那覇新都心・おもろまち―都市空間デザインが齎すまちの可能性―

屋良 イナコ

はじめに

12月下旬に著者は、おもろまちに出向いた。
本稿テーマ「那覇新都心・おもろまち」とは、沖縄県の再開発地区・那覇新都心の中心部を形成する新しい街の名称である。
当地域一帯は以前、国道58号線¹⁾の片側車線東側沿いに広がるフェンス内に、「牧港住宅地区²⁾」の駐留軍用地を有していた。現在は全面返還に至り、当地域復興の再生過程にある。著者は学童保育時に近隣で過ごした経験から、この偏移に興味を抱いた。
本稿文化資産報告書を契機に、新たな都市創成の発展を目指す、那覇新都心・おもろまちの都市空間デザインを評価・検証し考察を試みた。

所在地:沖縄県南部の那覇市北部、県都から車で約15分の場所に位置する。(図1、2)

構 造:沖縄県の那覇新都心・都市センター地区おもろまち町丁を示し、上乃屋、天久、安謝、銘苅の4つの町丁と隣接する。

規 模:敷地面積[返還面積]=214ha[全部]の一部区画[那覇市おもろまち1丁目~4丁目圏内]とし、歴史的変遷においては全部区画を対象とする。

おもろまちには平成9年(1997)に、那覇中環状線³⁾[以後新道路と記す]が開通し、一般市民が新都心地区に立ち入る架け橋を担った。アカギ並木が緑陰する道路形態である。
平成11年(1999)に「シビックコア地区整備計画⁴⁾」が、新道路を中心に整備され、これによって回遊的歩行者動線の範囲に、官公庁や公益施設、行政サービスの集積を図り、利便性と地域色を高め、商業発展を齎した。
国道330号線⁵⁾の市街地上空10mの高架橋に、モノレール⁶⁾が運行し、おもろまち駅は新都心の玄関口となった。また当駅は隣接の路面型免税店「Tギャラリア沖縄」との連絡通路⁷⁾や交通広場⁸⁾と結ばれ、市民の生活インフラの相乗に貢献する媒体である。(a)
新道路を西に進むと、大型商業施設「サンエー那覇メインプレイス[以後サンエーと記す]」があり、当施設看板は「那覇市サインデザインマニュアル⁹⁾」に則り、景観配慮され、黄の地色を白に変更した。当施設沿道に突出したコーヒーチェーン店のテーブル席が、都市の喧噪を小気味よく中和させ、活気要素の輔翼となっている。(b)
中心部交差点には文化育成面の中核である沖縄県立博物館・美術館¹⁰⁾がある。(c)
美術館を過ぎると新道路上空に「おもろ花風橋(d)」が架かり、この橋を南に行くと近隣の黄金森公園に通じ、また橋を北に行くと新都心公園(e)に通じている。
新都心公園内緑化センター地下室には、防災備蓄品の備えがあり、災害時及び緊急時に市民の避難場所となり、¹¹⁾また日頃は一般市民が各種競技施設で競技に熱中し、多彩な景観形成を組成する都市公園となっている。公園内には「おもろ天空橋(f)」の起点もあり、東に行くと新都心中央線¹²⁾の上空に架かり、サンエー裏の緑化地帯を終点地として、おもろまち駅へと誘導の動線体となる。この二つの橋は歩行者専用道路として、市民の都市空間の憩いと利便性、安全面の収得、活気を齎すアメニティー媒体となっていた。(図3)

この地域一帯は首里王朝の尚円王¹³⁾の時代に直轄地として統治された経緯がある。真和志間切り¹⁴⁾の北部地域で7つの集落¹⁵⁾を形成し、サトウキビ生産の盛んな地域であった。銘苅地区は組踊り『銘苅子』¹⁶⁾の舞台であり、古墓群等の歴史的遺産も数多い。¹⁷⁾天久は闘牛場を有し農村地帯を形成し、また東側には「ケービン」と親しまれた沖縄県営鉄道¹⁸⁾が運行していた。¹⁹⁾

第二次世界大戦の、昭和20年(1945)3月26日のアメリカ軍の慶良間諸島上陸²⁰⁾を起因に、沖縄本島は地上戦となり、この地は「シュガーローフの戦い²¹⁾」と記録され、日米両国合わせて5000人以上の犠牲者を出し、激戦地となった。(g)
戦後は昭和28年(1953)~30年(1955)の米軍の強制接収で軍用地を有し、昭和40年(1965)から全6回に亘る軍用地の部分返還の後、昭和62年(1987)に全面返還(図4)に至り、軍用地跡地利用計画の取り組みが協議、遂行された。
「那覇新都心開発整備事業²²⁾」によって、平成10年(1998)4月1日に「沖縄県立那覇国際高校」が、当地区の建物第1号として開校した。この日を境に新都心は新たな都市形成を邁進し、県都近隣中心街²³⁾と共に経済発展を志す地域形態となった。

比較対象事例に、沖縄県中部の駐留軍用地跡地利用・北谷町美浜の「美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ」[以後美浜タウンと記す]」を挙げ、考察を試みた。
北谷町は現在も町面積の約52.3%²⁴⁾を駐留軍用地として占用されている。
昭和56年(1981)に、西海岸北前のハンビー飛行場跡地(42.5ha)と、桑江[現在美浜]のメイモスカラー射撃場跡地(22.9ha)の返還を契機に、「土地区画整理事業」を遂行し、ここに北前の海浜公園造成や大型商業施設の誘致の他、桑江は背後地49haの公有水面埋立を行い、16.7haの商業・業務用地など、6haの公共駐車場用地を整備し(h)、「美浜タウン」が誕生した。以後周辺地域一帯の商業集積の発展と経済振興を先行する活気ある街へと変貌を遂げた。²⁵⁾
独創的低層型の建築物を主体に、西海岸リゾート色を提起し、シンボル道路東側の直径50mの大観覧車(i)が街の象徴である美浜タウンに対し、おもろまちは都心型の高層型の建築物を主体に、文化芸術面に準じる沖縄県立博物館・美術館を街の中心に据え象徴としている。
米国カリフォルニア州サンディエゴを模した、異国の平坦で簡潔的動線体を導入し、店舗群を迷路状に配する工夫で、テーマパーク的演出要素の比重を高めた美浜タウンに対し、おもろまちは精緻的構造の立体的動線体を導入し、歩行者専用道路など都市空間の多様性に比重を置き、人と街の共生的利便性を高めた。(j)
「日帰りリゾート」を理念とし、埋立立地の解放感を活かし、シーポート北谷カーニバル²⁶⁾等の大型企画実践による、相乗的周辺施設の集客に繋げる美浜タウンに対し、おもろまちは「亜熱帯庭園都市²⁷⁾」を理念とし、路面型免税店といった沖縄固有の地域特性を活かし、空港と直結するモノレール機能の利便性を活用、高級ブランド志向の集客に繋げる商業展開を行っている。
鮮彩な外観形成、施設形態を基本に、駐留軍人やその家族も居住する一面を国際性へと変転、街活性の共生と好転に繋げた美浜タウンに対し、おもろまちは「タウンカラー:コーラルホワイト²⁸⁾」の色味を基本に、建築物等の外観形成を規制し、都市圏が齎す整然と風格を有する施設形態を司り、加えて情報を網羅した地域色を基盤に好転する都市空間であると分析した。

おわりに

県都に程近い立地を有したおもろまちは、県発展の未来に新たな拠点を担う各中枢機能と、文化的住環境の充実を指針に、都市空間の創生を構築していた。
街を歩く中で環境緑化推進等の植栽管理体制、都市環境保全面の雑然的印象も受けた。また車社会沖縄の道路渋滞の緩和や住民の健康促進を鑑み、モノレール機能等の活用性は重要であると考え、他地域への未開発経路の延伸²⁹⁾を今後に期待したい。
おもろまちは現在、空白の接収体制を乗り越え、都市開発を基軸に地域特性を再考し、模索と挑戦の半途にある。さらに再開発地域とは、沖縄の基地経済依存³⁰⁾の側面を払拭する決意と意志の表明であり、また社会形成を組み直し、自立を齎す構築の投影であると気付かされた。
都市空間のインフラ整備、観光商業開発(図5)、雇用問題の改善など、幾多の諸問題と対峙し、たゆまぬ前進の上に、再開発地域の更なる発展が今後の平和社会の礎となり、県民の生活向上の未来に可能性を齎す意義として、存在し続ける事を望み託し願いたい。

  • %e5%b1%8b%e8%89%af1 図1:新都心位置 那覇新都心物語編集委員会・那覇新都心地主//[編]著『未来の物語をつくる 那覇新都心物語ビジュアル版』(那覇、2007)
    図2:おもろまちの範囲 Googleマップ|https://www.google.com/maps
  • %e6%96%b0%e9%83%bd%e5%bf%831-1 a)2018年12月22日著者撮影 b)2018年12月22日著者撮影 c)2018年12月22日著者撮影
  • %e5%b1%8b%e8%89%af3 d)2019年1月17日著者撮影 e)2018年12月22日著者撮影 f)2019年1月17日著者撮影 g)2018年12月22日著者撮影
  • %e5%b1%8b%e8%89%af4 おもろまちの都市空間デザインマップ・著者作成
    〔色説明〕(黄)商業地帯、(緑)緑化地帯、(紺)文化施設、(水色)住宅地・マンション、(青)官公庁・行政・公益施設など、(黄緑)駅及び連絡通路
  • %e5%8c%97%e8%b0%b7%e7%94%ba1-1 h)2019年1月13日著者撮影 i)2019年1月13日著者撮影 j)2019年1月13日著者撮影
  • %e3%80%90%e4%bf%ae%e6%ad%a3%e3%80%91%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%95 図4:牧港地区全面返還経緯 ※内容について下記資料を基に著者作成[西暦は著者記載による]沖縄県公式ホームページ|https://www.pref.okinawa.jp|22頁
    図5:入域観光客数と観光収入の推移 光文堂コミニュケーションズ(株) 編集・制作『沖縄県の概況』沖縄県知事公室 広報交流課 企画・発行、2016

参考文献

参考文献
1):国頭村奥から西側4市2町4村を縦貫する主要幹線道路。実延長(陸上区間のみ):122.3㎞ ※現延長に相違点がある場合は了承を願う。
沖縄大百科事典刊行事務局・編 比嘉 敬・発行『沖縄大百科事典 中巻』
(沖縄タイムス社、1983)
2):空軍及び陸軍の将校、下士官並びに軍属用の住宅地として利用され、プール、スケート場、ゴルフ場、PX、小学校等の関連施設も配置され、およそ3000人の軍人、軍属及びその家族がすんでいた。
沖縄県公式ホームページ|https://www.pref.okinawa.jp
3):那覇中環状線の開通について|
那覇市ホームページ|https://www.city.naha.okinawa.jp 
4):内間 安晃・発行人『那覇新都心物語』(那覇新都心地主協議会 2007年)・91頁国土交通省|シビックコア整備計画事例|https://www.mlit.go.jp
5) :沖縄市照屋を起点に旭町[旭橋]を終点とする路線。実延長23.7㎞
※現延長に相違点がある場合は了承を願う。
沖縄大百科事典刊行事務局・編 比嘉 敬・発行『沖縄大百科事典 中巻』
(沖縄タイムス社、1983)
6):沖縄都市モノレール|https://www.yui- rail.co.jp
7):駅に隣接して立地する施設との利便性の向上を図る連絡通路、連絡橋を5駅[那覇空港駅、小禄駅、壺川駅(橋)、おもろまち駅、古島駅]に整備した。
沖縄県公式ホームページ|https://www.pref.okinawa.jp
8):利用客の利便性、快適性を図るため、交通結節機能の確保を目的に、タクシー乗り場、一般乗用車の乗降場、駐輪場を8駅[赤嶺駅、小禄駅、壺川駅、旭橋駅、県庁前駅、美栄橋駅、おもろまち駅、古島駅]に配置した。
沖縄県公式ホームページ|https://www.pref.okinawa.jp
9):「那覇市サインデザインマニュアル(平成3年(1991)策定)[景観法第8条第2項第5号イ関連:屋外報告物の表示等に関する行為の制限に関する事項]」
那覇市景観計画|https://www.city.naha.okinawa.jp・87頁
10) :老朽化した県立博物館の建て替え及び、初の県立美術館を那覇新都心へ合築。平成19年(2007)11月1日開業
公共建築[沖縄県立博物館・美術館]|受賞対象一覧|
good design…-グッドデザイン賞|https://www.g-mark.or
11):那覇市観光情報|https://www.naha-contentsdb.jp
12) :おもろまち中心部の交差点を中環状線と交差し、新都心牧志線と繋がる幹線道路。
那覇市公式ホームページ|21世紀に向けた都市づくり 那覇新都心地区計画|https://www.city.naha.okinawa.jp・3頁地図
13):第二尚氏王統 初代国王 尚円[金丸(1415~1476)]。伊是名の百姓から国王になり、400年続く長期王統をひらく
JCCweb美術館|https://www.Art.jco-okinawa.net
14):もと、琉球の行政区画。数村からなり、琉球処分以後も存続したが、昭和40年(1907)廃止。
コトバンク|https://www.kotobanku.jp
15):上乃屋、天久、安謝、銘苅、古島、真嘉比、安里
内間 安晃・発行人『那覇新都心物語』(那覇新都心地主協議会 2007年)
16):朝薫五番:銘苅子(めかるしー)
作 者:玉城朝薫
初  演:初演年未詳、1756年尚穆王冊封の宴で上映された記録がある。
文化デジタルライブラリーhttps://www2.jac.go.jp
17):銘苅墓跡群は、沖縄県沖縄本島南部、首里城跡の西方約3㎞にある、沖縄グスク時代から琉球王朝時代に続く墓跡群である。
文化遺産オンライン|https://www.bukaisan.exblog.jp
18):戦前には県営鉄道、沖縄電気軌道、沖縄軌道、沖縄馬車軌道と各種の鉄道が走っていた。最後まで残った沖縄県営鉄道は、第二次世界大戦で壊滅的打撃を受け、戦後復興することなく消えた。
泡瀬の過去、現在、そして未来 コザ高校が取り組んだ地域学習プロジェクト|
https://www.tunagaru-map.com
19):下記資料より当地域戦前の様子を引用した。
内間 安晃・発行人『那覇新都心物語』(那覇新都心地主協議会 2007年)18‐22頁
20):1945年3月グアム島を発進した沖縄攻略部隊は(中略)3月26日慶良間諸島上陸、29日までに慶良間列島全域を席巻した。
沖縄情報IMA・HOME https://www.okinawainfo.net
21):昭和20年(1945)5月12日~18日の沖縄戦の激戦地。字安里の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍の首里防衛の西の要衝で、米軍の第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。
那覇歴史博物館|https:// www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp
22): (事業概要(沖縄都市再生事務書)|UR都市機構九州支部|
https://www.ur- net.go.jp
23):国際通り:所在地=沖縄県那覇市牧志。通りには約600の店やその他事業所が幹を連ね賑わう。
[公式]那覇市国際通り商店街|https://naha-kokusaidori.okinawa
24):北谷町公式ホームページ|https://www.chatan.jp ・更新日:2018年7月9日
25 ):区画整理事業等の状況及び経緯を引用。
仲里 嘉彦 監修『まちづくりの軌跡と新たなる挑戦』(株式会社春夏秋冬社 2000年)
26 ):ビーチから見える沖縄県唯一の水中花火がある。
ウォーカープラス|https://hanabi.walkerplus.com
27):昭和15年頃来琉した民芸運動家柳宗悦の文章[柳宗悦集第5巻『沖縄の人文』]を基につくられ、昭和61年(1986)策定の「那覇市都市景観基本計画」において「那覇らしさの再生と創造を目指す」の基本理念となった。
那覇市景観計画|https://www.city.naha.okinawa.jp・75頁
28):那覇市都市景観計画における建築物及び工作物の基調となる色を示す。
那覇市景観計画|https://www.city.naha.okinawa.jp・78頁
29):2019年夏に首里から「てだこ浦西」延伸区間4.1㎞が控えている。
東洋経済ONLINE|https://www.toyokeizai.net
30 ):沖縄の基地経済の依存度は、昭和47年の復帰直後の15.5%から平成27年度5.3%と大幅に低下している。
沖縄県公式ホームページ|https://www.pref.okinawa.jp

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