旧吹田村の景観特性 ー旧西尾家住宅(吹田文化創造交流館)周辺地域からの考察ー

秋目 辰子

1. はじめに
旧吹田村は、大阪府吹田市の南端部に位置する。内本町、南高浜町は旧吹田村発祥の地とされ、その中心地として栄えた地である。重要文化財(1)である旧西尾家住宅(資料1)をはじめとした庄屋屋敷や茅葺の旧家などの重厚な造りの民家や寺社が点在している。そこには、大阪という大都市のすぐそばに位置するとは思えないような、歴史と趣を感じさせるまちなみが残されている。本稿は、旧吹田村の旧西尾家住宅を地域のランドマークとして捉え、この周辺地域の景観特性を文化資産として評価するものである。

2. 基本データ
対象地域:吹田市内本町1丁目、2丁目、3丁目、南高浜町

3. 歴史的背景
内本町、南高浜町は吹田市の南部に位置し安威川や神崎川と接している。延暦四年(785)、神崎川と淀川は接続され(2)京と西国をつなぐ水路となり、平安京遷都後も物資の輸送や交通手段として利用された。吹田も船泊まりの地(3)として発展し、鎌倉時代には貴族の別荘地(4)として栄える。戦国時代には戦略上の要地とみなされ(5)、江戸時代には淀川水運の拠点として発展した。
陸路も亀岡街道と吹田街道が分岐して京、大坂、西国を結ぶ地点であったため、南高浜町にあった「吹田の渡し」(6)は大坂と北摂方面をつなぐ吹田の玄関口としての役割を担っていた。吹田村は基本的には農村であったが、陸路と水路が交わる交通の要衝地であり、淀川水運の拠点でもあったため、在郷町としても発展し(7)多様な職業の人々が暮らしていた(8)。街道沿いには多くの商家、寺社が建ち並び、渡し場周辺には水運業に関わる家や倉庫が集積していた。また江戸時代の吹田村には、旗本竹中領・旗本柘植領・仙洞御料の三領地が散在し「碁石を打ちまぜた」と喩えられるほど複雑な支配となっている(9)。
明治九年(1876)に鉄道が開通したことから水運は衰えたが、その後吹田市が発足すると(10)旧吹田村周辺は官公庁が集まる行政の中心地へとなっていった。

4.旧吹田村の景観の特徴
まず内本町、南高浜町周辺の景観の特徴について述べる。JR吹田駅から賑やかな商店街の区域を抜け南下すると、その景観は一変する。
空間構成を見ると、渡し沿いには水運業に携わっていた家々の区域が見られる。また街道沿いはおもに、商家であったと思われる家々が建ち並ぶ区域となっており、街道に沿って商家が自然発生的に形成されたことが見てとれる。街道筋から中に入ると住宅街の区域へとつながる。さらに古くは各丁に寺社があったといわれ(11)、町の規模の割に多いと思われるほどの寺社や墓地が分散して建っている。加えて江戸時代、一般的には一村に一軒である庄屋屋敷が、複雑な支配を受け集中して建っている区域もある。このように面的に大きな庄屋屋敷や旧家、寺社が地域内に多く存在し、しかも近接しているため、この地域全体が重厚な空間という印象を受ける。
景観を構成する道路に注目すると、そのほとんどは緩くカーブして続いており、道幅は両手を広げたほどのサイズの所が多く、昔から変化していないことが見てとれる。敷際(12)には腰掛けられるような車除けの石が並ぶ箇所も多い。「吹田の渡し」から北上し、亀岡街道と吹田街道とが分岐した箇所には当時の道標が残されている。そのため、その周辺道路は周囲の雰囲気を損ねないよう自然色に舗装されている。他にも神崎川沿いの「吹田の渡し」付近の遊歩道には石材のサインが使用され、植栽の照明も和風に施すなどの工夫が見受けられた。
工作物を個々に見ると、一般的規模の民家でも、板塀や土塀、漆喰塀、和風門、生け垣、竹垣、犬矢来(13)、蔵などが配置された所も多い。なかにはこの地方独特の茅葺屋根、水運業が栄えた町ならではの舟板を用いた蔵や塀なども見受けられる。家を印象づける屋根や壁に勾配屋根や漆喰壁を使用するなど、素材、色彩、意匠を和風で統一している家が多い。また塀、壁、生け垣、門など通りを歩く際に目につきやすい所に、焼杉、漆喰、石、竹などの自然素材、色彩のものが用いられている。樹形が整えられた松や梅、イヌマキなどのシンボルツリー、くすのきやイチョウなどの屋敷林も見られ、緑の密度が高く落ち着いた印象を受ける。

5.他の事例と比べて特筆すべき点
同じく江戸時代の趣を残す枚方宿と比較する。枚方は京と大坂の中間に位置し、古くから淀川水運の中継地であり交通の要衝地であった。豊臣秀吉が淀川左岸に文禄堤を築堤(14)してからはさらに重要性が増し、江戸時代には東海道の宿場として整備されて、在郷町と宿場町の機能が備わった町場として発展する。東端の東見附から西端の西見附までの約1,500メートルの間に、商家や舟宿、茶屋、問屋場(15)、本陣などがあり、その数は天保十四年(1843)には378軒を数えた(16)。
枚方宿の景観の特徴を述べる。枚方宿は、淀川の沿岸部と枚方丘陵の間に設置されている。この間を道幅4,5メートルほどの街道が緩く蛇行しながら通っている。空間構成を見ると、まず、この街道を軸にして歴史的景観ゾーンが形成されている。この歴史的景観ゾーンを挟みながら、二つの駅周辺にそれぞれの商業施設のゾーンがあり、その周辺の住宅街のゾーンへとつながる。道路は東見附から西見附へ向かって進む途中、東海道と磐船街道の分岐点となる「宗左の辻」の地点で西に折れ曲がり、常念寺の門前では桝形に屈曲している(17)。道路の形状が当時のまま変化していないことが分かる。商業施設周辺の道路には淡い色のレンガが敷かれ、その他の部分では両端に敷石が敷かれ、自然色に舗装されていた。部分的ではあるが無電柱化されている箇所もある。また軒先には菊などの花が飾られているところも多いが、植栽はそれほど多くなく街道筋の緑の密度は低い。建物を見ると町家を改修し利用した店舗が多く見られた。腰板や出格子、二階部分にはこの地方特有の虫籠(むしご)という窓が設置された町家も見受けられる。外壁は漆喰壁で平入屋根が多く、色彩、素材、意匠も周囲と調和するように配慮されていた。
旧吹田村と枚方宿を比較して一致する点は、どちらも淀川流域の沿岸に所在し水運業が栄えた在郷町であったという歴史的背景である。そうした背景から伝統的な建物や寺社などの文化的資源を多くもち、その資源がまちなみに伝統的な景観という印象を与えている点である。
一方で、その構造、性格からくる印象は大きく相違する。枚方宿は一本の街道に沿って形成されているため、その空間構造は線として捉えられる。他方で、旧吹田村の空間構造は面的な広がりとして捉えることができる(資料2)。また江戸時代の枚方宿は、多様な多くの人々が宿泊や遊興に往来する場所であったことから、街道の両側に密集して建物が建ち並んでいた。現在でも塀などで遮断されることなく、町家の店舗や民家が隣接して道路に向かい軒先を連ねる様子には、連続性が感じられる。建物、工作物への視点も近く軽やかで活気のある町場の景観という印象を受ける。対して旧吹田村は農村集落であったため、敷地が広く確保されている。建物への視線は植栽や門、塀、生け垣、蔵などで程よく遮られ、工作物の配置にもゆとりがあることで、広がりが感じられ重厚で落ち着いた景観という印象を受ける。

6.文化資産としての評価と今後の課題
旧吹田村の景観からは、人々が営んできた重層的な歴史が感じられ、地域の文化資産として大いに価値があると評価できる。またその景観が生み出す和の趣、落ち着いた心地よさも、ひとつの文化資産だといえるのではないだろうか。地域住民からは、維持改修の際に周囲の景観に配慮した素材や色彩、意匠を使用するなど、まちなみへの愛着や意識の高さもうかがえる。平成三十年(2018)に策定されたガイドライン(18)は、まちなみのビジョンを明確にし、住民のイメージや方向性を統一するきっかけとなった。しかしそこに強制力は伴わないため、現状では所有者の世代交代の際に手放されたり、周囲にそぐわない高層マンションが建つなど、その課題は大きいといえる。また修理にかかる費用や入手困難な材料、職人などの技術者の確保などは、個人の努力だけでは困難であり行政の支援が不可欠である。技術者の育成もまた重要な課題である。
伝統的な景観を維持していくための課題は大きいが、行政や地域、住民が協力しあって、この旧吹田村の景観特性を、今後も長く守り継承するために腰を据えた取り組みがなされることを期待したい。

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参考文献

【註】
(1)文化庁によれば「『歴史文化』とは,文化財とそれ に関わる様々な要素とが一体となったものを指す。 文化財に関わる様々な要素とは, 文化財が置かれている自然環境や 周囲の景観,文化財を支える人々の 活動に加え,文化財を維持・継承するための技術,文化財に関する歴史 資料や伝承等であり,文化財の周辺 環境と言い換えることができる。」とある。文化庁「歴史文化基本構想」について
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/(2020年1月26日閲覧)
(2)神崎川は中世までは三国川と呼ばれていた。『続日本紀』延暦四年正月十四日条に、「使を遣わして摂津国の…掘りて三国川に通ぜしむ」と伝えている。『吹田市史』第1巻、289頁。
(3)『更級日記』には、「たかはまといふ所にとどまりたる夜…うたうたひたる、いとあはれに見ゆ」と高浜に宿泊し、遊興を楽しむ人々の様子が描かれている。上掲書、292頁。
(4)貴族の日記から当時の吹田が風光明媚な所、方違の場として好まれたことが散見される。上掲書、387頁、表37参照。
(5)天正十年(1582)には豊臣秀吉から、吹田津に対して乱暴や臨時の負担をかけることを禁じる禁制が出されている。『吹田市史』第2巻、22頁、写真7参照。
(6)渡し場の川幅は百二十間(約216メートル)もあったとされ、江戸時代の名所案内である『摂津名所図会』にも挿し絵つきで紹介されるほど知られ賑わっていた。吹田の渡し跡案内板を参考。
(7)寛政四年(1792)の史料には、「吹田村之儀ハ大郷ニ面、柴薪・雑穀類・味噌・醤油・塩等、何ニよらず、商売や多く…」とあり、吹田村は近隣の村の人々が生活必需品を買いに来る町場となっていたことがわかる。『吹田市史』第2巻、206頁。
(8)寛政四年(1792)の竹中領の離農状況を記したものに、一文菓子・藁商・小間物・肴屋・旅宿など13種類もの商業関係と髪結・大工・瓦職・船乗・医者などの技術職が記されている。上掲書、273頁、表75参照。
(9)現吹田市域の他の村々では単一の領主支配の形態がほとんどであったが、大坂に近く神崎川に沿った吹田村は、重要な地域とみなされ一人の領主に任せずに分割して与えたり、領主を長期間固定させないなど意図的な支配がなされていたことがわかる。尚、所領地がモザイク状に分布していたため絵地図での確認はできなかった。上掲書、62-63頁、表16参照。
(10)昭和十五年(1940)吹田市が誕生した。
(11)当該地区の住民、80代女性、40代男性より聞き取り(2019年2月13日)
(12)敷際(しきぎわ):塀、生け垣、柵、門、玄関などの通りに面する敷地境界部分のこと。
(13)京町家の軒下などにある、湾曲した割り竹を並べてできた低い柵のこと。
(14)文禄五年(1596)、豊臣秀吉が大坂城と伏見城をつなぐ交通路として淀川左岸に築堤し、江戸時代にはそのまま東海道の延長として整備され枚方宿が設置された。『市立 枚方宿鍵屋資料館 展示案内』、3頁、参考。
(15)人馬の継立、公用旅行者の宿の手配など、宿駅の事務一切を取扱い、民間の輸送にも関係した。問屋役人が常駐した。上掲書、18頁、参考。
(16)枚方宿は、東海道の各宿と比較すると平均的な規模であったが、旅籠数が多いという特徴があった。上掲書、5頁、京街道4宿の比較表参考。
(17)枚方は寺内町(真宗寺院を中心とした集落)でもあったため、外部から敵が攻めてきても直進できないようにするために工夫された。枚方観光ボランティアガイドの方より聞き取り(2020年1月15日)
(18)平成三十年(2018)6月、「内本町・南高浜町周辺のまちなみガイドライン」が策定された。内本町・南高浜町周辺のまちなみガイドライン
http://www.city.suita.osaka.jp/(2020年1月26日閲覧)

【参考文献】
大河直躬、三舩康道編『歴史的遺産の保存・活用とまちづくり 改訂版』学芸出版社,2006年
旧西尾家住宅保存活用検討委員会編『旧西尾家住宅保存活用に係る構想』吹田市教育委員会、平成17年
吹田市立博物館編『平成11年度特別陳列 江戸時代の吹田―古文書と絵図が語るもの―』吹田市立博物館、平成11年
吹田市立博物館編『重要文化財 旧西尾家住宅(吹田文化創造交流館)総合調査報告書』吹田市教育委員会、平成21年
吹田市立博物館編『わかりやすい吹田の歴史 別冊 吹田の歴史年表』、平成20年
吹田市立博物館編『わかりやすい吹田の歴史 本文編』、平成21年
吹田市立博物館編『市制75周年・平成27年度(2015年度)秋季特別展 絵図っておもしろい―国絵図と村絵図―』吹田市立博物館、平成27年
吹田郷土史研究会『すいた歴史散歩〈増補版〉』吹田市教育委員会、平成24年
吹田市総務部市史編さん室編『郷土吹田の歴史』吹田市役所、昭和56年
吹田史編さん委員会編『吹田市史』第1巻、吹田市役所、平成2年
吹田史編さん委員会編『吹田市史』第2巻、吹田市役所、昭和50年
吹田史編さん委員会編『吹田市史』第3巻、吹田市役所、平成元年
『市立 枚方宿鍵屋資料館 展示案内』枚方市教育委員会、平成13年
『日本歴史地名大系28巻 大阪府の地名』(全2冊)、平凡社、2001年
旧西尾家住宅案内パンフレット

文化庁ホームページ「歴史文化基本構想」について
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/(2020年1月26日閲覧)
吹田市都市計画部都市計画室ホームページ内本町・南高浜町周辺のまちなみガイドライン
http://www.city.suita.osaka.jp/(2020年1月26日閲覧)
枚方市景観住宅整備課 枚方都市景観基本計画/枚方市ホームページ
https://www.city.hirakata.osaka.jp(2020年1月26日閲覧)

【取材協力】
吹田市教育委員会地域教育部文化財保護課
吹田市役所都市計画部都市計画室
吹田まち案内人
浜屋敷(吹田歴史文化まちづくりセンター)
枚方観光ボランティア

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