枚方の人形劇活動と地域性についての考察

浪本 浩一

はじめに
大阪と京都の間に位置する大阪府枚方市(ひらかたし)は、昭和30年代以降に宅地開発が進んだベッドタウンである。筆者が住む枚方について調べはじめた半年前に手にした『写真アルバム 枚方市の昭和』[1]の中で、全国的にも人形劇が盛んだったことを知り、なぜ枚方で人形劇活動が広がったのか、その根底にある地域性を考察し、文化資産としての評価を試みることにした。

1、枚方市の基本データ
人口:400,072人(181,907世帯)(令和2年6月末時点[2])
大枚方町から枚方市になった昭和22年の人口は4万人。平成7年に40万人を超えた。
面積:65.12平方キロメートル

2、人形劇活動の歴史

2-1 はじまりと広がり
昭和40年代後半に香里団地[3]にある家庭教育学級[4]のグループが人形劇を始め、きちんと学びたいと市に要望したことから、昭和50年にプロの劇団員による「人形劇づくり講習会」が始まった。その講習会の修了生が劇団を結成したことが人形劇団のはじまりである。その時生まれた4劇団によって、昭和51年に「枚方人形劇連絡会[5](以下連絡会)」が誕生した。その後講習会一期生である廣田美那子氏が、初級人形劇講習会で長年講師を務めた。そこから毎年数十人の講座修了生が劇団を設立していった。昭和58年からは年10回、10カ所の生涯学習センターで「サンサン人形劇場」がはじまり、人形劇を演じる機会が増えていった。

2-2 ひらかた人形劇フェスティバル
劇団員が力をつけていくなかで、人形劇の祭典を模索していた連絡会のメンバーが、日本最大の人形劇の祭典「人形劇カーニバル飯田[6]」に参加し、その盛り上がりに触発されて企画されたのが「ひらかた人形劇フェスティバル」である。連絡会のメンバーと市の職員が自費で全国のフェスへ視察に行って準備し、平成2年3月、牧野公民館[7]で「ひらかた人形劇フェスティバル」を開催した。プロ10劇団、アマ54劇団が上演、1828枚のチケットが売れた。その後毎年開催され、平成12年はプロアマ70劇団、平成22年はプロアマ50劇団、令和元年に行われた第30回もプロアマ50劇団が参加した[8]。

3、川崎市の人形劇活動の事例
神奈川県川崎市の人形劇活動を比較事例として取り上げる。同市もまた枚方市と同様に郊外のベッドタウンであり、同時期の昭和62年から人形劇の祭典がはじまった。
東京と横浜の間に位置する川崎市は、昭和30年代以降、首都圏の大学サークル出身者、プロ劇団や市主催の人形劇講座修了生、園児の母親たちによる劇団の結成などで人形劇団が増えていった。地元のプロ人形劇団ひとみ座が中心となり、まちづくりの一環としてはじまったのが「かわさき人形劇まつり」である。市の予算縮小に伴い平成18年に終了したが、市民から継続の声が挙がり、翌年からは市民プラザ主導で再開された。平成24年に再度存続が危ぶまれた際は、小学校、幼稚園、子ども会、市民プラザからの支援を受けて続けられた。このように危機を乗り越える度に地域の関わりが主体的になり運営体制が整っていったのである。最近では保育やアートの分野から人形劇をはじめた劇団の参加もあり、今後も継続して開催していける状況を地域の人たちが生み出している。

4、枚方と川崎の人形劇活動の比較
川崎は劇団の生まれ方が多様である。特に東京、横浜の大学の人形劇サークルOB、OGが劇団活動をはじめた例も多いのに対して、枚方の人形劇活動は人形劇講座から生まれ育ってきた。特筆すべきは、はじまりから現在に至るまでずっと主婦が中心となって活動してきたことである。この背景について掘り下げる。

5、自ら学び行動することを明文化した枚方テーゼの存在
枚方では、大正時代に日本ではじめて農民が組合を組織し農民学校を開催するなど社会活動が盛んだった。戦後は、女性の社会的地位の向上を求める婦人運動が活発に行われた。そんな中、昭和38年に枚方市教育委員会が発行した“枚方テーゼ”と呼ばれる答申書『枚方市における社会教育のあり方』[9]において「社会教育の主体は市民であり、それは住民自治のカとなる」として“市民自らが学ぶ”ことの意義が示された。市民による憲法学習と民主主義教育の実現を示した枚方テーゼは、『この当たり前の言葉が当時新鮮な驚きをもって受け止められた』[10]先進的な提言だった。筆者は枚方テーゼの影響が教育面だけでなく文化の根源となっていることに着目した。当時はまだ女性の社会進出が進んでいなかった中で、社会とのつながりが希薄になりがちな子育て中の主婦たちにとってグループ学習をすることは社会との確かな接点であり、「婦人学級」と称する学習会が盛んに開かれていた。人形劇活動はそのような社会背景から生まれた文化活動の一つであり、「枚方テーゼ」がそこに大きく影響していたことは間違いないだろう。人形劇講座が保育付きで平日昼間に行われていたことは、主婦同士がお互いに学ぶ機会を作るための互助意識も高かったことが伺える。人形劇は、子どもたちが楽しめるように話を作る、人形を作る、演じるなど様々な要素があり、議論や合評などお互いの学び合いが欠かせなかった。

6、文化資産としての人形劇を評価する
人形劇は、保育園、幼稚園、小学校、自治会などから依頼をうけて盛んに公演されてきた[11]。現在も続くサンサン人形劇場はこれまで320回の公演が行われ、ひらかた人形劇フェスティバルは毎年千人前後の人が参加している。今では子どもの頃に人形劇を観た親が子どもを連れてくるようになった。主婦の手によって創り出されたファンタジーの世界が世代を越えて市民に愛されているのである。
社会教育に携わる職員は、主婦たちの活動を支えていった。職員にとっては現在でも枚方テーゼは少なからず影響している。このような「自ら学習し活動すること」が根付いているまちの中で成長した人形劇は、枚方の文化を表した活動であるといえる。そして人形劇は長らく市民に親しまれてきたことから、人形劇活動は次世代に残すべき文化資産であると評価できる。
一方で、園や小学校で子どもたちに人形劇フェスティバルの案内が配られたり、学校や子ども会で人形劇に取り組むといった教育現場や地域団体と連絡会との協力連携などは見られない。現状では人形劇が地域に根ざした存在とまでは言い難い。

7、今後の展望
令和3年に3つのホールを持つ枚方市総合文化芸術センターが開館する。劇団員にとっては待ちに待った舞台環境の整ったホールである。交流スペースや広場もある新しい空間ができることによって人形劇に関わる人たちが増えることを期待したい。さらに、地域のつながりが希薄となってきている現代において、枚方で人形劇がはじまった頃のように、人形劇が地域の人たちをつなぐ媒介的役割になることを話し合う市民フォーラムの開催を提案したい。戦後いち早く市民自らが学ぶことの大切さを啓蒙し合い人形劇を生み育んだまちだからこそ、今また市民と一緒に人形劇の今後を議論することには意義がある。

8、まとめ
行政の立場から長年枚方の社会教育の基盤を作り、人形劇活動に公私の立場から関わってきた石村和己氏は「人びとが社会に出て活動することの延長にまちづくりがある」と述べている。
枚方の人形劇活動は、まちの思想と文化を表現している存在であり、その活動が続いているということは健全な民主主義教育が行われているということを示している。人形劇活動の価値を知るためには、まちの背景にある枚方テーゼから再評価する必要がある。枚方市民の多くが知らない枚方テーゼの存在とともに枚方の人形劇活動の今日的意義をここで改めて確認しておきたい。

  • 1 昭和60年、蹉跎西小学校での人形劇団ら・ぶーかによる公演の様子。人形劇団ら・ぶーかで活動していた廣田美那子氏らが演じている。当時は12の人形劇団が活動していた。『写真アルバム 枚方市の昭和』[1]に掲載されていた写真。提供=枚方市広報課
  • 【非掲載】
    第30回 ひらかた人形劇フェスティバルの案内。
    ひらかた人形劇フェスティバルでは観るだけでなく、人形劇をやってみる、人形を作ってみるコーナーなど参加者が人形劇にまつわる体験ができるように工夫されている。
    提供=枚方人形劇連絡会
  • 3 牧野生涯学習市民センターの広いロビーでは、公演の合間を使って様々なイベントが行われる。
    写真は28回ひらかた人形劇フェスティバルの様子
    提供=枚方人形劇連絡会
  • 4 28回ひらかた人形劇フェスティバルでのキッズの上演風景。
    キッズのための人形劇講座では、人形劇を作る、人形劇を通して仲間を作る体験をして、ひらかた人形劇フェスティバルで発表している。
    提供=枚方人形劇連絡会
  • 5 牧野生涯学習市民センターのロビーでは、人形劇連絡会12劇団の人形とキッズが作った人形を月替わりで展示している。筆者の子どもたちも小さい頃はひらかた人形劇フェスティバルに参加していた。
    2020年7月1日筆者撮影

参考文献

<註釈>
[1] 中島三佳著・監修『写真アルバム 枚方市の昭和』、樹林舎、2017年、145ページ
[2] 枚方市HP「人の動き(枚方市の人口・世帯数等)」より(2020年7月26日閲覧)
[3] 昭和33年に募集が開始された日本最大規模の郊外型大規模住宅団地
[4] 親どうしが、子育てや親の在り方について自ら学習し、親と子の成長につながる活動を行うグループ。
[5] 令和2年度の人形劇連絡会登録団体は12劇団26人(内男性2名)。平成22年度は22劇団62人だった。尚、人形劇連絡会に所属していない枚方の人形劇団もある。
[6] 昭和54年にはじまった人形劇カーニバル飯田は、現在はいいだ人形劇フェスタとして毎年8月に開催されている。全国・世界から約300劇団が集まる日本最大の人形劇の祭典である。
[7] 現牧野生涯学習市民センター。市の職員として長年社会教育に関わり、当時牧野公民館の館長をしていた渡辺義彦氏が、人形劇連絡会からフェスティバルをしたいと相談され、準備に協力し場所を提供した。
[8] 第31回 ひらかた人形劇フェスティバル(令和2年3月22日)は、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった。
[9] 昭和38年2月、枚方市教育委員会発行『枚方市における社会教育のあり方』の中の「第1章社会教育とは何か」の項目は
1. 社会教育の主体は市民である
2. 社会教育は国民の権利である
3. 社会教育の本質は憲法学習である
4. 社会教育は住民自治の力となるものである
5. 社会教育は大衆運動の教育的側面である
6. 社会教育は民主主義を育て、培い、守るものである
であり、社会教育(市民に開かれた学習機会)のあり方を示した画期的な指針として注目され“枚方テーゼ”と呼ばれている。枚方テーゼは今でもその意義をめぐり研究され続けている。
[10] 枚方市教育委員会社会教育課編集『《資料》枚方テーゼ』、1982年 57ページ 渡辺義彦氏著「社会教育職員論の試みー枚方の職場からー」
[11] 多い時には1つの劇団が市内各地で年間60〜70公演を行っていた。

<参考文献>
枚方市史編纂委員会編集『郷土枚方の歴史』、枚方市、2001年
枚方市史編纂委員会編集『新版 郷土枚方の歴史』、枚方市教育委員会、2014年
枚方市社会教育委員会議『生涯学習社会における公民館等社会教育施設のあり方について (答申書)』平成 18 年
児童・青少年演劇ジャーナルげき編集委員会『児童・青少年演劇ジャーナルげき21』、晩成書房、2019年
枚方市教育委員会社会教育課編集『《資料》枚方テーゼ』、枚方市教育委員会、1982年
社会教育研究所双書 第7集 編集委員会編集『「枚方テーゼ」の今日的意義』、社会教育研究所、1993年
加藤暁子著『日本の人形劇 1867-2007』、法政大学出版局、2007年
ひらかた人形劇フェスティバルHP(2020年7月25日閲覧)
http://hirakatafes22.blog135.fc2.com

<取材>
枚方人形劇連絡会 山下良江氏 2020年4月6日 電話取材
枚方人形劇連絡会 廣田美那子氏、山下良江氏、岡村富美代氏 2020年7月1日 取材
枚方市役所 観光にぎわい部 サンプラザ生涯学習市民センター所長 石村和己氏 2020年7月8日 取材
川崎人形劇サークル連絡会事務局 臼田 欣也氏 2020年7月17日メール回答
枚方人形劇連絡会代表 岡村富美代氏 2020年7月22日 電話取材
枚方市役所 観光にぎわい部 サンプラザ生涯学習市民センター所長 石村和己氏 2020年7月22日 取材

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