.事例比較
3-a 香川県庁舎(1958年) 【註3】【資料4・5】
日本の伝統的な木造の軸組の構成が作り出す開放的な空間を、現代の代表的な材料であるコンクリートで表現した建築。伝統を創造に導き、
民主主義の時代性を込めた市民の集まれる自由と独立と希望に満ちた場所を作り出した。1階は通りに面したアーケードの役割を持つピロティ空間とし、その延長としてロビー・展示ホールと庭園、すべて市民に開放された憩いの場となっている。建築は「低層棟の県民ホール」と「高層棟の事務所」、そして「庭園」の三つのエリアに構成され、内部と外部との接触するところに社会的意味のある建築空間の表現が読み取れる。

3-b 東京新都庁(1991年) 【註4】【資料6・7】
象徴性・安全性・機能性・永遠性を重視して、情報化社会の時代の表現を行った建築である。象徴性を表現することで、感性的で心理的な人の記憶に残るものとなっている。今後の行事にも考えを及ぼし、屋外にサン・ピエトロ広場を模した人の集まる場を設けた時間的デザインである。2本の腕が広場に集まる人々を抱きかかえるような形態は、一体感を象徴的に表現し、自由な精神がみなぎったシンボルとなる。場の中心は建築物ではなく、人の集まる広場である。

4.今後の展望
現在の施設の使われ方としては、集会棟を尾西生涯学習センター墨会館として利用し、事務所棟を小信中島公民館として利用されている。施設の予定表をみると、平日は予定が埋まっている様子で、事務の方に話をきくと、週末の利用状況に空き問題があるようだ。このことから、一部の限られた人に利用されてはいるが、多くの市民に発信できる施設になれていないように感じる。以前、弊社で住宅作品パネル展示会場として場所を貸して欲しいと施設に連絡をした際に、展示内容が営業的な面が強いという理由で断られた。地域の財産である国有形文化財の建築は、文化を育み発信する可能性を秘めている。新たな命を宿すのは市民であり、時代や人々のニーズに合わせて地域とのつながりを持つ必要がある。次回は、広場を尊重し、人が集まり語り合う「場」としての魅力を表現した企画を持ち込みたい。
空間としては、事務所棟の1階廊下は調光により、広場との関係が遮断されており、つながりが無くなっているのが残念である。樹脂板の雪見障子【資料8】を見せたい意図は理解できるが、現在は執務室ではなく廊下として利用しているので、ぜひ、空間の関係性を表現する上で、広場との一体感を考慮して雪見障子を半分開けていただきたい。

5.まとめ
地方民間企業の墨会館と、同時期に建設された公共の香川県庁舎、その後、約三十年後に建設された東京新都庁、建築構成において大切に考えられているのは、人と人が語り合う広場である。
丹下の建築は、その時代の精神を重視し、的確に時を把握した表現でありながら、材料を現代のものに置換えて伝統を伝え、想像力をかきたてる。公共は勿論のこと、小さな民間建築においても都市・伝統のコンセプトが詰められ美しい建築空間に昇華した。
丹下は言う「美しきもののみ機能的である」。【註1】美しさは人の心に感動を与え満足させる機能であり、美しい場所にこそ人が集まる。建築に求めたことは、ギリシア時代から変わらぬ建築の本質である人と人が出会い、社会的な人間活動で人が集まり自由に考え、語り合う「場」であった。

参考文献

<参考資料>
【註1】『人間と建築』p214彰国社2011年
【註2】株式会社艶金 公式サイト 2022年1月10日最終閲覧
https://www.tsuyakin.co.jp/
【註3.4】丹下都市建築設計 公式サイト 2022年1月10日最終閲覧
https://www.tangeweb.com/
墨会館・小信中島公民館 公式サイト 2022年1月10日最終閲覧
https://sumikaikan.jp/

『現代日本建築家全集10』三一書房1970年
『丹下健三都市建築設計研究所作品集』新建築1976年
『S.D.S.広場』新日本法規出版1994年
『SD丹下健三』鹿島出版会1995年
『CASA BRUTUS丹下健三DNA』マガジンハウス2005年
『日経アーキテクチャー追想丹下健三』日経BP社2005年
『住宅建築特別記事丹下健三』建築資料研究社2009年
『七十二時間、集中しなさい』講談社2011年
『丹下健三と都市』SD選書2017年
『丹下健三建築論集』岩波書店2021年

年月と地域
タグ: