千葉県市川市の神社における『湯花神事』を考察する

小田原 幸子

はじめに
私が住む市川市に 白幡天神社と葛飾八幡宮と呼ばれる神社がある。700m程の距離に位置する二社は源頼朝の時代には既に創建されていた古社である。 双方の神社共に「湯花神事」を二月に執り行っていることを知り、なぜ奇祭と呼ばれる神事が市内でも近距離にある二社のみで長年続けられてきたのか、また湯花神事は如何なる由来の祭か疑問を感じ考察を始めた。
湯立神事・湯花神事とは
湯には汚れを祓う霊力があると信じられ、両神事とも大釜に滾る湯を笹で振り撒き身を清める行事となった。『日本書紀』に記載される武内宿禰伝説(註①)に由来するものと、熊野信仰(註②)に由来するものが伝えられる。熊野本宮には頼朝奉納と伝えられる建久九年(1198)四月二十二日銘の大釜が現存する。
「湯立神事」は中世より主に巫女により執り行われた神事である。神前で大釜の滾る湯に笹を浸し、その雫を浴び参拝者にも振りかける。その間 巫女はトランス状態に陥り託宣を述べ、神意を問う神事であった。後に湯立神事は汚れを清める儀式と解釈され、平安時代から鎌倉時代に湯立神楽へと変化し熊野信仰の神事として広まった。諏訪神社(神奈川県 註③)などで執り行われている。
「湯花神事」は神職が執り行う神事である。境内の大釜に湯を沸かし、釜の前で祝詞を奉る神事である。神主が幣束で釜の湯をかき混ぜながら唱え事をし、束ねた笹で参拝者に湯を浴びせ、無病息災を祈願する神事である。須賀神社(東京都)、菅生石部神社(石川県 註④)などで執り行われる。 全国各地で現在も行われている行事であるが、その作法・主旨・開催時期などは異なる。神前に拝する前に身についた罪汚れを清め神事に臨む意味、家内安全・健康祈願の意味を持つことは共通する。

基本データ①
「白幡天神社」
所在地―千葉県市川市菅野1-15-2
御祭神―武内宿禰、応神天皇、菅原道真
創建― 社史によると800年前の創建。治承四年(1180)千葉常胤を頼り市川に一ヶ月滞在した源頼朝
は、国府台から国分・宮久保台に源氏の白幡67本と白幕を並べ近隣豪族に己の存在を示した。旗を立てた神社は白幡宮を名乗った(現在は三社が残る)。文明十一年(1479)太田道灌による社殿修復、天正十二年(1584)正親町天皇時代に本殿再建の記録が残り、当時は白幡社と呼ばれていた。『大日本地名辞典』明治三十二年には「菅野は家数80、神社は白幡社」と記される。慶応四年(1868)神仏分離令により、隣接する天神社と合祀、白幡天神社となる。

基本データ②
「葛飾八幡宮」
所在地― 千葉健市川市八幡4-2-1
御祭神― 応神天皇(誉田別命)、 神功皇后(息長帯姫命)、 神武天皇生母(玉依姫命)。
創建―   寛平年間(889~899) 五十九代宇多天皇の勅願により、京都石清水八幡宮を勧請。下総葛
飾別宮として創建、国府鎮守八幡宮となる。 また熊野から舟で来た宮司一団がこの地を開拓、
熊野信仰と稲作技術を伝えた。この時の長(鈴木家)が代々下総の宮司を務めてきたとの説が
鈴木宮司家に残る。治承四年(1180)頼朝挙兵の折に葛飾八幡宮で戦勝を祈願。以来 鶴岡八幡宮の末社に組み込まれ、頼朝の崇敬を受け、八幡庄が確立した。社伝には 平安期に平将門の奉幣、建久年間(1190~1199)頼朝による社殿改築、文明十一年(1479)太田道灌参拝・社殿修復、天正十九年(1591)徳川家康の御朱印地社領五十二石と記載される。 旧暦八月十五日例大祭 農具市は関東一の賑わいとされた。『江戸名所図会』には「八幡の生姜祭」「葛飾八幡宮の大公孫樹」の記載(註⑤)あり。かつては広い境内を有していた。現在も第一鳥居から神門まで500mの距離がある。

市川の地形説明
古代より市川は下総台地と谷津、砂嘴に分かれていた。台地上には縄文時代に人が住み生活した貝塚が発見されている。台地西端の国府台、国分台、宮久保台と船橋方面に向い台地が連なる。台地下は海の浸食により3500年前既に谷津、海側に堆積した砂が砂嘴を形成していた。松戸からの街道は国府(650年頃設立)を通り、坂を下り砂嘴上の旧東海道(支線)に合流、上総と下総の国府を繋ぐ幹線となった。江戸時代には佐倉・成田街道(現在の千葉街道・国道14号線)となる。八幡宿は街道沿いに発展し、神社仏閣が建ち並んだ。中世には海から見ると葛飾八幡宮が中央にあり、その左後方に白幡天神社、宮久保台地上には白幡神社が臨まれた。

白幡天神社における湯花神事
御祭神 武内宿禰に由来する神事。毎年2月20日に執り行われる(理由は不明)。拝殿前の空き地に3m四方の結界が設けられ注連縄が張られ、四隅には熊笹の枝が立てられる。その中央に大釜が据えられ湯が沸かされる。東正面に祭壇、御幣が立てられ、五つの三方には果物・野菜・御神酒・米・塩・鯛が供えられる(註⑥)。神事に先立ち、拝殿内で湯花神事開催の報告と祝詞があげられる。 午前11時 宮司と副宮司二人が祭壇前に進む。先ず 副宮司(男性)が御幣で参拝者を祓い清める。副宮司(女性)は笛を奏で始める。宮司が祭壇前に進み祝詞を奉納し、釜の周りを祓い清める。釜の向正面(西側)に立ち熊笹の束で湯を掻き回し、祝詞を唱えながら熊笹を振りかざし、西側の参拝者に湯を降り注ぐ。正面・南・北と釜を巡り何度も湯を降り注ぐ。釜の四方は湯気で煙る。宮司の祝詞と笛の音だけが響き渡る。氏子総代、氏子、自治会役員と続き、副宮司から玉串を受け取り祭壇に奉納する。最後に宮司が祭壇に拝礼し一時間の神事は終了する。自治会役員が参拝者全員に熊笹の枝を配る。参拝者は婦人会手作りの里芋と菎蒻に七味唐辛子をかけた田楽と甘酒を頂戴し、熊笹を手に散会する。熊笹は神棚に供えられ、翌年の神事に持参し釜の燃料となる。 白幡天神社の湯花神事はクガダチの意味が大変強い。身についた罪汚れを祓い清め神事に臨み、参拝者の家内安全を祈願する大変厳かな神事である。白幡天神社では桃山時代以来 鈴木宮司家秘伝に従い戦時下でも欠かさず湯花神事を続けてきたと伝えられる。

葛飾八幡宮における湯花神事
2月節分後の初卯日、御祭神 応神天皇の御誕生を祝い執り行う神事である。 社殿前の広場に注連縄を張り聖域が設けられる。四隅に真竹が立てられ、中央に湯の滾る大釜が準備される。午後1時 神事開始。 先ず社殿前での宮司舞から始まる。総鎮守宮司として地域の五穀豊穣、無病息災、厄除け開運など
祈願し、八幡様の御誕生を祝し祝詞を唱える。右手に幣、左手に神鈴を持ち 太鼓の伴奏で舞を奉納する。舞終わると、幣の柄で釜の湯を掻き回し湯を鎮める。社殿前に戻り、右手に神鈴、左手に笹を持ち再び宮司舞を舞う。 続いて行事は湯花神事へと進む。宮司が祝詞を唱えながら笹竹を湯に浸し、巡りながら四方(東西南北)の参拝者に湯を浴びせる。この湯玉を浴びると一年間無病息災であると言われる。神事終了後神楽殿で八幡囃子保存会の演奏で神楽が演じられ、紅白の餅が撒かれる。最後に社殿内で御奉謝行事(無事神事の終了を感謝する行事)が執り行われ、神職・氏子総代が御神酒を頂く。境内ではお清めの甘酒が参拝者に配られる。神事終了後は斎笹や四方に立てられた真竹の枝葉を奪い合う人々でごった返す。笹は翌年持ち寄り釜にくべる。神楽舞(註⑦)で使用する面は当社が保存するもので、般若・翁・狐・鬼・鍾馗・巫女など十二種が残る。

終わりに
葛飾八幡宮を守るように白幡天神社は後方に建つ。御祭神の武内宿禰は神功皇后と応神天皇に仕えた武人である。 近距離に位置する二つの神社は御祭神に強い結び付きがあり、類似した湯花神事を長年執り行い、宮司も代々鈴木家が世襲してきた。白幡天神社は武内宿禰由来のクガダチ色が強く、汚れを取り除き清い心を求める神事であること。斎笹として熊笹を使用すること。心正しい武内宿禰が邪心に勝利したことを祝う神事である。葛飾八幡宮は応神天皇の生誕を熊野神楽舞で祝う祭り色が強い。斎笹には真竹・笹を使用する。同じ無病息災を願う清めの神事であるが、華やかさが目立つ。熊野から来た人々が熊野信仰に則り神事を継続し、一系の宮司家を守り市川の神社史に貢献したこと、市内の神社が全て明治初期まで鈴木宮司家に属していたことなどを考察すると、不明だった神事の類似性や歴史的つながりが、行事を通して僅かながら解明できた。歴史的にも古説が多く文献として保存されず、想像の域を出ないが、神事が受け継がれていくことは明かである。

  • 1_%e5%b7%ae%e6%9b%bf_%e8%b3%87%e6%96%991 白幡天神社 湯花神事 2017年2月20日 筆者撮影
  • 2_%e7%99%bd%e5%b9%a1%e5%a4%a9%e7%a5%9e%e7%a4%be%e6%b9%af%e8%8a%b1%e7%a5%9e%e4%ba%8b 白幡天神社湯花神事 筆者撮影
  • 3_%e7%99%bd%e5%b9%a1%e5%a4%a9%e7%a5%9e%e7%a4%be%e6%b9%af%e8%8a%b1%e7%a5%9e%e4%ba%8b 白幡天神社湯花神事 筆者撮影
  • 4_%e7%99%bd%e5%b9%a1%e5%a4%a9%e7%a5%9e%e7%a4%be%e6%b9%af 白幡天神社湯  筆者撮影
  • 5_%e8%91%9b%e9%a3%be%e5%85%ab%e5%b9%a1%e5%ae%ae%e3%80%80%e6%b9%af%e8%8a%b1%e7%a5%9e%e4%ba%8b 葛飾八幡宮 湯花神事 2019年2月11日  早水英雄氏撮影
  • 6_%e8%91%9b%e9%a3%be%e5%85%ab%e5%b9%a1%e5%ae%ae%e3%80%80%e6%b9%af%e8%8a%b1%e7%a5%9e%e4%ba%8b 葛飾八幡宮 湯花神事 早水英雄氏撮影
  • 7_%e8%91%9b%e9%a3%be%e5%85%ab%e5%b9%a1%e5%ae%ae%e3%80%80%e6%b9%af%e8%8a%b1%e7%a5%9e%e4%ba%8b 葛飾八幡宮 湯花神事  早水英雄氏撮影
  • 8_%e8%91%9b%e9%a3%be%e5%85%ab%e5%b9%a1%e5%ae%ae 葛飾八幡宮 2020年1月20日  筆者撮影

参考文献

註① クガダチ
武内宿禰が受けたクガダチという神判に由来する神事である。クガダチとは『日本書紀』にも載る神判で、応神天皇九年 北九州赴任中の武内宿禰が弟甘美内宿禰の讒言を受け天皇より死罪を申し伝えられる。密かに筑紫国を出国、舟で南海を渡り紀伊半島に上陸、奈良の都に辿り着く。天皇に直訴するが、判断に迷った天皇は二人に磯城川河畔で盟神深湯(クガダチ。煮え滾る大釜の湯の底から砂や石を素手で取り出し、火傷の重さで正邪を神判する儀式)による裁判を行う。勝利した武内宿禰は忠臣となった。

註② 註③熊野信仰には三種類の湯立神事がある。 
⑴ 神事としての湯立。清めと神意を問う目的で行われる儀式。 
⑵ 修験道儀礼。入峰前の清め儀式。 
⑶ 湯立神楽となった儀式。

註③  ○諏訪神社 神奈川県足柄郡箱根町仙石原
湯立て獅子舞 3月27日
http://www.kintokijinja.com/jinja-suwa.html(2020年1月20日閲覧)
 
註④  ○須賀神社 東京都世田谷区喜多見4-3-23 
湯花神事  8月2日 夜
https//ww.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kusei/005/007/d0000005html(2020年1月20日閲覧)
○菅生石部神社 石川県加賀市大聖寺敷地ル-81-乙
湯花神事 7月26日 
www.tenjin/tenjin.htm(2020年1月20日閲覧)

註⑤ 『江戸名所図会』天保五年(1834)刊行 「下733~736」には、「葛飾八幡宮」「大公孫樹」「生姜祭」が紹介されている。 
「葛飾八幡宮」 真間より一里あまり東の方八幡村にあり。
「大公孫樹」 神前右脇に銀杏の大樹あり、神木とす。此の樹のうろの中に古蛇栖めり。毎年八月十五日祭礼時、音楽を奏す。この時数万の小蛇枝上に顕れ出づ。衆人見てこれを奇なりとす。「生姜祭」 八月十四日より十八日までの間生姜の市あり故に土俗生姜祭と謡う唱ふマチは祭りの略語なり。
今日まで続く八幡のボロ市、道具市のこと。

註⑥  『海と神 そして日本人』鈴木啓輔著 56ページ
神饌 米、酒、塩、水、餅、海産物、農産物など。明治以前は火を加えたもの(粥。煮物、吸物、干物など)。
明治八年式部寮「神社祭式」制定後、基本的に手を加えない生饌を13種類と定められた。
和稲、荒稲、塩、水、酒、野菜、海菜、海魚、川魚、野鳥、水鳥、餅、菓子、の13種となる。
これらは旧社格により品目、奉奠台数に細かな定めがなされた。

註⑦  かつては十二座神楽が奉納されていたが全部を演じるには長時間が必要であり、一時は公演が中止された。
八幡囃子保存会の強い要請により、近年は十二種の内から1~2種を選び演目としている。
神楽に組み込まれた餅撒きも中断した時期もあったが、近年 子供会の要望で再開された。


綿貫善郎著  『市川物語 (歴史と史跡をたずねて)』 1981年 青山書房  
中津攸子著  『改訂版 市川の歴史』  市川よみうり新聞社   2,004年 
市川教育委員会編集  『図説 市川の歴史』  2006年
市川歴史博物館  『史実と伝説の中世市川 現代都市の源流を探る』  2000年
中津攸子監修 『わがまち市川』 郷土出版社 2016年
市川市教育委員会   『市川― 市民読本』 1979年
『市史研究 いちかわ  第6号』  2015年
中津攸子著  『宮久保むかし話  頼朝と白幡神社』  1992年
市川博物館友の会 歴史会編集、発行  『市川の郷土史 市川の古道を歩く』 2002年
千葉県総務部学事課発行  『千葉県宗教法人名簿』  2001年
市川市主催 市川市史講演会  『日本史のなかの中世市川 まつりごと・祈りのかたち』 2016年
市川市教育委員会  『郷土読本 市川の歴史を尋ねて』 1988年
千野原靖方著  『新編 市川歴史探訪 下総国府周辺散策』  崙書房出版  2006年
筥崎博彝著 『市川今昔物語』 蒼洋社  1985年
市川市考古・歴史博物館編集 『図説 市川の歴史 第二版』 市川市教育委員会発行  2015年
和田茂右衛門著 『社寺よりみた千葉の歴史』 千葉市市史編纂委員会編集・発行  1984年
市民の郷土史読本 『市川風土記』  市川ジャーナル編集部  市川ジャーナル社  1973年
鈴木啓輔著 『海と神 そして日本人』  雄山閣 2019年  
宇治谷孟著  『現代語訳 日本書紀』  2019年
鈴木正崇著  『熊野と神楽 聖地の根源的力を求めて』  平凡社  2018年

取材協力
白幡天神社 25代宮司 鈴木啓輔氏    2020年1月15日・19日インタビュー

年月と地域
タグ: