琉球・沖縄における食文化形成の独自性について

檜野 佳央里

1.はじめに
琉球・沖縄では、気候や風土、国家や歴史、民族や宗教等々により多様な食文化が形成・発展している。
そこで本稿では、沖縄本島を中心に琉球國より歴史に深く関わってきた国々による影響を踏まえながら、沖縄県食文化形成の独自性について評価する。

2.沖縄県基本データ
地理的には亜熱帯地方(高温多湿)に位置し平均気温も高いため、食物が腐りやすく、また気象災害の常襲地である(1)。土壌は稲・穀作に向かない(2)。
今日での一般家庭の主な食材は、豚肉、豆腐、島野菜、魚介・海藻類、塩、砂糖、泡盛等(3)である。

3.歴史的背景と食文化
沖縄県の歴史を簡潔にまとめると、(ア)~グスク時代・琉球國初期、(イ)薩摩藩琉球國・琉球藩、(ウ)琉球処分のち大日本帝国沖縄県、(エ)アメリカによる占領・統治、(オ)日本に復帰、となる[資料1]。

それぞれの時代別に見た食文化の変遷について以下にまとめる。
(ア) ~グスク時代・琉球國初期の時代
中国・東南アジアなどと交易を行っていたため、諸国から様々な食文化が伝わった(4)。特筆すべきは中国からの影響である。首里での宮廷料理・菓子をはじめ、医食同源思想(5)も伝わった。今日でも日常的に食され、琉球料理として人気のあるラフテーは宮廷料理の代表例である。
野國總管(生没年不詳)が中国から芋を持ち帰り普及させた(6)。
(イ) 1609年-1879年 薩摩藩琉球國・琉球藩の時代
薩摩藩は、かつおぶしや昆布などを琉球から中国などへ輸出を始めた(7)。これらが琉球でも流通したことで、これらを利用する食文化が生まれた(8)。今日でも沖縄県のかつおぶし消費量が全国一位(9)であり、沖縄県では昆布が取れないにもかかわらず昆布消費量が全国上位に位置している(10)のは、この時代に定着した食文化が今もなお生きているという証明である。
また、中国から伝わった菓子に日本菓子の影響を受け、琉球独自の菓子「ちんすこう」が生まれたりなどもした(11)。
(ウ) 1879年-1945年 琉球処分のち大日本帝国沖縄県の時代
WW(世界大戦)I後の好景気からしばらくして戦後恐慌が発生し、当時の主食でありよく普及していた芋ですら確保できないような状況に陥ってしまった。適切に毒抜きを行えば食すことが可能であるとはいえ、本来有毒性であるソテツという低木を食べ、飢えを凌ぐほどの状態であった(12)。そのため、新たな食文化は生み出されなかったが、古来より続いていた食文化は滅ばなかった。
(エ) 1945年-1972年 アメリカによる占領・統治時代
戦後も食糧難状態が続き、食糧は米軍の配給に依存していた(13)。ランチョンミート(スパム。通称ポーク)などが配給されたことで、ポークたまご、ゴーヤーチャンプルー、スパムおにぎりなどの料理が生まれ(14)、これらは今日でも日常的に食され続けている。
アメリカの、ブルーシールアイスクリーム(15)や、ファストフード店であるA&Wが進出してきたり(16)、オリオンビール株式会社が設立された(17)りなどもした。
(オ) 1972年、日本に復帰後の沖縄県、今日まで
日本米の流通が盛んに行われ、タコライスが誕生した(18)り、庶民の間でも米食が始まった。そのため、かねて主食を担っていた芋はその座を追われることとなり(19)、生産量も減少した。そこで、紅イモの主要生産地である読谷村は、生産量の激減に危機感を覚え、官民が一体となり紅イモの生産の強化・加工品の開発に取り組んだ(20)。また同時に観光ブームとなったことで、紅いもタルトは一躍有名になった。
前述したランチョンミート缶など(21)に加え、ツナ缶なども一般的になり、魚介の缶詰の消費額は連年全国一位を記録し続けている(9)。全体的に缶製品などの加工食品の摂取量が多い傾向にあるといえる。

以上、それぞれの時代に入ってきた食品によって新しい料理・食文化などが形成され、それらは今もほぼ変わらず食され続け、受け継がれているといえるだろう[資料2, 3]

4.国外事例との比較
国外の食文化形成について、ブラジルとカナダについて述べる。
ブラジルはかつてポルトガルの植民地であった(22)。ポルトガルはブラジルに存在していなかった野菜や樹木(果物)を持ち込み栽培した(23)。それらの食材を用いたり、ポルトガルから伝わってきた料理が各地域で独自にアレンジされながら今日に伝わり、食べられてきている(24)。ブラジル先住民の料理も点在する(25)が、ブラジル北部で日常的に食されているTacacá(26)という料理を除き、ほとんど食べられることは無くなっている。

カナダは15世紀頃にやってきたフランスとイギリスに土地を奪われ続け、昔はフランス植民地域、イギリス植民地域と分かれていたが、持ち込まれた病気などで多くの先住民の命が消えた。そのため、先住カナディアンの料理はほとんど消失している(27)。

よって、両国とも先住民の伝統的な食文化・料理は、ほぼ淘汰されてしまい現代に引き継がれていない。今日の彼ら(侵略者)の食文化は「占領・植民地化の結果、先住民文化と混ざり合った侵略者のもの」であると言うことが出来るだろう。

5.今後の展望
2019年には『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』が日本遺産に認定される(28)など、沖縄県の食文化はしっかりと認められ始めている。
しかしながら、伝統的な琉球料理に代わり食卓の洋食化が進みはじめ、若い世代を中心に琉球料理を作れない県民が多くなり、伝統的な食文化が失われつつある。
この状況の改善のためには食文化の保存・普及・継承が望まれる(29)が、低賃金(30)や雇用の不安定さ(31)等の理由により、時間の捻出が難しく実現は困難を極めている(32)。よって、将来的にも洋食化は進んでいくと考えられる。
これらの問題を根本的に解決するためには、かねてより遅れている沖縄県の整備や日本との格差是正の改善が第一に求められるといえるだろう。日本へ復帰した1972年より実施されてきている沖縄振興計画(33)の「沖縄21世紀ビジョン基本計画」は、現在最終期に達しており、2021年に期限を迎える。沖縄県企画部企画調整課によれば、「4月以降に新たな計画の策定作業を行う予定であり、そのために現計画の課題を洗い出す総点検作業を実施している最中である。新たな計画では諸々の課題について更なる改善をしていきたい」としている。

6.まとめ
多くの沖縄人にとって食事とは「絆を深める・再確認しあう」ためのツールでもあり、沖縄では家族・親戚間(かなり遠戚まで)の結びつきをとても大切にするため、行事などの集まりを熱心に行うが、その行事そのものは各々の家庭にあったスタイルで比較的自由に行っている場合が多い。これは日本本島人やアメリカ人などの異文化人の親戚が存在することが多いため、それらの異文化対応を含めた結果といえるだろう。
そのような柔軟性は彼らの食文化形成の歴史にも見ることが出来る。述べてきたように、中国菓子と日本菓子を融合させた独自の新たな菓子である「ちんすこう」を作り上げたことや、完全に外来のものである「昆布」などを食文化に巧みに定着させたことなどから、疑う余地は残されていない。これらと共に、琉球王朝時代の伝統的な宮廷料理ですら今日に受け継ぎ、日常的に食しているという事実は、4項にて述べたブラジル・カナダと全く異なる点である。
彼らは「日本人であり、沖縄(琉球)人である」という意識・アイデンティティを強く持っているため、現在も伝統的な文化を保持することができているのではないだろうか。彼らはその上で、柔軟性を常に持ち続け、変革に対応することを強いられながらも、かねてよりの開放的な外交的精神を元に、異文化を吸収し、うまく適応・適用・発展させ受け継いできた。またその能力を有していると考えられる。
独自の食文化を形成してきた沖縄(琉球)人には、彼らの文化を残してほしい。

  • 1_%e8%b3%87%e6%96%991%e3%80%80%e7%ad%86%e8%80%85%e4%bd%9c%e6%88%90 [資料1] 筆者作成
  • 2_%e8%b3%87%e6%96%992%e3%80%80%e8%91%97%e8%80%85%e4%bd%9c%e6%88%90 [資料2] 著者作成
    写真:
    I ラフテー (2020年1月 沖縄の友人撮影)
    II テビチ (2020年1月 著者撮影)
    III ミミガーとキュウリの和え物 (2018年7月 著者撮影)
    IV かぼちゃパウダー、紅イモパウダー、よもぎパウダーで作った白玉 (2019年9月 著者撮影)
    V 芋くずとタピオカ粉で作られた黒糖味のくず餅 (2019年9月 著者撮影)
    VI 黒糖 (2020年1月 沖縄の友人撮影)
    VII 島豆腐 (2020年1月 沖縄の友人撮影)
    VIII ジーマーミー豆腐 (2018年7月 著者撮影)
  • 3_%e8%b3%87%e6%96%993%e3%80%80%e8%91%97%e8%80%85%e4%bd%9c%e6%88%90 [資料3] 著者作成
    写真:
    IX 右上ゴーヤーチャンプルー、右下イナムルチー (2018年7月 著者撮影)
    X 中心の皿の左下、ランチョンミート (2019年9月 著者撮影)
    XI 釣ったグルクマ (2019年9月 著者撮影)
    XII グルクマ (2019年9月 著者撮影)
    XIII バナナとパッションフルーツ (2018年7月 著者撮影)
    XIV ドラゴンフルーツ (2018年7月 著者撮影)
    XV マンゴー (2018年7月 著者撮影)
    XVI ブラジル、リオデジャネイロ居住、ポルトガル系ブラジル人宅のNew Year dish (2020年1月 ブラジルの友人撮影)
     上段、左から、Bacalhoada, Escondidinho de bacalhau, Maionese, Farofa
     下段、左から、Bolinho de bacalhau, Carne assada
     バカリャウ(Bacalhau)が使われている料理が3つある
    XVII プーティン (2020年1月 著者撮影)
    XVIII ロシア、サンクトペテルブルグ居住、ネイティブロシア人との文化交流 (2017年12月 著者撮影)
     -I ボルシチとライ麦パン
     -II うどん(著者が現地で友人と麺から自作)
    XIX 清明(シーミー)料理 (世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムにて 2019年9月 著者撮影)
      重箱(おかず:9品・餅:15個入り
      …料理の品目や戸数は奇数にする)
    XX アブシバレーの供え物 (世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムにて 2019年9月 著者撮影)
      カラマチ(巻)ポーポー
    XXI 盆の供え物 (世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムにて 2019年9月 著者撮影)
      旧盆料理・グーサンウージ(サトウキビ)・線香・ウチカビ
    XXII 十五夜の供え物 (世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムにて 2019年9月 著者撮影)
      ふちゃぎ
    XXIII トゥンジージューシー(冬至雑炊) (世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムにて 2019年9月 著者撮影)
    XXIV サキムイ(結納)祝いの品 (世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムにて 2019年9月 著者撮影)
      マチカジ・サーターアンダギー・カタハランブー

参考文献

《注釈》
(1) 気象庁 沖縄気象台「沖縄本島地方の気候」
http://www.jma-net.go.jp/okinawa/know/kaiyo/tenko/hontoukikou.html(2020年1月28日閲覧)

(2) 国頭マージは赤土で通気性が悪く、酸性土壌のため。島尻マージは石灰岩土壌であり水はけがよく、干ばつ気味であるため。
 内閣府沖縄総合事務局 農林水産部農村振興課「沖縄の自然環境、3.土壌」
http://www.ogb.go.jp/o/nousui/nns/c1/page3-3.htm(2020年1月28日閲覧)

(3) 塩はシママースが多く、他にも醤油、味噌、酢などの調味料、また芋や田芋などの特徴的な芋類や、一般的にいわれる南国の野菜やパイナップルなどの果物、二次加工品ではランチョンミート缶、スープ缶やツナ缶などがよく消費されている。オリオンビールやさんぴん茶、ブルーシールアイスクリームなどの購入、また外食なども多い。

(4) 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「3-1-1 繁栄への布石 ―第一尚氏」「3-1-4 アジアとの貿易」(2019年9月13日訪問)
 この時代に伝わってきた中華麺により「沖縄そば」が誕生したという説もある。当時は小麦粉が高価だったため、沖縄そばは宮廷料理に属していたといわれる。中国菓子も伝わり、「サーターアンダーギー」は「開口笑」、「クンペン」は「光餅」、にそれぞれ由来した菓子ではないかといわれている。詳しい時期は不明だが、甘く煮た金時豆の上にかき氷をかけた「沖縄ぜんざい」のルーツと言われている、大麦や緑豆を黒糖で煮た粥のような冷製菓子「あまがし」の由来であろう中国の「八寶粥」や「緑豆湯」も伝わったとされる。
 また、蒸留酒の製造技術をタイから持ち帰ったとされ、泡盛が造り始められた。
 沖縄県 文化観光スポーツ部 文化振興課「日本遺産認定!『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』」
https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/bunka/2019nihonisan.html(2020年1月28日閲覧)

(5) この料理・食品などを総じて琉球語で「クスイムン」という。
 琉球新報「クスイムン」
https://ryukyushimpo.jp/okinawa-dic/prentry-41171.html(2020年1月28日閲覧)

(6) 嘉手納町役場 建設部 甘藷伝来400年祭課「野國總管コーナー、7.野國總管から学ぶもの・社会貢献」
http://www.town.kadena.okinawa.jp/kadena/soukan/soukancorner/07.html(2020年1月28日閲覧)

(7) 九州方面で製造したかつおぶしや、富山等の中継地点を経て北海道産昆布を、琉球を経由して中国などへ輸出している。

(8) かつおぶしは出汁をとるために使われ、昆布はクーブイリチーのように調理しそのまま食べることが多い。

(9) 総務省統計局「調査結果家計調査(二人以上の世帯) 品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(2016年(平成28年)~2018年(平成30年)平均)、魚介類(エクセル:144KB)」
https://www.stat.go.jp/data/kakei/5.html(2020年1月28日閲覧)

(10) 総務省統計局「調査結果家計調査(二人以上の世帯) 品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(2016年(平成28年)~2018年(平成30年)平均)、乾物・海藻,大豆加工品等(エクセル:81KB)」
https://www.stat.go.jp/data/kakei/5.html(2020年1月28日閲覧)

(11) 中国へ渡り修行した琉球料理人が帰国し、中国菓子と薩摩藩によってもたらされていた日本菓子から着想を得て、独自の新たな琉球菓子として作り出されたといわれている。
 また、さんぴん茶(中国茶)も大量輸入され、流通し始めた。

(12) この事象・状態を「ソテツ地獄」と呼んだ。
 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「昭和恐慌と沖縄 6-2-2「ソテツ地獄」と移民」(2019年9月13日訪問)

(13) しかしそれも十分ではなく、「戦果」と呼ばれる、米軍の食糧集積所に忍び込み食糧を盗んでくることなども横行した。盗んだものは貧しいものたちに分け与えられた。
 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「「戦果」と密貿易の時代 7-1-1 ゼロからの出発 ―アメリカ世」(2019年9月13日訪問)

(14) ランチョンミートは缶から出してカットし、油を敷いたフライパンで焼かれて使われる。他にも、味噌汁、ポーク(ランチョンミート)カレーなどにも使用される。
 また、米軍基地周辺にはステーキ専門店や飲食店を生業とする沖縄人も現れ、沖縄人の間においても外食文化が形成され始める。

(15) 1948年、ブルーシールアイスクリームの製造会社である「フォーモスト・ブルーシール株式会社」が米軍基地内に進出。1963年に会社拠点を基地外に移したことで、高価ではあったが民間人への門戸を開き、沖縄の代表的なアイスクリームブランドへと成長していく。
 BLUE SEAL「BLUE SEAL History」
https://www.blueseal.co.jp/history/(2020年1月28日閲覧)

(16) 進出年度は1963年。そのフランチャイズの同じくファストフード店である「ジェフ沖縄」も一部の店舗などでは、アメリカンスタイルのドライブインがあることが特徴的である。指定の駐車場にはスペースの間にメニュー盤と通信機が設置されており、その通信機で注文をし、完成した品物を店員が駐車場に手渡し、その際に会計を終えるというシステムであり、客は車から一切出る必要がない。車内でそれを食し終えたあと駐車場を離れるのが一般的である。
 A&W「エイアンドダブリュアーカイブス VOL.1」
https://www.awok.co.jp/history/awarchives01/(2020年1月28日閲覧)

(17) 1957年、現「オリオンビール株式会社」である「沖縄ビール株式会社」が設立された。
 オリオンビール「会社沿革」
https://www.orionbeer.co.jp/company/history2.html(2020年1月28日閲覧)

(18) 1984年頃、金武町のキャンプハンテン前の飲食店「パーラー千里」で誕生。
 琉球新報「創業31年「千里」惜しまれ幕 タコライス考案、金武の老舗」
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-245848.html(2020年1月28日閲覧)
 バブルと共に円高になったため、米軍人が安くボリュームのある外食ができないかと考え出された。

(19) 戦前にも米は栽培されていたといわれ、ジューシーなどは存在していたが贅沢品であり、庶民の主食は芋であった。主食が米に切り替わっていったのは1972年頃からとみられ、今日ではかつて芋が主食であったという概念が薄れてきているほど、米が普及し主食となっている。
 沖縄タイムス+プラス「沖縄県医師会編[命ぐすい耳ぐすい](1000)肥満・糖尿病と食事 玄米や雑穀を主食に」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/17623(2020年1月28日閲覧)

(20) 沖縄県読谷村役場 農業推進課「パープル スウィート ポテト」
https://www.vill.yomitan.okinawa.jp/beni-imo/09_date/pdf/sweet.pdf(2020年1月28日閲覧)

(21) また、コンビーフ、キャンベルのスープ缶なども普及した。

(22) ポルトガルはブラジルに砂糖・コーヒー農場などを作り、ブラジル先住民を奴隷とし、またアフリカ人奴隷もブラジルに連れてきて労働させた。

(23) 主なものは、ジャックフルーツ, Conde Fruit, ココナッツ、マンゴー、キャベツ、きゅうり、レタス、たまねぎ、ニンニク、スパイスやハーブなど。今日ではそれらがブラジルの一般的な食材になっている。

(24) それらのポルトガル料理を由来としてブラジル土着の食材などを用いて考えられた料理や、ポルトガル人によって連れてこられたアフリカ人奴隷の自国文化が混ざった料理などもある。

(25) リオデジャネイロでは、Beiju(タピオカ粉で作られた生地をクレープ状に焼き、ココナッツ、ドライミートまたはチーズなどのフィリングを包んで食べるもの)やMoqueca de peixe(魚をトマト、エビなどと煮込んだもの)をみることができる。

(26) チコリー、ニンニク、チリ、食べると口が痺れるジャンプーの葉、キャッサバの根から抽出されるチコピーというソースでエビを煮たスープ。

(27) 先住民への差別・迫害は凄まじく、1840-1870年頃から1990年頃にかけてあらわれたインディアン寄宿学校に通うことを選択した先住民は文化・言語・宗教などをヨーロッパ風に変えることを余儀なくされたことで先住民としてのアイデンティティを失った。
 そのため占拠地域などに関わらず現在の食文化は似通っており、先住民も食していたメープルシロップやナッツ等の食材に関しては今日でもよく食べられている。

(28) 沖縄県 文化観光スポーツ部 文化振興課「日本遺産認定!『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』」
https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/bunka/2019nihonisan.html(2020年1月28日閲覧)

(29) 沖縄県「平成29年度 沖縄食文化実態調査」
https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/bunka-sports/bunka/documents/syokubunkatyousa.pdf(2020年1月28日閲覧)

(30) 厚生労働省「地域別最低賃金の全国一覧」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/(2020年1月28日閲覧)

(31) 沖縄タイムス+プラス「沖縄の非正規労働者、過去最多25万3800人 割合43%は全国一」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/283567(2020年1月28日閲覧)

(32) 時間の不足のために出汁をとる必要がない洋食、缶製品、外食、交通には車、というように、簡単で早いものを選び取る他ないのが現状である。

(33) 内閣府「沖縄振興の仕組みについて」
https://www8.cao.go.jp/okinawa/siryou/singikai/senmoniinkaigou/1/01-04.pdf(2020年1月28日閲覧)
 内閣府「沖縄振興計画」
https://www8.cao.go.jp/okinawa/3/32.html(2020年1月28日閲覧)

(34) 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「3-1-4 アジアとの貿易」「2-1-4 王城としての首里城」(2019年9月13日訪問)

(35) 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「進貢貿易を担った久米村 4-1-3 北京への琉球使節(唐旅)」(2019年9月13日訪問)

(36) 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「4-1-1 薩摩による侵攻と琉球支配」「4-2-1 唐・大和の御取合(交流・交際)」(2019年9月13日訪問)

(37) 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「羽地朝秀(向象賢)の行政改革 4-3-1 王府の政策」(2019年9月13日訪問)
 那覇市観光資源データベース 那覇市経済観光部観光課「羽地朝秀生家跡」
https://www.naha-contentsdb.jp/spot/446(2020年1月28日閲覧)

(38) 衆議院「沖縄戦の強制集団死(「集団自決」)をめぐる文部科学省の検定意見に関する質問主意書」
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166474.htm(2020年1月28日閲覧)
 衆議院「衆議院議員赤嶺政賢君提出沖縄戦の強制集団死(「集団自決」)をめぐる文部科学省の検定意見に関する質問に対する答弁書」
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166474.htm(2020年1月28日閲覧)
 日本経済新聞「沖縄集団自決、軍関与認めた判決確定 大江さん側勝訴」
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2202C_S1A420C1CC0000/?at=DGXZZO0195583008122009000000(2020年1月28日閲覧)

(39) 旧海軍司令部壕「旧海軍司令部壕資料館、大田實司令官の電文、原文、現代文」
http://kaigungou.ocvb.or.jp/shiryokan.html#denbun(2020年1月28日閲覧)

(40) 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「パスポートの話」
https://okimu.jp/museum/column/088/(2020年1月28日閲覧)

(41) 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「7-1-2 基地と復興」「土地接収と島ぐるみ闘争 7-1-3 「復帰」への道のり」(2019年9月13日訪問)

(42) 防衛省・自衛隊「在日米軍施設・区域の状況、在日米軍施設・区域(専用施設)面積」
https://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/us_sisetsu/(2020年1月28日閲覧)

(43) 沖縄県アグーブランド豚推進協議会事務局(沖縄県庁畜産課内)「琉球在来豚「アグー」ってどんな豚?、由来」
http://okinawa-agu.com/how_origin.html(2020年1月28日閲覧)

(44) 沖縄県アグーブランド豚推進協議会事務局(沖縄県庁畜産課内)「沖縄アグー豚の登録申し込みについて」
http://okinawa-agu.com/registration.html(2020年1月28日閲覧)

(45) 沖縄県アグーブランド豚推進協議会事務局(沖縄県庁畜産課内)「琉球在来豚「アグー」ってどんな豚?、肉質」
http://okinawa-agu.com/how_meat.html(2020年1月28日閲覧)

(46) 嘉手納町役場 建設部 甘藷伝来400年祭課「野國總管コーナー、29.近代沖縄における甘藷の名称と改良(3)」
http://www.town.kadena.okinawa.jp/kadena/soukan/soukancorner/29.html(2020年1月28日閲覧)

(47) 沖縄県読谷村議会「「イモの日」宣言決議」
https://www.yomitan.jp/beni-imo/09_date/pdf/days-of-imo.pdf(2020年1月28日閲覧)

(48) 株式会社 青い海「シママースの歴史」
https://www.aoiumi.co.jp/?page_id=15(2020年1月28日閲覧)

(49) 沖縄タイムス+プラス「島人の宝・塩(マース)~沖縄の製塩の歴史~」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/50306?page=2(2020年1月28日閲覧)

(50) 内閣府沖縄総合事務局「沖縄ミニ経済レポート vol.3 島豆腐に関する調査等ついて」
http://www.ogb.go.jp/-/media/Files/OGB/Soumu/sinkou/shinki/kijimunaa/nahamachi3_hontai.pdf(2020年1月28日閲覧)

(51) 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)「旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘) 3-1-1 繁栄への布石 ―第一尚氏」(2019年9月13日訪問)

(52) 浦添市役所 福祉健康部 健康づくり課「沖縄重箱の栄養成分」
https://www.city.urasoe.lg.jp/docs/2014120100098/(2020年1月28日閲覧)

(53) 世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアム「年中行事」(2019年9月19日訪問)


《参考文献・ウェブサイト》
 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)
 世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアム

 伊波勝雄『平成甘藷考 : 野國總管を中心に』第一資料印刷、2019年。
 新城俊昭『見て観て考える図説琉球・沖縄』若太陽文庫、1999年。

 沖縄県立総合教育センター「琉球文化アーカイブ」
http://rca.open.ed.jp/(2020年1月28日閲覧)
 嘉手納町役場 建設部 甘藷伝来400年祭課「野國總管コーナー」
http://www.town.kadena.okinawa.jp/kadena/soukan/soukancorner/index.html(2020年1月28日閲覧)
 読谷村役場「資料館」
https://www.vill.yomitan.okinawa.jp/beni-imo/09_date/09_date.html(2020年1月28日閲覧)
 沖縄県アグーブランド豚推進協議会事務局(沖縄県庁畜産課内)
http://okinawa-agu.com/index.html(2020年1月28日閲覧)
 沖縄県公文書館
https://www.archives.pref.okinawa.jp/(2020年1月28日閲覧)


《謝辞》
 本稿の執筆にあたり、代々の沖縄(琉球)人である友人及びその一家、またブラジル人・カナダ人・ロシア人の友人、沖縄県読谷村役場、沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)に多大なご協力をいただいた。そして世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムに、撮影した資料写真の掲載許可を頂くことができ、本稿を完成させることが出来た。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

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