新宿ゴールデン街の過去・現在・未来
1.はじめに
新宿ゴールデン街は、第二次世界大戦後に建てられた木造長屋建ての店舗が、狭い路地をはさんでマッチ箱のように並んでいる。ケヴィン・リンチの『都市のイメージ』の構成要素で言うならば、
パスはゴールデン街(以下 G)G1 通り、G2 通り、あかるい花園一番街(以下花園一番街)、花園三番街、花園五番街、花園八番街、まねき通りといった路地である。
エッジは東が花園交番通り、西が四季の道、南が東京電力角筈変電所、北がテルマー湯である。
ディストリクトは花園一番街より北側の店舗の「新宿三光商店街振興組合」と、G1、G2 通りから花園一番街の南側までの店舗は「新宿ゴールデン街商業組合」とに分けられる。
ノードは通りと通りを縫うように作られた狭い路地である。
ランドマークはゴールデン街の入り口に設置されたゲート表示、新宿ゴールデン街劇場などである。(資料1)
ゴールデン街の変遷を見るのに1978 年から 2018 年までの雑誌から店舗マップを取り出した。(資料2)
特に1998年の店舗数が1986年の241軒から地上げや閉店などで153軒に減った点は注目される。(資料3)
2.歴史
1949 年に GHQ が露天商の撤廃を指示し新宿駅東口の竜宮マートの露天商が三光町一帯(現歌舞伎町1丁目)に移転した。新宿2丁目の露天商もこの三光町に移転した。ここは青線地帯(非合法売春地帯)になった。三光町青線の遊び代は30分ほどの遊びで500円ほど。(資料4)
1958年、売春防止法が施行され青線は完全になくなる。
1964年、東京オリンピック開催前に風営法改正で深夜営業の規制が強化され深夜営業の店はおでん屋やお茶漬け屋に転業した。
1965年頃、小説家や映画・演劇の関係者など文化人が夜な夜なゴールデン街に通う文壇バーが盛んになる。
1976年、佐木隆三が直木賞、中上健次が芥川賞を受賞し、ゴールデン街からスター誕生とマスコミに取り上げられる。
1978年、町名が三光町から歌舞伎町 1 丁目 1 番地となる。
1986年頃地価が高騰し、ゴールデン街が地上げの対象となり、閉店とあわせ90軒ほどが空き店舗になった。
1997年、下水、ガス、道路舗装などの街のインフラ整備が完了する。
1999年、定期借家法で店舗が激増し、若い経営者が花園ゴールデン街に進出する。
2000 年代はミシュランガイドや海外メディアに載る店もでる。副都心線開通やよしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社移転も街の活気に影響を与えた。
2010 年代、外国人観光客を増加に伴い、英語で対応する店も増え、現在にいたる。
3.ゴールデン街の評価
(1) 1950 年当時の風景をそのまま残している。それが外国人の古き日本の街並を経験できる観光スポットになっている。
(2) 新宿三光商店街振興組合と新宿ゴールデン街商業組合の2つの組合が協力してゴールデン街を維持発展させてゴールデン街文化を守っている。(資料5)
(3) 1960年から 1989年までの「文壇バー」を中心とする文化を形成した。常連客として作家、編集者、映画監督、俳優と言った文化人が多く集まった。 1960年までは小説家・評論家や出版社関係者が主流であり、1961年以降、映画人や演劇人が集る。1976 年、中上健次の芥川賞、佐木隆三の直木賞を機にゴールデン街が全国的に有名になった。渡辺英鋼の『新宿ゴールデン街物語』に常連客の名600名が紹介されている。 佐々木美智子『新宿ゴールデン街の人々』に275名の写真が掲載されいる。(資料6)
(4) ゴールデン街はおんなの街として発展したが昭和 35 年以降の「文壇バー」の中心となった「おんな」三人、<まえだ>前田孝子、<唯尼庵>太田喜代子、現在<むささび>経営者の佐々木美智子を比較した。(資料7)
黒田征太郎はゴールデン街のアイドルとして、おミッちゃん(佐々木美智子)、<まえだ>のおっかさん(前田孝子)、<唯尼庵>のキヨ(太田喜代子)をあげている。たむらまさきは「芥川賞作家の中上健次に出会ったのも<まえだ>とか<唯尼庵>とか<ゴールデンゲート>の佐々木美智子さんがやっていた<黄金時代>だったかもしれない…<まえだ><唯尼庵><黄金時代>に文人、映画関係者が集っていた。」と書く。
① 前田孝子<まえだ>
野坂昭如は『花園ラビリンス』で前田孝子をお上さんと呼び、気っぷがよく、ただの呑ん兵衛と紹介する。たむらまさきは前田のママをおばさまと書き、何か言うたびに「こら」、パンと頭を叩かれたと書いている。
② 太田喜代子<唯尼庵>
たむらまさきは「唯尼庵が特別な店になったのはキヨのキャラである。…キヨが亡くなってゴールデン街が違ってしまった。」と書く。
③ 佐々木美智子<むささび><黄金時代><ひしょう>
2019年1月19日、<ひしょう>に佐々木美智子を訪ね、1時間ほどゴールデン街を巡る逸話を聞いたが彼女が現役である間は書けないことが多い。
4.思い出横丁との比較
渡辺英綱氏は『新宿ゴールデン街物語』で「路地と路地で結ばれている場所は…新宿に西口の「しょんべん横丁」(いまでは「思い出横丁」と呼び名が変わった)ぐらいになった。」と書く。その思い出横丁とゴールデン街を比較する。
(1) 思い出横丁は第2次世界大戦後のヤミ市がそのまま現在に残る。ゴールデン街はそのヤミ市が露店に変わり、GHQにより三光町に移転させられ、特殊な3階建て木造家屋の青線地帯を作った。新宿駅中心のヤミ市を原点とするは共通しているが、現在の状況は全く異なる。
(2) 思い出横丁は飲食提供が主であり、街の匂いが焼鳥、煮込みなどであるが、ゴールデン街は梯子酒をする観光客のアルコールの匂いである。
(3) 歴史、商店街構成、店舗の特徴、現在の問題点など。(資料8)
5.ゴールデン街の将来
(1) 若い人を中心とした新規出店で街の賑わいを取り戻す。
ゴールデン街は1998年153軒に激減したが、1999年の「定期借家法」成立後、2つの商店街組合がした電気・水道、防火対策などのインフラ整備とあわせ、新規開店者が増え、2008年には246軒まで回復した。2018年現在280軒と拡大している。(資料3)
(2) 外国人観光客の訪問
昨今はゴールデン街を歩く半分が外国人観光客である。
①レトロな街並が人を引き寄せ観光資源になった。
②2009 年「ミシュラン日本版観光ガイド」においてゴールデン街が二つ星の評価を獲得する。
③外国人観光客は2-3軒はしごをしながら町全体の雰囲気を楽しむ。
④ゴールデン街の街並を古き良き東京ということで写真を撮ってそれを SNS に上げるとそれを観た人がゴールデン街を訪れる。
(3) 文化、芸能、アートとの連携
①近隣のよしもとの芸人がゴールデン街を訪問し、それをマスコミが取り上げ、それを見た若い人が訪れるという好循環を形成している。
②新宿ゴールデン街劇場ではゴールデン街の商店街組合と連携し、劇を見終わった人が帰りしなにゴールデン街でいっぱい飲もうという企画をたてている。演劇ファンも新しいゴールデン街文化を担う要素となる。
(4) 昼間・休祭日の店舗活用
昼は飲食の提供、喫茶店として活用したり、朝からちょい飲みできるようにする。休日も昼から梯子酒ができれば「酔眼の街」としての面目躍如である。
(5) イヴェントでゴールデン街を楽しむ
2つの商店街組合が協力して、さくら祭り、納涼祭、フリーマーケットなど多彩なイヴェントを開催しているが、近隣のよしもと、花園神社と提携して芸能、神事、アートなどのイヴェントを開催する。京都造芸大学とのコラボもありえる。横浜から渋谷、新宿、池袋、埼玉へと続く副都心線の新宿3丁目の出入口からゴールデン街は50mほどである。ゴールデン街イヴェントに神奈川、埼玉から多くの人を呼ぼうではないか。
- 資料1 ゴールデン街について
- 資料1 ゴールデン街について
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料3 ゴールデン街の店の変遷
- 資料4 三光町(花園)遊び代
- 資料5 新宿ゴールデン街の2つの商店街組合
- 資料5 新宿ゴールデン街の2つの商店街組合
- 資料6 ゴールデン街人名録
- 資料6 ゴールデン街人名録
- 資料6 ゴールデン街人名録
- 資料6 ゴールデン街人名録
- 資料6 ゴールデン街人名録
- 資料7 新宿ゴールデン街の名物ママとその店
- 資料7 新宿ゴールデン街の名物ママとその店
- 資料7 新宿ゴールデン街の名物ママとその店
- 資料7 新宿ゴールデン街の名物ママとその店
- 資料7 新宿ゴールデン街の名物ママとその店
- 資料8 新宿思い出横丁・ゴールデン街比較
- 資料8 新宿思い出横丁・ゴールデン街比較
- 資料8 新宿思い出横丁・ゴールデン街比較
- 資料8 新宿思い出横丁・ゴールデン街比較
参考文献
参考図書
渡辺英綱著『新宿ゴールデン街』晶文社 1986 年
新宿ウォッチングレポート編集委員会編『新宿ウォッチングレポート』造形社 1988 年
中山あい子著『浅き夢―新宿「まえだ」物語』講談社 1997 年
田中小実昌著「新宿ゴールデン街の人たち」中央公論社 1997 年
『アミューズ 1998 年 11 月 11 日号』毎日新聞社 1998 年
渡辺英綱著『新編・新宿ゴールデン街』ふゅーじょんぷろだくと 2003 年
『荷風』(平成 16 年 7 月 10 日号)「特集大人の新宿」日本文芸社 2004 年
たむらまさき・青山真治著『酔眼のまち・ゴールデン街 1968~98』朝日新書 朝日新聞社
2007 年
小川美千子・川口有紀著『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社 2008 年
野坂昭芳如著『20 世紀断層野坂昭如単行本未収録小説修正Ⅴ』有限会社幻戯書房 2010 年
JG・STUDIO ALTA 編集部編『いまこそ行きたい!新宿ゴールデン街』株式会社 H14 2015 年
金井真紀著『酒場學校の日々』皓星社 2015 年
『AERA』(‘16.11.14)朝日新聞出版 2016 年
渡辺英綱『新宿ゴールデン街物語』講談社+α文庫 講談社 2016 年
藤木TDC『東京戦後地図ヤミ市跡を歩く』実業之日本社 2016 年
佐々木美智子著(岩本茂之聞き書き)[増補版]『新宿、わたしの解放区』寿郎社 2017 年
堀江朋子著『新宿センチメンタル・ジャーニー』図書新聞 2017 年
木曽崇著『「夜遊び」の経済学』光文社新書 光文社 2017 年
佐々木美智子著佐々木美智子写真集製作支援委員会編集『新宿ゴールデン街の人々』七月堂
2018 年
赤木一之編集長『いまこそ行きたい!新宿ゴールデン街最新版』株式会社 H14 2018 年
新宿三光商店街振興組合 HP http://goldengai.jp/about.html#info
新宿ゴールデン街商業組合 Twitter https://twitter.com/s_goldengai
Facebook https://www.facebook.com/goldengai/
国際カジノ研究所所長木曽崇「新宿ゴールデン街の外国人があふれる理由(PRESIDENNT
OLINE 2017.7.6)」 https://president.jp/articles/-/22520
外国人で賑わう新宿ゴールデン街、案内役買って出た店主の思い
https://www.musicvoice.jp/news/20180528095423/
劇作家・俳優 唐十郎(5)新宿ゴールデン街 人情あふれるバーのママ・客
https://www.nikkei.com/article/DGKDZO42595460U2A610C1BE0P00/