尾州半田、醸造に醸された街並み

若尾 憲治

1 はじめに

愛知県半田市は、知多半島中央部、名古屋の南約35kmにある人口12万人の知多半島の中核都市である。
2010年、半田市の中核企業、㈱ミツカンホールディングは、同社が保有する黒い醸造蔵の半田運河周辺の環境整備計画を公表した。その後、半田市と同社は、運河周辺の景観を市の重要な「景観資源」と捉え、運河に沿った醸造蔵が連なる半田の原風景をどう未来に残すかという検討を重ねていく。さらに同じ時期、運河から1km離れた住吉地区に、日本に唯一残る明治のビール工場の産業遺産であり、登録有形文化財、「半田赤レンガ建物」の保存を巡る議論が巻き起こった。
最終的に行政は、総額20億円以上の巨費を投じ、この二つの「景観資産」で構成される街並みの保存、整備を決定した。
小論では、この景観を評価し、次の時代への課題を示す。
小論で述べる景観の範囲は、画像1で示す。

2 歴史的背景

半田市周辺は18世紀の江戸期中期から、酒の醸造で栄えた。しかし、優位に立つ上方の酒蔵との競合リスクから、酢、味醂、味噌などの多様な醸造技術を発達させた。明治に入り、培った醸造技術を基に、地元醸造家たちによって、カブトビールが創業され、大手ビールメーカーの一角まで成長させた。
酒の醸造は明治の後期に入り、上方の酒蔵との競合に敗れ、ビール事業は戦争の激化の中、大資本に吸収され、次第に衰退の道を辿った。しかし、戦後の混乱期、高度成長期、バブル期を経て、この地域は、酢、酒、味噌、溜り、白醤油、味醂など幅広い醸造技術の集積により、大手が作れない手作りの醸造品を求めるユーザーから広く支持を集めるようになった。

3. 4つの「軸」で創られた景観
行政が2010年に策定した景観計画は、次の4つの「軸」が組合わされて構成されたと見ることができる。すなわち、「伝える」、「残す」、「共有する」、「創る」である。以下、具体的な事例を挙げ検証していく。

1)「伝える」+「創る」
このカテゴリーでは、歴史が残したものを、新たに「創る」ことで「伝える」ことが意識されている。

a. MIZKAN MUSEUM(画像2)
この運河エリアの中核施設となっているミツカンの企業博物館である。
かっては古い醸造蔵を再利用した施設であったが、伝統的意匠を継承しつつ、2015年にRC造の現代的な建築に建替えられ、企業博物館として、江戸の醸造文化と伝統的な景観を伝える街の顔となっている。

2) 「創る」+「共有する」
このカテゴリーでは、新たに創られ、その中に公共財として「共有する」という軸が組み込まれている。

a. MIZKAN MUSEUMの中庭(画像なし)
MUSEUMの一部であるが、公共スペースとしての利用が考慮されている。半田市の有形民俗文化財に指定されている地域の祭礼の際、中庭に山車を曳き入れられるなど、コミュニティ行事への活用が意図されている。

b. 運河周辺の周遊歩道(画像3)
この周辺は、伝統的な醸造蔵群の景観の中に、植栽計画、ストリートファーニチャーなどの整備により、優れた公共空間を創り出している。

3) 「残す」+「共有する」
このカテゴリーでは、巨額の費用から「残す」ことの意味が議論され、「市民の資産としての価値」が認められ、保存後の公共財としての活用が組込まれた。

a. 半田赤レンガ建物(画像4)」
明治の建築界の重鎮、妻木頼黄による日本に唯一現存する明治時代のビール事業の産業遺産であり、登録有形文化財である。
ビール事業の歴史資料館としてだけでなく、セミナールームも備え、レンガ造りの雰囲気を生かしたカフェ、コンサートなどイベント会場としても利用されている。

b. 中埜半六邸及び庭園(画像3/運河周遊歩道と共用)
この施設は、後述の「酒の文化館」と「小栗邸」に隣接し、運河周辺の景観の重要なポイントとなっている。2012年、市が建物の無償譲渡を条件に、建屋と庭園を整備し、2015年現在の形態でオープンし、カフェ、レストラン、アートギャラリーやイベント会場としても利用されている。

4) 「伝える」+「残す」
このカテゴリーでは、新たに造られた施設はなく、創建当時のままの建築形態で伝統技術と文化を「伝え」、「残す」ことが強く意図されている。

a.「酒の文化館」(画像5)
中埜酒造㈱の企業博物館である。江戸末期に造られ、1970年まで酒の醸造に使用された醸造蔵を創建時のまま残し、酒の資料館として公開されている。

b. 小栗家住宅
この地で、肥料、綿糸、米穀などを扱う江戸期以来の豪商として知られ、これはその住宅兼店舗である。明治の初期の竣工。国の有形登録文化財に登録されている。

c. 旧中埜家住宅(画像6)
中埜半六の別荘として、明治44年造られた。設計は明治大正期に東海地方各地に大きな建築の足跡を残した鈴木貞二。1976年、国の重要文化財に指定された。

5) 4つの軸では説明できない景観
a. 紺屋海道(画像7)
江戸時代、当時常滑の中心であった大野地区と半田を結ぶ主要街道に繋がる重要な道であった。今は、生活道路ではあるが、半田運河エリアと赤レンガ建物を結ぶ道で観光客の利用も多く、道沿いには秋葉信仰を示す祠など歴史的景観を残す。

4 和歌山県湯浅町との比較

和歌山県湯浅町は、17世紀初頭以来の日本最古の醤油醸造の地である。
2016年に、同町は「歴史的風致維持向上計画書」を策定し、醸造を切り口とした独自の町づくりに着手した。
半田市と同じ、4つの軸をもとに湯浅の事例を見る。
半田市との比較では、財政規模、人口、経済規模など社会構造の点で、湯浅町はかなり小規模であり、核となる中核企業も存在しない。
湯浅町の景観計画の特徴は「残す」と「伝える」に特化し、景観整備にコストのかかる「創る」という軸の施策は少ない。しかし、「創る」という軸に代えて、「再生する」という意味に重点を置き独自性を発揮している。
注目すべき点として、こうした施設の運営は多くはコミュニティの人たちによって行われ、観光客との接点としてだけでなく、住民の方々(多くは高齢の方たち)の交流の場としての利用が強く意識されている。

その代表的な事例として、下記の4事例を見る。
(湯浅中心部のマップは画像8に示す)

1) 旧岡正酒店
江戸末期の酒屋で現在は観光客用の散策の案内所兼休憩所として活用されている。

2) 甚風呂
江戸末期に造られ、1985年まで銭湯として使われ、現在は歴史民俗資料館となっている。

3)北町ふれあいギャラリー
空き家となった明治時代の町屋を改修し、絵画、写真、工芸などの展示を行うギャラリーとして活用されている。

4)まちなみ交流会館
旧小川家を町が買い取り、観光客用の施設として、また地域の交流施設となっている。

湯浅町は、限られた条件の中で、行政とコミュニティの「近さ」、各施設の運営方法を工夫し、住民参加、特に高齢者の参加と言う点で、「街づくり」の中に、「住む人の繋がりづくり」という仕掛けを組込んだ。その着目点が斬新である。

5 次の時代に向けた課題

この地域は、2027年開業予定のリニア新幹線、中部国際空港の第二期拡張プロジェクトなど、恵まれた社会環境にあり、次の時代への課題を次のように纏めた。

1) 醸造文化を醸す地域としての情報発信
知多と西三河地域は多様な醸造技術を持ちながら、半田の酢と酒、武豊のたまり、碧南の味醂、白醤油と言うように、情報発信が一体化されず、醸造の多様性が効果的に発信されていない。

2)  ユネスコの無形文化遺産の街としての情報発信
2017年に「山、鉾、屋台行事」の1つとして世界遺産に登録された半田市亀崎地区の「潮干祭り」は、江戸からの伝統行事であるが、「醸造の街」と関連付けた発信として十分とは言えない。

3) 国際化への対応
この地域内の各醸造蔵の平均輸出比率は50%を超え、むしろ行政より国際化が進んでいる。世界に広まった日本食文化を支える醸造の町としての情報発信とインバウンド対応が遅れている。

6 総括

今回取上げた醸造の街、半田の景観は、近景として黒壁の醸造蔵とそれに調和する現代的な建造物、及び遠景として半田運河周辺に沿った伝統的な建造物で構成された景観、さらに、醸造というインフラの上に作られた明治の赤レンガのビール工場と言う2つの空間が紺屋海道で結ばれ、それらが日本食文化の原点と言える醸造によって形成されたユニークな空間造形である。
そして、その景観は、「伝える」、「残す」、「共有する」、「創る」と言う4つの軸で関連付けられ、18世紀から繋がる伝統と現代造形の両面を併せ持つ景観として整備された優れた事例と評価する。

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    半田市の半田運河から半田赤レンガ建物一帯のマップを示す(出展:半田市観光協会作成「半田市観光ガイド 半田運河・蔵の街・赤レンガ編」より編集)
  • %e8%8b%a5%e5%b0%be2 画像2 MIZKAN MUSEUM(2018年5月3日、筆者撮影)
    2013年まで、木造の古い建造物を博物館として使用していたが、スラップ&ビルトで、2015年、古い醸造蔵のイメージを遺し、RC造による新築で体験型博物館としてオープンした。
    現在は、ミツカン酢の企業ミュージアムであり、半田運河エリアの中核的な建物となっている。
  • %e8%8b%a5%e5%b0%be3 画像3 運河周回道路 及び 中埜半六邸(2018年5月3日、筆者撮影)

    運河周回道路
    運河周辺は電線の地下化が実施され、周辺商業施設の建築も黒い醸造蔵の景観をじゃましないデザインとし、運河中心部を東西に結ぶ源平橋からの眺望は、訪れる人に醸造の街を強く印象付ける景観となっている。
    伝統的な黒の醸造蔵と新たに建替えられたミュージアム関連施設、新旧建築の一体化、加えて、電線の地下化、道路のカラー舗装化、植栽、休憩施設、さらに近隣の民間店舗も含めて周囲の景観に配慮したデザインでコーディネートされている。

    中埜半六邸
    画像左上、運河右岸に見える建築が中埜半六邸である。中埜半六は、ミツカン酢店(現ミツカンホールディング)の創業家の中埜家の分家に当たる。江戸後期より、海運業、醸造業で財をなした。尾張藩御用達在郷十人衆に選ばれ、尾張でも抜きん出た豪商であった。この住宅は明治22年の完成と言われる。
  • %e8%8b%a5%e5%b0%be4 画像4 半田赤レンガ建物(2018年1月20日、筆者撮影)
    1887年、中埜酢店の当主、中埜又左衛門とその甥で敷島製パンの創業者、盛田善平らによって創業されたカブトビールの工場である。この建築の設計者、妻木頼黄は、辰野金吾、片山東熊と並ぶ明治の建築の巨匠である。
    2004年、登録有形文化財の指定を受け、2009年、経産省から明治時代のビール製造の近代化産業遺産としても登録されている。
    1998年市が買い取り、2011年、20億円を超える巨費を投じて耐震工事と内装の改修工事を行い、2013年全面的に一般公開されるに至っている。
  • %e8%8b%a5%e5%b0%be5 画像5 国盛 酒の文化館(2018年9月3日、筆者撮影)
    1985年、中埜酒造(国盛)の新工場の完成を機に、旧醸造施設を「酒の文化館」とし、酒造りの史料を展示している。建物は、江戸末期の建築で、新製造棟が完成する1970年まで使用された醸造蔵がそのまま「酒の文化館」として利用されている。
  • %e8%8b%a5%e5%b0%be6%e4%b8%ad%e5%9f%9c%e5%ae%b6%e5%88%a5%e8%8d%98%e4%bd%8f%e5%ae%85jpg 画像6 旧中埜家住宅(2018年5月3日、筆者撮影)
    中埜半六の別荘として、明治44年に建てられたもの。設計は、重要文化財の旧岡崎銀行本店など東海地方に多くの建築を残した明治建築界の重鎮、鈴木貞次の設計である。1976年国の重要文化財指定となっている。
  • %e8%8b%a5%e5%b0%be7 画像7 紺屋海道(2018年9月3日、筆者撮影)
    紺屋海道は、江戸時代、常滑の大野と半田を結ぶ幹線道路、黒鍬街道に接続する重要な交通路であった。黒鍬の名前の由来は、大野に拠点を置く土木集団、黒鍬衆が各地方の現場へ向かう通り道であったことから名づけられた。明治に入り、この道沿いに染め物業を営む店があったことから、紺屋海道との名前が広まったとされる。
  • %e8%8b%a5%e5%b0%be8%e5%8d%92%e7%a0%94%e7%94%a8%e6%b9%af%e6%b5%85%e7%94%ba%e4%b8%ad%e5%bf%83%e9%83%a8%e3%83%9e%e3%83%83%e3%83%97_pages-to-jpg-0001 画像8 湯浅町の景観マップ (湯浅町産業観光課、まちづくり企画課、湯浅町商工会編集、「醸造の香りに生きる町 歴史の意匠めぐり散策マップ」より編集

参考文献

参考文献
1)日本福祉大学知多半島研究所・博物館「酢の里」共編著、「酢・酒と日本の食文化」、中央公論社、1998年11月15日発行
2)日本福祉大学知多半島研究所・博物館「酢の里」共編著、「酢造りの始まりと中埜酢店、中央公論社、1998年11月15日発行
3)阿部順一著、「東海の産業遺産を歩く」、風媒社、2013年3月21日、第11節ミツカン酢工場群 P42-P44、第12節半田赤レンガ建物 P45-47
4)中部産業遺産研究会編、「ものづくり再発見 中部の産業遺産探訪」、アグネ技術センター2000年4月13日、第3章バイオの源流 PP46-65、第5章赤煉瓦P95-99
5)愛知の産業遺跡・遺物調査保存研究会編、「あいち産業遺産を歩く」、昭和63年7月27日、第3部知田P112-P119
6)青木祐介著、「新・生き続ける明治 妻木頼黄」、㈱LIXIL広報誌、「LIXIL eye」2015年5月 No8号、P4-14
7)田村 秀(投稿記事) 「地域季評 歴史的景観 街の魅力に」2018年12月21日 朝日新聞朝刊 第6面

参考 web資料
1)半田市建築部都市計画課 「半田市ふるさと景観計画」2010年7月策定
  (http://www.city.handa.lg.jp/toshike/keikan/documents/panfu.pdf
   閲覧日 2018年11月15日
2)半田市 「半田赤レンガ建物整備基本計画」2013年8月策定
(https://www.city.handa.lg.jp/kanko/kanko/miru/akarenga/documents/zenbun.pdf)
   閲覧日 2018年4月18日
3)坂口大史、日本福祉大学2017年度地域課題解決型研究 研究報告、「半田市赤レンガ建物と周辺地域を含めた地域活性化まちづくりに関する研究」、坂口大史(報告書の策定期日の記載なし)
(https://www.nfukushi.ac.jp/coc/images/content/research/results/2017/chiiki12.pdf#search=%27%E5%8D%8A%E7%94%B0%E5%B8%82%E8%B5%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%AC%E5%BB%BA%E7%89%A9%E6%95%B4%E5%82%99%E8%A8%88%E7%94%BB%27)
閲覧日 2018年11月1日
4) 半田市観光協会 「半田運河・蔵の街・赤レンガ」マップ(画像1の出典サイト)
(https://www.handa-kankou.com/cms/wp-content/uploads/2018/10/7.jpg)
    閲覧日 2018年5月2日
5)湯浅町 「歴史的風致維持向上計画」 2014年2策定
(http://www.town.yuasa.wakayama.jp/files/lib/2/300/201604011457451983.pdf)
6)湯浅町 「湯浅伝統的建築物保存地区」マップ(画像8の出典サイト)
(http://www.town.yuasa.wakayama.jp/publics/index/31/&anchor_link=page31#page31)
   閲覧日 2018年4月18日

湯浅町現地取材
取材日 2018年5月18日 午前10:00~午後14:30
湯浅町の街並み保存活動の概要及び現状については、湯浅町伝統保存会副会長、邊宗五(はんべそうご)氏に、現地街並みをご案内頂く中でお話しを伺った。

年月と地域
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