「CUPNOODLES MUSEUM 大阪池田」-チキンラーメン完成から世界そして宇宙へ―
はじめに
日清食品ホールディングスの創業者である、安藤百福(1910年~2007年)は池田市の自宅の裏庭に建てた小屋にて、試作を繰り返し世界で初めてのインスタントラーメンである「チキンラーメン」を生みだした。大阪府池田市にある「CUPNOODLES MUSEUM 大阪池田」は、安藤百福氏の歴史を知る事が出来る場所であり、体験型のアトラクションにて「チキンラーメン」や「カップヌードル」を作る事ができる。
1.基本データとチキンラーメン開発の歴史的背景
施設名:「CUPNOODLES MUSEUM 大阪池田」
所在地:〒563-0041 大阪府池田市満寿美町8-25
連絡先: TEL: 072-752-3484 (受付時間 9:00 〜 16:30 休館日を除く)
開館時間:9:30 〜 16:30 (入館は15:30まで)
休館日:火曜日 (祝日の場合は翌日が休館日)、年末年始
設備メンテナンスのため、2023年12月26日(火)から2024年1月31日(水)は休館
入館料:無料
アトラクション利用料:チキンラーメンファクトリー 小学生600円/中学生以上1.000円 マイカップヌードルファクトリー 一食500円
安藤百福氏は、1910年3月5日誕生。早くに両親が他界した事により呉服店を営む祖父に引き取られ炊事や掃除・洗濯などの家事を身に着け商家の人間として教育され育てられた。独身時代に自炊が出来るようになり、その時に身に着けた料理がチキンラーメン開発に大きな助けとなり、商売に関しても、祖父から手ほどきを受け、やり抜く事の大切さを教わったのである。
太平洋戦争後の大阪梅田にあった闇市で屋台のラーメンを食べる為の大行列を目にした。当時はすいとんなどを食べる事ができれば良かった時代。寒さの中列を作ってラーメンを食べる人を見て、「ラーメン」という食に初めて興味をもった。
第二次世界大戦の影響で、飢えに苦しむ人達が多く、食が人に与える影響はとても大きいのだと実感し、食の道へと進む事にした。造語で日清食品の理念として掲げる「一食足世平(食足りて世は平らか)」は、この時の体験がきっかけになっている。池田市の自宅の裏庭に、研究小屋を建て研究テーマは「家庭で手軽に味わう事が出来、お湯を注ぐだけ作れるラーメン」であった。ラーメンを作るにあたって5つの条件を考え1.おいしくて飽きない味2.保存性が高い3.調理が簡単4.値段が安い5.安全で衛生的とした。長期保存する為には麺の乾燥とお湯を注げば食べられる方法が大きな壁となったが、妻が台所で天ぷらを揚げている時にアイデアが閃き、麺を油で揚げる際に穴が開き、お湯を注ぐと穴から吸収され柔らかくなった。保存性と簡便性をともなった二つの悩みを解消し、油で揚げる方法を「瞬間油熱乾燥法」と名付けた。
2.インスタントラーメンの国内外の評価と新しい発見
1958年3月に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が完成。完成に至るまでに、家族で取り組む中でチキンスープの事を「チキン」と連呼しており、そこからチキンラーメンの名前が生まれた。国内での販売はスムーズに進まなかったが、アメリカにいる貿易会社の知人に試作品を送ったところ、直ぐに500ケースの注文が入り海外輸出をきっかけに、食べ物に国境が無い事と材料をチキンにしていた事で宗教上の禁忌もなく世界中で愛される商品になる可能性があった。1958年に6月に、大阪梅田の阪急百貨店で試食販売を行い用意した500食は完売したものの、問屋の反応は悪かった。理由として価格が一食35円、当時うどん玉が6円・乾麺が25円の中で問屋からすれば誰が35円払うのかと取引に慎重になっていた。しかし、問屋から注文が殺到した。理由は消費者が欲しがったからである。チキンラーメンは消費者の支持を受け大ヒット商品になり、安藤百福の想像力と信念が実った。
チキンラーメンは、手軽でおいしい食品として日本国以外でも食されている。清朝最後の皇帝の「ラスト・エンペラー」の通称を持つ愛新覚羅溥儀(1906年~1967年)は、1967年に息を引き取る前に見舞いに来た弟嫁に食べたいものを聞かれた際、チキンラーメンを所望した。過去に、弟嫁が日本から送ってもらった物の中にチキンラーメンが入っており、それを食した溥儀が病床で求めたのが、チキンラーメンだったのである。百福自身も、溥儀がチキンラーメンを食した事を知っており、北京の故宮(旧紫禁城)を訪ね玉座の前に供えている。
イギリス人ミュージシャンであるエルビス・コステロ(1954年~)は、2008年に6月に「Momofuku」というタイトルのアルバムを発売している。それは、安藤百福の名前からとった物で2007年に他界した百福を偲んで制作された物であり、販売当時にコステロは「やることと言ったら、お湯をかけるくらいだった」とメッセージを残している。
百福が初めて欧米に視察旅行へ出かけたのは1966年である。即席麺を世界へ羽ばたかせる為に、ロサンゼルスの大手スーパー・ホリデーマジック社へ向かいチキンラーメンの試食をバイヤーに頼んだもののどんぶりが無い。バイヤーの一人が紙コップを持ってきてチキンラーメンを二つに割ってカップに入れ、お湯を注ぎフォークを使って食べたのである。そこで、百福は「どんぶりと箸があれば簡単に食べれる」という開発思想と「カップとフォークで食べれる」事に気づいた事により、おいしい物に国境はない中で各国の習慣の違いも解決できた。それが「カップヌードル」の開発に繋がったのである。
3.チキンラーメン宇宙へ
1958年に「チキンラーメン」発明・1971年「カップヌードル」発明。そして3番目となるのが2005年「スペース・ラム」の発明であり、百福の夢である「宇宙食の開発」が成功。米国やロシアも宇宙食を開発しており欧州宇宙機関も宇宙食を供給している。米国のマーキュリー時代(1962年~63年)には一口サイズの固形食・歯磨きチューブに似た容器へクリーム状のものやゼリー状の食べ物を味ではなく栄養面で補う物であった。現在、各国の宇宙食も地上に近い食事へと変化している。
商品開発に至っては、宇宙食の条件を満たす必要があり、技術的な課題も多く給湯温度は75度で柔らくなる麺と無重力空間でスープが飛び散らないようにとろみをつけ、麺も一口サイズのボール状にし、嗅覚と味覚が鈍る為スパイスを多めに味を濃くした。2005年7月に、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗した野口氏と共に百福の夢も宇宙へと向かった。ディスカバリー号フライトの時には、スペース・ラムの味は「しょうゆ味・みそ味・カレー味・とんこつ味」の4種類。宇宙空間で、野口宇宙飛行士がおいしそうに食べている写真も残されている。
2007年6月「宇宙日本食ラーメン」「しょうゆ・シーフード・カレー」の3種類がJAXAに認証され、2020年8月19日(水)に新たに開発した宇宙食4品「日清スペースチキンラーメン」「スペース日清焼そばU.F.O.」「日清スペースキーマカレーメシ」「日清スペースハヤシメシ」が、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構 (JAXA)が宇宙日本食として認証され、国際宇宙ステーションに滞在予定の野口 聡一宇宙飛行士の携行品となった。
4.今後の展望について
日本から海外、そして宇宙へと日清食品の麺類が食べられるようになっている。世界各国で宇宙への関心は、昔より高まり民間人が宇宙へ行ける時代。人間が生きる為に必要な、食事は人体に必要な栄養も必要であり宇宙食となったチキンラーメンは、これからの未来の食事として一般化されて行くと思う。そして、地球上で起こる様々な自然災害時においても、チキンラーメンやカップヌードルは人に食の幸せと温もりを届けて来た。これからも、「宇宙日本食」が災害時に対応できる品物であり、食の安全と栄養が開発されて作られている事実を、日本国民にもっと宣伝する必要がある。
5.まとめ
明治生まれの百福が、大正・昭和・平成と多くの挑戦を繰り返し「チキンラーメン」・「カップヌードル」・「スペース・ラム」・生めんタイプの即席麺「ラ王」「ごんぶと」「スパ王」など次々に新しい商品を発売し続けており、まだ「宇宙日本食」は身近な存在ではないが、これからも新しく誕生していく日清食品の麺類を食べ続けて行きたいと思う。
- COPNOODLES MUSEUM大阪池田外観
- カップヌードルミュージアム1階 ラーメンのパッケージを見ても歴史を感じる。
- カップヌードルミュージアム1階 インスタントラーメン開発者の物語が壁面に展示されている。
- カップヌードルミュージアム1階 チキンラーメンが誕生した研究小屋の再現場所。
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カップヌードルミュージアム2階 チキンラーメンファクトリー
楽しい時間を過ごせます。 -
カップヌードルミュージアム2階 安藤百福の軌跡
宇宙食ラーメン「スペース・ラム」が野口宇宙飛行士と宇宙へ。 - 「日本災害食」 宇宙食が自然災害時にもなっている。
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「宇宙日本食」 スペース・ラムから後に、新たな商品が作られている。
(非公開)
参考文献
山我 浩『安藤百福物語』毎日ワンズ 、2019年
浅水 美穂 山下 達広『安藤百福と仁子の人生』 MSムック、2018年
田中久志 学研まんがでよくわかるシリーズ 48 新版『インスタントラーメンのひみつ』
学研パブリッシングコミュニケーションビジネス事業室 、2010年
安藤百福『魔法のラーメン発明物語 私の履歴書』日本経済新聞社、2002年
日清食品株式会社広報部∥編集 フーディアム・コミュニケーション株式会社∥編集
『日清食品・創立40周年記念誌 Essentials of Nissin』 日清食品 1998年
CUPNOODLES MUSEUM 安藤百福発明記念館 大阪池田
https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/osaka_ikeda/ 2023年12月31日閲覧
CUPNOODLES MUSEUMパンフレット
https://www.cupnoodles-museum.jp/uploads/2022/09/osaka_ikeda-brochure_ja-202210.pdf 2022年12月6日閲覧
日清食品ホールディングス株式会社
https://www.nissin.com/jp/about/nissinfoods-holdings/ 2022年12月6日閲覧
NISSIN GROUP 2020.09.12 日清食品ホールディングス お知らせ
「「日清スペースカップヌードル」に続き、宇宙日本食認証を取得! 「日清スペースチキンラーメン」「スペース日清焼そばU.F.O.」「日清スペースキーマカレーメシ」「日清スペースハヤシメシ」が誕生」
https://www.nissin.com/jp/news/8934 2023年1月3日 閲覧
HUFFPOST「「ラストエンペラー」溥儀の没後50年。波乱の生涯をふり返る(写真集)
晩年の好物は、日本の「アレ」だった。」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/the-last-emperor-pu-yi_jp_5c5b6faae4b0faa1cb678b70
2023年1月3日 閲覧
UNIVRSAL MUSIC JAPAN「百福」エルビィス・コステロ
https://www.universal-music.co.jp/elvis-costello/products/uicm-1047/ 2023年1月3日 閲覧
ANDO Foundation 公益財団法人 安藤スポーツ・食文化振興財団
https://www.ando-zaidan.jp/ 2023年1月3日 閲覧
JAXA 有人宇宙技術部門 Humans in Space 「宇宙日本食」
https://humans-in-space.jaxa.jp/life/food-in-space/japanese-food/ 2023年1月3日 閲覧
JAXA 有人宇宙技術部門 Humans in Space 「宇宙日本食認証食品が「日本災害食」認証申請を行う場合、 審査項目の一部が省略されることになりました ~宇宙日本食の地上生活での活用へ~」
https://humans-in-space.jaxa.jp/biz-lab/news/detail/001966.html 2023年1月3日 閲覧
一般社団法人 日本災害食学会
http://www.mmjp.or.jp/TELEPAC/d-food/certification.html 2023年1月3日 閲覧
JAXA宇宙航空研究開発機構 宇宙ステーション・きぼう 公報・情報センター
宇宙食日本 「各国の宇宙食」
https://iss.jaxa.jp/spacefood/overview/countries/ 2024年1月22日 閲覧
JAXA宇宙航空研究開発機構 宇宙ステーション・きぼう 公報・情報センター
宇宙食日本 宇宙食とは 「宇宙食の条件」
https://iss.jaxa.jp/spacefood/overview/condition/ 2024年1月22日 閲覧