信州上田、塩田平の田園空間を未来へ繋ぐために

上原 逸幹

はじめに

長野県中央部の上田盆地にある塩田平は、標高450~550メートルの大きな扇状地で、年間平均降水量が約900㎜の全国有数の寡雨地帯である。そのため、新田開発や用水不足の解消を目的として、長い歴史の中でため池を築造してきた。
江戸時代には、大小200以上ものため池が造られたが、現在は100ほどに減少した。ため池の存在により、価値ある田園空間が存在し文化や風習も伝承されている。これらを未来に繋ぐ努力が農業者と市民によって行われている。ため池を多く持つ兵庫県東播磨地域の活動と比較し、今後の展望を考察する。

基本データー

1 塩田平は粘土質で保水性が高く、ため池の築造に適している。
2 塩田平には大きな河川はなく、千曲川水系と依田川水系の二系列によって用水は成り立つ。
3 ため池には、防災・生態や環境保全・親水空間・文化継承・交流などの農業用水の目的以外の多面性機能がある。
4 今日の日本は、ゲリラ豪雨や地震が増え、塩田平でも「防災重点農業用ため池」の被災防止対策が必要である。
5 塩田平の疎水やため池には、希少で多様性豊かな草花・野鳥・昆虫・魚(註1)が存在する。マダラヤンマは、トンボの宝石と呼ばれ上田市の天然記念物である。
6 平成27年度の上田市の農家率は9.4%で、農家人口は平成22年10,204人から平成27年7,577人に減少。農家の高齢者の割合は42.9%で、農業者離れと高齢化が問題となっている。

歴史的背景

塩田平の上本郷・ 古安曾・ 五加地区などの産川の流域 から弥生時代後期の土器が出土しており、低湿地で水田耕作が行われていたといわれる。平安中期ごろに、開発領主の手塚氏などが、湧き水・沢水・降水を疎水とし新田開発を行い、水をもたらすと崇められた独鈷山信仰により寺・神社(中禅寺・塩野神社)などの文化も発達した。
江戸時代には上田藩が米の増産を目指し、ため池の築造・増築・修築や用水堰の修理を推進し、幕末までには大小約200ものため池が造られ「塩田三万石」といわれる穀倉地帯となった。
大正13年、15年の大旱魃により、昭和16年から29年間をかけ二系列の川から揚水工事が行われ、農業用水に使用が可能となり現在は水の不安はなくなった。
昭和38年には圃場整備事業が制度化され、昭和40年代半ばまで、塩田平でも構造改善の圃場整備が行われた。小池が埋め立てられ公共施設・学校や田に変わり、現在は約100のため池が残っている。
2010年にため池百選に「塩田平のため池群」、2020年には、塩田平が日本遺産に選定されている。

評価

田園空間を未来へ繋ぐために、市民と農業者により次のような活動が行われている。

「ため池探検隊」①は、「水鳥の観察会」「マダラヤンマの観察会」「ため池でのカヌー遊び」などを催している。ため池は農業用水の他に、生物の生息地としての役割を果たし、塩田平の人々にとって重要な働きをしていることや、それは誇りであることを伝え、ため池の未来を子ども達に託そうと活動している。

田園空間博物館の塩田の里交流館「とっこ館」②(註2・資料1)では、文化や風習、動植物の保護、寡雨地帯の塩田平が水不足に悩まされ、ため池が古くから多く築造され、現在も地域を支える重要な財産であることを伝えている。地域住民が主体的に活動し、歴史教育、都市との交流、自然観察、体験活動、塩田平の民話の伝承などで地域の活性化を目指している。

平成25年から27年に行われた「塩田平ため池フェスティバル」③では、ため池の講義と「百八手」(註3)という雨乞いが行われた。このフェスティバルをきっかけに、松明の作り方や、塩田平の先人たちの水の想いを伝えていくために、平成28年「ため池を愛する会」が発足した。また「富士山水土里会とマダラヤンマを守る会」は、マダラヤンマを採取する人から守るパトロール④を砂原池などで行っている。

別所地区では、国の重要無形民俗文化財の雨乞い祭り「岳の幟」⑤(註4)が、毎年7月に地域住民により行われている。平成10年長野冬季オリンピックの閉会式に披露され、世界に発信された。
①②③④⑤等の活動は、市民と農業者が協同で行い、寡雨地帯で苦辛した塩田平の先人の努力を現代の私たちに伝え、未来に繋げようとしており評価できる。

塩田平でも防災重点農業用ため池の被災防止のため、ため池の耐震化工事が行われている。塩田平のため池の草原は、「農業者により、草刈り年2回・土手の野焼き(資料2)の管理などが行われ、人間活動の縮小を防ぎ生態系が保たれている」(註5)。しかし耐震化工事を行うことで、ため池の土手周辺に存在する貴重な植物が取り除かれ、絶えてしまう恐れがあり、次のような取り組みが行われている。

令和3年6月6日には、農業用ため池の塩吹池の周辺で、筑波大山岳科学センター菅平高原実験所の助言を受け、保野農家組合員により、「虎刈り」(資料3)という草を所々残す方法で、希少な草丈の低い草から高いものまで生息できるよう草刈りが行われた。塩吹池では以前から「フデリンドウ」(資料4)の保護が、地元民により10年以上続けられており、先任の取り組みが受け継がれている。
また令和3年10月20日に、塩田まちづくり協議会や富士山財産管理組合、筑波大山岳科学センター菅平実験所の学生らが加わり、工事後も前の状態で残すため貴重な「ユウスゲ」「イヌハギ」などの植物を、北ノ入池など3カ所で採取し、工事終了後に元に戻すという方法で保護した。
これらのため池周辺の植物保護は、農業者と研究者によって行われているが、塩田平のため池周辺の自然を守り、未来に残そうとする活動であり評価できる。

比較事例と特筆

兵庫県東播磨地域は、ため池の水環境改善・水利用の仕組み・保全活動の大切さとため池は地域の貴重な財産であることを伝え、魅力あるふるさとづくりのため、「ため池協議会」【註6】が発足となった。地域の人々と協力し、クリーンキャンペーンや、交流・ 親水イベントなどを行い、主にため池の環境の維持に力を入れ、草刈りや清掃を行っている。
塩田平も交流・ 親水イベントなどや、ため池の自然の維持を行っているが、ため池により受け継がれた歴史的文化を、田園空間の素晴らしさや環境保持と繋げようとしており、特筆できる。例えば、「ため池を愛する会」は「ありがとうため池まつり」で、ため池巡り・礼所巡りを行い、観光客に対してボランティアガイドは、塩田平の特質やため池や寺社説明を行っている。

今後の展開

塩田平のため池や疎水の管理【註7】は、水利組合が主に行っている。水利組合員も高齢化し、ため池の管理不足になる事が予想される。行政の公的資金を導入し管理の補助を増やしたり、被災防止のような経験や技術の必要な管理は除き、東播磨地域のように、垣根を超えて共感できる地域の人々・地域以外の人々により協働で、疎水やため池などの美しい田園空間を管理して守ることが必要である。
熊谷は「塩田平は古くからの文化があり交通の便もよく、農業・観光・環境を学ぶ学生のフィールドとして条件が整っており、教育・学習・生産を組み合わせ、水田やため池を保てるのではないか」【註8】としている。塩田平は学海の地と言われており、教育や研究に結びつけて田園空間を守ることは、塩田平地域の特質を生かすことができ有意義であると考える。

塩田平は「小池や果樹園・森が近くにありマダラヤンマなどの昆虫が生息しやすい環境」【註9】で、マダラヤンマの産卵には抽水植物が必要である。ため池の小池(資料5)は個人の所有が多く管理が大変であるが、農業用水として不要でも、埋め立てずに抽水植物を失くさない管理が必要である。ため池の多面的機能【註10】としての使用に変えることも考えられる。石川県珠洲市の三枚田では、利用されないため池で「ジュンサイ」を作り、ため池の維持管理に役立てている【註11】という。塩田平においても地元に即したものを考え、ため池の維持管理に繋げる必要がある。

まとめ

寡雨地帯である塩田平の人々は水を大切にし、今日まで農業者によって豊かで美しい自然と田園空間の景観を保ってきた。大旱魃には穏やかな村でも水争いがあったという。しかしそのような時代を超えて、塩田平の人々の結束の強さを知ることができた。ため池は生態系や環境の保全、防災などの機能を備えている宝物である。ため池を造り管理してきた先人の想いと、垣根を超えさまざまな分野の人々により、田園空間・文化・風習・動植物の保護を協働のデザインで未来に繋ぐことが大切である。

  • 1 塩田平のため池
    上 春の夫婦池 2021年 4/3  中 加古池の夏 2021年 7/23
    下 居守沢大池の秋 2021年10/11 全て筆者撮影
  • 2 資料1 2022年 1/19
    資料2 2021年 4/3
    資料3 2022年 1/19 全て筆者撮影
  • 3 資料4 2022年 1/19
    資料5 2021年 10/11 全て筆者撮影

参考文献

上田地域自然電子図鑑「上田地域の地形・地質」http://edu.umic.jp/zukan/work/chikeichishitsu/chikei.htm、2022年1月15日

上田市の概要、「気候」「上田地域の特色」、上田市ホームページ、https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/uedapr/5606.html、2022年1月15日

上田市教育委員会『 上田市埋蔵文化財分布調査報告書 上田市の原始・古代文化 』昭和49年 p102~103、

上田市の農林業 (2015 年農林業センサス調査結果報告書)、上田市政策企画部広報シティプロモーション課、平成27年、https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/8840.pdf、p16、2021年4月18日

上田市誌 5巻『上田の弥生、古墳時代』、「上田地方の弥生集落」、上田市誌刊行会、2000年 p14
上田市誌 7巻『上田の荘園と武士』、「開発領主、手塚氏」、「鎌倉時代の文化」、上田市誌刊行会、平成13年 p27、28、p137
上田市誌 12巻『近世の農民生活と騒動』、「塩田平のため池」、「小さいため池を維持する苦労」、上田市誌刊行会、2003年 p43、p53
上田市誌 25巻 『信仰と芸能』、「雨乞い」、上田市誌刊行会、平成14年 p118~121

川とわたしたち、塩田のため池、水と暮らし(農業用水・堰 塩田の用水)川とわたしたち [上田地域こども自然電子図鑑]、http://edu.umic.jp/kawa/segi/l-shioda.html 、2021年5月10日

ため池探検隊、信州民報「【上田市】 ため池「舌喰池」でカヌー遊び 塩田には約100のため池が残る 小学生らが楽しみながら学ぶ!」 https://ueda-navi.jp/archives/1243、2021年5月10日

上田市塩田の里交流館、ホームページ、信州上田|塩田の里|とっこ館 (shiodanosato.jp)、2021年5月10日

熊谷圭介・西澤むめ子・宮本達郎『生きるためにつくったため池に豊かな生き方を授かる』p19,20、地域文化No122、公益財団八十二文化団、2017年

「虎刈りで植物守れ」、信濃毎日新聞、朝刊、2021年6月7日、18面

「上田のため池「北ノ入池」堤防工事開始前に希少植物 保全へ引っ越し」信濃毎日新聞、朝刊、2021年10月21日、24面

南 埜 猛、「溜池の存続とその維持管理をめぐる取り組みー兵庫県 東播磨地域を事例としてー」p81,82,83,84、経済地理学 年報 第 57巻 2011年 pp .75−89 、p85,86,87、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaeg/57/1/57_KJ00007224918/_pdf/-char/ja、2021年5月10日

「ため池決壊続く危険」日本経済新聞2018年7月13日

『第2回.3回 信州うえだ ため池フェスティバル 講演・事例発表・シンポジウム記録集』、p4、p26、p45、長野大学地域連体センター、平成28年


【註1】希少植物や多様性豊かな生物
   ・植物 ヒシ ガマ ハス ツリガネニンジン ユウスゲ イヌハギ 等
   ・野鳥 ホシハジロ カイツブリ ダイサギ 等
   ・昆虫 マダラヤンマ エゾトンボ ゲンゴロウ ミズムシ 等
   ・魚  ムツゴ ドジョウ 等
『農と水の文化財ーため池を訪ねる』p8、中央公民館、ビデオ講座委員会、2019年
『第2回.3回 信州うえだ ため池フェスティバル 講演・事例発表・シンポジウム記録集』、p30,31長野大学地域連体センター平成28年より


【註2】田園空間博物館の塩田の里交流館「とっこ館」 http://www.shiodanosato.jp/facility/、2022年1月10日
【註3】百八手 https://shioda-machidukuri.jp/882、2022年1月10日
【註4】岳の幟 https://shioda-machidukuri.jp/882、2022年1月12日

【註5】川上美保子「塩田平では農業者により、池干し・草刈り2回・土手の野焼きなどの管理が行われ、人間活動の縮小を防ぎ生態系が保たれている」『第2回.3回 信州うえだ ため池フェスティバル 講演・事例発表・シンポジウム記録集』、長野大学地域連体センター平成28年、p26~p31

【註6】東播磨地区のため池協議会 https://www.inamino-tameike-museum.com/activity-group/reservoir-council.html、2022年1月10日

【註7】ため池と疎水の管理は、主に水利組合がおこない、初土井・豪雨時の放流管理・池干し・泥吐き・草刈り・土手の野焼き・疎水の清掃が行われる。疎水の清掃は、地域住民と一緒に行う所もある。(聞き取り調査より)

【註8】熊谷圭介「塩田平は古くからの文化があり交通の便もよく、農業・観光・環境を学ぶ学生のフィールドとして条件が整っており、教育・学習・生産を組み合わせ、水田やため池を保てるのではないか」、『第2回.3回 信州うえだ ため池フェスティバル 講演・事例発表・シンポジウム記録集』、長野大学地域連体センター平成28年、p45

【註9】「上田市塩田平においてマダラヤンマの産卵には、抽水植物の必要性が高く。小池や果樹園・森が近くにありマダラヤンマなどの昆虫が生息しやすい環境である」
阿部 建太・髙橋 大輔・早川 慶寿「長野県上田市のため池群における 絶滅危惧種マダラヤンマの生息場所利用」p5,6,7、保全生態学研究 24(2), n/a, 一般社団法人 日本生態学会、2019年、https://www.jstage.jst.go.jp/article/hozen/advpub/0/advpub_1821/_pdf/-char/ja、2021年5月10日

【註10】ため池の多面的機能 https://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/bousai_saigai/b_tameike/、2022年1月15日

【註11】石川県珠洲市の三枚田のジュンサイづくり、https://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/bousai_saigai/b_tameike/pdf/toku_syoku_ishikawa_sanmaida.pdf、2022年1月20日

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