宝塚音楽学校旧校舎を利活用した宝塚市への観光客誘致

光藤 功雄

はじめに
宝塚音楽学校旧校舎は、2008年度に近代化産業遺産(註1)として認定されている。本稿では、宝塚歌劇団生徒を多数輩出した宝塚音楽学校旧校舎の歴史と、宝塚市地域との関係性を見つめる。さらに宝塚音楽学校旧校舎の価値を過去・現在・未来に渡り評価し、宝塚市への観光客誘致の今後の展望を考察する。

1.宝塚音楽学校旧校舎の歴史的背景
「宝塚音楽学校旧校舎(宝塚文化創造館)」(以下、旧校舎と称する)は兵庫県宝塚市武庫川町6-12に位置している。現在の学校法人宝塚音楽学校は旧校舎から徒歩6分程の阪急宝塚駅に近い地域へ移転している(註2)。旧校舎が建設されたのは1935年3月20日であり、設計は竹中工務店、設計者は糸川政雄である。モダニズム様式の簡素で簡潔な建物で、近代化産業遺産に選ばれた歴史的建築物である。建築当初は宝塚公会堂として阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の一施設で、博覧会(註3・4)や各種講習会の利用が目的であったのだが、1937年から宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)の本科校舎として使用される。それ以来、1998年に現在の校舎へ移転されるまで、第二次世界大戦の戦前戦後一時期を除くおよそ45年間にわたり宝塚音楽学校として活用される。その間に、この校舎で学んだ卒業生はおよそ2,400名にのぼる。宝塚音楽学校は、宝塚歌劇団の生徒を養成する唯一の学校である。さらに、宝塚歌劇団の創立は宝塚音楽学校より1年新しい。学校が出来てそれが母体となって宝塚歌劇団が発展したのである(註5)。

2.旧校舎と地域の移り変わり
この地域は、1911年の宝塚新温泉開業をきっかけに娯楽施設が展開し、宝塚ファミリーランド(ルナパーク)、宝塚ガーデンフィールズが開設され、子ども達の歓声で賑わいを見せた(註6)。これらの施設は閉園となったが、その思い出の空間に旧校舎がある。タカラジェンヌを夢見る乙女たちは、日々研鑽を重ねるために、花のみちを通り宝塚ファミリーランド敷地内に通学する。汗と涙と努力の結晶がぎっしり詰まった旧校舎には、日本を元気にするエンジンが組み込まれているように感じられる。
現在、旧校舎の隣には産婦人科の建物がある。身重の女性が旧校舎の過去の栄光を知らず、産婦人科に吸い込まれていく。宝塚音楽学校のキャッチフレーズは「タカラジェンヌの生まれるところ。」という。この2つの建物は「タカラジェンヌの生まれるところと、ベビーの産まれるところ。」という、漲る力の過去と未来を見せつける土地柄といえる。産婦人科においては、旧校舎と並ぶことで、共に「うまれる」がキーワードでありシナジー効果が体感できる。

3.文化資産としての評価「育まれたオリジナリティ」
旧校舎が宝塚市に与えてきたものは、宝塚歌劇およびその源泉である宝塚音楽学校との密接な関係である。つまりは「おしゃれで華やか」というイメージを宝塚市に与え続けてきたのだ。旧校舎は、音楽学校という役割を果たした後、市民の財産として解体を避け後世に残されたのである。結果、宝塚文化創造館として1階にはおよそ180名も収容できる文化交流ホールとなる。ここは木目の美しいフロアに球状のライトがレトロな雰囲気を醸し出す美しいホールで舞台と客席の距離が近く、一体感が得られ演劇やコンサートに最適である。2階には宝塚音楽学校・宝塚歌劇の歴史がいっぱい詰まっている。宝塚音楽学校の懐かしい卒業写真や歴代公演ポスターが所狭しと詰め込まれており、さらに有名作品の衣装展示などがある常設展と映像をメインとした企画展の展示館として「すみれ♪ミュージアム」がある。3階にはバレエ教室・日舞教室のレッスンルームがある。なんと1階と3階は一般利用することができる。価値ある旧校舎の利活用について計画された時、「ここでできること」ではなく「ここでしかできないこと」を考え、「宝塚歌劇を礎とした新たな宝塚文化の創造」を目指したという。
先にも述べたように、宝塚歌劇のステージに立つには宝塚音楽学校卒業が必須条件である。宝塚歌劇団と直結する最上級の専門教育があっただけではない。創設者である小林一三が提唱した「清く正しく美しく」の理念に基づき、舞台に立つ人として、教養や人格を養うという確固たるオリジナリティがある。一般に旧校舎の評価は、建物の価値よりも事跡的価値を評価する声が多くあり、それらは経済産業省認定の近代化産業遺産に繋がることとなる。しかし、筆者は旧校舎への調査を重ね、旧校舎の評価は事跡ではなく、校舎にこそ価値が刻まれていると、考えるようになった。まず、校舎内から紹介したい。タカラジェンヌを目指す生徒達が努力し、長きに渡り、脈々と引き継がれてきた痕跡は、玄関から入って左右の階段・廊下・床・鏡・バレエのバーなどのいろいろなところに残されている。階段について詳しく見てみると、入口を入って左側を下手、右側を上手ととらえ、上手側を職員や訪問客が使用し下手側を生徒が使用している。さらに、下手側を通る下級生は、上級生の妨げにならないよう階段の壁側の端を駆け足で昇降しており、壁側の踏み板が極端にすり減ったとのことである。また、校舎外から見る建物の全体的な特徴としては、鉄筋コンクリート3階建てで左右に階段室が張り出しており、陸屋根で矩形の建物である。これはいわゆるモダニズムとよばれる様式であり、正面の大きなひさし、玄関両側の丸みを帯びた柱、階段室のコーナー窓、玄関横や内部に多く用いられている円形窓などが意匠的なアクセントとなっている。全体的には装飾的要素を削り取った構成美がみられる。宝塚音楽学校のキャッチフレーズ「タカラジェンヌの生まれるところ。」を感じる体験こそが、この校舎の一番の魅力と筆者は考える。

4.比較対象「旧福岡県公会堂貴賓館」について
「旧福岡県公会堂貴賓館」(以下、貴賓館と称する)は福岡県福岡市中央区西中洲6-29に位置している。貴賓館は木造2階建てフレンチルネサンス様式で国指定重要文化財に指定され、設計者は三條栄三郎である。
貴賓館は、旧校舎と同様に他用途に転用されており、福岡県高等裁判所、福岡県農林事務所を経て福岡県教育庁庁舎として公的に利用されてきたのだ。公会堂(註7)とは本来、貴賓館のような公設の建物をいう。そして、旧校舎との大きな違いは、「時間の流れ」ではないだろうか。旧校舎にはコンサートホール、展示室、練習室と言った場所があるが、本来「学び舎」であったため、どこか「規律正しい」時間軸が流れている印象がある。一方、貴賓館では、喫茶室や明治期の女性のドレスの衣装を体験出来るスペースなど、ゆっくり館内を眺め、くつろぐコンテンツが用意されている。こういった少し日常を忘れるような安らぎの場所を旧校舎の中に展開出来たら良いのではないかと、筆者は考えている。

5.今後の展望について「繋がる花のみち」
現在、旧校舎から阪急宝塚駅までは徒歩約12分あり、近いとはいえない。ここに一つの朗報がある。宝塚市立文化芸術センター・庭園が、宝塚市立手塚治虫記念館と旧校舎との間の1万㎡以上の敷地に2020年4月にオープンする(註8)。この施設が開設されると宝塚歌劇、手塚治虫記念館、宝塚市立文化芸術センター・庭園、そして孤立状態にあった旧校舎が、花のみちによって再び結ばれる。筆者は、宝塚市立文化芸術センターとの関連企画展や花のみちの繋がりを大切にしたスタンプラリーを提案したい。さらに文化芸術の街を彩る季節ごとのパレードを企画しても楽しめるのではないだろうか。間違いなく手塚治虫記念館までで止まっていた客足が、一気に動き出すであろうとおおいに期待される。
加えて宝塚市が策定推進している『たからっ子「育み」プラン』には、『子どもを育むことが未来を育む「育む」ことが楽しくなるまちへ』という基本理念がある。阪急宝塚駅からのびる旧校舎までの花のみちを通して、過去から未来における文化や芸術を体感し、宝塚ファミリーランドがあった頃のように沢山のファミリーが訪れ、賑やかな子どもたちの声であふれることを願ってやまない。

おわりに
現在の宝塚市には、旧校舎と共に歩んできた文化的歴史がある。宝塚歌劇団は旧校舎から新校舎となった今でも、宝塚市に根付いた伝統文化として常に新鮮な息吹が感じられるのだ。それは、旧校舎が楔であり礎であることは言うまでもない。宝塚市民は、宝塚市の発展と共に歩んできた旧校舎の価値を再確認し、市民レベルから積極的に利活用を推進していければ、観光客誘致に多大なる貢献をすると確信する。

  • 1_宝塚音楽学校旧校舎(宝塚文化創造館) 『宝塚音楽学校旧校舎(宝塚文化創造館)』 2009年
    写真:宝塚市提供
  • 2_2020%e5%b9%b44%e6%9c%88%e3%81%ab%e9%96%8b%e9%a4%a8%e3%82%92%e7%9b%ae%e6%8c%87%e3%81%97%e5%b7%a5%e4%ba%8b%e4%b8%ad%e3%81%a7%e3%81%82%e3%82%8b%e5%ae%9d%e5%a1%9a%e5%b8%82%e7%ab%8b%e6%96%87%e5%8c%96 『2020年4月に開館を目指し工事中である宝塚市立文化芸術センター・庭園(左)とリニューアル工事直前の宝塚市立手塚治虫記念館』
    写真:(2019年12月26日 筆者撮影)
  • 3_%e5%ae%9d%e5%a1%9a%e6%96%b0%e6%b8%a9%e6%b3%89%e5%b9%b3%e9%9d%a2%e5%9b%b3 『宝塚新温泉平面図』 1935年頃
    公会堂(宝塚音楽学校旧校舎)建築当初の平面図
    提供:宝塚市立中央図書館
  • 4_%e5%ae%9d%e5%a1%9a%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e6%97%a7%e6%a0%a1%e8%88%8e%e4%bb%98%e8%bf%91%e5%9c%b0%e5%9b%b3 『宝塚音楽学校旧校舎付近地図』
    宝塚市提供の地形図(白地図)を筆者加工

参考文献

【註釈】

(註1)近代化産業遺産:経済産業省が認定する文化遺産。日本の近代化に貢献した産業遺産を認定するもの。2007年開始。(松村明・三省堂編修所編『大辞林 第四版』三省堂、2019年)

(註2)宝塚音楽学校、兵庫県宝塚市武庫川町1-1

(註3)宝塚逓信文化博覧会:宝塚新温泉、宝塚文芸図書館および宝塚公会堂を会場に1935年7月20日から8月20日まで開催(阪神急行電鉄編『宝塚逓信文化博覧会誌』阪神急行電鉄、1935年)

(註4)日本婚礼進化博覧会:宝塚新温泉、宝塚図書館および宝塚公会堂を会場に1936年3月20日から5月10日まで開催(阪神急行電鉄編『日本婚礼進化博覧会誌』阪神急行電鉄、1936年)

(註5)1939年12月に団と学校が分離したが、今でも宝塚歌劇団では出演者のことを生徒、稽古場のことを教室と呼び、入団して1年目の生徒を「研1」(研究科1年生)などという名残が存在する。

(註6)ルナパークから続く宝塚ファミリーランドという遊園地が2003年まで営業していた。宝塚ガーデンフィールズは愛犬や愛猫などのペットを飼っている人を対象とする施設である。

(註7)公会堂:公衆の会合などのために設けた公設の建物(新村出編『広辞苑 第七版』岩波書店、2018年)

(註8)この施設は美術館プラスαの驚きと感動の体験、外からも中からも楽しめる開放的な空間、緑ゆたかな憩いの場、にぎわいのまちづくりや新たな交流を目指している。


【参考文献】

宝塚歌劇団『宝塚音楽学校』宝塚歌劇団、1994年
宝塚音楽学校旧校舎等利用検討委員会事務局『宝塚音楽学校旧校舎等利用計画』宝塚市企画財務部政策室企画調整課、2006年
都あきこ『ファンも知らない!?タカラジェンヌのすべて』三栄書房、2014年
朝日新聞出版編『宝塚歌劇華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年
宝塚歌劇団理事長小林公一監修『虹の橋渡りつづけて 舞台編』阪急コミュニケーションズ、2014年
宝塚歌劇団理事長小林公一監修『虹の橋渡りつづけて 人物編』阪急コミュニケーションズ、2014年
宝塚市立中央図書館市史資料担当編『市史研究紀要たからづか 第二二号』宝塚市教育委員会、2005年
リーフレット『宝塚文化創造館(宝塚音楽学校旧校舎)』宝塚市文化財団、制作年不明
リーフレット『宝塚音楽学校 2020年度 生徒募集』宝塚音楽学校、2019年
宝塚市教育委員会編『夢とファンタジーの世界 宝塚ファミリーランド回顧展』宝塚市立小浜宿資料館、2015年
宝塚市『宝塚市次世代育成支援行動計画 たからっ子「育み」プラン(後期計画)』(案)、宝塚市、2019年12月取得
宝塚市『宝塚ガーデンフィールズ跡地利活用基本構想』『同・概要版』宝塚市、2014年
リーフレット『宝塚市立文化芸術センター宝塚文化芸術センター庭園2020年春オープン』宝塚市産業文化部文化政策課、制作年不明


【参考URL】

https://www.meti.go.jp/policy/local_economy/nipponsaikoh/pdf/isangun_zoku.pdf、近代化産業遺産群 続33 経済産業省(2019年10月29日閲覧)
http://takarazuka-arts-center.jp/、宝塚市立文化芸術センター(2019年12月20日閲覧)
http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/kanko/bunka/1016594/index.html、宝塚市(2019年12月20日閲覧)
http://dspace.bunka.ac.jp/dspace/bitstream/10457/996/1/00101_000071.pdf#search='%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%AD%A6%E6%A0%A1+%E8%A8%AD%E8%A8%88'、安野彰『旧宝塚公会堂の建設および使用の経緯と建築の概要』文化学園リポジトリ、2005年(2020年1月9日閲覧)
http://www.fukuokaken-kihinkan.jp/about.html、旧福岡県公会堂貴賓館 福岡県(2020年1月18日閲覧)

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