西坂本一乗寺の信仰

鴫原 宏一

【西坂本一乗寺】
京都府京都市左京区北白川の京都芸術大学から約5分北へ歩くと一乗寺地区がある。古くは天台宗延暦寺の登り口として西に在ることから西の坂の下、西坂本と呼ばれていた地域である。一乗寺の名の由来は、その名の寺院が存在していた事からきているが、一乗寺の名を持つ寺院はこの地域には現存しない。
平安時代、この地は貴族の山荘や遊覧の地であった。公家の日記などの歴史書『百錬抄』には、康平六年(1063)に一条天皇の皇后上東門院が建立し、同じく12月24日の条にも「上東門院三井寺一乗院ニ供養ス」とあり、これが園城寺三井寺の別院となる一乗寺のことである。当時から現在まで天台宗は、大きく山門派(延暦寺)寺門派(園城寺)真盛派(西教寺)の三宗派に分かれており座主を巡っての争いがあった。山門派との争いを恐れた寺門派の僧侶が比叡山を避けて山城の愛宕郡西坂本の一乗寺に住み込んでいた。しかし、保安二年(1121)5月27日に延暦寺の衆徒に焼き払われ一乗寺の堂塔伽藍は、地上から焼失した。
現在の一乗寺は、周辺地図にある上一乗寺と白川通から西に広がる商業地域である下一乗寺に大きく分かれている。上一乗寺の集会所として利用されている場所で多くの石仏が出土したことから一乗寺跡①が建てられている。この周辺が一乗寺であったと推測される。

【一乗寺の寺院】
この一乗寺跡を中心として仏教寺院や建物が多く建立されている。元々が天台宗の地域であるが、宗派は統一されたものではなく、活動内容も大きく異なり多種多様な信仰を守っている。その主だった寺院の現状を考察する。

①一乗寺跡に付随するように、北に薬師堂・南に釈迦堂が現存している。どちらの伽藍にも僧侶等は置かれていない。地元住民が協力し、日々念仏と維持管理を行っている。
②曼殊院門跡
古くは東尾坊と呼ばれた天台宗延暦寺の門跡寺院である。明暦二年(1656)に御所の北から、一乗寺に移転された。国宝である黄不動尊・古今和歌集曼殊院本を蔵しており建築、庭園ともに優れる。観光寺院として広く公開されており、天皇皇后両陛下が参拝されたこともある名刹である。
③洞明山清賢院
浄土宗の寺院であり、地域に檀信徒を有しており檀家参りを活動の主としている。
④葉山馬頭観音
修学院にある臨済宗の門跡尼寺の末寺であるが、数年前の台風により崩壊したために立ち入り禁止になっている。幕末に活躍した梅田雲浜が滞在したことで知られている。
⑤帰命山西圓寺
天台真盛宗の末寺である。地元の檀信徒との念仏中心とした寺院経営を行っている。雪の降る日に境内の池を撮影することが出来た。小堀遠州ゆかりの造園であると伝えられている。
⑥瑞巌山圓光寺
臨済宗南禅寺派の寺院である。何代か前には尼僧の修行道場であったが、男性僧侶が住職となり現在は観光寺院として運営されている。現代的な造園が施されており、見る物を圧倒させる。
⑦一乗山稱名寺
浄土宗の寺院である。檀信徒との念仏を主とした活動を行っている。
⑧詩仙堂丈山寺
曹洞宗大本山永平寺の末寺である。石川丈山の庭園が有名で、著名人が多く参拝に来ている。イギリスのチャールズ皇太子ダイアナ妃が参拝されたことで有名である。広い庭園を拝観することが出来る。
⑨本願寺北山別院
浄土真宗本願寺派の寺院である。この寺院の特徴として、隣接する北隣にて聖水保育園を運営していることが挙げられる。
⑩大本山狸谷山不動院
真言宗狸谷山修験道の独立寺院である。本堂が清水寺を彷彿とさせる舞台造りになっている。祈願寺として有名で、交通安全や自動車の御払い等を行っている。
⑪佛日山金福寺
臨済宗南禅寺派の寺院である。村山たか女の終焉の寺として知られている。庭園を開放して拝観を行っている。檀信徒の参拝者も見受けられる。
⑫波切不動尊
高野山真言宗の寺院である。ボケ封じの御利益を掲げており、護摩供養を行っている。

大きく宗門のみに注視してみると、天台宗①②⑤・真言宗⑩⑫・浄土宗③⑦・浄土真宗⑨・臨済宗④⑥⑪・曹洞宗⑧があり、日本における主要な宗門が揃っているのが見てとれる。また、寺院経営の点から鑑みると、地元ボランティア①・観光寺院②⑥⑧⑪・祈願信仰④⑩⑫・檀家信徒寺③⑤⑦・教育施設⑨と分けることが可能であり、多様性を認めることが出来る。

【東坂本と西坂本】
ここで、比叡山延暦寺を中心とした場合、地名にもなっている滋賀県大津市坂本いわゆる東坂本が対極に存在する。東坂本においても、下坂本と呼ばれる湖岸側に広がる土地は、商業施設が多く建てられている。東坂本には多くの寺院が建立されている。特に山手には、天台宗の宗務庁があり、滋賀院や竹林院など観光・拝観有名寺院が存在する。天台宗母体の延暦寺学園は、比叡山幼稚園・比叡山中学校・比叡山高等学校・叡山学院を、この地で運営しており天台宗の教えを広く伝えている。観光・拝観を行っていない寺院においては、比叡山延暦寺一山の職員として、ケーブルカーで毎日比叡山へ出勤する人が多数いる。この地域において、天台宗とは土台であり、その上に寺院や生活が行われているのを強く感じとることが出来る。

【西坂本一乗寺周辺寺院の問題点】
多種多様な存在を有している寺院があるが、失われつつあるものも多くある。
④の葉山観音の存続には大きな不安がある。幕末から明治維新にかけての歴史は、人気のある題材であるために、梅田雲浜の活躍を知る者も多くいる。この場所には、梅田雲浜先生旧跡碑が建てられているが存続を危ぶまれる。葉山観音母体である林丘寺は皇室関係であり、飛び地の葉山観音まで、管理することは難しいと考えられる。また、皇室関係であるが故に、一乗寺に根付く地域住人が主体となったボランティアを行うことが出来ないのである。
⑥の圓光寺は、尼僧寺であった当時、多くの尼僧が修行を行っていた。男性が出家し自己を見直せる場としての寺院は多くあるが、女性が同じことを願ったとき受け入れてくれる寺院は少ない。男女平等が叫ばれる現代に女性の悩みを受け入れられる寺院としての役割も存続することを期待する。
③清賢院⑤西圓寺⑦稱名寺の檀信徒に頼るいわゆる檀家寺は、寺院収入だけでは生活できない事例がある。そのために兼業僧侶を選択することが増え、檀家寺としての存続が不安視される。
一乗寺に存在する寺院は、多くの宗派に分かれているが故に、個々の行き来が行われていない。問題解決や寺門興隆を、考える場がないために全体としての成長を見込むことは難しい。

【これからの西坂本一乗寺】
コロナ禍において、インバウンドが急激に減少している。コロナ禍以前の一乗寺は、外国人の声を聞かない日がないほどの大盛況であった。観光事業が急激に伸びていた。現在は落ち着きを取り戻しているが、④葉山観音の観光事業化が進めば人出が伸び、名跡としても成長していくと期待される。
一乗寺は、古家が多く存在しているが少子化や都心に移住する人が増えたため、空き家は取り壊され、跡地には1軒に付き3~5軒の家が新たに建築される。その件数分の電線やアンテナ線が張り巡らされる事となり、景観が脅かされている。また、古い村であるので、道は細く車一台が通れる幅であり離合が困難である。その道に、観光の自家用車が多く入り込み問題となっている。道路の整理や街作りの枠組みを指定する必要性がある。

【最後に】
西坂本一乗寺の独特な地域性を形成している要因は、成り立ちが大きく関係している。一乗寺は、比叡山延暦寺と京の都・御所との狭間にあることから、多種多様な考え方や生き方が根付き、育っている。この独自性が、地域全体の場を盛り上げている。町と山との境界線を成している一乗寺の本質を、変えずに残していく必要がある。

  • 1 周辺地図。
    西坂本一乗寺かいわい。
    2022年1月17日著者作成。
  • 2 西坂本一乗寺地図の1~5番。
    拝観②600円
    2022年1月13日著者撮影。
  • 3 西坂本一乗寺地図の6~12番。
    拝観⑥⑧⑩⑪共に500円
    2022年1月13日著者撮影。
  • 4 西坂本の表示と一乗寺の名残。
    2022年1月17日著者撮影。

参考文献

八大神社七百年祭委員会発行『八大神社御鎮座七百年記念誌』京都新聞社出版局、1993年11月10日
中村治著『京都洛北一乗寺ーその暮らしの変化ー』大阪公立大学共同出版会、2014年3月31日

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