「帆船日本丸」―近代的ビル群にある歴史遺産

久保 由美

はじめに
横浜のみなとみらい21地区[1]は、商業施設などの近代的ビルと歴史遺産等が集積している。帆船日本丸はこの地区にあり、歴史の重みや風格と「太平洋の白鳥」と呼ばれる美しい姿を披露している[2]。
この帆船日本丸の意義や価値、今後について考察する。
1. 歴史的背景及び基本情報
昭和初期は海難事故が多く、1927年の大惨事を契機に帆船日本丸(以降は、日本丸と表示)は、船員養成用の練習船として1930年に建造された。横肋骨方式リベット構造でディーゼル・エンジン搭載やSOLAS条約を先取りした先進の造船技術[3]も導入された船である。最初は船員教育を行うが戦争勃発により内向物資輸送など特殊な任務を担った。その後、日本丸は練習船へ戻り、1984年に波乱な約54年間を終え引退する。その時に10都市からの誘致要請の中で横浜市に決まり、現在、所有者は横浜市、運営管理を指定管理団体制度で公益法人帆船日本丸記念財団が行い、歴史遺産として評価されている[4]。

2. 評価
2-1. 日本丸がある環境
みなとみらい21地区は、三つの地域に分かれ、日本丸はその中の中央地区にある。中央地区は、多様な都市機能を集積した重要な拠点である。景観は水辺空間と建物の高さや色の基準を決めた調和がある造りと特に建物のスカイライン[5]形成が特徴である。
日本丸は、最寄り駅の桜木町駅[6]から歩き、横浜ランドマークタワーが見えた後に現れる。日本丸メモリアルパーク内で国指定重要文化財の第一号ドッグ[7]に係留されているが、商業施設などの近代的ビル群に囲まれ、近代と歴史が隣り合わせである。日本丸がこの場所いるからこそ歴史を感じることができるのである[8]。
2-2. 横浜にきた日本丸
日本丸の引退が近づく頃から、町のシンボルにする全国での誘致運動が始まり、1978年に横浜の団体[9]が誘致を表明する。その後、他都市[10]も追従するが1980年、誘致に向けた「帆船日本丸誘致保存促進会」 [11]を横浜市が設立、運輸関係先[12]への要望書提出と共に署名を実施し83万人集める。他にも横浜市は帆船日本丸保存計画[13]を提出し決定する[14]。
現在の日本丸は当時の関連機器や日常品、日誌などの保存から船体修理や検査の体系、生活の様子がわかることと保存が困難な鋼材の船で保存することの希少性が認められている[15]。2017年、国の重要文化財とふね遺産の認定やギネス記録をもっている[16]。
現在は現役の姿による保存のため船舶資格を残した「生きた船」[17]で、第一号ドッグに係留され、今も船内を利用した一般公開や公開事業、錬成事業[18]などを実施し、海、船、港への理解と知識の増進を担ってもいる。
日本丸への誘致からある市民の支援は現在も続き、ボランティア活動による総帆展帆は400回を達成、クラウドファンディングでは12,446,000円集めることができたのである[19]。
以上から日本丸は市民に支援される価値ある歴史遺産として評価されているのである。

3. 特質点:日本丸と同時期造船された日本郵船氷川丸(以後は氷川丸と表示)と比較
3-1. 氷川丸[20]概要
貨客船として氷川丸が建造された頃、船は海外に渡る交通手段であり、氷川丸は豪華な装飾と乗船者へのサービスや料理が好評で有名人[21]も利用している船である[22]。設計はディーゼル機関の機能などを取り入れた画期的な造り[23]で現在は横浜港に係留されている。
氷川丸は太平洋戦争で航路が休止されるまでに73航海、乗客数延べ1万人を乗せている[24]。戦争のために特別任務を遂行したが、1947年に復帰、船の老朽化と飛行機の普及や積荷の激減により1960年に引退する。引退後は神奈川県と横浜市から横浜のシンボルとして、海事・海洋思想普及のために迎えたいとの要望で、1961年に海の教室ユースホステルとして開業、開業2年目は、年間観覧者数は104万人を超える。しかし、みなとみらい21地区の開発から、次第に観光客は減り、2006年に氷川丸は閉館するが日本郵船(株)が買い取り、2008年に船内は竣工に近い形で復元を経て、「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンをする。2016年に国の重要文化財、日本の音風景百景[25]に指定などもあり評価されている。

3-2. 氷川丸と比較
日本丸と氷川丸は、同じ時期に造船されているが目的の違いにより、船内の様子や設備面、1日の生活の流れも全く違っている。海上で安全に船員教育を達成するための工夫が日本丸にはされている。船上は陸上とは違う細かい規則を守り、当直などを経験しながら船員と協調して生活していけるようにするのである[26]。これは目的の違いから内装や設備機能などの差があることを人々に気づかせることができる。
次に引退後の横浜への誘致の活動や現在の管理方法である。日本丸の誘致では市民や団体の支援による活動により誘致が決まるが氷川丸は行政からの要望からである。その後の日本丸の維持や保存活動でも引き続いての市民の支援や運営では横浜市の指定管理団体で行っているが、氷川丸は会社の運営である。係留場所も、日本丸は近代的ビル群の中であるので訪れた人に歴史があることを気づかせるが、氷川丸は横浜港にあるので船としては景観とあっている。以上の違いはあるが両者は、共通点もある。戦争の時期には船の役割をいろいろと担って波乱な時期を過ごしてきたが、その後は本来の姿である練習船や貨客船に戻り引退している。引退後に横浜に来る経過は違っている。しかし横浜のシンボルとして迎えたいという要望は同じである。現在は日本フローティングシップ協会[27]に所属し他の船と連携した活動していることや国の重要文化財などに指定され、横浜のシンボルであり、そして歴史遺産として同様に評価されているのである。

4. 今後の展望
建造から94年を迎えた日本丸は、「100年への航海」を目標に100年残すことを掲げている。しかし現実の日本丸は、船体の老化が進み、船内維持には多額の費用がかかっている。そしてアンケート[28]では高評価だが、みなとみらい地区の開発が進むことで入場者数が減ってきている[29]ことは懸念されているのである。「帆船日本丸保存活用委員会」[30]は、日本丸を今後、どのように保存し活用するかを検討してきた。そして出された提言書[31]は、このまま継続するという内容であった。これは現在の日本丸が重要で守るべきということを証明していることでもある。
日本丸を美しい姿のまま、次世代へつなげていくには、市民だけではなく国民の支援がこれからは、より一層必要になってくる。支援を増やすために、まずは日本丸の歴史的価値があることを市民だけではなく国民全体に知らせていくことである。そのためにも現在、活発なボランティア活動をこれからも継続できるように大切に守り「太平洋の白鳥」と呼ばれる美しく、風格ある姿を人々に披露し続けていくことである。そして地域などの連携[32]をより一層、実施していき、身近に感じられるような活動も増やしていくことである。これまでの事業計画[33]では社会状況に対応した企画を実施してきているがこれからもニーズに応じた企画の実施やマスコミも利用していくのである。これらのことで以前のように多くの市民に関心を持たれる存在になっていくことで、クラウドファンディングでは支援も得られる。市民の関心が高くなることでは相乗効果で行政の協力は多くなり「100年への航海」の実現につながるのである。
以上のように日本丸の歴史的価値を広めていき、支援の輪につながることで維持・継続でき「100年への航海」の達成につながっていくのである。

5. まとめ
日本丸は歴史的価値があり、次世代につなげていく大切な遺産である。しかし、維持・保存に関しての高額な費用の問題や市民の関心が誘致の時より少なっていることは現実である。日本丸を守っていくことは、日本丸だけの問題ではなく、多くの全国各地にある大切な歴史遺産が抱える問題でもある。この点からも日本丸の「100年への航海」の目標を達成することは、日本全国の歴史遺産を守る取り組みとして今後に生かす重要な事例になっていくのである。国民は守らなければならない歴史遺産に対し真摯に向き合うような社会になるためにも日本丸の目標達成はこれからの歴史遺産を守る活動につなげることができ意義あることである。そのためにも日本丸への支援はとても重要である。

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  • 81191_011_32283113_1_1_(1)みなとみらい21_page-0002 みなとみらい21地区 開発状況
    (2023年12月1日、写真は全て筆者撮影)
  • 資料2_page-0001
  • 資料2_page-0002
  • 資料2_page-0003 帆船日本丸について
    ⑩(2023年7月16日) ③~⑤(2023年9月23日) ①、②、⑪~⑰、㉑~㉕、㉗~㉙(2023年12月1日) ⑱~⑳、㉖(2024年1月8日 写真は全て筆者撮影) 
  • 資料3_page-0001
  • 資料3_page-0002
  • 資料3_page-0003 日本丸と氷川丸の位置、年表
    ①地図、④(2023年12月1日 写真は全て筆者撮影) ②と③の地図は①地図を部分的拡大 (筆者作成)
  • 81191_011_32283113_1_4_(4)帆船日本丸誘致保存促進会など_page-0001
  • 81191_011_32283113_1_4_(4)帆船日本丸誘致保存促進会など_page-0002 帆船日本丸について
    (2023年12月14日 写真は全て筆者撮影)
  • 81191_011_32283113_1_5_(5)卒研資料帆船日本丸ボランティアについて_page-0001
  • 81191_011_32283113_1_5_(5)卒研資料帆船日本丸ボランティアについて_page-0002 帆船日本丸の事業
    (2024年1月8日 写真は全て筆者撮影) 
  • 資料6_page-0001
  • 資料6_page-0002
  • 資料6_page-0003
  • 資料6_page-0004 日本郵船氷川丸について
    (2023年12月1日 ⑬を除く写真は全て筆者撮影)
  • 資料7_page-0001
  • 資料7_page-0002
  • 資料7_page-0003
  • 資料7_page-0004
  • 資料7_page-0005 帆船日本丸入場者数に関すること。
  • 資料8_page-0001
  • 資料8_page-0002 帆船日本丸連携事業

参考文献

参考文献
[1]  【資料1】(1)~4)参照 
{2}  【資料2】 参照
[3]  【資料4】(5)~(7) 参照
[4]  【資料3】日本丸(4) 参照
[5]  【資料1】 参照
[6]  最寄り駅 JR根岸線「桜木町」駅から歩いて行くと記述のように見える
[7]  【資料4】(3)(4) 参照
[8]  【資料2】 写真⑩~⑮、案内イラスト 参照
[9] 全日本船舶職員協会と海洋会横浜支部が日本丸横浜誘致を表明した。
『帆船日本丸ガイドブック』 編集・発行 公益財団法人帆船日本丸記念財団 2017年発行
[10] 1978年船橋市、1979年に神戸市が帆船誘致の要望書を国に提出。
『帆船日本丸ガイドブック』 編集・発行 公益財団法人帆船日本丸記念財団 2017年発行
[11] 帆船日本丸誘致保存促進会には2県、市、商工会議所、海運、港運、商船学校」、商船大学OB団体など5団体が参加。
【資料4】帆船日本丸誘致保存促進会 誘致活動基本理念(1)参照
[12] 運輸関係先は運輸大臣や航海訓練所などである。
『帆船日本丸ガイドブック』 編集・発行 公益財団法人帆船日本丸記念財団 2017年発行
[13] 【資料4】帆船日本丸誘致保存活用計画(2)参照
[14] 帆船日本丸は全国10都市が要望する。保存計画書を提出したのは横浜、神戸、船橋、清水、豊橋、福岡7都市である。誘致先選定を運輸省は有識者の意見を聞くため運輸大臣主催の「帆船日本丸の保存および有効利用に関する懇談会」を開き決めた。
『帆船日本丸ガイドブック』 編集・発行 公益財団法人帆船日本丸記念財団 2017年発行
[15] 【資料2】写真⑯~㉙及び説明、 【資料7】⑰ 参照
    他には、航海日誌や機関長日誌、検査手帳や当時、洗濯で使用した洗面器などもある。
    帆船日本丸 https://www.nippon-maru.or.jp/nipponmaru/ (2023年11月11日閲覧)
[16] 【資料2】⑥~⑨写真及び説明 参照、
    帆船日本丸https://www.nippon-maru.or.jp/nipponmaru/history/ (2023年11月11日閲覧) 
[17] 【資料4】生きた船(8) 参照
[18] 【資料5】日本丸の事業(2) 参照
[19] 【資料5】日本丸ボランティアについて(1)、クラウドファンディング(3) 参照
[20] 【資料3】氷川丸(2) 参照
[21] 【資料6】有名な乗船客(1) 参照
[22] 【資料6】写真①~⑮ 、説明文及びディナー(5)、船旅の楽しみ(6) 参照
[23] 【資料6】船体構造・設備(2) 参照
[24] 【資料6】氷川丸航路(4) 参照
[25]  氷川丸は正午や大晦日に汽笛を鳴らす。これが「横浜港新年を迎える船の汽笛」が「残したい日本の音風景100選*」に選ばれた。
     *残したい日本の音風景100選:1996年、環境庁(当時)が、全国各地で人々が地域のシンボルとして大切に、将来残したい願う音の聞こえる環境(音風景)を公募、その中から特に有意義と認められる100件を選定したもの。
 https://museum.nyk.com/kouseki/200707/index.html (2024年1月14日閲覧)
[26] 【資料7】船内の工夫(17) 遠洋航海中の練習帆船の1日(18) 参照
[27] 【資料7】日本フローティングシップ協会(13) 参照
[28] 【資料7】アンケート(モニタリング)調査の実施(2018年~2022年をピックアップ)(8)~(12)参照
[29] 【資料7】帆船日本丸入場者数折れ線グラフ及び主な施設オープン年表
[30] 【資料7】帆船日本丸保存活用委員会(15) 参照
[31] 【資料7】帆船日本丸保存活用委員会(16) 参照

[32] 【資料8】 参照
[33] 【資料7】最近の主な事業(3)~(7) 参照

取材協力
[2023年10月27日、11月12日、12月28日、2024年1月7日 メールでの取材]
公益財団法人 帆船日本丸記念財団指導課長 山岡恵一(日本丸一等航海士)氏


・国宝・重要文化財建造物 保存活用の進展をめざして
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/pamphlet_ja_04.pdf?20200928 (2024年1月5日閲覧)
・文化遺産オンライン 氷川丸
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/389361 (2023年11月11日閲覧)
・文化遺産オンライン 日本丸
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/417412 (2023年10月11日閲覧)
・文化祭オンライン 旧横浜船渠株式会社第ニ号船渠(ドック)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/121384 (2023年10月11日閲覧)
・マチノコエ https://itot.jp/interview/12716 (2023年11月13日閲覧)
・ウオーターフロント・シティ横浜 みなとみらいの誕生 記者発表資料
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・日本丸は、みなとみらいの価値を高めてくれる存在 https://minatomirai21.com/sp/mm40th-historia02 (2023年12月18日閲覧)
・みなと文化の創造、発見、そして伝承 横浜マリタイムミュージアムの誕生
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・事業構想・都心部強化事業 https://www.ymm21.jp/biz/vision.html (2023年12月15日閲覧)
・みなとみらい21地区事業概要 https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/gaiyo.html
(2023年12月15日閲覧)
・文化遺産めぐりマップ表 https://www.nippon-maru.or.jp/wp-content/uploads/2021/12/123812bf3383b15cc96030ec37a01437.pdf 
(2023年11月11日閲覧)
・文化遺産めぐりマップ裏 https://www.nippon-maru.or.jp/wp-content/uploads/2023/03/0dd3504c6ad526f5ac894617d987f85f.pdf
(2023年11月11日閲覧)
・横浜港の発展を支えた「旧横浜船渠第2号ドック」https://www.jcca.or.jp/kaishi/258/258_toku2.pdf (2024年12月10日閲覧)
・横浜みなと博物館ニュース 
・「壊れた文化財に再び輝き」P5 読売新聞夕刊 2024年1月11日発行
・野村朋弘編『伝等を読み直す4 文化を編集するまなざし 蒐集、展示、制作の歴史』、藝術学舎、2014年
・ヨルノヨ2023ガイドブック
・横浜みなと博物館 展示資料から
  帆船日本丸と船員養成、横浜港のふ頭、現代の横浜港、近代港の建設、関東大震災と復興、戦争と接収、高度経済成長と港の整備、コンテナと輸送時代と到来

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