ホビー・プレスの扉を開く 大阪Echos(エコース)の取組み

犬飼 俊行

1、はじめに
(1)本稿のねらい
15世紀中頃にドイツのグーテンベルク(Johannes Gutenberg、c.1398〜1468)によって実用化された活版印刷術は、20世紀後半まで印刷産業の主流の技法であった。
現在では、活版を設備する印刷会社はわずかとなり、「絶滅危惧種」ともいわれるが、活版印刷は、趣味や工芸という分野での利用が期待できるのではないかと筆者は考える。
本報告書では、大阪の「Echos Design & Letterpress」の活動が、欧米に比べ日本では一部を除いて認知されてこなかった趣味としての印刷物作成、つまりホビー・プレスを紹介する活動であると捉え、以下にレポートする。

(2)報告対象の基本情報
名称:Echos Design & Letterpress(写真1)
所在地:大阪市中央区博労町1-2-17 briq SHINSO BLDG 1階
活動内容:活版印刷機とワークスペースのレンタル、ワークショップの開催

2、活版印刷の歴史
活版印刷の原型は11世紀の中国にあるが、グーテンベルクが開発した鉛合金の活字、インキ、プレス機はその後500年以上ほぼ同じ原理のまま使用された。
1997年には米国LIFE誌が「過去1000年間の世界史上で最も重要な出来事100選」の第1位に「グーテンベルクによる聖書の印刷」を挙げ、歴史家のジョン・マン(John Man)は活版印刷術の開発を、人類史上3番目に起きた情報革命としている(註1)。
活版印刷術の日本への伝播は、1590年に「天正遣欧使節」の帰国とともにもたらされたが、キリシタン追放令により、1614年に技師、機械ともども国外へ追放となる。
この16世紀終盤から17世紀にかけては他にも銅活字や木活字を使った印刷・出版活動がみられるが、17世紀後半から隆盛となる出版では、字種の膨大さと、木版の方が再版が容易であったことから木版が主流となる。結果、日本への活版印刷術の本格的な導入は、幕末から明治にかけて本木昌造(もとき しょうぞう、1824〜1875)らによって画策され、近代には印刷術の主流が活版へと移り変わっていった。
しかし、1971年には通産省が印刷業の「構造改善事業」を打ち出してオフセット印刷への転換を促し、1990年頃からパソコンによるDTP(デスクトップパブリッシング)へと移行が進み、現在ではオフセット印刷、あるいはデータから直接用紙へ出力するデジタル印刷が主流となっている。

3、活版(カッパン)の現在
オフセット印刷への転換が進む中、アメリカやイギリスでは、デザイナーが活版印刷機を入手し、印刷まで行うレタープレス(活版)・スタジオが現れるが、彼らは伝統的な活版印刷では規格外とされた紙の凹みをも表現の一つと捉えて、新しい潮流を生み出した。
こうしたプリンターが登場した背景には、欧米では印刷機械の時間貸しや印刷術を教えるスタジオがいくつもあり、趣味で活版印刷を行うという文化、つまりホビー・プレスがあった。
この新しい潮流がいつ頃日本に伝わったか特定は難しいが、欧米や日本の活版スタジオを紹介する著作を持つ碓井美樹は「レタープレス」という言葉を意識し始めたのは2007年頃と述べ(註2)、取り上げている日本の工房も2006年〜2009年に活動を始めている。

4、溝活版にみる活版の楽しみ
横溝健志(よこみぞ たけし)(註3)氏は55年以上アマチュアプリンターを標榜し、「溝活版」という屋号で活版印刷を続ける、数少ない日本の愛好家の一人である
筆者は2022年9月18日に、東京都小金井市の、横溝と愛好家たちの共同作業場である「溝活版分室」(写真2)を訪れた。
横溝は「活版印刷の魅力は、物質感」「これからの活版は素人が担うものだろう」と述べた。
以前、横溝はアマチュアにとっての活版印刷の意味を「僕にとってなら、それは「工芸」だという想いがひとつにある。大量生産を唯一の目的とする印刷機をいじって、それに工芸を意識することは矛盾めくのだが、版を組むことが、そのままデザインすることであり、一枚一枚を確かめ刷り上げていくその過程への思い入れは、工芸の造り手のものではないだろうかという連帯を感じる」(註4)と記している。活版印刷の趣味、工芸としての可能性を示唆する言葉である。
19世紀前半の写真術の発明により、図像の複製技術であった版画が次第にその役割を終え、現在では美術制作や趣味の技法として認知されているが、活版印刷にその領域での価値を見出せるのはアマチュア愛好家であろう。活字を絵文字として表現する技法(写真3、4)なども、既成の技術に縛られないアマチュアのなせる技といえる。

5、Echosの取組み
(1)Echosの概要
Echosが提供するのは、主に活版印刷機を利用できるシェア・ワークスペースである。筆者は2022年11月26日に取材を行った。
「手キン」と呼ばれる手動印刷機3台と英国製の手動印刷機2台、米国製でA3ノビ対応の印刷機が1台(写真5)、この他に箔押し機とシルクスクリーン印刷用の製版機を設備し、鉛活字や大型の木活字(写真6)も揃える。
ここを主宰する沖那菜子(おき ななこ)(註5)氏は、京都造形芸術大学で日本画と版画を専攻、卒業後はパリの版画工房で3年間学んだ経験を持つ。
帰国後は祖父の創業したステーショナリーを扱う真創株式会社でデザイナーとして従事し、同社の保有するbriq SHINSO ビルの1階に、ものづくりの拠点を目指し、クラウドファンディングを利用して、2017年9月に「Echos Design & Letterpress」をオープンした。
一番多い利用者は、ウエディング・インビテーションの制作者で、人生の特別な日の招待状を、自らの手で刷りあげるため利用する。その他、ショップカード、コースター、お菓子のパッケージなどのペーパーアイテムを作るために店主たちがリピーターとして訪れる。

(2)Echosの築くカッパン・ネットワーク
Echosの特に評価できる点は、他のクリエーターたちとのネットワークである。コロナ禍により、2020年からリアル開催は見送られているが、2017年から始まった「活版WEST」では、沖自身も実行委員として参画し、Echosとbriq SHINSO BLDを会場に提供して、関西圏、中・四国から九州の活版クリエーター21者が出展して開催される。
筆者も毎回訪れるが、フリートークの場を設けるなど毎年趣向を凝らして初心者から愛好家、印刷関係者まで交流を図っている。
こうして培われたネットワークで、新しい技法や印刷会社から処分される機材の情報が共有される。

(3)今後の課題
来訪者の中には、何を作れば良いか分からないという声もあるということであるが、留学経験に加えて、海外スタジオなどの視察を行っている沖は、海外では老若男女関係なく、版画や活版、シルクスクリーンなどで自由に趣味の印刷やアートワークを楽しんでいるが、それに比べて日本では、印刷物の対象を、名刺や招待状などの商業的、実用的なものに求める傾向にあると指摘する(註6)。
Echosでは、各種ワークショップや作品(写真7)の発信を通じて周知を図っているが、まだまだ日本では印刷は印刷会社のものという認識が強いようである。

6、「カッパン印刷」とEchosへの期待(まとめ)
現在の新しい「活版」では活字だけではなく、デジタルデータからの樹脂や金属の凸版を使った印刷も含めて「カッパン」と呼ばれる。これは凸版版式のうち活字を使った印刷を「活版印刷」とする印刷技術の定義からすると間違った呼称といえるが、デジタル技術と融合した新時代の「カッパン印刷」と肯定的に捉えることもできるだろう。
文字情報の大量複製を担った「活版印刷」は役割を終えたが、「カッパン」は現在進行形である。そう考えるのは、「活版WEST」や「活版Tokyo」(註7)の来訪者の多くが、デジタル世代の若者たちであるからだ。キーボードやタッチパネルで制御する時代にあって、多くの工程を人間の手の感覚で制御する活版印刷は、彼らにも魅力的なようである。
そして、「活版リバイバル」という声も聞かれるが、新しい「カッパン」を一過性の流行ではなく、自ら印刷物を作成するホビー・プレスという文化として定着させるためには、Echosのようなものづくりの場が必要であり、その取組みが印刷物を創造する楽しみを広め、愛好家を増やし、それがまた希少となった機材や技術の保存につながっていくと考える。

  • 81191_011_32083046_1_1_%e3%82%a8%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%82%b91 写真1:Echosのスタジオ(2022年11月26日、筆者撮影)
  • 81191_011_32083046_1_2_%e6%ba%9d%e6%b4%bb%e7%89%88%e5%88%86%e5%ae%a4 写真2:溝活版分室(2022年9月18日、筆者撮影)
  • 81191_011_32083046_1_3_%e3%81%b2%e3%81%aa%e6%ba%9d 写真3:活字を使った絵文字(作品提供:溝活版)(2023年1月4日、筆者撮影)
  • 81191_011_32083046_1_4_%e3%83%a6%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%92%ef%bc%9f%e3%82%a2%e3%83%8e 写真4:活字を組み合わせた造形(作品提供:ユートピアノ(金沢市)、松永紗耶加)(2023年1月22日筆者撮影)
  • 81191_011_32083046_1_5_%e3%82%a8%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%82%b93 写真5:A3ノビ対応の印刷機(2022年11月26日、筆者撮影)
  • 81191_011_32083046_1_6_%e3%82%a8%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%82%b9%e6%9c%a8%e6%b4%bb%e5%ad%97 写真6:木活字(2022年11月26日、筆者撮影)
  • 81191_011_32083046_1_7_%e3%82%a8%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%82%b9%e4%bd%9c%e5%93%81 写真7:作品の一部(2023年1月22日、筆者撮影)

参考文献

(註1)ジョン・マン『グーテンベルクの時代 印刷術が変えた世界』田村勝省訳、原書房、2006年(P.273)
(註2)碓井美樹『レタープレス・活版印刷のデザイン、新しい流れ アメリカ、ロンドン、東京発のニューコンセプト』パイインターナショナル、2014年(P.2)
(註3)工業デザイナー、武蔵野美術大学名誉教授
(註4)横溝健志「溝活版十年の記」『暮らしの創造 夏・9号 特集アマチュアの時代』創芸出版社、1979年(P.8)
(註5)2022年より京都芸術大学情報デザイン科 非常勤講師
(註6)沖那菜子ブログhttps://note.com/echos_osaka/(2022年12月11日閲覧)
(註7)2015年より毎年夏に東京都千代田区神田で開催される活版イベント。2020年から開催は見送られている。


<参考文献>
・松浦広『図説 印刷文化の原点』(財)印刷朝陽会、2012年
・碓井美樹『レタープレスのデザイン 活版印刷のデザインスタジオ サンフランシスコ&ニューヨーク』パイインターナショナル、2010年
・碓井美樹『レタープレス・活版印刷のデザイン、新しい流れ アメリカ、ロンドン、東京発のニューコンセプト』パイインターナショナル、2014年
・シャーロット・リバース『世界の活版印刷 グラフィック・コレクション』グラフィック社、2010年
・横溝健志『溝活版の流儀 アマチュア・プリンターの五十五年』溝活版分室、2020年
・溝活版分室ホームページ https://mizzopressfriends.tokyo/(2022年12月11日閲覧)
・Echos Design & Letterpress ホームページhttp://echos.site/top/(2022年12月11日閲覧)
・沖那菜子ブログhttps://note.com/echos_osaka/(2022年12月11日閲覧)

年月と地域
タグ: