消えゆこうとする伝統行事を前に ~千秋の盆綱復活から見えるもの~
はじめに
地域における伝統行事の消滅は身近な歴史文化の消滅であり、途絶えてしまうと復活させるのは容易ではない。茨城県には盆綱という盆行事を伝承する地域がある。実施記録が残るものは150集落で、現存は50集落。実に100集落が消滅している〔1〕。その中にあって復活をしたのが龍ケ崎市宮渕町千秋地区の盆綱〔2〕である。本稿では21年もの間途絶えていた「千秋の盆綱」復活の背景について考察する。
1.基本データ
1-1 盆綱について
東関東と九州北部に分布する盆行事で、子供たちが龍や蛇に模した藁綱(盆綱)を曳いて地区の家々を巡行して先祖の霊を送迎する習俗である。旧暦の盆8月13日から15日での実施が多く、綱を引き合う引合型〔3〕も存在する。地域に根差した盆行事でもあってか記録が乏しく、存在自体が忘れ去られている可能性もある。
文化庁では「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」〔4〕としており、茨城県では2019(令和元)年から実態調査を始めている〔5〕。
1-2 千秋の盆綱について
茨城県龍ケ崎市郊外の宮渕町〔6〕の飛地である、戸数35ほどの千秋地区で伝承する子供主体の盆行事である。2015(平成27)年に龍ケ崎市民遺産に登録されるが、狭い地区の盆行事であり知る人は少ない。
発祥時期の特定は難しいが〔7〕、毎年8月13日に行われる。担い手は地区内の小中学生で、龍を模した盆綱に先祖の霊を乗せて各家々を廻る巡行型である。現在の運営は有志の大人たちであるが組織化はされていない。古くから稲作中心の地区であり、綱を龍に見立てることからは水神信仰との繋がりが見てとれるが〔5〕、先祖供養の盆行事として伝承している。
1980(昭和55)年に少子化による担い手不足などで途絶えるも〔8〕、21年経った2001(平成13)年に復活をした稀な存在で、今日まで18年続いている。
2019(令和元)年の参加者は6年生1名と中学生11名、担い手不足を心配した高校1年生2名の参加もあり、計14名であった〔9〕。子供たちは18時頃に出発地点の公民館に集まる。先導の大人2名が2本の松明を掲げて墓地に行き、その後を「わっしょい、がっしょい」の掛け声とともに2時間ほどかけて家々を巡り盆綱を曳き歩く。「がっしょい」は仏様(先祖)への「がっしょう(合掌)」を意味し、祖霊信仰と仏教の重なりを伺える。訪問先での御捻りは昔からの楽しみで、公民館へ戻ると食事会があり、大人たちを含めた地域交流の場となっている。
2.評価―千秋の盆綱復活の背景から
復活の契機は、2001(平成13)年に新盆を迎える家があり、盆綱で供養しようという声があがったことによる。そこには故人に対する発起人の想いがある〔10〕。地区の反応は「やりたい」と「もういい」の両極端だったが、それでも実施したのは「子供同士の触れ合いが薄れる中で、これをきっかけに親同士も含めた地域の繋がりができれば」という考えがあった。しかしそこには「自分たち(発起人や賛同者ら)が子供の頃に経験した(盆綱の)楽しい夏休みの思い出」の再現もあるという〔11〕。
21年もの時を経た復活にも関わらず、「故人を地域で供養する」という盆綱のそもそもの役割を維持していることと、「地域の薄れつつある繋がりを呼び戻す」という新しい意義を見出しているところを評価する。
また、先祖供養の盆行事であるが、主役の小中学生にとっては遊びの感覚が強い。今でこそ大人の手助けがあるが、復活以前は夏休みになると子供たちが毎日公民館に集まり盆綱を作っていた。親の目を離れ、さながら秘密基地の様相であり、学年を越えた交流は学校にないコミュニティを形成する。そこでは一見遊びに似た感覚の中から、先祖供養の大切さや人間関係、稲作に結びつく藁の加工技術など、盆綱が持つ本来の精神を醸成している。この子供主体の特別な時間の体験と共有からは「子ども組」〔12〕の存在を見ることができ、仲間意識や盆綱への想いを強くする「原体験」〔13〕に影響を与えていると評価できる。これらのことからは、復活の原動力が運営有志の「盆綱による楽しい夏休みの思い出」という「原体験」にあることがわかる。
現在参加の子供たちは、盆綱が地域の大切な行事だと認識している〔14〕。それは本来対象でない高校生が、担い手不足を案じて自主的に手伝いに来たことからも伺える。これは盆綱復活に関わった運営有志の大人たちと同じで、盆綱による原体験が息づくからであろう。
3.同様事例としての「大室の盆綱引き」について
茨城県に隣接する千葉県、柏市大室町の田中地区で伝承する盆行事で、柏市無形文化財に登録されている。引合い型が特徴である。1699(元禄12)年からの歴史があり、毎年8月15日に行われ、五穀豊穣と精霊供養の願いがある。
担い手不足などから1997(平成9)年に途絶えるが、2010(平成22)年に13年ぶりに復活する。復活の契機は、当時の大室町会長、豊嶋一郎による「地域コミュニティの再構築」である。地域開発〔15〕によって新住民が増える中、新旧住民の助け合いや、人々の関わりの機会を再考し、地域交流のシンボルとして復活させた。盆綱引きである理由について「他にはないこの町だけのものだから」と述べ〔16〕、歴史ある地域の伝統行事にその役割と意義を見出している。
復活後は誰もが自由に参加できるようになり〔17〕、実施形態も子供の部、大人の部に分けてイベント化され、町主催の年間行事として位置付けられている。形態の変容ついて豊嶋は「一番大切なのは盆綱引きにある精神を変えないこと」〔18〕と述べ、小学校へ働きかけて盆綱引きの意義を伝える取り組みもしている。
4.今後の展望として
千秋地区の4年後は子供たちが小中学校を卒業する。これは子供が主体である盆綱が途絶えることを意味する。しかし運営有志は、地区外から参加者を募ることなどは考えていない。地区の子供が担うことにその意味を考えるからである〔19〕。
途絶えようとする文化を前に何が出来るのか。ひとつはデジタルアーカイブ化である。既に実施済みだが、記憶に頼らない確かなものとなる。しかしこれは盆綱という形式、即ち器の記録である。中身である原体験によって醸成される盆綱の精神は残せるのか。手がかりを大室の盆綱引きに見出したい。
大室の盆綱引きでは途絶えた後に形だけでも残そうと、ミニチュア版盆綱を作って地域の寺院に展示を続けてきた。そこで「子供たちに引かせたい」と要望を受けることになるが、これは復活に踏み切るきっかけにもなっている〔20〕。龍ケ崎市には歴史民俗資料館もあり、このような触れる展示ができるであろう。
笹生衛は「民俗行事の実施は伝統文化の継承と保存に直結する」〔21〕と述べ、小学校の「総合的な学習の時間」〔22〕での教育を提唱しており、茨城県では行方市立北浦小学校の取り組み事例もある〔23〕。実体験することは、千秋の盆綱にあるような原体験を生むことに繋がり、学校教育と地域の連携は実現可能な提案であると考える。
むのたけじは「無理して残さなくていい。ただ、精神だけは伝えなければだめ。そのためには公民館などが、子どもらが経験できるような形で保存する。息を吹き返す可能性もあるんじゃない」〔24〕と述べているが、復活のきっかけを生み出す素地を作る活動になると考える。
まとめとして
運営有志は消えゆこうとする現状にもどかしさを感じつつも、「何とかなっぺぇ」〔25〕とさして深刻に受け止めてはいない。それは昔からの土地柄なのか〔26〕、2001(平成13)年の復活の姿があるからなのか読み解くことは難しい。しかしその盆綱への想いは、特別な時間を経ることで得た原体験によって醸成されており、21年目の復活の原動力としての影響を考えずにはいられない。
伝承とは「文化と情報の伝達の問題である」と鈴木正崇は述べるが〔27〕、地域に根差す盆行事を次世代に伝達するということは、その土地と共にある習俗、言わば土地の文化を紡ぐことである。地域住民にとって盆綱は、見慣れた景色に過ぎないかもしれないが、筆者の様な他所の者にとっては掛け替えの無い景色に映る。その景色が途絶え、消滅することのないように、復活の背景にあった原体験を育む取り組みが続くことと、今を経験している子供たちの21年後にも期待を寄せたいと考える。
参考文献
【註釈一覧】
〔1〕別紙「資料-1 盆綱実施状況」(資料1.pdf)参照のこと。
〔2〕別紙「資料-2 盆綱風景」(資料2.pdf)参照のこと。
〔3〕本稿では盆綱の形態を『伝承文化研究 第16号 東関東の盆綱について』を参考に「綱を携えて集落の一軒一軒を訪れる巡行型と綱引きを行う引合型」のタイプに定義する。遠藤賢司『伝承文化研究 第16号 東関東の盆綱について』、国学院大学伝承文化学会、2019年、p.157。
〔4〕無形民俗文化財選定は東関東の盆綱が2015年3月2日、北部九州の盆綱が2019年3月28日である。文化遺産オンラインHP「東関東の盆綱、北部九州の盆綱」より。最終閲覧:2020年1月20日。
〔5〕茨城県教育委員会HP「東関東の盆綱 総合調査事業」より。最終閲覧:2020年1月20日。
〔6〕龍ケ崎市は人口約7万6千人、宮渕町の人口は約140人。龍ケ崎市公式HP「町丁別常住人口」より。最終閲覧:2020年1月20日。
〔7〕千秋地区の確かな記録はないが、同じ「龍ケ崎市の長峰町には大正の頃に盆綱があった」とあることから、それ以前からあるものと推察できる。龍ケ崎市史編さん委員会『龍ケ崎市史民俗編』、龍ケ崎市教育委員会、1993年3月より。
〔8〕「少子化の他にも、夏休みは勉強をさせたいなど教育に力を入れる家庭や、お盆休みには家族旅行をしたいなど、時代的な背景もあると思うが、地域より家族を優先に考えるようになってきた。」(2020年1月19日 龍ケ崎市教育委員会文化・生涯学習課 糸賀氏(千秋の盆綱運営有志)、龍ケ崎市歴史民俗資料館にてインタビュー)より。
〔9〕2020年1月19日 糸賀氏インタビュー。
〔10〕新盆を迎えたのは「発起人にとっては地域での先輩にあたる方で、世話になったという思いが強かった。発起人の同級生が多かった事もあって『あの頃盆綱があったよな、やってみようか』という流れが出来た」(2020年1月19日 糸賀氏インタビュー)より。
〔11〕2020年1月19日 糸賀氏インタビュー。
〔12〕野村朋弘編『伝統を読みなおす5 人と文化をつなぐもの―コミュニティ・旅・学びの歴史』、藝術学舎、2014年、p.53。
〔13〕本稿では『幼少期の原体験に関する一考察』を参考に「五感を通して記憶の底にいつまでも留まり、その人にとって印象的な出来事として受け止めている幼少期の体験」と定義する。橘田重男『幼少期の原体験に関する一考察』、信州豊南短期大学、2012年3月。
〔14〕「(2019年の盆綱では)『友達と会えたり、地域の人と仲良くなれて、大切な行事だと思うので、伝統を守るために頑張りたい』という子たちもいて、大人が思っている以上にこの行事について考えている事に感動した」(2020年1月19日 糸賀氏インタビュー)より。
〔15〕つくばエクスプレスの開業(2005年)によって「柏たなか駅」が設けられ、他地域からの新住民が増加している。(2020年1月12日 元大室町会長 元実行委員長 豊嶋一郎氏、電話インタビュー)より。
〔16〕「盆踊り大会などはどこの町でもできる。この街でしかできないもの、他では真似できないものを考えると盆綱引きに辿り着いた。一度途絶えた時に、歴史ある行事が消えてしまったことがずっと引っかかっていた。子供の頃に感じた勇壮さを伝えたいと思った」(2020年1月12日 豊嶋一郎氏電話インタビュー)より。
〔17〕復活以前は田中地区の30歳までの長男に限られた参加条件だったが、年齢や性別の枠を外し、健康な人なら誰でも参加できるようにし、装束もTシャツなどになっている。(2020年1月12日 豊嶋一郎氏電話インタビュー)より。
〔18〕「根っこに横たわるものを変えず大切にする。その上で時代に合わせた形式をとって継承を続ける。そうしないとこの行事自体が消滅してしまう」(2020年1月12日 豊嶋一郎氏電話インタビュー)より。
〔19〕「千秋地区内の行事を他の地区の子がやるのもおかしな話になる」(2020年4月10日 糸賀氏インタビュー)より。
〔20〕「地域のお寺である吉祥院に展示をして、展示3年目に地元の子供会から『せっかくなら子供たちに引かせてあげたい』という声がかかり、これが動き出す大きな後押しにもなった。」(2020年1月12日 豊嶋一郎氏電話インタビュー)より。
〔21〕笹生衛『青少年教育プログラムとして見た民俗行事-野外・環境教育との接点と連携について』国立オリンピック記念青少年総合センター研究紀要委員会、2001年3月、p.108より。
〔22〕茨城県教育委員会HP「第5章 総合的な学習の時間」 最終閲覧:2020年1月20日。
〔23〕石川孝明『行方で盆綱 先祖の霊送り届け』茨城新聞、2019年8月14日。
〔24〕むのたけじ『よみがえれ秋田 むのたけじが語る』朝日新聞地方版(秋田)、2008年2月2日より。
〔25〕「何とかなっぺぇ」とは「何とかなるだろう」のことで、この地域の方言である。「今後の伝承について話は出るが、最終的には何とかなっぺぇとなって結論は出ていない」(2020年1月19日 糸賀氏インタビュー)より。
〔26〕地域住民の意識について「この部落の人々はその由来などについてあまり関心を持っていないようだ」と述べられている。上野錦一『千秋の盆綱について』茨城民俗学会、1963年12月、p.39より。
〔27〕鈴木正崇『伝承を持続させるものとは何か 比婆荒神神楽の場合』国立歴史民俗博物館、2014年3月26日、 p.23より。
【参考文献】
・龍ケ崎市史編さん委員会『龍ケ崎市史民俗編』(龍ケ崎市教育委員会、1993.3.31)
・公益財団法人龍ケ崎市まちづくり・文化財団『龍ケ崎市伝統的祭礼調査報告書』(龍ケ崎市教育委員会、2016.3.30)
・茨城民俗学会『茨城の民俗 第1号』(茨城民俗学会、1963.11.30)
・遠藤賢司『伝承文化研究 第16号 東関東の盆綱について』(国学院大学伝承文化学会、2019.7)
・野村朋弘編『伝統を読みなおす5 人と文化をつなぐもの―コミュニティ・旅・学びの歴史』(藝術学舎、2014.12.18)
・橘田重男『信州豊南短期大学紀要29 幼少期の原体験に関する一考察』(信州豊南短期大学、2012.3.1)
・笹生衛『青少年教育プログラムとして見た民俗行事-野外・環境教育との接点と連携について』(国立オリンピック記念青少年総合センター研究紀要委員会、2001.3)
・上野錦一『千秋の盆綱について』(茨城民俗学会、1963.11.30)
・むのたけじ『よみがえれ秋田 むのたけじが語る』(朝日新聞地方版秋田、2008.2.2)
・石川孝明『行方で盆綱 先祖の霊送り届け』(茨城新聞、2019.8.14)
・鈴木正崇『伝承を持続させるものとは何か 比婆荒神神楽の場合』(国立歴史民俗博物館、2014.3.26)
・『盆綱引き13年ぶり復活 柏市大室』(読売新聞、2010.8.10)
・『茨城県内の盆綱実施状況(令和元年7月29日現在)』(茨城県教育庁総務企画部文化課、2019.7.29)
・茨城県教育委員会HP「東関東の盆綱」
https://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/bunkazai/fuuzoku/16-10/16-10.html
・茨城県教育委員会HP「東関東の盆綱 総合調査事業」
https://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/bunspo/bunka/chousa/higashikantou.html
・文化遺産オンラインHP「東関東の盆綱」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/273566
・文化遺産オンラインHP「北部九州の盆綱」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/367367
・文部科学省HP「第5章 総合的な学習の時間」
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/sougou.htm
・龍ケ崎市HP「龍ケ崎市の人口・世帯数 町丁別常住人口」
https://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/shisei/gaiyo/2013081400452.html
【調査協力】
・龍ケ崎市職員 教育委員会 文化・生涯学習課 糸賀勉氏(千秋盆綱運営有志)
・元千葉県柏市大室町会長、元大室盆綱引き実行委員長 豊嶋一郎氏
・龍ケ崎市歴史民俗資料館
・千葉県柏市教育委員会、生涯学習部文化課
・茨城県行方市立北浦小学校