現代に伝わる「勝五郎再生話」についての文化資産評価報告
1. はじめに
江戸時代後期、文化文政期(1804~30)の武蔵国[註1]において実在した少年・小谷田勝五郎[2]の語る<生まれる前の記憶>は注目を集め、「勝五郎再生話」(以下、再生話とする)として武蔵国を越えて江戸の文人たちに記録され、海外でも出版された。
本稿は、多くの文人・学者らの注目を集めるに至った経緯や歴史的・民俗学的背景などを考察することにより、現在も東京都日野市・八王子市を中心に伝わる再生話の地域の文化資産としての価値を評価することを目的とする。
2.「勝五郎再生話」についての概要
文政5年(1822)、武蔵国多摩郡中野村(現・東京都八王子市東中野)に住む8歳の少年・勝五郎が「自分は、もとは武蔵国多摩郡程久保村(現・東京都日野市程久保)の須崎藤蔵[3]という子どもで、6歳のときに疱瘡[4]で亡くなった。」と話し、一度あの世へ行ってから生まれ変わった顛末を語ったという地域に伝わる話である。隣接する日野市と八王子市を舞台に文化文政期に起きた出来事で、勝五郎の語った内容を当時の大名・池田冠山[5]、中野村領主・多門傳八郎[6]、国学者・平田篤胤[7]などがリアルタイムで記録として残している。明治時代には、文学者・小泉八雲[8]の手で海外でも出版物として紹介されている。[写真①、図1]
3.歴史的背景
260年以上もの長きにわたる江戸時代は、災害・経済状況・幕府の改革などの影響を大きく受けた時代である。11代将軍・徳川家斉の治世の続いた化政期は、江戸を中心として全国へ庶民文化が広がった。庶民の生活や信仰においては、寺社参詣・講・遍路・祭礼などがさかんに行われた。学問・思想の面においては、日本古来の心の復活を目指した国学[9]が平田篤胤を中心として発展。麻疹やコレラが流行し多くの人びとが命を落とし、仏教伝来の8世紀頃から恐れられていた疱瘡は、毎年のように流行する常在伝染病となっていた。
4.「勝五郎再生話」の持つ独自性を評価する
4-1 記録という側面からの評価
第一に挙げられるのは、当事者の語った言葉がリアルタイムで記録されている再生話であるということだ。日野市郷土資料館の北村澄江氏への取材で、以下の点が指摘された。
1)隠居した大名である池田冠山は、農民の子息である勝五郎と話をするために江戸から中野村の小谷田家を訪問し対面している。幼い勝五郎は気後れし、話をすることが出来ず、祖母のつやからの聞き書きから、『勝五郎再生前生話』(1823年2月)を著している。
2)中野村当主の多門傳八郎は、父・源蔵と勝五郎を江戸の屋敷に呼び、役人としての取り調べを行い、御書院番頭[10]に調書として届け出ている。(1823年4月)
3)国学者の平田篤胤は、江戸にある自らの学舎「気吹舎」に父・源蔵と勝五郎を呼び寄せた。そして、たどたどしく語る勝五郎の言葉を立入自負の伴信友が聞き取り、まとめたものに篤胤が考察を加え『勝五郎再生記聞』(1823年6月)を著した。
時系列でみると上記のようになり、同時期に様々な書き手により記録されたドキュメンタリー的性質の強い話である点が評価できる。また、3つの記録にはそれぞれの立場による違いがあるものの、内容自体は一致している。
さらに、池田冠山『勝五郎再生前生話』の写本などを参考に、明治30年(1897)に小泉八雲が米国のホートン・ミフリン社と、英国のコンスタブル社から出版した随想集『仏の畑の落穂』[11]の中で「勝五郎の転生(Rebirth of Katsugoro)」を発表している。再生話が世界へ向けて発信される契機となった。
4-2 民俗学的側面からの評価
再生話を伝える様々な文献から、当時の人々の生活が観察される点で民俗学的価値のある話として評価できる。具体的には次の点が挙げられる。
1)疱瘡
歴史的背景のところでも述べたが、疱瘡を免れる術のなかった江戸時代に多くの命が失われた。程久保村の藤蔵が6歳で他界したことにくわえ、池田冠山の末娘・露姫[12]も同じく6歳で疱瘡のために亡くなっている。疱瘡の症状は高熱に始まり、水泡が顔から始まり全身に広がる。発病してから14~15日の経過を経て全快するが、その間に命を落とすものも多かった。冠山が自ら勝五郎に会いに行ったのは、露姫の再生を願ってのことだったと思われる。
2)土葬
「さて体を桶の中へつよく押し入るゝと、飛び出でて傍へにをり、山へ葬りにもて行くときは、白く覆ひたる龕(がん)[13]の上に乗りて行きたり。さて其の桶を穴へおとし入れたるとき、 其の音のひびきたること、心にこたへて今もよく覚へたり。」と、『勝五郎再生記聞』のなかで記録されているが、当時の死者の埋葬の仕方が土葬であったことが読み取れる。「勝五郎生まれ変わり物語探求調査団」のメンバーである小谷田忠一良氏(勝五郎の祖父の兄の子孫)への取材でも、近隣地域ではつい最近まで土葬が行われていたとのことであった。
3)産土の神(うぶすなのかみ)[14]
「白髪を長く打垂れて黒き衣服着たる翁の、こなたへとて誘なはるゝに従ひて、何処とも知らず段々に高き奇麗なる芝原に行きて遊びありけり。(中略)或るとき彼の翁と家の向ひの路を通るとき、翁この家を指して、あれなる家に入りて生まれよといふ。」と、『勝五郎再生記聞』に記されているが、事の顛末としてこのあと、勝五郎は「白髪黒衣の老人」の教えに従い、小谷田源蔵宅の柿の木の下に三日、かまどの傍に三日たたずみ、母の腹の中に入ったとつづく。平田篤胤は、この「白髪黒衣の老人」を土地の守り神である「産土の神」であると解釈している。
5.同様の事例と比較して特筆される点
再生の概念を伝える話は古くから、『チベット死者の書』[15]、古代ローマの詩人・オウィディウスの『変身物語』[16]、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』[17]などにもみられるが、日本でも『日本霊異記』[18]、『今昔物語集』[19]などで度々登場する。
再生話の成立する時代からすこし遡った、寛政期(1789~1801)に著された『梅翁随筆』(作者不詳)と比較してみたい。8歳の勝五郎と年ごろの5歳の子どもが前世の記憶を両親に語った話が以下のように記録されている。
一上総国望陀郡戸崎村[20]に佐兵衛といふ百姓の悴、五歳の時その父母にかたりけるは、我は相模国矢部村[21]六右衛門というものゝ子なりしが、七歳の時馬にふまれて死たりといふ。(中略)其後相模国より出たる回国のものを一宿させし時、ふと此ことを咄せしに、此もの矢部村近き辺りのものにて、六右衛門も相しれり。其子の馬にふまれて死たるといふことも聞き及びしよし申。(『梅翁随筆』巻之三 「小児前生を語りし事」より)
現在の神奈川県横須賀市周辺の村の子どもが馬にふまれて亡くなり、千葉県君津市周辺の農村の子どもに生まれ変わったという話である。寛政年間に記されたことは判明しているが、作者は不明である。当時の習俗を窺い知るよい資料であることには違いないが、再生話においては、当時の文人・学者・役人など他の史料からもたどれる人びとによって記されており、当事者が実在すること、生没年・居住した土地・墓所[写真②、③]などがはっきりとわかることなどが特筆される点である。
6.今後の展望について(まとめにかえて)
現在、再生話を継承する中心となっているのが、2006年に日野市郷土資料館を拠点として結成された市民団体「勝五郎生まれ変わり物語探求調査団」である。再生話について調査・研究し、広く市民に知らせる活動を精力的に行っている。2018年には、勝五郎の生誕200年を記念して、『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』を刊行している。現在60名ほどのメンバーを有し、「勝五郎再生話」に興味・関心のあるすべての人へ門戸を開いている。
2022年は勝五郎が生まれ変わりを語ってから200周年にあたる年で、さらに再生話に注目した最初の人物である大名・池田冠山の愛娘・露姫が亡くなってから200年の年である。現在、記念のイベントを企画しているという。
天変地異が相次ぎ、新型コロナウィルスの出現で生活の変化を余儀なくされる昨今、身近な人たちとの別れを経験している人も多い。「転生」という概念が登場する、ゲーム・アニメーション・ライトノベル(小説)などと頻繁にお目にかかるようになったのも、時代を反映してのことであろう。バーチャルではなく、リアルに訪れることの出来る「転生」の舞台が身近にあると知れば、町に出掛かけたくなるのではないだろうか。
参考文献
<註>
[1]律令制により設けられた国で、東京都(島を除く)、神奈川県川崎市・横浜市(一部)および埼玉県の大部分を含む地域。武州ともいう。
[2](1814~1869)、武州多摩郡柚木領中野村(現・東京都八王子市東中野)の農家・小谷田源蔵の次男として生まれ変わる。父・源蔵は、農業の傍ら副業に籠を作って江戸へ商いに出た。源蔵と妻・せいは、江戸で奉公していた時に知り合い、文化6年に(1809)長女・ふさが生まれ中野村へ戻る。勝五郎の祖父・勘蔵は、中野村の大地主・小谷田家出身。祖母・つやは、若い頃は松平壱岐守の御殿女中としてつとめた。文政6年(1823)、江戸中が勝五郎の再生話で沸き立ち、池田冠山が『勝五郎再生前生話』を、平田篤胤が『勝五郎再生記聞』を著した。(参照:『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』)
[3](1805~1810)、武州多摩郡小宮領程久保村(現・日野市程久保)の農家に生まれる。藤蔵の実父は須崎久兵衛(後に藤五郎と改名)で、文化3年(1806)、2歳の藤蔵を残して48歳で亡くなる。翌年、実母しづが再婚し、半四郎が継父となる。藤蔵は半四郎に愛情をこめて育てられたが、文化7年(1810)2月4日に疱瘡のため6歳で亡くなった。半四郎としづの間には、藤蔵の弟2人、妹2人が誕生している。(参照:『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』)
[4]天然痘。ウィルスによって引き起こされる感染症で、医学界では一般に痘瘡と呼ばれている。強い伝播力と高い死亡率、また、命を取り留めても顔や体に跡が残ることから、古くから恐れられてきた。 1796年イギリスの医師ジェンナーが開発した牛痘法が世界に広まり、1980年5月WHOは天然痘の世界根絶宣言をした。人類によって根絶された唯一の感染症である。日本には6世紀に伝わったといわれ、江戸時代には定着し、幾度となく流行を繰り返した。徳川幕府の将軍が何人も天然痘にかかっている。(国立国会図書館URL https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/11/1.html <2022年1月29日閲覧>)
[5](1767~1833)、江戸時代中期-後期の大名。安永2年(1773)因幡国若桜藩(現・鳥取県八頭郡若桜町)藩主池田(松平)家5代となる。佐藤一斎に儒学を学び、地誌・仏典などにも通じ、文学の三侯のひとりと言われる。文政5年(1822)、51歳の時に末娘・露姫を疱瘡のため数え年6歳で亡くしている。(参照:『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』)
[6](1658~1723)、江戸時代の幕府旗本。元禄赤穂事件において浅野長矩の取り調べと切腹の副検死役をつとめ、『多門文書』に長矩の様子を詳しく記した人物として知られる。幕府御書院番を勤め、中野村谷津入の地頭であった。(参照:『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』)
[7](1776~1843)、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。出羽国久保田藩(現・秋田県秋田市)出身。成人後、備中松山藩士の兵学者・平田篤穏の養子となる。復古神道(古道学)の大成者であり、大国隆正によって荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人(うし)の中の一人として位置付けられている。文化元年(1804)に学舎「真菅之屋」を開設。後年、学舎の名前を「気吹舎」と改める。勝五郎の生まれ変わりが評判になった頃には、篤胤は幽冥界の研究に興味を持ち研究中であった。文化9年(1812)に最初の妻・織瀬、文化13年(1816)にはニ男・又五郎が相次いで亡くす。文化10年(1813)に、代表作『霊能真柱』を刊行。「勝五郎の生まれ変わり」「天狗小僧寅吉」「稲生物怪録」の研究は、篤胤の幽冥界研究の3つの柱だといわれている。(参照:『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』)
[8](1850~1904)本名はラフカディオ=ハーン(Lafcadio Hearn)。英文学者・小説家。ギリシア生まれのイギリス人で、1890年特派記者として来日。同年英語教師として島根県松江中学校に勤め、小泉セツ(節)と結婚。1896年帰化し、小泉八雲と改名。のちに東京大学・早稲田大学で教鞭をとる。日本文化に関心を持ち『怪談』など著書多数。(参照:『旺文社日本史辞典 三訂版』旺文社)
[9]江戸中期に興った、文献学的方法による古事記・日本書紀・万葉集などの古典研究の学問。儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたもの。漢学に対していう。契沖を先駆とし、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤らによって確立。(参照:『デジタル大辞泉』小学館)
[10]江戸幕府の職名。書院番の隊長。若年寄に属し、江戸城の警護、将軍外出時の護衛などの任にあたった。(参照:『デジタル大辞泉』小学館)
[11]Gleanings in Buddha-fields 1897年に米国・英国で出版された。タイトルはブッダが生きて存在している場所を意味し、八雲の仏教思想への関心が強く表出した作品が、「勝五郎の転生」他11編収められている。「勝五郎の転生」執筆の際に使用したのは、土佐藩出身で明治天皇の側近として活躍した佐佐木高行の蔵書『珍説集記』である。(参照:『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』)
[12]松平露(1817~22)江戸時代後期の少女。因幡国鳥取藩の支藩・若桜藩の第5代藩主・池田定常(松平冠山)の十六女。通称・露姫。疱瘡のため数え年6歳で亡くなる。死後、机の引き出しから遺書が発見され、4通の遺書を木版刷りにして全国に配布した。遺書を見た全国の人々から追悼文が次々と届いた。これらはまとめられ『玉露童女追悼集』(全30巻)となり、浅草寺に奉納された。(参照:『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』)
[13] 遺体を納める棺や輿。ひつぎ。(参照:『精選版 日本国語大辞典』小学館)
[14]人の生まれた土地の守護神。ウブスは生産,ナは土地の意味。本来は地縁的集団を守護する神で、氏神・鎮守神とは異なる。地縁的・共同体意識の発達した中世以降、氏神と同一視された。(参照:『旺文社日本史事典 三訂版』旺文社)
[15]バルド・トドゥル(通称・チベット死者の書)。死に臨む人の耳元で死の直前から、死後四十九日間にわたって語り聞かされる経典。死後に3つのバルドの段階があるとしている。解脱させようとした努力も甲斐なく、シパ・バルド(再生のバルド)まで来てしまった死者の魂には、六道輪廻のうちより良い世界へ生まれ変わるチャンスが与えられる。(参照:ジブリ学術ライブラリー「NHKスペシャル チベット死者の書DVD」 公式サイト https://www.ghibli.jp/tibet/bardo/005620.html <2022年1月29日閲覧>)
[16]古代ローマの詩人・オウィディウスによる作品。膨大な量のギリシア神話から、ローマ建国、ローマのアウグストゥス帝までの時代を舞台に、人間が動物や植物、星座や神などに変身する物語を集めたもの。(参照:『世界大百科事典 第2版』平凡社)
[17]古代インドのサンスクリット叙事詩。『マハーバーラタ』と並んで2大叙事詩の一つに数えられる。バールミーキ作と伝えられ7編24000詩節からなる。魔王を退治するためにヴィシュヌ神が人間に転生して、誕生したラーマ王子がシーターと結婚するまでを描く。(参照:『百科事典マイペディ』平凡社)
[18]『日本国現報善悪霊異記』(通称・日本霊異記)。平安時代初期に書かれ、伝承された最古の説話集。成立年は不明だが、822年とする説がある。著者は、奈良の薬師寺の僧・景戒である。生前の行いの結果、死後六道世界に生まれ変わるという仏教の教えに基づく「転生譚」が多く収められている。
(参照:『旺文社日本史事典 三訂版』旺文社)
[19]平安後期の説話。12世紀初めころの成立。編者不詳。天竺 (インド)・震旦 (中国)・本朝(日本)の3部31巻よりなる。生まれ変わりなどの仏教説話が多く、書名は各話が「今は昔」で始まることに由来する。和漢混交文で書かれ、のちの説話文学に影響を与えた。(参照:『デジタル大辞泉』小学館)
[20]現・千葉県君津市戸崎。
[21]現・神奈川県横須賀市大矢部。
<参考文献>
・勝五郎生まれ変わり物語調査団編 『ほどくぼ小僧 勝五郎生まれ変わり物語 調査報告書』 日野市郷土資料館、2015年
・日野市郷土資料館編 『日野市郷土資料館紀要 第3号 通巻11号』日野市郷土資料館、2008年
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・日本随筆大成編集部編 『日本随筆大成<第二期>11』 吉川弘文館、1974年
・小川直之・服部比呂美・野村朋弘編 『芸術教養シリーズ23 伝統をよみなおす2 暮らしに息づく伝承文化』 京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎、2014年
・内藤理恵子「あの世を描く(下)(やわらか文化論 ポップカルチャーのススメ3)」『中日新聞(朝刊・文化面)』 2022年1月25日掲載記事
<参考URL>(最終閲覧日:2022年1月29日)
・日野市郷土資料館・勝五郎生まれ変わり物語探求調査団(勝五郎生まれ変わり物語)
http://umarekawari.org/
・明星大学 人文学部日本文化学科 (ほどくぼ小僧の話―生まれ変わった勝五郎)
https://www.jc.meisei-u.ac.jp/action/course/059.html
・愛知学院大学 図書館情報センター (物語要素辞典)
https://www.lib.agu.ac.jp/yousojiten/
・佐原作美「日本霊異記における転生譚の構造」『駒沢短大国文』28号、1993年
https://acaddb.com/articles/authors/293584
<調査協力>
・日野市郷土資料館・ふるさと文化財課 北村澄江氏 (調査日:2022年1月23日、30日)
・勝五郎生まれ変わり物語探求調査団(勝五郎の本家当主)小谷田忠一良氏
(調査日:2022年1月23日、29日)
*貴重なお時間を頂き取材にご協力いただきましたことを感謝いたします。