お雇い外国人ウォートルス設計の建築が残る「桜之宮公園泉布観地区」の空間デザイン
はじめに
水都と呼ばれる大阪を水運により発展させてきた大川の川沿いには、4.2㎞に渡り桜の名所でもある毛馬桜之宮公園が広がっている。「桜之宮公園泉布観地区〔資料1〕」もその一部であり、明治初期に西洋の技術を伝えるために来日したお雇い外国人技師ウォートルスが設計した泉布観(せんぷかん)と旧造幣寮金銀貨幣鋳造場の正面玄関が保存されている。どちらも大阪最初期の近代建築で重要文化財となっている。この空間は歴史の厚みだけではないと思われる独特の美しさを感じることから、「桜之宮公園泉布観地区」の空間がどのようなデザインなのかを考察する。
1)基本データと歴史的背景
1-1)基本データ
所在地 大阪市北区天神橋1-1-1
敷地面積 6216.42㎡
構造 泉布観 煉瓦造及び石造
旧桜宮公会堂 鉄骨鉄筋コンクリート造及び石造
建設時期 泉布観 明治4年
旧桜宮公会堂正面玄関 明治4年
(旧造幣寮金銀貨幣鋳造場の正面玄関を移設)
旧桜宮公会堂 昭和10年
設計者 泉布観 トーマス・J・ウォートルス
旧桜宮公会堂正面玄関 トーマス・J・ウォートルス
旧桜宮公会堂 竹中工務店
(前身の明治天皇記念館は大阪市)
1-2)歴史的背景〔資料2〕
造幣局(1)の応接所として明治4年に建てられた泉布観は、明治天皇や海外の要人を迎えるなど迎賓館的な役割を果たし、後に北白川宮能久親王の住居や実科女学校の音楽室として利用され、現在では年に3日ほど内観を一般公開している(2)。また、泉布観の北側には旧桜宮公会堂が建っている。その特徴的な正面玄関は、保存していた旧造幣寮金銀貨幣鋳造場の正面玄関を移築したものである。もともとは明治天皇記念館として創設されたが、時代を経て桜宮公会堂、図書館、ユースアートギャラリーと用途を変えてきた。数年間利用が無く土地が荒廃してきたため、再生事業として大阪市が保存・活用事業者を公募した。選出された民間企業が結婚式場及びレストランを運営するにあたり、建物と日本庭園を含む周辺園地を整備し現在に至る。
2)桜之宮公園泉布観地区の空間デザイン
2―1)お雇い外国人ウォートルス設計の建築が保存されている
①お雇い外国人ウォートルス
ウォートルスはアイルランド出身の英国人技師である。資料が断片的にしか発見されておらず、経歴に不明点が多い。しかし、薩摩藩紡績所、銀座煉瓦街をつくるなど日本で多くの業績を残している。藤森照信はウォートルスについて「日本近代建築の祖父と言え、日本近代建築の流れはウォートルス→コンドル→辰野金吾というように流れはじめたのである(3)」と述べている。
②泉布観(4)
ヴェランダ・コロニアル様式(欧米が植民地に多くつくった様式である)という繊細で優美な造りをしている。寄棟造平入桟瓦葺で竣工当初はパラペット(手すり壁)付きであったが、改修時に日本の風土に合う軒の出のある屋根になった。
③旧桜宮公会堂正面玄関
パルテノン神殿のような柱が特徴的で重厚感を醸し出している。昭和10年に旧造幣寮金銀貨幣鋳造場正面玄関を移設し、ファサードはそれに合うよう設計された(5)。当初、中央の円形部分には時計があった。
2-2)植栽が空間を調和させながら、境界、動線をつくっている〔資料3〕〔資料4〕
①調和
泉布観と旧桜宮公会堂の前には高木が植えられ、建物の表情を柔らかくしている。瀧光夫は緑の効用として「かたくなりがちの外観に、表情・うるおいを与える(6)」と述べている。また、敷地全体に高木、中木、低木、地被、ツルの植栽で緑に高低差をつけ、間隔のリズム、開花時期、香りが配慮されている(7)。
②境界
敷地の周囲は植栽で囲われているため、都会から隔離された特別な空間を演出している。また、日本庭園の入口は生垣を使用し、変化を感じさせつつも穏やかな境界をつくっている。
③動線
大川に沿った南北にはそれぞれ出入口があり、通り抜けできるようになっている(8)。東西は洋風建築の建つ広場から日本庭園へと繋がる。道の脇には常緑樹をメインとした植栽が植えられており、動線が明確となっている。
2―3)サインとサウンドが特別な空間を演出している〔資料3〕
落ち着いた色味をし、シンプルで分かりやすいデザインの案内サインや、大阪歴史博物館の学芸員が執筆した原稿をもとに制作した解説サインが設置されており(9)、建築や場所のもつ物語を知ることができる。また、この空間で耳を澄ませば風で木々が揺れる音や鳥のさえずりが聴こえてくる。さらに旧桜宮公会堂からは、結婚式が行われていない通常時も重厚感ある音楽が流れているのだが、自然音と人口音が打ち消し合うことがなく溶け合っている。
2―4)明治初期の池泉回遊式庭園が再現されている〔資料5〕
荒地となった日本庭園は平成23年に民間企業により保存・活用を行うことになった際に整備された。図面が残っておらず当時の写真を頼りに再現し、隣接する旧桜宮公会堂や他のエリアとの親和性を考慮したのだという(10)。地面は整備し過ぎず自然の起伏があり、既存種の高木が日陰をつくっていることで苔が生えている。
3)相楽園と比較し特筆されること〔資料6〕
神戸の都市公園である相楽園は、19,566㎡に及ぶ広大な敷地に池泉式回遊庭園と欧米化の影響を受けた洋風庭園があり、3つの重要文化財(当初からこの場所に建てられていた私邸の旧小寺家厩舎、保存のため移築された江戸時代の船屋形と明治時代の英国人貿易商ハッサムが居住していた旧ハッサム住宅)が保存されている。また、季節の花々が彩る美しい池泉式回遊庭園では深山幽谷の景を眺めることできる。空間構成としてはエリアが大まかに分かれており、それぞれの文化財が適当な場所に配置され、エリアの境界は和風の門で仕切られているためメリハリがある。それに対し、桜之宮公園泉布観地区の空間構成は相楽園に比べコンパクトな敷地全体を植栽で緩やかに調和させており、歴史を遡っても和と洋、既存と新規が調和するよう考慮されてきた経緯がある。
4)今後の展望について
空間の側面はみどり溢れるまちなみづくりに今後も貢献してゆくと期待できる。また、大阪最初期の近代建築が現存しているということで、大阪の歴史や日本の近代建築史を知る手がかりになることから、生きた教材として活用していくことができる。また、管理・活用を民間企業に委託しているため文化財を保護しながらも結婚式場及びレストランとして効率的な活用を行っていくことで、これから先もこの空間が誰かの特別な想い出の場所へと変化していくと考える。問題点としては、大阪の風物詩となっている「造幣局桜の通り抜け」の出口付近という立地に関わらず、知名度が低いことである。名建築ブームではあるが、大阪市内の名建築が多いエリアからは距離があるため、造幣博物館や藤田美術館とセットで訪れるコースをPRすれば良いのではないだろうかと考える〔資料1の地図参照〕。
5)まとめ
桜之宮公園泉布観地区は、明治初期に急速に西洋の文化を取り入れ、明治天皇や海外の要人が使用する場所であったが、明治中期には伝統回帰し和洋が融合した親王の居住場所となった。そして大阪市の管理となり実科女学校の学生が使用する場所、さらには図書館やユースアートギャラリー、結婚式場・レストランと、誰もが使用できる場所へと変化していった歴史が刻まれている。泉布観と旧桜宮公会堂正面玄関は明治4年に創設されたものであるが、取り壊されることなく大洪水や戦禍を乗り越え、重要文化財となり現在まで大切に保存されている。大阪市の中でも特異なこの空間は、現代になり荒地に庭園を甦らせ新しく植栽を植えるなど整備されており、川添善行が「時間の残し方、歴史の厚みの中への新しさの加え方、これこそがデザインの営みなのです(11)。」と述べていることから、これはデザインの営みと言える。時代を遡ってみても、洋風の泉布観に和風建築を増設し、保存されていた旧造幣寮金銀貨幣鋳造場の正面玄関に調和するファサードを設計するなど、既存のものを大切にしながら、その時代の美意識で新しいものを調和させてきた。ウォートルスが設計した異国情緒溢れる建築が建つ空間に、時代を越えてデザインの営みがあったことにより独特の美しさを感じさせるのだと考える。
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【資料1】
写真:2023年4月11日 筆者撮影
地図:筆者作成 -
【資料2】
年表:筆者作成
【参考】
・大阪市図書館HP>戦後復興期の図書館
https://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=424(2023年7月20日最終閲覧)
・造幣局博物館「造幣局の歩み」展示パネル(2023年7月3日最終閲覧)
・酒井一光『建築の学芸員のまなざし』青幻舎、2021年
・菊池 昌治他『建築を彩るテキスタイル 川島織物の美と技』、LIXIL出版、2012年
・大阪市歴史博物館編『煉瓦のまち、タイルのまち―近代建築と都市の風景―』大阪歴史博物館、2006年
・門井慶喜『日本の夢の洋館』エクスナレッジ、2019年 -
【資料3】
写真:2022年10月17日、2023年2月6日、2023年4月11日 筆者撮影
地図:筆者作成 -
【資料4】
東西断面図:筆者作成
【参考】
環境庁HP>「みどり香るまちづくり」企画コンテスト>これまでの受賞企画
https://www.env.go.jp/air/midori-kaoru/winners-H24.html
(最終閲覧日:2023年7月28日) -
【資料5】
写真:2023年7月3日 筆者撮影
地図:筆者作成
【参考】
酒井一光『建築学芸員のまなざし』、青幻舎、2021年10月、17頁。 -
【資料6】
写真:2023年7月19日 筆者撮影
地図:筆者撮影
相楽園所在地
〒650-0004 兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1
【参考】
相楽園リーフレット
参考文献
【註釈】
(1)明治4年に近代国家として貨幣制度の確立を図る目的で大阪に造幣局の本局が創設された。お雇い外国人を迎え西洋の設備や技術を導入し、断髪・廃刀・洋服の着用を率先して行うなど、当時は非常に先駆的で日本の商工業や文化に大きな影響を与えた。
(2)例年3月に内観を一般公開しているが、2023年(令和4年)は補修工事のため不開催であった。
(3)藤森照信「謎のお雇い建築家」、安藤忠雄他『建築学の教科書』彰国社、2003年、205頁。
(4)明治天皇が命名し「貨幣の館」を意味する。
(5)酒井は「この時期に保存部分に調和するファサードが設計されたことは特筆にあたいする」と述べている。(酒井一光『建築学芸員のまなざし』青幻舎、2021年10月、29頁。)
(6)瀧光男『建築と緑』学芸出版社、1992年、51頁。
(7)平成24年に環境省主催の「みどり香るまちづくり」企画コンテストで、「におい・かおり環境協会賞」を受賞した。
環境庁HP>「みどり香るまちづくり」企画コンテスト>これまでの受賞企画
https://www.env.go.jp/air/midori-kaoru/winners-H24.html
(8)北の入口は階段があるため車いす等は通り抜けできない。
(9)2023年7月27日 大阪市教育委員会文化財保護課 櫻井様のご回答より。
(10)2023年7月14日 株式会社ノバレーゼ 前野様のご回答より。
(11)川添善行『芸術教養シリーズ19 空間に込められた意思をたどる 私たちのデザイン3』幻冬舎、2014年、145頁。
【参考文献】
・井口悦男他編『謎のお雇い外国人ウォートルスを追ってー銀座煉瓦街以前・以降の足跡』秦川堂書店、2017年
・酒井一光『建築学芸員のまなざし』青幻舎、2021年10月
・酒井一光「泉布観・明治天皇記念館」『建築と社会No.1093』日本建築協会、2013年
・藤森照信「謎のお雇い建築家」、安藤忠雄他『建築学の教科書』彰国社、2003年
・藤森照信『日本の近代建築(上)-幕末・明治篇-』岩波書店、1993年
・光井渉『日本の歴史的建造物 社寺・城郭・近代建築の保存と活用』中央公論新社、2021年
・瀧光男『建築と緑』学芸出版社、1992年
・日本デザイン学会環境デザイン部会『つなぐ環境デザインがわかる』朝倉書店、2012年
・大阪歴史博物館編『明治初年の息吹をいまに伝える建築物 重要文化財 泉布観』大阪市、2013年3月
・菊池 昌治他『建築を彩るテキスタイル 川島織物の美と技』LIXIL出版、2012年
・大阪市歴史博物館編『煉瓦のまち、タイルのまち―近代建築と都市の風景―』大阪歴史博物館、2006年
・門井慶喜『日本の夢の洋館』エクスナレッジ、2019年
・川添善行『芸術教養シリーズ19 空間に込められた意思をたどる 私たちのデザイン3』幻冬舎、2014年
・内務省地理局図籍課編『大阪実測図』1888年、出版社不明(大阪市立中央図書館所蔵)
・相楽園リーフレット
・西桂『兵庫の庭園探訪』神戸新聞総合出版センター、1991年
・神戸市教育委員会編『神戸の史跡』神戸新聞出版センター、1981年
・環境庁HP>「みどり香るまちづくり」企画コンテスト>これまでの受賞企画
https://www.env.go.jp/air/midori-kaoru/winners-H24.html
(最終閲覧日:2023年7月28日)
・旧桜宮公会堂 公式HP
https://produce.novarese.jp/kyusakuranomiya-kokaido/
(最終閲覧日:2023年7月20日)
・大阪市HP>旧桜宮公会堂保存及び周辺園地活用事業者を募集します
https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000559714.html
(最終閲覧日:2023年7月20日)
・独立行政法人造幣局HP
https://www.mint.go.jp/enjoy/toorinuke/sakura_osaka_news_r5.html
(最終閲覧日:2023年7月20日)
・文化庁HP>国指定文化財等 データベース>泉布観
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2109
(最終閲覧日:2023年7月28日)
・文化庁HP>国指定文化財等 データベース>旧造幣寮鋳造所正面玄関
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2110
(最終閲覧日:2023年7月28日)