北五百川の棚田と里山の景観 ー 農業と人をつなぐ

小崎 いずみ

新潟県三条市に農林水産省が認定する「日本の棚田百選」のひとつ「北五百川の棚田」がある。棚田は、東の谷と西の谷に分かれているが、ここでは、西の谷の棚田を「北五百川の棚田」として取り上げる。西の谷の棚田は規模が小さく、棚田と里山が共存する景観をつくる。よく手入れされ、庭園のようにデザインされた棚田と棚田から見える里山の景観を考察し報告する。

三条市下田地域と北五百川集落
三条市下田地域は、2005年に三条市と合併した旧下田村を指し、豊かな自然に囲まれた里山は「下田郷」と呼ばれ、「ものづくり」で知られる三条とは異なる風土を持つ。山に囲まれ、三条市の中央を流れる五十嵐川の河岸段丘に、集落とともに田園風景が広がる地域である。市街地とは国道289号線で結ばれ車による通勤圏内であるが、奥地には、奥早出粟守門県立自然公園と越後三山只見国定公園を含み、市境は越後山脈を越えて福島県南会津地方と接する。粟ヶ岳、守門岳、五十嵐川は下田地域を象徴する存在であり、新潟県の多くの山間地域と同様、豪雪地である。市街地から五十嵐川を遡ると三条市指定の景勝地、八木ヶ鼻の絶壁に至り、五十嵐川の支流、駒出川沿いに北五百川集落が広がる。標高1293mの粟ヶ岳の裾野、駒出川右岸の傾斜地に北五百川の棚田がある。
印象的な断崖絶壁、八木ヶ鼻が聳える場所は、五十嵐川、守門川、駒出川の合流地にあたり、岩壁には縄文草創期の岩陰遺跡、対岸の長野集落には縄文中期から後期の集落の遺跡があり、古代から人が住んでいたことを示す(資料1)。八木ヶ鼻の麓には、勧請、大同8年(807年)と伝わる八木神社が鎮座し、倉稲魂命と磐間戸命を祀るほか、新田義貞父子四将を合祀し、新田氏ゆかりの神社ともされる。周辺には古い寺社が残り、古くから集落があったと考えられる。さらに、守門川を遡ると、明治から大正期に栄えた八十里越え(古道)の峠道が南会津へ通じ、五十嵐川は三条の市街地で信濃川と合流する。長野遺跡の出土品に含まれる、会津地方と同じ形や文様の土器は、五十嵐川を通じ、古代からここが会津地方と信濃川流域をつなぐ交流地だったことを示す。また農家の副業であった炭焼きは、昭和の中頃まで金物の街三条を支える重要な産業のひとつで、生産された鍛冶炭は五十嵐川を通じて三条へ運ばれた。
周辺には飲料水となる湧水地が複数あり、安定した豊富な水は人々の暮らしを支えた。北五百川の棚田は、「大久保の清水」と呼ばれる、粟ヶ岳の伏流水を水源とする(資料1)。八木ヶ鼻をシンボルに3つの川が合流するこの地は、古代から人が往来し、稲作も早くから行われていたと考えられる。

北五百川の棚田
北五百川の棚田は土坡であり、耕作面積1.5ha(*1)、平均勾配1/6(*2)、標高範囲100〜150mと小規模で、開発起源は定かではないが、家の継承から約400年前とされる。代々受け継がれてきた棚田は、数名の耕作者によって、保全、維持されている。機械が入れるように整備されたため、細かい田圃が段々と連なる棚田ではない。斜面に広がる角のない不規則な形の田圃と圃場を囲む直立した杉林が対照的に作用し、立体的な棚田空間となり、限られた空間の独立した景観を形成していることが特筆される(資料2)。よく知られる姨捨の棚田や白米千枚田のように、何千もの小さな田圃が連なる圧倒的景観の棚田とは異なる趣をもつ。
棚田の圃場整備は、労力の負担を軽減する目的が第一であるが、整備により空間を再構成し特徴ある景観をつくることができる。一方、伝統的棚田景観の損失とも捉えられるが、それでも、耕作者の負担が大きいことによる担い手不足は、棚田に共通する問題であり、耕作放棄地をつくらないためにも、圃場整備は有効な方法と考える。

棚田と里山の景観
北五百川の棚田の特徴は、棚田空間の作り方にある。庭園のような趣をもち、見せるための空間としてデザインされている。春にカタクリの花の群生が見られるのは、景観をよくするために周囲の杉の木を伐採、整備したことによる。そこに2本の桜を植樹したことで、残雪の粟ヶ岳を背景に桜とカタクリの花が同時に開く美しい風景となった。杉林に囲まれていても鬱蒼としていないのは、よく手入れされているからだろう。棚田には遊歩道があり、その途中に小さな東屋、頂上の木の下にベンチが置かれ、東屋からは棚田がよく見渡せる。春は田圃に水が入り、夏は一面緑に変わる。秋には黄金色から土色に戻り、冬に雪景色となる。稲作における労働の場所である一方、季節ごとに色彩を変える自然の空間でもあり、季節の移ろいを感じる場でもある。
耕作者による農の空間のデザインは、自分が関わる自然と農業との向き合い方の表現である。庭園のようにデザインされた棚田は、労働の場を豊かにするだけでなく、外部の人に自然や農業とつながる空間をつくり、共有するという点において積極的に評価する。
棚田からの景観でアクセントの効果を生む、里山の寺社を囲む林、道路沿いの木々、屋敷林は、かつて家や田圃の境界を意味付けたり、防災的な役割を果たしていた。生活圏にある近くの山は、人が日常的に立ち入って、山菜や木の実などの食糧を採集したり、暮らしに欠かせない薪や柴などの燃料、建築資材としての木材を得る場所であった。そうして人が自然に関わることで、本来の自然に加え、里山に多様な生態系を育んできたのである。棚田からの眺望は、自然と関わり合いながら暮らしてきた、かつての里山の風景と重なり、棚田、里山、遠くの山並みが融合し、どこか懐かしい郷愁を感じさせる景観を形成する。北五百川の棚田を特徴づけるのは、棚田の景観だけでなく里山との共存によるものである(資料2)。

地域活動と今後の展望
江戸時代に「下田郷」と呼ばれた旧下田村は、三条市と合併し再び「下田郷」と呼ばれる。縄文時代から人が住み、峠道を越えて会津と交流した歴史を背景に、北五百川の棚田が象徴するよう、農業をベースとした里山の暮らしが残る。2012年、棚田に咲くカタクリの花の群生がJR東日本のキャンペーンポスターに採用されると、開花を待つように多くの人を集めるようになった。北五百川の棚田は、下田地域の新たな交流拠点になりつつある。
棚田オーナー制度を用い、オーナーの田植えや稲刈りへの参加、東京都の小学校児童の稲刈り体験交流など、都市に住む人たちや子供達を招き、農業体験を通じた棚田の保全活動が活発に行われている。集落にあるほかの棚田に関わるのは、地元の老人会や三条市の「地域おこし協力隊」である。官民一体となった活動により、放棄地のない棚田が維持されている(*3)。また、「しただ米」をブランド化したいという地元森町小学校児童の思いから、2020年からイベント「ザ・米フェスinしただ」が開催されている。小学校で栽培する米を「森笑米」と名付け、八木ヶ鼻周辺集落の田圃で栽培されたブランド米とともに紹介し販売する。子供達の自発的地域コミュニティへの参加は、地域全体に活力を与え、コミュニティを豊かにつくり変えるものである。北五百川の棚田の波及効果は大きい。農業を通じたこうした活動により、地域の人、都市に暮らす人、子供達がここに集まり交流することで、農業の文化が広がり将来へつなげていけるだろう。

まとめ
豊かな自然資源を有する「下田郷」は、古代から人が住み、土地を開いて根づき、暮らしは農業とともにあった。農業はその土地、自然と密接に関わる。農の空間をデザインすることで印象的な棚田となり、北五百川は新たな交流の場になりつつある。農業従事者の高齢化による担い手不足は未だ課題が残るが、小さな里山を持続可能な場所にしていくために、棚田を核として人と人、人と農業をつなぎ、関係人口を増やしていくことが必要である。

  • 1 資料1:北五百川の棚田周辺の地形/地図
  • 2 資料2:北五百川の棚田空間と里山を構成する要素の考察

参考文献

*1 全国棚田(千枚田)連絡協議会(2022年1月29日 最終閲覧)「機関誌『ライステラス』バックナンバー」(第71号 2016.9.30版)、12ページ「北五百川の棚田と地域をデザインする力」に記載の耕作面積に基づく(https://tanada-japan.com/wp/wp-content/themes/tanada/pdf/071000.pdf)
*2 棚田NAVI 全国棚田(千枚田)検索サイト(2022年1月29日最終閲覧)、サイトのデータに基づく(https://tanada-navi.com/introduce/kitaimogawa/)
*3 内閣官房・内閣府総合サイト 地方創生(2022年1月29日 最終閲覧):「新潟県において作成された認定棚田地域振興活動計画」の「三条市棚田地域振興協議会(抄)」、2ページ「2 指定棚田地域振興活動の目標」(1)、アに記載の「耕作放棄地を0%とし現状を維持する。」に基づく(https://www.chisou.go.jp/tiiki/tanada/shitei/katsudo_keikaku_niigata.html)

コロナ禍で現地への訪問を自粛したため下記YouTubeチャンネルを参考とした。
- BSN新潟放送公式チャンネル(2022年1月29日最終視聴):「第156回「北五百川の棚田」(三条市)2021年10月2日放送」https://www.youtube.com/watch?v=fej42iZ9HFY
- ソーシャルファームさんじょう(2022年1月29日最終視聴):「三条市地域おこし協力隊の七転八倒#28 Full版 【北五百川の棚田&虫送り】」https://www.youtube.com/watch?v=Wt6I30yjCuI
- kenohcom(2022年1月29日最終視聴):北五百川の棚田で収穫体験 荒川区立第二峡田小学校児童、https://www.youtube.com/watch?v=qhpBbMgEh6o

ジャパンナレッジ:日本歴史地名体系
五十嵐川(いからしがわ)、八木神社(やぎじんじゃ)、北五百川村(きたいもがわむら)、五十嵐保(いからしほ)、下田村(しただむら)、下田郷(しただごう)

棚田ネットワーク(2021年11月19日閲覧)
-「棚田の現状:耕作放置される棚田」https://tanada.or.jp/conservation/abandonment/
-「棚田の現状:棚田保全の歴史」https://tanada.or.jp/conservation/conservation_history/
農林水産省(2021年12月14日閲覧)「棚田に恋ポータルサイト」https://www.nou-navi.maff.go.jp/tanadanikoi/cards/北五百川の棚田/
新潟県(2022年1月29日 最終閲覧):国定公園「新潟県自然公園配置図(その2)」https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/51357.pdf
国土交通省 北陸地方整備局 長岡国道事務所(2022年1月29日 最終閲覧)各種事業パンフレット「国道289号八十里越(一次改築)【直轄権限代行事業】」https://www.hrr.mlit.go.jp/chokoku/file/R3_hatijuuri.pdf
三条市(2022年1月29日 最終閲覧)
- 地域おこし協力隊の発信「下田通信(令和2年11月号)」https://www.city.sanjo.niigata.jp/material/files/group/11/shitadatsushin_R211.pdf
- 地域おこし協力隊の発信「下田通信(令和2年12月号)」https://www.city.sanjo.niigata.jp/material/files/group/11/shitadatsushinR2_12.pdf
- 「長野遺跡」https://www.city.sanjo.niigata.jp/soshiki/shimimbu/shogaigakushuka/bunkazai/maizoubunkazai/1576.html
- 「八木鼻第1号岩陰遺跡・第2号岩陰遺跡」https://www.city.sanjo.niigata.jp/soshiki/shimimbu/shogaigakushuka/bunkazai/maizoubunkazai/834.html
三条市公式観光サイト SANJO NAVI(2022年1月29日 最終閲覧)
-「景勝地」https://www.city.sanjo.niigata.jp/sanjonavi/see_do/nature/keisyoti/index.html
-「下田郷の湧水」https://www.city.sanjo.niigata.jp/sanjonavi/see_do/nature/9210.html
-「八木神社」https://www.city.sanjo.niigata.jp/sanjonavi/see_do/history_culture/jinja_jisha_joshi/2291.html
新潟県立図書館/新潟県立文書館 越後佐渡デジタルライブラリー(2022年1月29日最終閲覧)「神社明細帳」「下田村 八木神社」https://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/?page_id=1129
文化庁 日本遺産ポータルサイト(2022年1月29日 最終閲覧)「「なんだ,コレは!」 信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」http://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story026/
ザ・米フェス2021 in しただ(2022年1月28日 最終閲覧)https://komefes.com/

『嵐渓史』小柳一蔵 著、瑞柳書院、明治45年5月8日発行(国立国会図書館デジタルコレクション)
『高志路』(通巻 第220号)雑誌「新潟県の郷土と民族:南蒲下田郷共同採訪特集号」新潟県民俗学会、1970年08月発行(国立国会図書館デジタルコレクション)
『守門颪』目黒昌司 著、守門颪刊行後援会、昭和32年12月20日発行
『下田村史』下田村史編集委員会 編、下田村史刊行委員会、昭和46年3月30日発行
『しただ郷』JA下田村合併15周年記念誌 下田村農業協同組合、平成10年3月発行
『景観の構造 ランドスケープとしての日本の空間』樋口忠彦 著、技報堂出版株式会社、2020年12月1日1版18刷 発行
『棚田保全の歩みー文化的景観と棚田オーナー制度』中島峰広 著、古今書院、2015年2月10日初版第1刷 発行
『農家が消える 自然資源経済論からの提言』寺西俊一・石田信隆・山下英俊 偏著、みすず書房、2019年3月11日 第3刷 発行
『里山の成立 中世の環境と資源』水野章二 著、吉川弘文館、2015年10月1日第1刷 発行
『芸術教養シリーズ19 わたしたちのデザイン3 空間にこめられた意思をたどる』川添善行著 早川克美編、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2014年12月17日第一刷 発行
『芸術教養シリーズ24 伝統を読みなおす3 風月、庭園、香りとはなにか』野村朋弘編、京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2014年4月2日第一刷 発行

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