伊勢崎銘仙の彩りを日常に取り戻す ―100年前の“文化を織りなおす”Ayの挑戦―
はじめに
群馬県の南東部に位置する伊勢崎市は、かつては養蚕地帯として織物産業を基幹に発展し、特に明治から昭和初期にかけて「銘仙」と呼ばれる平織物の一大生産地として全国に名を馳せた。しかし、戦後は生活様式の欧米化による洋装への変化で需要が減少し、生産者の減少、高齢化等で現在では伊勢崎銘仙の生産はほぼ困難となり、同時に伝統技術や銘仙文化は衰退の危機に瀕しているといえる。
そのような厳しい状況下で、若くみずみずしい感性によって私たちの日常に伊勢崎銘仙の美を添える新たな取り組みを行うカルチャーブランドAyを取り上げ、編集及び時間のデザインの観点から優れた文化資産として考察する。
1.基本データと歴史的背景など
(1)伊勢崎銘仙について
伊勢崎織物の歴史は古く、6世紀の古墳からの布片出土から始まり、15世紀頃には地場産業として栄え始め、18世紀初頭の江戸時代に、地質が丈夫で庶民性が高く特産品として全国に広まった伊勢崎太織(ふとり)が伊勢崎銘仙の前身といわれている。また、明治時代には絹の撚糸を経糸に取り入れた美しい絣が発案されて伊勢崎絣の基礎となり、需要の増大に応えて作業工程の分業化による量産体制が図られ、次第に産地としての産業の基礎を築いた[1]。
仮織りをした経糸に捺染をする「解し織」技法[2]がパリ万博(1900年)のアール・ヌーボー様式の意匠の影響を受け、大胆で色彩豊かな模様銘仙となって関西地方にも流行し、大正7年(1918年)頃には「併用絣」[3](資料1)が開発され、絵画のような美しいデザインと特徴ある色使いは伊勢崎銘仙の大きな魅力となった。さらに1925年のパリ万博を契機に、斬新で近代的なアール・デコ様式の意匠を取り入れた銘仙は当時の女性たちを魅了し、ファッションの最先端を担う存在となった。
なお、銘仙の主な産地は伊勢崎の他、桐生や足利、秩父、八王子等があり、柄や色目、地合い等に産地ごとの特徴がある。
(2)カルチャーブランド「Ay」の基本データ
① 会社概要
・社名:株式会社Ay (読み:アイ)
・代表者(CEO):村上 采(あや)
・所在地:群馬県前橋市千代田町2-10-2
・事業内容:アパレル製品の商品企画・製造及び販売
② ブランドコンセプト
“文化を織りなおす”をコンセプトに、紡がれた文化をほぐし、向き合い、新しい価値を添えて発信する
③設立の背景
村上采氏は1998年生まれで、現在、慶應義塾大学4年生である。大学講義の一環でアフリカのコンゴ民主共和国における教育支援や文化交流をきっかけに現地素材を用いた衣料品の現地生産・販売を手掛け自身のブランドを立ち上げた。新型コロナウイルスの影響で渡航ができない状況で国内に目を向け、自身の郷里である伊勢崎市の伝統工芸品の伊勢崎銘仙を中心とするアップサイクルによって現代に新たな文化のかたちとして提案する取り組みを行っている。
2.文化資産としての評価
村上氏は、郷里が誇る伝統文化を後世に継承するという課題を抽出し、地元地域の人々の記憶から消えつつある伊勢崎銘仙を私たちが纏う衣服を通して再び日常へ取り戻し、銘仙に新たな価値を生み出している(資料2)。このような取り組みを、優れた編集のデザインとして評価したい。
そこで文化資産の評価の方向性として編集のデザインの重要なキーワードと考えられる「未知化」[4]「再編・再生・新生」及び「異質性」[5]の観点で分析する。
(1)未知化
大正から昭和初期において女性の普段着やお洒落着として隆盛を誇った銘仙は過去に消費され、現在は伝統工芸品としてアーカイブス的な位置づけと考えられる[6]が、身近に触れる機会も少なく、当時の高度な技術や華やかな意匠も、現在の私たちは“知らない”といえるのではないだろうか。実際は“知らない”ということに気づかされた点で銘仙の「未知化」を図り、村上氏は銘仙について私たちに新鮮な感覚を呼び起こさせた。
(2)再編・再生・新生
Ayのコンセプト「文化を織りなおす」のとおり、着物の構成要素を、職人・技術・地域・糸・織機・染料等に分け、14の製造工程の一部を伝統技術として後世に残す工夫を思案し、継承が可能な技術を活用した[7]銘仙を「新生」により「再生」し、着物ではなく日常着としてのプロダクトを私たちに提供していくという「再編」を試みている。現存する技術と新しい技術を融合し、後世に引き継がれる新たな銘仙を定義する未来志向的な試みであるといえる。
(3)異質性
近年のSDGsの達成[8]に向けてエシカルファッションへの意識が高まるなか、衣料品の素材や個性を生かして付加価値のある作品へと生まれ変わらせるアップサイクルが注目されている。特に若い世代では持続可能な社会づくりへの意識や感性は高いといわれるが、依然として衣料品の大半は大量生産、大量消費のサイクルにあり、こうしたアップサイクルの取り組みは「異質性」の高いものとして認識される。絹紡糸[9]を利用し、資源を有効活用しようと試みた先人の知恵から育まれた銘仙のその精神性は今日も生かされていくのではないだろうか。
3.他の事例との比較と特筆すべき点
スローファッションの追求という視点から、アネモメトリNo.22[10]に掲載されているHINAYA KYOTOが手掛けたプロジェクト「mitasu+(ミタス)」「Re:(リコロン)」と比較する。
「ミタス」では、和装と洋装とのミックスしたコーディネートを提案し、日常の衣装に着物を融合させて、私たちがもつ和装の固定観念を超えた斬新的な取り組みを行い、「リコロン」では持続可能な循環型社会を目指して衣料品のリユースを推進し、ワークショップを通じてオリジナルの服へとリメイクする提案を行っている。前者は礼装用、高級品へと変化した着物を日常に復活させ、後者は、私たちの服との関わり方について一石を投じた、アップサイクルの先駆けともいえる事例と考える。
一方、Ayでは、銘仙のアップサイクルを通じて日常に新たな価値を添える点は比較事例と類似するが、特筆すべき点は、地元で根づいた産業や文化を再度、復興しようとする目標の背景に、伊勢崎銘仙に埋め込まれた物語を語り継ぐ時間のデザインが見いだされることである。村上氏の祖母や曽祖母がかつて銘仙づくりに携わっていたことと同様、筆者の祖父母もかつて機屋と呼ばれる伊勢崎銘仙の織物業を営んでおり、次世代に継承されず途絶えてしまったが、村上氏の取り組みによって孫以降の世代に物語を語り継ぐことで、銘仙の「はじまりと終わり」の時間的な限界を乗り越えることが期待できるだろう。
4.今後の展望と課題
Ay での村上氏は、地域技術を受け継ぐ縫製・繊維・染色工場等と提携しながら作品の制作を行って産地の復活を図り、ECサイト等での販売を通じて銘仙文化の認知を広げる活動を行っている(資料3)。作品が流通する過程で、地縁を超えてさらなる共感を得るには、購入客等ユーザーとともに銘仙にまつわる埋もれた物語を発掘し、発信していくことが重要と思われる[11]。そうすることで市場が生まれ、地域技術の後継者難という課題も解決できるのではないかと考える。また、そのような取り組みにより、かつて文化的アイコンであった銘仙が再編により新たな伝統として生まれ変わることが出来れば、地域社会ひいては日本にとってもかけがえのない文化資産となることが予想される。
5.まとめ
1975年に伊勢崎銘仙は「伊勢崎絣」として伝統的工芸品の指定を受けた。西山松之助の伝統論[12]によれば、伝統とは、今を生きる私たちの感性を新たに吹き込み、努力や創意工夫を重ねて、やがて普遍的な価値をもって後世に伝わるものをいうが、それはまさに編集のまなざしと同様であると考える。伝統の継承とエシカルなものづくりから社会課題を解決することを創業の原点として、新たな価値を創り出そうと革新を重ねるAyの挑戦を応援し、今後の更なる活躍に期待したい。
参考文献
<註釈>
[1]「銘仙」という名称の由来は諸説あるが、その一つに、江戸時代に目の細かい織物を意味する「目千」「目専」を語源に、明治時代に百貨店で「銘撰」の名称で販売されたことからとする説がある。
[2]糸を縛って防染する技法と異なり、染める前の経糸を織機にかけて仮織し、型紙を用いて染料を筆や刷毛で擦り付ける捺染という手法で染めてから再び織機にかける技法。
[3]経糸と緯糸の双方に型紙捺染を行い手機で模様を合わせながら織る手法で、伊勢崎の誇る独自の織物技術として確立された。
[4]紫牟田伸子著、早川克美編『私たちのデザイン4 編集学 ―つなげる思考・発見の技法』、藝術学舎、2014年、P71(第5章 原研哉氏の言葉)
[5]紫牟田伸子著、早川克美編『私たちのデザイン4 編集学 ―つなげる思考・発見の技法』、藝術学舎、2014年、P41、P46~47(第3章 後藤繁雄氏の言葉)
[6]毎年3月の「いせさき銘仙の日」での銘仙ファッションショーやイベントの開催、いせさき明治館での企画展示や2016年の「21世紀銘仙」(併用絣の復活)プロジェクトのほか、英国のビクトリア&アルバート博物館での展示や保管といった海外への文化発信等の活動がなされている。
[7]着物特有の生地幅を超えたデザインが可能な新しいテキスタイルの開発や、大量の水を使わずに染めることができる熱転写の技術を今後活用するなどして銘仙の伝統的な要素を残しながら同時代性のある服作りを模索している。
(IDEAS FOR GOOD社会をもっとよくする世界のアイデアマガジン https://ideasforgood.jp/2021/02/20/ay/ (2021年7月11日閲覧)のほか、2021年6月19日、村上氏本人へのインタビューにて)
[8]2015年に国連総会で採択された17の持続可能な開発目標であり、エシカルファッションへの取り組みは、SDGsの目標12「つくる責任、つかう責任」に準じている。
消費者庁「倫理的消費」調査研究会取りまとめ~あなたの消費が世界の未来を変える~」
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_education/consumer_education/ethical_study_group/pdf/region_index13_170419_0002.pdf (2021年7月3日閲覧)
[9]製糸工場で発生した糸屑や製糸が不可能な屑繭を紡績して作られた糸
[10]アネモメトリNo.22『スローとローカル これからのファッション』5)~7)
[11]女性の地位向上やデモクラシーなど新時代への理想に満ちていた昭和初期の繁華街では、着物姿の女性の大半が銘仙というほど流行し、カフェーの女給たちはファッションリーダー的存在として競って華やかな模様銘仙を求めた。1930年(昭和5年)には主要な織物生産地の銘仙生産高の約3分の1を伊勢崎銘仙が占めており、銘仙に埋め込まれた物語を語り継ぐ時間のデザインは産地の伊勢崎だけでなく全国でも見いだされると考えれられる。
[12]西山松之助(1912~2012)の伝統論には、『伝統は、伝達され保存されるためには、新鮮な現代人の意識によって再体験・再評価されるもの』とある(野村朋弘編『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』、藝術学舎、2013年、P51)。
<参考文献等>
・早川克美著『私たちのデザイン1 デザインへのまなざし ―豊かに生きるための思考術』、藝術学舎、2014年
・紫牟田伸子著、早川克美編『私たちのデザイン4 編集学 ―つなげる思考・発見の技法』、藝術学舎、2014年
・中西紹一・早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン ―経験に埋め込まれた構造を読み解く』、藝術学舎、2014年
・野村朋弘編『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』、藝術学舎、2013年
・野村朋弘著『伝統文化』(茶道教養講座1)、淡交社、2018年
・後藤繁雄著『僕たちは編集しながら生きている 増補新版』、三交社、2010年
・村上芽・渡辺珠子著『SDGs入門』、日本経済新聞出版、2019年
・青木宏監修『いせさき銘仙』、みやま文庫、2014年
・湯原公浩編『別冊太陽 銘仙 大正昭和のおしゃれ着物』、平凡社、2004年
・上毛新聞社制作『「21世紀銘仙」誕生 〈絹の国〉群馬・伊勢崎銘仙 併用絣、半世紀ぶりに復活』、ブックビヨンド、2017年
・伊勢崎織物工業組合・伊勢崎織物協同組合編『伊勢崎織物の歴史とそのあゆみ』、1980年
・伊勢崎織物工業組合・伊勢崎織物協同組合編『伊勢崎絣の解説 伊勢崎織物の製造法解説』、1980年
・株式会社Ay https://ay.style/ (2021年6月12日~7月22日閲覧)
・伊勢崎市 https://www.city.isesaki.lg.jp/kanko/bunka/10231.html (2021年6月26日閲覧)
・社会問題と向き合う人のクラウドファンディング
https://camp-fire.jp/projects/view/341354 (2021年6月12日閲覧)
・Ayインスタグラム https://www.instagram.com/with__ay/ (2021年7月10日閲覧)
・アネモメトリ-風の手帖-#22 https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/feature/75/7/
(2021年6月11日閲覧)
・伊勢崎めいせん屋 https://www.isesakimeisen.com/ (2021年6月26日閲覧)
・消費者庁「倫理的消費」調査研究会取りまとめ~あなたの消費が世界の未来を変える~」
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_education/consumer_education/ethical_study_group/pdf/region_index13_170419_0002.pdf (2021年7月3日閲覧)
・IDEAS FOR GOOD社会をもっとよくする世界のアイデアマガジン https://ideasforgood.jp/2021/02/20/ay/ (2021年7月11日閲覧)
・伊勢崎銘仙アーカイブス http://iga.justhpbs.jp/ (2021年6月14日閲覧)