タルシラ・ド・アマラル「食人」時代の達成について

神田 裕子

1. はじめに
本報告書では、ブラジルで国民的人気を誇る画家タルシラ・ド・アマラルの画業において、最も完成度の高い作品が生まれた1928年から1930年の「食人時代」に焦点をあて、作品《月(A Lua)》(1928)を中心に、その達成をブラジルらしさと前衛芸術を融合させた自然描写として考察する。
報告書作成の契機となったのは、《月》がニューヨーク近代美術館の新収蔵作品として紹介された動画コンテンツ1を視聴したことだった。シュールレアリスムの影響を感じさせる豊かな抽象性の作品に惹かれ、インターネットを中心に画家について調べたが、日本国内では十分なリソースを見つけられなかった。また過去、アマラル作品を展示した展覧会2では、ブラジルのモデルニスモ運動のエンブレムとしての側面が紹介されており、同時代の風景画にはあまり言及が見られなかった。《月》に見られるアマラル絵画の達成について積極的に調査し、明らかにしたいと思い、本報告書の作成にいたった。

2. 基本データと歴史的背景
◇生い立ち
1886年、コーヒー生産の躍進でいち早く近代都市化したサンパウロ州の郊外にアマラルは生まれた。裕福な農業主の家庭に育ち、国内で絵画や彫刻を学んだ後、34歳のときパリのアカデミー・ジュリアンで学ぶため渡仏。ブラジルに欧米のモダニズムを最初に紹介した画家アニータ・マルファッティ(1889-1964)との文通で、1922年2月にサンパウロで開催された「近代芸術週間(Semana de Arte Moderna, 以下セマーナ)」について学ぶ。セマーナに触発されたアマラルは、前衛芸術を学ぶためフェルナン・レジェ(1881-1955)らに師事した。
セマーナでは、ポルトガルからの独立100年を記念し、自国の芸術に革新を求める若手芸術家たちが100点あまりの作品を展示し、詩の朗読やコンサートを開催した。モデルニズムをひとつの芸術潮流として打ち出したセマーナはモデルニスモ運動の起点とされ、主催者の一人である詩人のオズワルド・デ・アンドラーヂ(1890-1954)とアマラル、マルファッティらは「5人組」として運動を牽引した。

◇アンドラーヂ「食人宣言」の発表まで
アマラルはブラジルのモデルニスモ運動を理論面で支えたアンドラーヂとの協働において広く知られている。パートナーとして「タシルワルド」と称されるほど親密な関係を築いた1920年代、アマラルの《食べる人(Abaporu)》(1928)から着想を得たアンドラーヂの芸術マニフェスト「食人宣言(Manifesto antropofago)」が発表された。「食人宣言」は、倒した敵の力を吸収するためにその肉を食べるというインディオのかつての食人習慣をメタファーに、流入してきた西洋文化を批判的かつ選択的に吸収し、ブラジルの独創的な文化の創造することを提示した。

3. 事例のどんな点について積極的に評価しているのか
《月》へといたる独自の自然描写について、アマラルがどのようにブラジルらしさを抽出し、前衛芸術と融合させたのかを作品をもとに再考する。

◇食人概念の具現化として
《食べる人》はヌードという西洋絵画の伝統的モチーフを採用しながら、ダイナミックな遠近法で座る人物の身体が描かれている。理性を司る頭部は小さく、対照的に大きな足が大地に突き刺さるように配置されている。太陽を思わせる花咲くサボテンはブラジルの自然を象徴している。熱帯の自然と宿命づけられた身体を批評的に、伸びやかな造形で描いた《食べる人》は「食人」の概念を見事に具現化してみせた。西洋の文化を吸収、消化することで生じる自国の芸術の誕生を表現した。

◇楽園的イメージの創出
「食人宣言」から遡ること4年、アンドラーヂは西洋の輸入に頼らず、ブラジルから輸出できる文化の創造を唱える「パウ・ブラジル詩宣言」を発表した。タルシラとパリで出会った詩人のブレーズ・サンドラーズ(1887-1961)と3人で国内を旅した成果をもとに書かれた。アマラルは旅先で見た動植物や果物、田舎の活気溢れる人々の暮らし、対照的に都市部で見られる近代化の象徴である鉄道や車を、幾何学的に単純化させ、ローカルな色彩感覚で表現した。(「パウ・ブラジル時代」)タルシラがパリで習得したキュビスムの手法は、たとえスラムを描いても楽園的なイメージを創出するのに一役買った。

4. 国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
◇《月》で表現されたブラジル
《食べる人》がブラジル国民に向けて描かれ、モデルニスモの視覚的アイコンとして機能したのに対し、《月》は国外にブラジルのモデルニスモを提示する役割を果たした。《月》は完成直後、パリで開催されたアマラルの個展で発表された。
《月》はフィセント・ファン・ゴッホ(1853 - 1890)の《星月夜》(1889)を想起させる。丸みを帯びて黄色く輝く三日月、ゆがんで層を成す気流、月に対峙する植物などにその類似性を見いだせる。だが、キリスト教と自然主義との間で揺れる画家の心象風景である3《星月夜》に対し、自然を抽象化させ超現実的な世界観を表出させた《月》の主題は異なる。
この差異はアマラルと同世代のアメリカン・モダニズムの画家ジョージア・オキーフ(1887-1986)の作品と比較することでより明らかになる。オキーフは男性的で機械的な同時代のモダニズムから脱し、身体の主体性を取りもどす試みとして自然描写にオルタナティブを見いだした。
オキーフも《星月夜》を示唆する作品を残した。ジョージ湖を描いた“Starlight Night, Lake Geoge”(1922)には《ローヌ川の星月夜》(1888)の影響が感じられる。ニューメキシコ旅行中に見かけた十字架を描いた作品“Black Cross with Stars and Blue”(1929)は、その名の通り《月星夜》の主題に重なる。オキーフがどこまで意識的だったかは定かではないが、《星月夜》の対になるはずだった宗教画《オリーブ園のキリストと天使》の色彩について「キリストは青で、天使は黄色」という記述をゴッホが残したのは興味深い。
独自のはっきりとした輪郭の描きわけとその形状により、どことなくブランクーシの彫刻を彷彿とさせるサボテンは、瞑想するかのように月と対峙している。同時期の作品に確認できる水の流れを半円状に描くアール・デコ風の形状の実験が見られる。「パウ・ブラジル時代」に描かれた植物描写は影を潜め、サボテン以外にブラジルらしさを象徴する自然や特有の色彩は見られない。だが、現実的なモチーフを極限まで排除し、誇張された自然描写は、より本質的なブラジルらしさに迫ろうとしているのではないか。《月》の幻想的なイメージは、寡黙にブラジルを語っている。

5. まとめと今後の展望について
本報告書では、アマラル絵画の達成をブラジルらしさと前衛芸術を融合させた自然描写とし、その到達点を《月》に見出した。1920年代に開花したモデルニスモは、1929年の世界恐慌に伴うコーヒー価格の大暴落によって幕を閉じた。アマラルはアンドラーヂと袂を分かち、ロシア訪問を機に社会派リアリズムに傾倒した作品を制作する。その後、革命によって成立した独裁政権のもとでは、モデルニスモは少数エリートによる非国民的な行為であると断罪され、一度はなきものとされる。
しかし1997年のサンパウロ・ビエンナーレでその概念が総括されるなど、「食人」は20世紀ブラジルを語るキーワードになった。セマーナ開催から100年を迎える今年、ブラジル各地で周年を記念した文化的なイベントが開催されている。ブラジルから遠く離れた日本でも、Webページ「Agenda Tarsila」などからその盛り上がりを知ることができる。一度は黙殺されたアマラルはどのように「再発見」され、現在最も愛される画家となったのか。今後さらなる調査を続けたい。

参考文献

1 The Museum of Modern Art, The painter of her country | Tarsila do Amaral | UNIQLO ArtSpeaks
https://youtu.be/5YijMSds7MA
2 東京都国立近代美術館で2004年にブラジルの近現代美術を紹介する『ブラジル:ボディ・ノスタルジア』が開催された。
3 アートスケープ アート・アーカイブ探求「フィンセント・ファン・ゴッホ《星月夜》──祈りの風景『圀府寺司』

〈参考文献〉
1. Tarsila do Amaral (cat. expo., Fundación Juan March, Madrid). Madrid: Fundación Juan March /Editorial de Arte y Ciencia, 2009
2. Tarsila do Amaral 〈https://tarsiladoamaral.com.br/〉(参照2022-1-15)
3. Tarsila do Amaral Brasilian, 1886-1973〈https://www.moma.org/artists/49158〉(参照2022-1-22)
4. 東京国立近代美術館『ブラジル:ボディ・ノスタルジア』(印象社, 2004)
5. 都留ドゥヴォー恵美里『日系ブラジル人芸術と〈食人〉の思想 創造と共生の軌跡を追う』(三元社, 2017)
6. 居村匠「オズワルド・ヂ・アンドラーヂの 批評におけるブラジル性について」
〈https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/70/2/70_61/_pdf/-char/ja〉(参照2022-1-8)
7. 圀府寺司『ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争』(小学館, 2009)
8. チャールズ・C・エルドリッジ『ジョージア・オキーフ 人生と作品』道下匡子訳(河出書房新社, 1993)
9. ハル・フォスター、ロザリンド・E・クラウス、イヴ-アラン・ボワ、ベンジャミン・H・D ブークロー、デイヴィッド・ジョーズリット『ART SINCE 1900:図鑑 1900年以後の芸術』(東京書籍, 2019)

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