「薬師池公園」は、なぜ町田市を代表する公園なのか。
「薬師池公園」は、なぜ町田市を代表する公園なのか。
はじめに
東京都町田市の薬師池公園は、町田市を代表する公園とされており、近隣住民だけではなく市外や都外からも多くの人が訪れている。
本稿では、その理由を探るために、歴史的背景や聞き取り等の調査結果を報告し、今後の展望について考察する。
1. 基本データ
所在地
東京都町田市野津田町3270番地
構造
多摩丘陵が侵食してできた高低差40mもある谷戸(やと)の空間に、人間が手を加えた二次的自然と歴史的建造物が存在し維持・管理されている。
規模
敷地面積141,654㎡(東京ドームの建築面積46,755 m²の約3倍である。)
薬師池面積7,650㎡
大賀ハス田面積3,000㎡
南北に最大約700m、東西に最大約260mのいびつな形である。
2. 薬師池公園の歴史的背景
なぜ「薬師池」という名前なのか。
2-1 室町時代~江戸時代
薬師池公園の薬師池は、当時、福王寺溜井と呼ばれており、地下水が溜まる場所になっていた。しかし、農業用水用としては水が足りず、鶴見川と境川からも水を引いていたという。この地域には、他にも小山田川鎧ヶ淵堰、小野路川綾部橋堰、溜井下堰、図師村岩堰用水掘などがあったとされている。
町田市自由民権資料館の小林氏は、「河井家に保管されている1577年の北条氏照の印伴状には、池を開拓するように書いてありましたが、今の薬師池のことは書かれていません。でも、河井家家譜の記録には記されていたと思います。」と語った。
町田史史料第五集(p112~113)の河井家家譜で確認すると「福王寺谷二溜井を掘」と記されており、「福王寺谷」とは「福王寺溜井」だと考えらる。これは、この時代に今の薬師池の開拓が始められたということである。
福王寺溜井は、1577年から13年かけて開拓されたが、1707年の富士山噴火の火山灰や1728年の大洪水での土砂崩れ、1817年の谷戸へ流れ出した泥や砂などで3度も埋まった。しかし、埋まるたびに近隣の村人だけではなく、現在の成瀬や高ヶ坂に住む村人たちも加わり池が掘りなおされ、徐々に大きさや形が変化し、現在の形になったといわれている。
2-2 明治時代 池の呼び名が福王寺溜井から薬師池へと変わる。
その理由は?
現在、公園の西側の尾根に建つ薬師堂は、元々は別の場所に建っていて福王寺という名前の寺だったが、新田義貞(1301~1338)軍の兵火で焼失し、1883年に現在の場所に再建されたということだ。そこに薬師如来坐像が祀られたため福王寺は薬師堂と呼ばれるようになり、薬師堂から見える福王寺溜井は薬師池と名前が変化したのである。
2-3 昭和になると池の役割が変化する。
昭和になると、日本は高度経済成長の時代に入り、この地域も農業用地や山、雑木林をつぶして道路や団地、住宅が多く造られるようになっていき、それと同時に、薬師池が持つ農業用水用の溜池としての役割と必要性は失われつつあった。
しかし、1961年に薬師池周辺が七国山風致地区と都市計画公園に決まり、薬師池周辺は自然保護と都市公園としての整備が進められていくことになったのである。
1965年11月には第一次5ヶ年計画事業が承認され、1968年までに池までの侵入工事や池の護岸工事が行われた。池には太鼓橋が架けられ、昔の道を活かしながら公園外周路や園路が整備され、来園者を意識した開発が進められていった。1971年には薬師池基本計画書が作成されたが、途中で計画の修正も行われた結果、やくし茶屋や売店等が造られ、1976年4月に町田市立薬師池公園として開園したのである。
440年以上の歴史の中で、池や寺の呼び方は変化し、薬師池は農業用水用の溜池としての役割を終え、薬師池のある谷戸周辺は観光を意識した空間へと変化していった。
3. 薬師池公園の評価の対象
3-1 昔の地形を極端に変えずにデザインされている。
具体例
①東西の地形断面図 (資料1)
大規模な地形開拓はなく、土砂崩れを防ぐための土留板の設置や池の護岸工事がされた。池の畔には観賞用のイロハカエデやソメイヨシノが植栽され、池の東側の水田横に園路が造られた。西側の水田・麦畑・桑畑・ススキだった場所には、紅白の梅・ツツジなどが植栽され、昔の道を活かして園路が整備された。
②南北断面図 (資料2)
池の畔にソメイヨシノやクロマツが植栽された。池の南側の水田だった場所には、園路が造られアジサイが植栽された。棚田は地形を活かして花菖蒲田として生まれ変わった。
池の北側の棚田は半分ほど埋め立てられ、人々の集いの場として芝生広場やフォトサロン、休憩所が造られた。また、明治時代にこの地域で盛んだった自由民権運動を忘れないために自由民権の像と鐘が造られた。そして、クロマツ、芝、椿、ケヤキ、縄文時代のハスの種から花を咲かせた大賀ハス(ハスを発芽させた故大賀博士にちなんだ名称)も植栽された。
3-2 歴史的建造物と仏像・天井画が保護・管理されている。
歴史的建造物(資料3)
①1883年に再建された薬師堂。
②17世紀後半に建立された農家の旧永井家住宅。※国重要文化財
③江戸時代末期に建立された医家の旧荻野家住宅。※都有形文化財
仏像と天井画(資料4)
①薬師堂には薬師如来坐像が祀られている。※市有形文化財・秘仏
(薬師如来坐像が拝観できるのは、12年に1度の寅年4月上旬から1ヶ月ほど)
②薬師堂の内部の天井に、1897年に狩野派の絵師、狩野信矩によって描かれたものがある。
(薬師堂の内部は、1月と11月の限られた日にしか観ることができない)
薬師堂を管理している華厳院の住職は「この巻物(資料5(A))に、薬師如来坐像は、この地を訪れた行基菩薩(668~749)が、多くの苦難から村人を救いたいという思いで彫らせたと記してあります。天井画は再建された後に祀られましたが、薬師堂の屋根は、当時は藁ぶき屋根だったので雨水が絵にシミが付いて見えないくらいだったのですが、専門家に頼んで2ヶ月かけて修復作業してもらいました。」と語った。
3-3 「福祉の充実」という精神が受け継がれている。
町田市役所公園管理課の新氏は、「これは、私が仕事を引き継いだ時の話なんですけど、当時の市長だった大下氏は、公園の開発計画を立てるときに、支援を必要とする人たちが働ける場を造るほうが優先されるべきだ、という強い考えを持っておられて、その考えに基づいてやくし茶屋や売店などが造られたそうです。」と語った。やくし茶屋や売店は現在も営業されており、やくし茶屋では薬師池公園名物のやくし団子やハスの実最中、薬師ブレンド、売店では特製出汁のうどんやそば、地野菜などが販売されている。
3-4 公園の維持・管理に携わる人々(資料6)
二次的自然の維持・管理には、さまざまな人たちが関わっている事を再認識する。
4. 薬師池公園の得筆されるところ
「名勝」「新東京百景」「日本の歴史公園100選」に選ばれている。
都内には、都が指定した「名勝」が10カ所ある。その中で「新東京百景」に選ばれたのは、薬師池公園、等々力渓谷、清澄庭園の3ケ所だ。そして、その3ケ所の中で「日本の歴史公園100選」にも選ばれているのは薬師池公園だけである。(資料5(B))。
5. まとめ
「なぜ、薬師池公園が町田市を代表する公園なのか」その理由は、
①昔の地形と二次的自然を活かした公園造りがされているため、この地域特有の昔の生活感や暮らしの息吹を感じさせる風景になり、人々の心を引き付ける力がある。
②歴史的建造物や薬師堂の仏像・天井画などの貴重な文化財が存在する。
③それらの保護・維持・管理がきちんと行われている。
などが考えられる。
そして、その背景には、いつの時代も人間の心のはたらき、精神が大きく作用してきたことを忘れてはならない。
町田市は、現在も「町田市緑の基本計画2020」や市民の意識調査をしながら公園整備を進めているが、町田市を代表する公園として後世に残していくためには、二次的自然や文化財の維持・管理を担う人材育成や薬師池公園を知らない人々に対して、公園の魅力を情報発信していくシステム作りも必要だと考える。
最後に、調査にあたり、ご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。
参考文献
『薬師池をさぐる 改訂版』
2002/4月 町田市立図書館郷土資料研究会/編 町田市都市緑政部公園緑地課
『町田市薬師池公園 四季彩の杜 魅力向上計画』
2014/6月 町田市都市づくり部公園緑地課/編 町田市
『福王寺旧園地(薬師池公園)保存管理計画策定調査報告書』2012/3月 町田市都市緑政部
『薬師池』2002/10月 町田市立藤の台小学校・昔を訪ねる会
『薬師池 萬葉草花宛』1990 町田市薬師池公園管理事務所/編 町田市身体障害者福祉協会
『薬師池公園ガイドマップ』町田市
『町田の歴史をたどる』2002/11月 町田の歴史をたどる編集委員会 町田市教育委員会
『町田の公園とみどりガイド』 1989 町田市公園緑地課
『町田市史史料集 第五集』 1972 町田市史篇籑委員会
『東京の公園と原地形』 田中正大著 2005/6月 けやき出版
『町田市公園緑地等一覧表2』 2016/4月 都市づくり部公園緑地課
『町田市緑の基本計画2020
町田の環境文化を育む多摩丘陵・里山回廊の保全・再生・活用に向けて』
2016/3月 町田市都市づくり部 公園緑地課/編
『町田市都市計画マスタープラン』
2013 地域別概要版 町田市都市づくり部 都市政策課/編 町田市
『(仮称)七国・薬師池地域魅力向上計画(案)市民意見公募実地結果』
2014町田市都市づくり部 公園緑地課/編 町田市
参考URL
町田市ホームページ www.city.machida.tokyo.jp/
東京都教育委員会 www.kyoiku.metro.tokyo.jp/
東京都文化財データベース bunkazai.metro.tokyo.jp/
国土地理院図 maps.gsi.go.jp/
Googleマップ maps.google.co.jp/
聞き取り調査
町田市公園緑地課:3名(新氏・江口氏・八木氏:2016.11.7・11.9 ・11.11・12.12)
華厳院:3名(住職・他2名:2017.1.11・1.12 ・1.21)
町田市立自由民権資料館:1名(小林氏:2017.1.24)
薬師池公園ボランティアガイド:1名(永島氏:2016.11.12)
水質調査の人:3名(2016.12.6・2017.1.11)
剪定の人:3名(2016.12.6・2017.1.11)
藤棚、芝生工事の人:2名(2016.2.26)
やくし茶屋に勤務している人:2名(2016.11.12)
うどん屋に勤務している人:3名(2016.11.12)
高齢者施設の付添人:3名(2017.11.7)
障がい者施設の付添人:1名(2017.117)
参拝に来ている人:6名(2016.11.12・2017.1.12)
東京都教育委員会:1名(2017/1/6電話にて)