吾妻山 ー古代から愛されている景観についてー

都築 勝也

1.はじめに
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
『古事記』中巻に収録され、弟橘媛命(おとたちばばひめのみこと)が、夫である日本武尊(やまとたけるのみこと)を思い詠んだ歌である。吾妻山には弟橘媛命を祭神とし、縁結びの神として地元の人から愛されている吾妻神社がある。山頂からの富士山の眺めは素晴らしく、葛飾北斎(1760-1849)が「富嶽三十六景」《相州梅澤左》を描いたとされている。
菜の花の季節には、日本で一番早く咲く場所として県外からも観光客が訪れる(図1)。吾妻山は、JR東海道線二宮駅に隣接し、標高136.2mで山頂部を中心とする11.2haが吾妻山公園として整備されている。本稿では吾妻山のどのような点が文化資産として評価できるかを考察する。

2.創世
『古事記』では日本武尊が東征において、三浦半島から海路を上総に渡る途中で嵐に逢い、妻である弟橘媛命が海中に身を投じることで嵐を沈めたとされている。弟橘媛命の小袖が海岸に流れ着き、地元の人が近くの山に弟橘媛命を祀ったことが吾妻神社の始まりである。日本武尊は、都に戻る途中の足柄山からこちらを見て「吾妻はや」(ああ吾が妻)と嘆いたことから、この山が「吾妻山」と名付けられた(図2)。吾妻神社のご神像は木彫りの千手観音像で千数百年が経過しており、古代から現代まで守られている。現在の社殿は1930年代の立て替えに伴い、建築家の伊東忠太(1867-1954)に設計を依頼した(図3)。古代から現代まで愛され大切にされている点が、吾妻山を文化資産として評価するポイントの1つ目である。

3.近世
吾妻山は、樋口忠彦の『景観の構造』(1)における地形空間タイプの分類に従うと、神奈備山といえる(図4)。神奈備山は神の住む山として景観が大切にされてきた山である。しかし、神奈備山の中には開発によりその景観が大きく変化してしまった山もある。奈良県の三室山は山の多くが住宅地となってしまった(2)。また、埼玉県の武甲山はセメントの原料を採取するために、山が削られ形までかわってしまった(3)。
吾妻山はまちの近くにあり鉄道の駅からも近いため、三室山のように住宅地として開発されて景観がかわってしまっても不思議ではない。なぜ現在までその景観が保たれているのか。
まず吾妻神社の存在があげられる。吾妻神社があることで神聖な場所として、開発がされなかった可能性がある。さらに高度経済成長期以前、吾妻山の雑木林は定期的に枝打ちや下刈りがおこなわれ、枝などが大切な燃料として使用されていた。地権者が多く、大規模な開発が難しかったことも景観が保たれた理由である。
戦時中に疎開先として吾妻山の麓に居を構え、戦争終結後も没するまでの30年以上に渡ってこの地に住んでいた、建築家の吉田五十八(1894-1974)は、山のはざまで野鳥やふくろう、ほたるなどに囲まれた静かな生活環境を「思考の楽園」(4)と称している。
このように神奈備山としての山容が保たれてきたことが、吾妻山を文化資産として評価する2つ目のポイントである。

4.現世
1955年に吾妻山は南側部分を中心に県から風致地区に指定され、開発が規制された。しかし、都市への労働力の集中や燃料が薪炭から電気、ガス、石油などに変化したことにより、山は管理されなくなり荒廃していった。このような状況を憂いた町が、自然利用化計画を策定し5年がかりで整備し1987年に吾妻山公園を開園させた。整備に際し、町は既存樹木を残すことと、一般車両を進入させないことをうたっている(5)。さらに、まちの人々の努力により1988年から始まった山頂部の菜の花栽培は、毎年のように新聞などに取り上げられている(6)。
吾妻山公園には4つの入り口があり、それぞれ山頂へ向かうルート(パス)がある。ケビン・リンチは『都市のイメージ』で、イメージの形成に、統一されてわかりやすく整備されたパスが重要であるとしている(7)。役場口、梅沢口、中里口そして釜野口の4つの入り口と、山頂を結ぶパスは、それぞれが統一されており、きれいに整備されている(図5)。役場口は、吾妻山のメインルートとして、パスの脇に水仙やつつじが植えられており、人の手で整備された公園が演出されている。梅沢口は、吾妻神社への参道としてつづら折れの山道の階段となっており、登り切ったところにある神社の境内とのコントラストが印象に残る。中里口は、整備用や緊急用に車両が上れるように、階段はなく他のパスに比べゆるやかで多くがコンクリートで舗装されており、足が弱い人でも登り降りがしやすい。釜野口は、森の中の登山道であり、静かな山のハイキング気分が味わえる。このように吾妻山はパスがそれぞれ特徴的に設計され、入り口から山頂部にうまく繋がっている。いずれのパスを通っても、山頂部に着くまで富士山を眺めることができず、山頂の芝生広場に出た時に眺められる富士山とのコントラストは、訪れる人に強烈な印象をあたえる。車両に気を遣うことなく、訪れた人が個性的にデザインされたパスを安心して楽しむことができる公園として整備されていることが、吾妻山を文化資産として評価するポイントの3つ目である。
平塚市と大磯町にまたがり湘南平としても有名な高麗山公園は、吾妻山と同様に神奈備山型の景観である(8)。吾妻山に比べ規模が大きく車で山頂付近まで上れるという利便性があり、山頂からの富士山、相模湾そして関東平野の眺めは素晴らしく、多くの人が訪れる。車道の両脇には、桜の木が植えられており、車中から桜と富士山の景色を楽しむことができる。駐車場がある千畳敷は展望台や売店などが整備されている(図6)。しかし、車道以外にいくつかあるハイキングコースは、車道に比べ訪れる人は少なく、どのコースも同じ様な雰囲気であり、木の根がむき出しになるなど整備が行き届いていないところもある。山頂からの眺望だけではなく、徒歩で登る道中も含め山全体を楽しめる吾妻山と違い、高麗山は展望台以外の印象があまりなく、訪れる多くの人にとって車で手軽にいける場所として、展望台からの眺望だけが心に残る。

5.来世
吾妻山公園内は、町から委託されたシルバー人材によって管理されている。しかし、区画外となる雑木林は放置されており、2021年7月の大雨によって一部が地滑りする被害もでている。里山問題(9)として取り上げられる他の場所と同様に、この雑木林をどのように整備するかが吾妻山の課題である(図7)。
雑木林整備の方法の一つとして、下刈りなどをアウトドア協働型のエコイベントとして行うことが考えられる。吾妻山は、都内から電車や車で1時間程度のため日帰りで訪れることができる。エコイベントを行う場所として参加しやすい距離である。さらに、エコイベントはイベント中の体験により、終了後の生活において参加者の意識が変わる点が指摘されている(10)。吾妻山は風致地区には指定されているが、植物の手入れは規制されていないため、安全が確保され町及び地権者からの了解があれば、一般の参加者による山の整備は可能である。
いっぽう前出の高麗山も同様に山は荒れているが、その大部分が「大磯高麗山の自然林」として県から天然記念物に指定され、植物の伐採などが制限されている。エコイベントで一般の人を集めて下刈りなどを行うのは難しい。また吾妻山は高麗山に比べ、面積が小さいため、イベントの参加者が成果を実感しやすいのも良い点である。

6.おわりに
吾妻山は、古代から現代まで大切にされ、景観が保たれ、訪れる人が山全体を安心して楽しめる公園として整備されている。このような点を文化資産として評価する。
世界的な開発目標であるSDGsの11番目の目標「住み続けられるまちづくりを」のターゲットに、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護・保全の努力を強化する。」がある。ユネスコの世界遺産のような顕著な普遍的な価値がある遺産を保護し保全することは大切である。その一方で吾妻山のように古代から地元の人たちに愛された景観としての文化資産を保全することも同様に大切である。身近な景観を愛し、エコイベントなどを通じて様々な人を巻き込みながら、景観を保全することが、持続可能な開発となり、住み続けられるまちづくりへとつながり、自然にも経済にも好循環が生まれるのではないか。

  • 1 図1:吾妻山の菜の花と眺望(2022年1月21日 筆者撮影)
  • 2 図2:吾妻山の由来(筆者作成)
  • 3 図3:吾妻神社(筆者作成)
  • 4 図4:吾妻山の山容(筆者作成)
  • 5 図5:吾妻山公園のパス(筆者作成)
  • 6 図6:高麗山(筆者作成)
  • 7 図7:吾妻山の課題(筆者作成)

参考文献

註:
(1):樋口忠彦『景観の構造』技報堂出版社、1975年
(2)(8):笹谷康之他「神奈備山の景観構成」『第7回日本土木史研究発表会論文集1987年6月』
(3):武甲山資料館Webページ:http://bukohzan.jp/about/index.html (2022年1月21日閲覧)
(4):吉田五十八「贅沢な生活」『饒舌抄』中公文庫、2016年
  原典は日本経済新聞、昭和46年1月22日
(5):二宮町企画課発行『広報にのみや』第256号、昭和59年5月10日発行
(6):「富士には菜の花も似合う」朝日新聞 神奈川版、湘南、2022年1月19日朝刊
(7):ケヴィン・リンチ著、丹下健三、富田玲子訳『都市のイメージ 新装版』岩波書店、2007年
(9):経済産業省「里地里山の現状と課題について」里地里山保全・活用検討会議、平成21年度第1回検討会議、資料3、スライド番号6
https://www.env.go.jp/nature/satoyama/conf_pu/21_01/shiryo3.pdf (2022年1月21日閲覧)
(10):森高一著、中西昭一、早川克美編「エコイベントが変える未来の時間」『私たちのデザイン2 時間のデザイン』藝術学舎、2014年

参考文献:
二宮町教育委員会編集『二宮町郷土誌』二宮町教育委員会発行、1972年
二宮町編集『二宮町史 通史編』二宮町、1994年
二宮町企画課発行『広報にのみや』:第224号(昭和56年8月10日発行)、第256号(昭和59年5月10日発行)、第257号(昭和59年5月10日発行)
まちづくり工房「しお風」『「しお風」創刊20年記念 しお風に誘われて』2020年5月発行
平塚市「湘南平・高麗山ガイドMAP」
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/common/200056770.pdf (2022年1月21日閲覧)

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