彦根城周辺の登録有形文化財を守るかたち

川越 敦子

Ⅰはじめに
2020年からのコロナ禍の影響で彦根城周辺の観光事業も低迷している。このような状況の中で、彦根城周辺に点在する登録有形文化財の保護も厳しいものになっている。今回、それらの中から、「スミス記念堂」「宇水理髪館」「高崎家住宅主屋」の文化資産価値を検討する。比較対象としては兵庫県神戸市の「旧ジェームス邸」を取り上げる。
Ⅱ事例紹介
1.スミス記念堂
所在地:滋賀県彦根市本町3丁目58番地
所有者:彦根市
運営者:NPO法人スミス会議
1931年にパーシー・アルメリン・スミス氏の発案で建設された和風礼拝堂である。¹⁾伝統的寺社建築様式を用い、大棟鬼瓦鰭付、降棟鬼瓦、軒唐草などが配され、一見すると小さなお寺のようである。花頭窓、欄干・唐破風は「和」を基調とし、正面中央間浅唐戸に葡萄の蔓が巻き付いた十字架を、腰鏡板に松竹梅の文様を配している。聖台堺欄の天使像や聖壇境の欄間などは緻密ながら和風で素朴な雰囲気がある。現在の建物は当時の部材を90%以上使い、老朽化の激しかった部分は元の部材の質感を損なわないように新しい部材に置き換えてられている。
2.宇水理髪館
所在地:滋賀県彦根市河原町3丁目103-2番地
所有者:個人
1936年に店舗兼住居として建築された。切妻造・桟瓦葺・平入の構造であるが、両端の柱がアーチを支える洋風のモダンな外観となっている。アーチのキーストーンにはバリカンが模られ、柱の先端にはアカンサスの葉、外壁上部にはコーニスを模した装飾がみられる。²⁾1階は理髪店の店舗として利用され、建設当時の待合室は床の間を配した畳敷きであったが、数年前に床張りに改築された。その他はオリジナルのデザインでまとめられており、創業当時からの洗髪台も現役である。床や鏡周りの壁面はデンマーク製のタイルが貼られ大切に維持されてる。2階の座敷に面して幅約50cmのタイル張りのベランダがある。2020年に市の補助金を基に外壁の洗浄が行われ、建築当時の水色・鶯色・白の3色から成る美しい幾何学模様が蘇っている。正面玄関から奥に30mは続く通り土間や階段の蹴上げ部分の灯り採りなど近代の町家の暮らしぶりが現代にも受け継がれている。
3.高崎家住宅主屋
所在地:滋賀県彦根市河原町2丁目3番地
所有者:個人
建築年代は江戸後期と考えられる。建物は木造2階建て桟瓦葺き切妻造の伝統的な町家であるが、郵便局舎への転用に伴い、1934年に前面が洋風の郵便局舎に改造された。内部は近隣の河原町、芹川や中山道沿いの宿場町に散見される構造である。敷地は奥に広がる台形であり、この敷地のゆがみは通り庭で解消されるのが一般的であるが、板の間や押し入れ、仏間・床の間が台形を呈し、表に近い部屋ほど収納の奥行きが狭くなる構造をしている。この建物は川原町郵便局、保険の代理店などを経て現在は「逓信舎」と名前を改め、「LLP(有限責任事業組合)ひこね街の駅」によって「情報」をテーマとした第3の街の駅として機能している。³⁾
Ⅲ各事例の評価点
1. スミス記念堂
1996年の都市計画道路の拡幅工事に伴い取り壊し案が出ていたが、市民と市当局との粘り強い交渉の末に保存が実現した事例である。建築物自体は一旦解体保存し、移転先を検討して10年後に現在の場所に再建された。近年、地域の再開発や都市計画などによって歴史的な建物が取り壊される例がみられるが、小規模建築の場合は、一旦解体して時機を見て復元することが可能であるというよい例となっている。また、NPO法人スミス会議による継続的な運用も持続的な運営を可能にしていると考える。
2. 宇水理髪館
純粋に民間所有の登録有形文化財である。一つの家族が3世代にわたって大切に守り、創業当時の姿を83年間も維持していくには相当な努力と愛情が必要であろうと考える。しかし当主も高齢であり、理髪館の後継者不在のため、近い将来手入れをする者が途絶える可能性は大きい。保存状態も良好で、近代の人々の生活や文化の在り様を色濃く残す宇水理髪館の保存には個人任せにはできない現代の文化財保存の課題がみられる。
3.高崎家住宅主屋
表具屋、郵便局舎、保険代理店、逓信舎として受け継がれている。建物自体は江戸時代から築100年余り、改築後85年を経ている。敷地のいびつな形を押し入れや床の間・廊下の変形で解消するなど、現代の設計では見られない建築方法である。また、江戸時代の建築物が現在も活用されているのが特徴である。この逓信舎は、滋賀県立大学生が建物の改装や耐震工事を行い、聖泉大学生がインターネットラジオ放送を、滋賀大生がデジタルアーカイブ事業や賑わいを創出するためのソフト事業に取り組むなど市内の3大学が参加しており、若い世代の参加の場を設けることに成功している事例である。
Ⅳ旧ジェームス邸について
所在地:兵庫県神戸市垂水区塩屋町6-28-1
所有者:三洋電機(株) 使用者・改修工事建築主:(株)ノバレーゼ
旧ジェームス邸は1934年にイギリス人貿易商、アーネスト・ウィリアムス・ジェームが自邸としたスパニッシュスタイルが特徴的な邸宅である。その後は企業の迎賓館、2012年神戸市指定有形文化財の指定後のレストラン兼結婚式場へと変貌し、現在では一般開放され塩屋町のボランティアを中心とする邸内見学ツアーなども組まれている。企業が所有し、市文化財課の強力な介入の元今後30年間の詳細な維持保全計画が作成され、長期的な管理体制が整った事例である。
旧ジェームス邸は理想的な管理体制ではある。それに比べると先に述べた3事例は規模も小さく、資産価値としては比べるべくもない。しかし、これらは旧ジェームス邸と同時期に建築された一般の日本人による洋風建築であり、決して潤沢とは言えない資金の中から維持費を捻出し維持してきた事例である。彦根城の周囲2km圏内でほぼ同時期の1930年代の建築物の維持管理の形としてNPO法人・個人店主・LLPと様々な形式を採る現在の形態は地方都市の文化資産を維持するという形の縮図ではないかと考える。
Ⅵ今後の展望
彦根市は2024年の彦根城の世界遺産登録を目標に取り組んでいる。近年の世界遺産登録要件の傾向ではすでに姫路城があり、同様の城という構造物での登録は困難である。また登録後の世界遺産の訪問者数を見ても、体験型の世界遺産ツアーの需要の方が多いという研究も出ている。⁴⁾彦根市としては彦根城の安定した政治システムを登録の要件にするようであるが、その中には彦根城周辺の登録有形文化財の存在も重要な役割を果たすと考える。事例1は明治以降の市民の宗教の枠を超えた活発な文化活動の表れであり、事例2では大正・昭和の時代の商売人の洋風化に対する気概や進取の気運、事例3は江戸期からの建物が改築されながら学生の活動の場となる様な柔軟性が現れている。こうした登録有形文化財を巡り、体験することで彦根城の作った安定した政治システムによる江戸から近代、現代につながる人々の暮らしを知る手立てになると考える。この2年間、地元を再発見する企画が「じもとりっぷ」などの名称で人気を呼び、校外学習の場としても見直されており、高齢化の進む彦根城周辺の隠れた魅力を若い世代に知ってもらう機会ととらえてはどうだろうか。
Ⅶまとめ
今回、身近な登録有形文化財について調べ、訪問先では建物を保護、維持する苦労や古い建物に住みながら季節の移り変わりを感じる日々のいとおしさ等を聴くことができた。文化資産はただそこにあるだけでは朽ちていくばかりである。単なる観光資源としてだけではなく、連綿と続いてきた市民生活の表れとしての登録有形文化財に触れることで地元の文化遺産を受け継ぐ活動ができるのではないかと考える。

  • 1 宇水理髪館正面 2021年2月2日筆者撮影
  • 2 宇水理髪館2階ベランダ 2021年2月2日筆者撮影

参考文献

1)NPO法人スミス会議「スミス記念堂」 https://smith-meeting.com 2021年11月30日閲覧
2)彦根市広報「73宇水理髪館店舗(うみずりはつかんてんぽ)」2011年
   https://city.hikone.lg.jp 2021年11月30日閲覧
3) 彦根市広報「72高崎家住宅主宅(旧川原町郵便局舎)」2011年 https://city.hikone.lg.jp
  2021年11月30日閲覧
4)新井直樹「世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する考察」高崎経済大学地域政
策学会 2008年 https://wwwl.tcve.ac.jp>ronbun11-2>arai▼PDF 2021年12月11日閲覧
服部圭二「世界遺産登録による経済波及効果の分析」 えひめ地域政策研究センター https://www .ecpr.or.jp>pdf 2021年12月20日閲覧
蓮沼奏太「新型コロナウイルス感染症が観光政策に示した課題」 国土交通委員会調査室
2020年10月 https://www.sangiin.go.jp>chousa>backnamber▼PDF 2021年12月22日閲覧
羽生冬佳「コロナ禍で見直される観光の意義-日本センター」立教大学観光学部観光学科
2021年4月 https://www.toshi.or.jp>2021/04>report194_1▼PDF 2022年1月13日閲覧
鈴木達也「不易流行 彦根城世界遺産への道」滋賀県文化財保護課 彦根城世界遺産登録推進室 2021年6月 fuekiryuko.net 2021年12月22日閲覧

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