富士山構成資産「富士山本宮浅間大社」の評価と考察

辻 悦子

1:はじめに
「富士山本宮浅間大社(以下浅間大社と略)[写真1]」は、富士山が信仰の対象と芸術の源泉としてユネスコ世界文化遺産に登録され、富士山麓及びその周辺の25箇所[1]が構成資産に認定された中で、中心を担う神社である。筆者の地元である浅間大社は、日本に約1300社ある浅間神社の総本宮であり、富士山を神体山として、浅間大神と木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)を祀り、その象徴の桜をご神木としている。境内には富士山の湧水の霊池があり、構成資産の形成に大きな役割を果たしている。
そこで浅間大社を取り上げ、歴史的な文化遺産としての価値を検証し評価報告とする。

2:基本データ[2]
①社名 富士山本宮浅間大社
②所在地 静岡県富士宮市宮町1-1
③主祭神 木花之佐久夜毘売命
④神社の構成 本殿は二重の楼閣造りで「浅間造」と呼ばれる全国でも珍しい二階建ての構造であり、国の重要文化財に指定されている[写真2]。
⑤神社の特徴 浅間大社は「本宮」の他に、富士宮市山宮に本宮の前身である「山宮浅間神社[写真3]」があり、富士山の八合目以上は境内地で、頂上には「奥宮」が鎮座する。境内には国の特別天然記念物の「湧玉池[写真4][3]」がある。
2013年、富士山が世界文化遺産に登録され構成資産となる。

3:神社の主な年間祭事[4]
1月:歳旦祭・氏子安全祈願祭
2月:節分祭
3月:祈年祭
4月:初申祭
5月:流鏑馬祭
6月:夏越大祓式
7月:御田植祭・開山祭
8月:奥宮例祭
9月:閉山祭
10月:神嘗祭奉祝祭
11月:例祭・新嘗祭
12月:師走大祓祭・除夜祭
浅間大社の祭事は年間160回以上にも及ぶ。富士山に関連した祭祀[5]も数多くある。

4:浅間大社の歴史的背景[6]
古代、富士山はその山頂を仰ぎ見て崇拝する「遥拝」の対象であったが、度々噴火を繰り返し国中が荒れ果てたため、紀元前27年頃、垂仁天皇は山足之地に浅間大神を祀り、山霊を鎮めた。その後、日本武尊が富士山への遥拝地点とされた場所に「山宮浅間神社」を創祀した。本殿はなく富士山を神体山として崇め、神籬(ひもろぎ)形式で祭祀を奉仕する神社である。
806年、坂上田村麻呂が水によって噴火を鎮めようと、湧玉池のある現在地に社殿を建立し浅間大神も遷した。そして木花之佐久夜毘売命は水の神として祀られたと伝わる。湧玉池は、富士山の溶岩層の間を長い歳月をかけて濾過された伏流水が豊富に湧き出している霊池である。この地域では霊水を利用した稲作、農産物、酒蔵、酪農、養鱒、豆腐など食の伝統文化を育んでおり現在に伝承されている。
1193年に源頼朝が流鏑馬を奉納し、1208年には建物を修復した。1577年、武田信玄・勝頼が神領の寄進、社殿の造営を行い、「信玄桜」と呼ばれるご神木のしだれ桜を奉納し、今では500本の桜が咲き誇る。
1604年徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利し天下を統一した報恩として本殿、拝殿、楼門など30余りの建物を造営し、富士山八合目から上も寄進した歴史的背景があり、1982年「富士山本宮浅間大社」に名称を変え現在に至っている。

5:浅間大社に於ける祭祀の文化的検証と評価
浅間大社の祭祀の中から3つを取り上げ報告する。

1.流鏑馬祭
5月に行われる流鏑馬祭は、800年以上の歴史を持つ祭祀である。源頼朝が富士の裾野で巻狩りを行い、武将を率いて浅間大社に詣で、流鏑馬を奉納したのが起源である。境内では、鎌倉武士の狩り装束で勇敢な騎弓を奉納する。これらは富士宮市の無形文化財として保護され、地元有志による浅間大社流鏑馬保存会によって伝承されている。
流鏑馬祭には宮司、神職、射手らが奉仕し神事が執り行われるが、「甘蔓大夫(あまずらだいゆう)[7]」が奉仕し、代々特別神饌「甘蔓[8]」を奉納するのである[写真5]。製造奉納は、現在深沢家の66代目が継承されており秘伝である。伝説によると、木花之佐久夜毘売命の御母神は乳が出なかったため、かわりに甘蔓を奉げ育てられたことから、今でも奉納する神事が連綿として継承されており、地域の歴史的な文化遺産として評価出来る。

2.御田植祭
7月に行われる御田植祭は、富士山の湧水に感謝し五穀豊穣を祈る祭事である。浅間大社の神田に稲を植える御田植行事を行い、市内の女の子たちが地域の歌と舞を練習して「早乙女」の歌姫・舞姫となり田植舞を奉納する祭である[写真6]。この祭りを若者たちに、地域の文化遺産として伝承されていることが評価出来る。

3.大嘗祭奉祝祭
例年11月に行われる新嘗祭は、本年は新天皇ご即位により、大嘗祭奉祝祭となり本殿にて、氏子や農業生産者ら約80名が参列し執り行われた。神前には神聖な13台の神饌[写真7]が供えられた。筆者は浅間大社のご厚意により祭事の式場で拝見させて頂くことが出来た。
神饌の内容は以下の通りである。
①和稲(にぎしね)、②荒稲(あらしね)、③御酒(右:清酒、左:白酒)、④餅二升、⑤海魚(鯛)、⑥川魚(ニジマス)、⑦野鳥(赤卵)、⑧水鳥(白卵)、⑨海菜(棒寒天、昆布、糸寒天、海苔)、⑩野菜(大根、蓮根、さつま芋、人参、きゅうり、茄子、アスパラ、いんげん豆)、⑪果物(リンゴ、オレンジ、パイナップル、ブドウ、メロン)、⑫菓子(金平糖)、⑬塩・水(湧玉池の湧水)。
拝殿には、富士山の湧水で農業を営む富士山麓一帯の氏子や生産者の人々が、収穫した新穀や様々な産物が溢れるばかり奉納され、五穀豊穣に感謝を捧げられているのである。
これらの事例から浅間大社の神饌は、日本食の原点となる食の文化遺産であると考察出来る。権禰宜さんの説明によると、浅間大社では創始より毎日朝夕2回の神饌をどんな日でも欠かさずに献供しており、神社にとって大事な神事となっている。日本人は、弥生時代から米飯を主食に、天候に左右される作物の収穫に感謝し、季節の食材を使って料理をして家族で食卓を囲んだ。しかし、明治より西洋文化が入り食生活もグローバル化が進み、生活形態も大きく変わり飽食の時代になっているが、和食がユネスコ無形文化遺産に登録[9]され、世界的に注目されている。我々はもっと和食文化を見直すべき[10]である。浅間大社の神饌は、食の文化遺産の俯瞰と富士山の構成資産としての継承に相俟って大いに評価出来る。

6:他の神社と比較して
富士登山の表口の浅間大社に対して、北口の起点である山梨県の「北口本宮冨士浅間神社」と比較する。
北口本宮冨士浅間神社は、日本武尊が東征の折に富士山の神霊を遥拝して「富士の神山には北方より登拝せよ」と仰せになり、祠を建てて祀った起源をもつ神社である。参道には富士講の開祖が修行をした「角行の立行石[11]」があり、拝殿の前には日本最古の木造の大鳥居[写真8]がそびえ立つ。本殿、拝殿等計11棟が国の重要文化財に指定されている[12]。
富士山の南西の「陽」の地には「富士山本宮浅間大社」があり、北東の対角線上「陰」の地には「北口本宮冨士浅間神社」がある。浅間大社は、明るく美しく華やかな印象を持ち、一方の北口本宮冨士浅間神社は林立する杉に覆われていて、神秘的で荘厳な雰囲気を持つ神社である。富士山は、強力な龍脈を持つ霊山〔13〕であり、広大な地域に陰と陽の空間デザインを構成している。

7: 今後の展望として
浅間大社の役割は、構成遺産としての構造物や心技の伝統を継承し、それらのモノ・コトを後世に伝えていくことであるが、これからも伝統文化を守る祭礼や行事を数多く催し、神格性のある人材育成に励み、先人たちの豊かな精神文化を、次世代を担う青年たちに継承していくことと確信する。
浅間大社では、80年程前から1日と15日に「朝詣会」を開き、神職さんが神拝詞を指導して講話をすることを継続してきた。この会は子供をはじめ氏子が自由に参加出来、三代にわたり参拝しているのだ。そのような家庭環境で、自然なかたちで伝統的な宗教心が芽生えていると考察出来る。
また、40歳以下の市民らが「浅間大社青年会」を結成しており、現在100名程の氏子青年が行事に参加し継承に努めている。他にも「木花会[14]」等の奉仕活動も盛んであり、神社を支える人材は組織的に円滑に機能していることは重要である。
「信仰の対象」と「芸術の源泉」としての富士山と共に、世界に誇れる心の拠り所の聖地としての価値をますます高めていくことに期待したい。そして、富士山が世界遺産に認定されてから、国内外の来訪者も急増している。霊峰として崇められる富士山を汚さないよう、自然に寄り添った環境保全[15]を進め、我々は豊かな恵沢を後世にわたり享受出来るよう努めるべきである。

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    「 富士山本宮浅間大社」 
    http://fuji-hongu.or.jp/sengen/ festivals /index.html (2019年10月18日閲覧)
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    「 富士山本宮浅間大社」 
    http://fuji-hongu.or.jp/sengen/ festivals /index.html (2019年10月18日閲覧)
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参考文献

[参考文献]

<註釈>
[1]構成資産は以下の25箇所からなる。富士山だけでなく「信仰の対象」「芸術の源泉」となった価値を証明できる文化資産のことである。
1.富士山域(1-1山頂の信仰遺跡跡、1-2大宮・村山口登山道、1-3須山口登山道、1-4須走口登山道、1-5吉田口登山道、1-6北口本宮富士浅間神社、1-7西湖、1-8精進湖、1-9本栖湖) 2.富士山本宮浅間大社 3.山宮浅間神社 4.村山浅間神社 5.須山浅間神社 6.富士浅間神社 7.河口浅間神社 8.富士御室浅間神社 9.御師住宅(旧外山家住宅) 10.御師住宅(小佐野家住宅)11.山中湖 12.河口湖 13.~20.忍野八海 21.船津胎内樹型 22.吉田胎内樹型 23.人穴富士講遺跡 24.白糸滝 25.三保松原。
「世界遺産富士山とことんガイド」
http://www.fujisan223.com/reason/kouseishisan/(2019年8月26日閲覧)
[2]富士山本宮浅間大社は、過去2千年間に43回も噴火を繰り返している富士山を鎮めようと創建された。祭神の浅間大神は富士大神とも称され、美女神の木花之佐久夜毘売命が御祭神として祀られている。927年成立の「延喜式神名簿」の中では「名神大社」とされ、朝廷の崇敬の重さが知ることが出来る。
境内には、本殿、拝殿・幣殿・透塀、桜門。本殿は二重の楼閣造りで棟高45尺、1階は5間4面萱卸の宝殿造り、2階は間口3間奥行2間の流れ造りで共に檜皮葺。幣殿、拝殿は本殿と同様檜皮葺。外観や内装は丹漆である。桜門は間口4間、奥行2間半、高さ6間半2階入母屋造り。富士山の8合目以上は奥宮境内であり、約120万坪の広さである。
「富士山本宮浅間大社」http://fuji-hongu.or.jp/sengen/history/index.html (2019年10月26日閲覧) 
[3]湧玉池の湧水は四季を通じて水温が14℃で、湧水量は1日20万トンと豊富である。町中を流れる神田川の源流となっている。2008年に環境庁の「平成の名水百選」に選ばれた。
「 富士山本宮浅間大社」http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/hongu/index.html(2019年11月29日閲覧)
[4]「富士山本宮浅間大社祭事一覧表」より抜粋
[5]2019年度/7月10日:富士山開山祭、村山入山祭、7月11日:奥宮開山式、7月28日:富士山水まつり、8月3日:富士山御神火まつり、8月15日:奥宮例祭、9月11日:富士山閉山祭、9月22日:富士山献茶式など。
「富士山本宮浅間大社祭事一覧表」より抜粋
[6]小笠原和世『週刊日本の神社No. 8富士山本宮浅間大社』DeAGOSTINI 2014年
「 富士山本宮浅間大社」http://fuji-hongu.or.jp/sengen/history/index.html (2019年10月29日閲覧)
[7]「甘葛大夫」とは、ツタの根を用いて甘葛を造り神社に奉納する役職のことである。この神事の元祖は富士宮市の第65代甘葛大夫の深沢忠男(故)さんの先祖であることが、昭和58年に同家所蔵の古文書甘葛家代記ほかの文献が発見され明らかとなった。日本武尊が山宮の地にて、木花之佐久夜毘売命を奉るにあたり、初めて甘葛を奉納したとある。現在66代目が継承している。
「岳陽新聞」 昭和58年3月5日第8117号P2
「日刊岳南朝日」1987年10月16日第10473号P6
[8]「甘葛」はツタの樹液を採取して絞り、乳白色の汁を煮詰めて精製される。古代の我が国固有の植物性の甘味料であり、全国で生産され、一種の栄養源として珍重された。しかし、砂糖の普及で途絶してしまった。伝説によると富士山麓一帯にも甘葛の草が群生していた。もとは葉を煎じて甘茶として飲まれたが、現在では特別神饌は樹液のまま供えられる。参列者には樫の葉に数滴入れて授与される。舐めると甘いが少しの渋みもある。
『延期式』(巻33大膳職下)によると、宮中で節会儀式において5月5日の端午の節句には、粽と「甘葛汁」が用意されていた記述がある。古代からの伝統を浅間大社も受けついていたと評価する。
「岳南新聞」昭和58年3月5日第8117号2面
山辺規子『甘葛煎再現プロジェクト』株式会社かもがわ出版2018年 
公益財団法人静岡県文化財団『富士山の祭りと伝説』株式会社創碧社 2014年 P80
[9]2013年和食がユネスコ無形文化遺産に登録された。農林水産省が掲げた「和食」の特徴は、①多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重、②栄養バランスに優れた健康的な食生活、③自然の美しさや季節の移ろいの表現、④正月などの年中行事との密接なかかわりの4項目である。このように日本人の伝統的な食文化が無形文化遺産に登録されたことは、その文化の保護と継承を図ることがユネスコの目的であると熊野氏は語る。
「農林水産省」HP
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ich/index.html(2019年11月6日閲覧)
「ユネスコ無形文化遺産に登録された本当の理由」静岡文化芸術大学学長:熊倉功夫
https://www.yakult.co.jp/healthist/226/img/pdf/p02_07.pdf(2019年11月6日閲覧)
[10]日本は島国で南北に長い地形であるために豊富な食材が手に入り、四季の食材で一汁三菜を基本としてきた。また、日本の食文化は年中行事のたびに伝統的な料理をして、それによって家族や地域との繋がりが出来ていた。日本料理にはおもてなしの心が反映し、もてなされた側にも感謝の心が芽生え、相通ずる関係がつくられる。そして、神様の神饌を戴く神人共食の直会から神のお加護と霊力を頂き、食に感謝をするのである。しかし、古代から培ってきた和食の食文化は失われつつある危惧がある。その理由として、生活の西洋化のほかに家族関係の変化、年中行事の興味の希薄化、農業人口の低下による国内自給率の低下、温暖化等あげることが出来る。2015年から、日本政府は世界が認めた健康的な日本食の保護と継承を推進するために本格的に活動を始めている。
橋本直樹『食卓の日本史』勉誠出版株式会社 2015年 P258
[11]「角行の立行石」とは、戦国時代に荒行を重ねて法力を授かった角行が、69歳の真冬に富士山を遥拝しながら、この岩に爪立ちして30日荒行をしたといわれる。
「北口本宮浅間大社」HP https://sengenjinja.jp/(2019年1月9日閲覧)
[12]ふじさんミュージアム『北口冨士浅間神社のすべて』(株)サンニチ印刷 2018年 P3-P8
[13]陰陽道や地理風水では「聖地」「霊地」とはエネルギーの発する場所の源を太祖山といい、そこから発する旺気の流れる地形を龍脈という。古来、中国では泰山から全土に龍脈が流れ、気が流れているといわれた。日本では富士山が太祖山に値し、全国でも次元の違う旺気が富士山麓八方に龍のように流れているとされる。
戸矢学『縄文の神が息づく一宮の秘密』株式会社方丈社 2019年 P67
[14]木花会の主な奉仕活動は境内の桜樹の保護育成、富士登山期間の売店の開催、節分祭の奉仕、毎月10日の境内清掃奉仕等である。「平成31年度浅間大木花会総会議案」より。
[15]静岡県の富士山環境保全対策は、「環境負荷の軽減」としてし尿処理問題、ごみ対策、中腹から上の車両乗入れ規制等、「保全意識の高揚」として情報発信、「生物多様性の確保」等を掲げ実施しているが、人々の意識による努力が大事である。
「静岡県ふじのくに」http://www.pref.shizuoka.jp/kankyou/ka-070/fujisanpage/main_j.html(2020年1月8日閲覧)
「ユネスコ無形文化遺産に登録された本当の理由」静岡文化芸術大学学長:熊倉功夫
https://www.yakult.co.jp/healthist/226/img/pdf/p02_07.pdf(2020年1月8日閲覧)

<参考文献> 
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吉田敦彦『図解古事記』図書印刷株式会社 2018年
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<参考新聞>
「岳陽新聞」 昭和58年3月5日第8117号P2
「日刊岳南朝日」1987年10月16日第10473号P6
「日刊岳南朝日』2013年5月8日第18087号P1

<参考資料>
富士山本宮浅間大社版オリジナル資料 「世界文化遺産・駿河国一宮富士山本宮浅間大社由緒」「祭事一覧表」「浅間大社流鏑馬祭」「浅間大社御田植祭」「行事神饌献撤」「大嘗祭当日奉祝祭次第」「大嘗祭とは」
富士宮市観光課「平成26年観光客入込状況調べ(地区別)」~「平成30年観光客入込状況調べ(地区別)」
「平成31年度浅間大社青会総会議案」
「平成31年度浅間大木花会総会議案」

<参考URL>
富士山本宮浅間大社http://fuji-hongu.or.jp/sengen/history/index.html (2019年12月29日最終閲覧)
富士宮市HP http://www.city.fujinomiya.lg.jp/kankou/index.html(2019年12月17日閲覧)
北口本宮冨士浅間神社HP  https://sengenjinja.jp/(2019年12月24日閲覧)

<取材協力>
富士山本宮浅間大社・神職さん方(2019年11月14日)
富士山本宮浅間大社・渡辺権禰宜さん(2019年12月1日、2019年12月15日、2020年1月16日)
静岡県富士山世界遺産センター・大高先生、山川先生(2019年12月18日、2020年1月15日)
木花会・斎藤さん、市川さん(2019年11月14日)
北口本宮冨士浅間神社・上文司宮司さん(2019年12月24日)
富士宮市役所観光課(2019年12月17日)
甘葛大夫家系・深沢好幸さん(2019年10月8日、12月22日)

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