文化資産評価報告書「川崎市 岡本太郎美術館」

今井 陽出

I .はじめに

神奈川県川崎市多摩区の生田緑地に「岡本太郎美術館」がある。2019年で開館20周年を迎えた地域の文化資産である。岡本太郎の作品を鑑賞に供するのみならず、岡本のメッセージを発信している。

II .概要

個人美術館:岡本太郎に特化した美術館
設立運営主体:川崎市
設立経緯:1991年に岡本太郎(川崎市生まれ)所有の作品が川崎市に寄贈されたことに伴い、美術館建設計画が発足、環境問題に配慮する近隣住民の反対運動を経て、岡本没3年後の1999年に開館(註1)
コンセプト:自然と融合した美術館
所蔵作品数:1,779点(註2)
施設の構造:外観はダリ美術館(スペイン)を参考、内部は常設展を通って企画展へ通じる構造(添付1、2)
所在地:神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5(添付3)
アクセス:小田急電鉄向ヶ丘遊園駅より徒歩17分
年間入館者数:77,962人(2018年度)

III .特長

1.展示コンテンツ

充実したコレクションを活かし、明確な方向性で、作品、作家の魅力を訴求(添付4)。

》作品

強烈なメッセージ
「芸術は爆発だ」(註3)、「芸術は呪術である」(註4)という言葉と同様に、岡本の作品は強烈なメッセージを発するが、これは作品のテーマ設定と対応する表現法に由来する。注力テーマは、文明や技術の進歩が社会にもたらす陰の部分である(註5)。表現法は、原色を多用、大胆で動的な構図、自由奔放なタッチ。こだわりのモチーフ(註6)は、テーマ設定に沿って社会と対峙する際のメッセージのシンボルである。また岡本は思想のアウトプットが得意な作家であった(註7)。

多様性と独自性
作品の形式は、油彩、版画、ドローイング、風刺画、写真、テキスタイル、陶芸、書、舞台装置、彫刻、ウィンドウディスプレイ、インダストリアルデザイン、パフォーマンス芸術など(註8)、縦横無尽である。結果としての作品の多様性は、鑑賞者の目を楽しませると同時に、発想を刺激する。岡本は、一方、合理主義的な抽象絵画と非合理主義的なシュールレアリズムの矛盾をエネルギー源として「対極主義」(註9)を模索したが、多様な作品を貫く独自性の源泉となっている。

アート作品以外の数々の創作
岡本は、美術評論や文化論、エッセイ、取材旅行記や写真集など広範な領域でも創作活動、メッセージの発信を行った。これらは、作品の発想源として、作品を深層から理解する上で、展示コンテンツの貴重な要素である。

》作家

アヴァンギャルドと大衆化
日本のアヴァンギャルド運動をリードした岡本であったが、背景に権威や社会に対する違和感があり、社会問題への関心は、創造への原動力となった(註10)。一方、芸術は社会に開かれるべきという考えのもと、パブリックアートやインダストリアルデザインにも傾注した。芸術を大衆の生活に近づけようとしたことは、作品の取っ付きの良さに通じる。(註11)

メディア露出とタレント性
大阪万博での活動を契機としたメディア露出は、そのタレント性により強烈な印象を残した。(註12)

両親の影響や交遊関係
岡本の両親は、岡本理解の重要な要因であるが、それぞれの作品、人生も興味ある素材である。同様に、岡本の芸術家、思想家、学者などとの交流(註13)も興味を喚起させる。

》コレクション

寄贈された作品と資料(註14)が、展示ストーリーを支えている。岡本は作品を売らなかったため(註15)、コレクションは主要かつ多くをカバーするほか、 岡本太郎記念館(註16)と補完関係にある。近年では、交友関係にあった作家の作品も収集されている(註17)。

》展示テーマの方向性

企画展の展示テーマの方向性は、以下の通り、明確に設定されている(註18)。常設展も、準企画展のような位置付けである。

a. 岡本太郎の芸術性を深く顕彰
b. 岡本太郎に関連する作家とその時代を顕彰
c. 芸術と社会との関わりを顕彰
d. 次世代の新しい表現を創造する作家の育成と支援

2.芸術振興

TARO賞(註19)は、上記のd.に沿い、アヴァンギャルド登竜門として、第一線で活躍する芸術家(註20)を輩出している。

3.立地環境

生田緑地は、日常生活圏に隣接しながら自然環境に恵まれた公園であり、人々が美術館に求める安らぎや広くて落ちつける雰囲気(註21)を持ち合わせており、入館への敷居を低くする要素ともなっている(註22)。また、美術館は、生田緑地の奥、メタセコイヤの林を通った先にあるため、日常性から切り離す(註23)空間が設定されている。

一方、公園内には、青少年科学館や日本民家園、別区画には、藤子・F・不二雄ミュージアムもあり、施設間で相乗作用が期待できるほか、広い空間を活用したパブリックアート展示の潜在性を有している。

4.比較考察

岡本太郎美術館(Oと略)は、首都圏郊外に位置する公立の個人美術館であり、比較考察の対象として、首都圏郊外に立地し、アクセシビリティについても同様な、個人美術館:ちひろ美術館・東京(Cと略)、公立美術館:府中市美術館(Fと略)をとりあげる(添付5)。

年間入館者数は、日本の美術館の1館あたり平均が90千人であるのに対して、O: 74千人、C: 47千人、F: 164千人(2017年度)、年間入館者数の年平均伸び率は、日本の美術館の1館あたり平均2.8%に対して、O: 0.7%、C: -2.3%、F: 0.0%(2010-2017年度)であり、いずれも(スクラップアンドビルド効果も含めて伸長する)日本全体にはキャッチアップしていない(註24)。

Fは、基本コンセプトとして「生活と美術-美と結びついた暮らしを見直す美術館」を掲げ、「市民や子どもの才能と美意識を育む美術館」をめざしており、公立美術館としての入館者の確保が意識されている。教育普及事業として、ギャラリートークやワークショップ以外にも、無料スペースでの公開制作、アートスタジオ、美術鑑賞教室、講座・講演会、ミュージアムコンサートなど多角的である。さらに、市民ギャラリーの開催や充実した図書室も入館者増に貢献している。

一方、Cは、42年の歴史を誇る。再現アトリエを持ち(Oは岡本太郎記念館にアトリエあり)、館内は作家の生活感を持たせた雰囲気を持つが、住宅地の中に立地するため、日常と連続しており、雰囲気に浸りにくい(OやFは公園内の立地、特に、Oは日常との隔絶にアプローチの工夫あり)。また、作品の性格として、テーマ的に絵本の世界に閉じたものとなる。

Oの場合は、以下の特長が指摘できる。

展示の幅
Cなど一般の個人美術館と比較して、作品形式が多岐にわたる上、交流した作家が多分野にわたり、展示作品の幅が広い。

展示の深さ
素材の収集、学芸員の専門性などの点で、Fなど一般の美術館では限界があるが、Cなど一般の個人美術館と比較しても、作家のキャラクターを掘り下げる素材が豊富なことにより、深い洞察の展示が可能。

展示の奥行き
TARO賞の作品も展示コンテンツとすることで、未来への時間的奥行きを提示することが可能(Cなどの個人美術館では限界あり)。

IV .展望

1.課題と対応

公立美術館にも市場原理が導入されている環境下、当面の課題は、年間7.5~8万人で伸び悩む入館者数であり、収支比率も15%前後に留まっている(註25)。対応策は、マーケティングプロモーションが有効と考えられる。

例えば、新しい世代に向けたSNSでの拡散(インスタ映えを考慮した展示、岡本のインダストリアルアートによるグッズ開発、生田緑地のスペースを活かしたインスタレーション、記念館とのタイアップ企画)やデジタルアーカイブ化を活用したウェブサイトやスマホアプリなど。

また、年間80万人の来場者数のある生田緑地訪問者に対するインセンティブとして、年間12万人の日本民家園、同30万人の青少年科学館、別区画ながら同45万人、外国人比率20%の藤子・F・不二雄ミュージアムとの共通割引パスなどが考えられる(註26)。

2.新しい時代の美術館へ向けて

新しい時代の美術館は、拡張化(建築的な拡張、展示の多様化、テーマのポピュラーカルチャー化、スポンサーの拡大など)が進行する一方で、コミュニティ・スペースなどとしての模索も行われているほか、「知」の成長、来館者とのリレーションシップ作りも注目されている(註27)。

20周年を迎えた岡本太郎美術館は、大阪万博イヤーを含む次の20年において文化資産としての価値増大のため、中長期ビジョンを描く必要がある。

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  • 2_%e6%b7%bb%e4%bb%982%e3%80%80%e5%b2%a1%e6%9c%ac%e5%a4%aa%e9%83%8e%e7%be%8e%e8%a1%93%e9%a4%a8%e3%81%ae%e5%86%85%e9%83%a8%e6%a7%8b%e9%80%a0_page-0001 添付2 岡本太郎美術館の内部構造
  • 3_%e6%b7%bb%e4%bb%983%e3%80%80%e7%94%9f%e7%94%b0%e7%b7%91%e5%9c%b0%e3%81%ae%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%88_page-0001 添付3 生田緑地のレイアウト
  • 4_%e6%b7%bb%e4%bb%984%e3%80%80%e5%b2%a1%e6%9c%ac%e5%a4%aa%e9%83%8e%e7%be%8e%e8%a1%93%e9%a4%a8%e3%81%ae%e3%81%93%e3%82%8c%e3%81%be%e3%81%a7%e3%81%ae%e5%b1%95%e7%a4%ba%e3%83%86%e3%83%bc%e3%83%9e_page-00 添付4 岡本太郎美術館のこれまでの展示テーマ
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  • 5_%e6%b7%bb%e4%bb%985%e3%80%80%e6%af%94%e8%bc%83%e8%80%83%e5%af%9f-_page-0001 添付5 比較考察
  • 添付6 インタビューメモ 非掲載

参考文献



Ⅱ.概要

註1
http://www.taromuseum.jp/outline.html  (岡本太郎美術館ウェブサイト)参照。

註2
川崎市岡本太郎美術館・大杉浩司、片岡香、篠原優(編)『岡本太郎美術館20年 展覧会の記録1999-2018』、2019年7月、川崎市岡本太郎美術館(以下、『図録』と略)、p13参照。

Ⅲ.特長

註3
岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春出版社 1988年、p190。

註4
岡本太郎『みずゑ』1964年2月号。

註5
例えば作品として、「重工業」(1949年)、「森の掟」(1950年)、「明日の神話」(1968年)など。

註6
管をモチーフとした作品例:ドラマ(1958年)、具現(1961年)、青(1962年)、リョウラン(1963年)、霊視(1992年)
リボンをモチーフとした作品例:空間Ⅲ(1934年)、リボン(1935年)、リボンを結んだ女(1936年)、痛ましき腕(1936/49年)
眼をモチーフとした作品例:犬、青空(1954年)、決別(1973年)、双子座(1974年)、にらめっこ(1978年)、眼(1985年)
顔をモチーフとした作品例:クリマ(1951年)、悲しい動物(1958年)、顔Ⅲ(1968年)、岸辺の肖像(1973年)
骸骨をモチーフとした作品例:夜(1947年)、明日の神話(1968年)
太陽のコロナをモチーフとした作品例:太陽の神話(1952年)、若い太陽の塔、緑の太陽(1969年)、太陽の塔(1970年)

註7
岡本太郎美術館木村氏への筆者インタビュー(添付6)。

註8
平野暁臣『岡本芸術 岡本太郎の仕事1911-1996』2015年、文藝別冊【総特集】岡本太郎、2003年、p4、p89などを参照。

註9
岡本太郎「対極主義」『岡本太郎画文集アヴァン ギャルド』月曜書房、1948年11月、pp123-124(なお、岡本の対極主義の成立経緯に関しては、大谷省吾「岡本太郎の“対極主義”の成立をめぐって」『東京国立近代美術館研究紀要』1号、1987年3月)。

註10
池田龍雄『美術手帖』1992年5[特集]岡本太郎pp56-57参照。

註11
岡本太郎美術館 大杉浩司学芸員への筆者インタビューより(添付6)。

註12
メディアとの関係については、以下も参照。春原史寛「岡本太郎の多面的活動に関する-考察-雑誌・新聞・テレビとの関わりをめぐって-」、群馬大学教育学部紀要 芸術・技術・体育・生活科学編 第50巻、2015年、pp81-99。

註13
『美術手帖』1992年5[特集]岡本太郎pp52-53参照。

註14
第一次寄贈:352点、第二次寄贈:1,427、第三次寄贈:関連資料1,827点、第四次寄贈:関連資料52点(『図録』p13参照)。

註15
平野暁臣『岡本芸術 岡本太郎の仕事1911-1996』2015年、文藝別冊【総特集】岡本太郎、2003年、p4参照。

註16
岡本太郎記念館は、東京都港区青山にあった岡本太郎の自宅兼アトリエを岡本太郎の個人美術館として、1998年に開館。運営主体は、岡本太郎記念現代芸術振興財団。岡本の彫刻、デッサン、エスキース、マケットなどを所蔵し、岡本太郎美術館とコレクションの相互補完関係にある。展示ストーリーに応じて、相互に作品の貸与を受けることができる。
http://www.taro-okamoto.or.jp/  (岡本太郎記念館ウェブサイト)参照。

註17
岡本太郎美術館 学芸員への筆者インタビューより(添付6)。

註18
『図録』p39および岡本太郎美術館 大杉浩司学芸員への筆者インタビューより(添付6)。

註19
TARO賞の正式名称は、「岡本太郎現代芸術賞」。岡本太郎美術館の設立以前より始まったが、美術館のTARO賞企画展を通じた活動に引き継がれた。受賞者、受賞作品については、『図録』pp197-219参照。

註20
例えば、中山ダイスケ、ヒグマ春夫、藤井健仁、タムラサトル、大巻伸嗣など。

註21
美術館に求めるものについては、森ビル株式会社「~東京・NY・ロンドン・パリ・上海~国際都市アート意識調査」、2007年12月10日および吉中充代「IV章 模索する美術館 2 コミュニティ・スペースとして」(並木誠士、吉中充代、米屋優編『現代美術館学』1998年6月、昭和堂所載)、pp379-380などを参照。

註22
美術館訪問に関する障壁については、吉中充代「IV章 模索する美術館 2 コミュニティ・スペースとして」(並木誠士、吉中充代、米屋優編『現代美術館学』1998年6月、昭和堂所載)、pp368-369を参照。

註23
美術館の立地環境のあり方に関しては、小森暁子「美術館で過ごすということ~「雰囲気」という視点からの考察」、2002、千葉大学園芸学部環境文化史研究室を参照。  http://www.h.chiba-u.jp/lab/bunkashi/soturon/komori.pdf

註24
日本の美術館の館数、入館者数については、『社会教育調査 博物館調査』を参照。 https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00400004&tstat=000001017254&cycle=0&tclass1=000001132027&tclass2=000001132043&tclass3=000001132049
岡本太郎美術館の入館者数については、『岡本太郎美術館年報』の入館者数統計を参照。 http://www.taromuseum.jp/report.html
ちひろ美術館・東京の入館者数については、『公益財団法人いわさきちひろ記念事業団 事業報告書』の事業報告一覧を参照。 https://chihiro.jp/news_foundation_cat/business-report/
府中市美術館の入館者数については、『府中市美術館年報』の利用者数一覧を参照。
なお、2017年度で比較したのは、2018年度の府中市美術館の開館日数が通常年よりも少なかったため(施設工事のため)。

IV.展望

註25
収支の状況については、『岡本太郎美術館年報』の美術館事業 予算・決算概要を参照。http://www.taromuseum.jp/report.html

註26
生田緑地、日本民家園、青少年科学館の利用者数については、川崎市 建設緑政局の所管施設 生田緑地の横断的管理の指定管理者制度活用事業 評価シートを参照。 http://www.city.kawasaki.jp/530/page/0000096596.html
藤子・F・不二雄ミュージアムについては、川崎市 市民文化局の所管施設 川崎市藤子・F・不二雄ミュージアムを参照。 http://www.city.kawasaki.jp/250/page/0000046711.html

註27
新しい時代の美術館像については、以下を参照。
村田麻里子『思想としてのミュージアム ものと空間のメディア論』2014年12月、人文書院、pp179-234、第5章 二一世紀におけるミュージアム空間の変容
同上書、pp235-258 、第6章 エピローグ
並木誠士、吉中充代、米屋優編『現代美術館学』1998年6月、昭和堂、pp344-419、IV章 模索する美術館
加藤哲弘、喜多村明里、並木誠士、原久子、吉中充代編『変貌する美術館』2001年7月、昭和堂、pp13-141、I章 日本の美術館をめぐる状況
同上書、pp143-197、II章 21世紀の美術館・展覧会に向けて
塚原正彦、デヴィッド・アンダーソン(土井利彦訳)『ミュージアム国富論 英国に学ぶ「知」の産業革命』2000年4月、日本地域社会研究所、pp392-467、第三編 日本再生のための戦略-ミュージアム産業で新しい富を創造するノウハウ

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