泉州伝統野菜(1)「水なす」(2) ―新しい農家のかたち 北野農園 地域と共に―
1 はじめに
日本は江戸時代まで農業社会であった。当時の人口の76.4%は農民であり自給自足の生活をしていたが、現在の人口1億2千万人に対して農民はわずか3.2%である(表1.2)。
農家の減少と高齢化は、我が国が抱える重大な問題のひとつである。泉州地域も同様でこの事例に基づき、地域が誇る「泉州水なす」の食文化、歴史、気候風土、生活実態、地形の研究をした際、若き農家のリーダーのひとりと出会った。
本稿は、水なす歴史研究家でもある北野忠清氏がデザインする「水なす」と「新しい農家のかたち」について考察する。
2 基本データ
名称 北野農園
代表 北野忠清 昭和58年生
所在地 大阪府貝塚市海塚173 南海電鉄貝塚駅 徒歩3分
農地面積 1.5ha (3)
水なす収穫量 年間 5.6t (4)
水なす出荷期間 3月下旬~9月
水なす加工品 糠漬け・ 液漬け・じゃこごうこ(5)・お吸い物もなか (資料1)
従業員 父母 妻 スタッフ2名
独立したスタッフ 2014年から5名
3 歴史的背景
日本の茄子の歴史は奈良時代まで遡り、中国から来たインドの僧によって「奈須比」として伝わって来た。天平6年(734年)「茄子」についての記述は平城京の遺構から発掘された木簡に、複数の記録が東大寺正倉院文書に残っている。
大阪泉州地域の水なすの歴史は、室町時代の文献である『庭訓往来』(資料2)に沢茄子と書かれている事から、貝塚市沢地域が発祥と言われてきたが確証はされていない。
忠清氏の研究によると、現在の水なすは明治時代に泉州地域の浜手地区で栽培されていた巾着型の水茄子に始まり、大正時代には中長系の水茄子が山手地域で盛んに栽培された。当時の水茄子は味が絶品であったが漬けると色が悪く、昭和30年頃に巾着型の水茄子を母体とした品種改良により現在の色の濃い「泉州絹皮水茄子」となった(6)。
ここ泉州地域(7)(資料3)は、清水が湧き出た事に由来し、和泉の国(いずみのくに)と呼ばれ水との関わりが深い地域である。又、和泉山脈に囲まれ大阪湾の塩分が地下水に程よく混じり水分を保つ土壌と温暖な気候に多く点在する溜池(8)(資料4)が水なすの栽培に適していたとされる。逸話として、初代土佐藩主が参勤交代の際、岸和田城で朝食の茶粥と一緒に出された水なすがあまりに美味しくその苗を持ち帰ったが育たなかったと伝えられている。
現在の水なすは、「水なすの浅漬」として化粧箱に納められ、東京の有名百貨店では1個800円の高値で売られている。しかし泉州地域では昭和40年頃まで大抵の家庭に糠床があり、水なすは庶民の素朴な漬物であった。金気を嫌い手で縦に裂いて食す水なすは、瑞々しく灰汁の無いまるで果物の様である。生で食べることができる珍しい茄子は、水とのつながりの深い地域にふさわしい特産物と言える。又「水なす大和川を超えず」(9)といわれ、以前の水なすは皮が薄く繊細であったことが地域に留まった理由のひとつとされる。しかし近年の保存技術、加工技術とクール便等の輸送技術の発達により徐々に全国へと広まった。
4 北野忠清氏の活動と評価
忠清氏は大学卒業後、IT企業でサラリーマンをしていたが、2008年に会社を辞め家業を継いだ。理由は北野家の長男としての責任は言うまでもないが、ブランド化した水なすの栽培が高収入であることが要因だ。家長である祖父は「余計なことはするな、畑にだけ出ていればよい」と昔ながらの農家のスタイルを強いたが、朝早く畑に出て働いたあと夜中になってから家族に隠れて水なすのインターネット販売方法を研究した。農家の家族は早朝から夕暮れまで只働き同然で人権も自由もなく家長の言いなりであると言う。
忠清氏は水なすが朝露にキラキラ光る光景を土の上に立ち見られることに感謝し、金儲けだけではなく地域の発展を願い貢献したいと瞳を輝かせて話してくれた。
評価する点 1
農地を持たない若者を農人に育てる
北野農園は、ハローワークを介し未経験者でもやる気のある若者を雇っている。採用の条件は社会性を重要視し仲間と気持ちよく働くことが出来るコミュニケーション能力を求めている。農人として育て独立を希望する人には、後継者のいない農家と借地交渉をしている。これは日本の農地法(10)が大きく影響している。その理由として貸す側は畑の復活と農地の税金で地代を得ることが出来、借る側は農業で独立できる。双方にとって利点をもたらすからである(11)。本来は国や行政の仕事ではあるが、これもまた地域へのお返しであると忠清氏は考えている。そうすることで、農園スタッフもそれぞれの前職を活かし能力を発揮している。
例えば2018年9月に泉州地域を襲った台風21号で農園のビニールハウスが全壊した際に、スタッフの提案でクラウドファンディングが立ち上げられ寄付金で再興することが出来た。そしてそれを偶然に見た、世界に美味しい日本米を届ける事をモットーとしている株式会社Wakka Japan (12)、小林かおり氏が同郷のよしみでボランティアに参加し、それが縁となり、茄子のフリーズドライ化の研究のすえ完成させた「大阪お吸い物もなか」(写真1.2)がニューヨークの和食ブームと相まって今ではニューヨーカーに愛されている。
評価する点 2
北野忠清氏の作る水なすは瑞々しく美味しい
水なす栽培は3種類の方法がある(13)(写真3)。
北野農園は主にビニールハウス栽培である(写真4)。
現在水なす農家の減少は残念なことではあるが、逆に溜池の水を十分に使え水なすは益々美味しくなったと忠清氏は言う。
水なすは水だけで育てると言っても過言ではなく8時間も水を与え続ける。
北野農園は、僅かの化学肥料で「ケチケチ栽培」を行い、余計なものは与えずひたすら水だけで育てている。また枝木の手入れを丁寧にする事も美味しい水なすを作る秘訣だと聞いた。その甲斐あって農協での品評会において、高級な肥料で育てられた水なすよりも美味しいと評価された。北野農園の目標は美味しい水なすを作ることにある(写真5)。
5 行政の関り「有田みかん」との比較
「有田みかん」は和歌山県有田市が400年以上の歴史と伝統を誇るみかん栽培からなる。その起源は諸説あるが、本格的な開始は江戸初期に紀州藩の庇護の下行われ温暖な気候と、地域の努力によって生産量日本一となった。
泉州水なすとの共通点は、地域が誇りとするブランドものを作っていることであるが、最も決定的に相違する点は行政と農家の関わりであると考察する。
なぜならば、有田市は高齢者にとってみかん栽培がきつい作業であるなどの理由から、規模の縮小を考え後継者不足に悩んでいる農家のために株式会社リクルートに援助を依頼した。有田市役所にはみかん課が存在し、市が一丸となってみかん農家をサポートしている。だが一方の泉州地域の市町村は同様な地域ブランドを掲げているにも拘わらず、水なすに対する民間企業へのサポート依頼やバックアップなど特別なことは行っていない。
しかし忠清氏は企業がサポートに入ると農家は効率重視の農業などを求められ、自分たちの目指す農業と方向性の違いが生じる可能性を指摘する。
6 今後の展望
日本農業の根底に村社会が大きく関わってきた。集落に基づき形成され有力者を頂点とした支配体制 にあって、それに纏わるしきたりやそれを破ると村八分などの悪習もあった。しかし実行組合や水利組合は農道・里道などの道つくり、川や溝さらえなどの用水路の管理補修、共有財産である溜池管理などの活動をし、共同体として歯車は回っている。
農家は個人事業者ではあるが、農業は一人ではできない。地域の協力と信頼で成り立っていると考察する。
今後の展望として、忠清氏がデザインする新しい農人が水なす栽培で多くの収入をもたらし、自分たちの育てた農作物が、日本人の生きる源となる責任と誇りを持つことは素晴らしい。また自然が相手の厳しい職業であることから子供のころ農家に生まれたことが嫌であった人も多いが、日本の将来を担う子供たちが、なりたい職業に農業と言ってもらえるような日が来ることを願っている。
参考文献
参考文献
近畿農政局大阪農政事務所 編集・発行 『がんばれ大阪南部地域農業』 2007年
大阪府農業会議 編集・発行 『大阪府農業史』 1984年
山下一仁 著 『日本農業は世界に勝てる』 日本経済新聞出版社 2015年
木村秋則 著 『百姓が地球を救う』 東邦出版 (株) 1912年
楜澤能生 著 『農地を守るということはどういうことか』 農文協 2016年
内田 樹 著 『「農業を株式会社化する」という無理』 光の家協会 2018年
髙橋信正 著 『やっぱり おもしろい 関西農業』 昭和堂 2012年
網野善彦 著 『日本の歴史をよみなおす』 ちくま学芸文庫 2005年
泉州地域政策課題研究会 公益財団法人堺都市政策研究所
「泉州地域の地域プロジェクトに関する調査研究」
食の地域ブランドによる観光振興・地域活性化 報告書 平成26年3月
農林水産省知的財産戦略チーム
農林産物地域食品の地域のブランドの現状と課題
大阪府農林技術センター研究報告 第38号 平成14年3月
地域特産野菜「水ナス」需給構造と産地の課題 内藤重之
近畿農政局 プラスアルファ―の発想で農業に取り組む 貝塚市 北野忠清さん
農林水産省近畿農政局生産経営流通部農産課
近畿地域における 地域ブランド化に向けた取組事例 平成21年7月
参考web page
政府統計の総合窓口 人口推計 https://www.e-stat.go.jp/
北野農園 HP www.kitanofarm.com
貝塚市立自然遊学館 https://www.city.kaizuka.lg.jp/shizen/tayori/index.html
株式会社Wakka Japan http://tawaraya-rice.jp/
有田市 HP https://www.city.arida.lg.jp/shisei/soshiki/soshikilist/1001380.html
岸和田市HP http://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/36/danjiri-kaikan.html
マイナビ農業 agri.mynavi.jp
すべてのweb は閲覧最終日2020年1月27日とする。
註釈
(1) 伝統野菜には明確な定義がなく、農林水産省によるとその土地で古くから作られてきたもので採取を繰り返す中でその土地の気候風土に合った野菜として確立できたものである。
なにわ伝統野菜は大阪府が2005年に認定したもので18品目ある。水なすは第1号の称号を授与されたこともあるが現在は入っていない。
(2)「水なす」は泉州のブランド名称であり平仮名で表す。
(3) 1㏊ = 100a 1a=1m² 1㏊=10000m² サッカーコート(0.714ha)が約2面
(4) 毎年約3500本の木を所有する(1本の木から約80個の茄子ができる 1個=200g)
(5)泉州郷土料理であるじゃこごうことは、じゃこはエビの雑魚、ごうこはお新香を「こうこ」をいう。塩出しした水なすの古漬けとじゃこエビを醤油味で炊いたものである。
水なすの古漬けは夏に採れた水なすを長期保存するため塩分の濃い糠で漬けこむ。
ザーサイのようにチャーハンに入れると美味しい。
北野農園への取材にて(2019年9月7日)
(6) 新潟県で栽培されている黒十全茄子や梨茄子などは、泉州地域の水茄子がルーツと言われている。忠清氏は毎年新潟県を訪れて交流を重ねている。
(7)大阪泉州地域は堺市・高石市・泉大津市・和泉市・忠岡町・泉大津市・岸和田市・貝塚市・泉佐野市・熊取町・田尻町・泉南市・阪南市・岬町の9市4町からなる。
水なすは主に岸和田市、貝塚市、泉佐野市、熊取町、田尻町、泉南市、阪南市で栽培される。
(8)溜池について
溜池は本来、水の確保が困難で降水量が少なく、流域に大きな河川に恵まれない地域に
農業用水を確保する目的で人工的に造られた池のことである。全国で約21万箇所あり、西日本を中心に分布がみられる。泉州地域は古くから溜池の多い地域で、貝塚市内でも現在約300箇所ある。
水なすの生育の観察のためにビニールハウスに徒歩で朝夕通った。自動車や自転車では気が付かなかったが、歩いていると道中の側溝や小川だけでなく野道以外の道路の下から水の流れる音がする。この地域には溜池から放流される水が豊かにあることを実感した。
現在日本では全国的に毎年被害をもたらす台風や集中豪雨、地震等に加え、老朽化による漏水や、浸食等の危険個所の発生により溜池の決壊の危険性が問題視されている。
同じように泉州でも、都市化による宅地開発や道路公園学校などの公共機関建設のため溜池は埋め立てられている。現に貝塚市役所・コスモスシアター(公民館)・図書館などは溜池を埋め立て建造された。貝塚市自然遊学館 研究員 山田浩二氏取材(平成19年12月21日)
(9)大和川とは、大和の国に由来する奈良県と大阪府に流れる一級河川で、大阪市と堺市の境界である。
(10)農地法について
農地と採草放牧地の取り扱いについて定めた法律である。農地とは耕作目的に供されている土地のことで、農業生産の基盤である農地を確保し、食料の安定供給の確保のため、農地の転用の制限や農地の利用関係の調整し、農業上の利用を確保するための措置。農地以外に使用することを規制している。
(11) 貝塚市農用地利用集積について 都市整備部農林課 更新日2014年06月04日
農用地利用集積(利用権の設定)とは、農業形成基盤強化促進法に基づく農地の貸し借りのことである。農地の流動化を図るもので、貸人、借人双方が安心して農地の賃貸借又は使用貸借ができる。
農林課では、農業者の高齢化・後継者不足などを理由により、農地を貸したいという農地所有者と、農地を借りて経営規模を拡大したいという農業者との間に大阪府農地中間管理機構が入って農地の貸し借りをする方法を推進している。ただし、市街化区域内の農地は、農用地利用集積によって貸し借りはできない。
貸し手のメリット
農地を貸す場合に、農地法の許可が不要。
貸した農地は、契約期間が来れば離作料を払うことなく、解約の手続きをしなくも必ず返してもらえる。
利用権再設定(更新)手続きを行えば、継続できる。
借り手側のメリット
経営規模が拡大でき、農地を借りる場合、農地法の許可が不要(20a以上の場合)
賃借期間は安心して耕作できる。
利用権の更新を行えば継続して借りることができる。
(12)株式会社Wakka Japan について
株式会社Wakka Japanの運営する「三代目俵屋玄兵衛」は海外の人々に、日本が誇る世界一のお米である日本産米を広く知らしめ、正しい日本食文化の普及に貢献することと、日本から遠く離れ海外で頑張る日本人を応援すべく故郷の味である日本産米を適正価格でお腹一杯食べてもらう事をブランド理念としている海外初の日本産米専門店である。
(13) 水なすには3種類の栽培の仕方がある。
①ビニールハウスで加温
コストや設備投資はかかるが、暖房設備の下栽培する。10月から6月の寒い時期も出荷できる。百貨店やインターネット販売される。
②ビニールハウスで無加温
もっとも一般的で3月から8月ごろに出荷し、百貨店やインターネット販売だけでなく地域のスーパーマーケットや農家の軒先でも販売される。
③路地
8月9月に出荷する。こちらも多くが出回るが台風や高気温などの異常気象に左右され平成30,31年は北野農園では行わなかった。